第8話 第6.5局

 本を読むふりをしながら、ちらりと横目で弟子の姿を見る。私の弟子は、「うーん。」とうなりながら、盤面を凝視していた。そんな弟子の姿に、私は自然と顔をほころばせる。


 ポカポカとした暖かな感情が私の心に流れてくる。この感情をこれまで何度体験してきたことだろうか。今となっては、その数も分からない。


 同時に、「なぜ・・・」という疑問が頭の中に浮かぶ。その疑問は瞬く間に大きくなり、私の頭の中を支配する。



 なぜ・・・・・・



 なぜあの日、私は寝坊をしたのか。


 なぜあの日、いつもは視界に入らないようにしていた将棋盤と駒を、急いでアパートを出たとはいえ、間違えて鞄の中に入れてしまっていたのか。


 なぜあの日、遅くまで大学に残っていたいという気分になってしまったのか。


 なぜあの日、この時間、この場所で、一人で詰将棋を解く彼に出会ってしまったのか。


 そしてなぜあの日、彼に、「私の弟子にならないかい。」と提案してしまったのか。



 なぜ・・・・・・



 パチリという音が響く。弟子が駒を動かしたようだ。私は、頭の中の疑問をさっと打ち消し、盤上に向き直った。

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