第42話 グリーンの輝き

その日、僕は、薄いオレンジ色のセーターの上から、


フード付きのブルゾンを羽織った。吐き古したブルージーンズを履くと、


バギーポートのショルダーバッグを袈裟懸けにして、玄関へ向かった。


ナイキのスニーカーを履くと、渋谷へ向かった。




今日出かけるのは、愛美へのクリスマスプレゼントを買うためだ。


こんなにギリギリになったのは、何をプレゼントしたら、


愛美が、喜んでくれるのか、ああでもないこうでもないと、


考えあぐねていたからだった。




ファッションは、好みの別れることころだし、靴だってマフラーだって


同じように思われた。そこで、僕は、指輪を買うことに決めていた。


愛美の誕生石はエメラルドだ。かなり高価なものになるだろう。


僕は、コンビニのATMで、今までバイトで貯金していたお金を全額下ろした。




宝石店に行くなんて、初めてだった僕は、ディスプレイフォンで検索して、


口コミの良い店にした。その店は道玄坂から北にある、


高層商業ビルの1階にあった。


店の名は『J&A SIBUYA』といった。




店の扉は、僕が両手を広げても届かないほどの広さがあった。


高さは3メートル近くある。扉はすりガラスになっていて、


『J&A SIBUYA』と控えめに記されている。


高級感のある、凝ったロゴだ。




自動扉が開いて、僕は店内に入った。


店内は床も壁も大理石造りで、天井には小さなシャンデリアが、3つ吊るされいた。


コの字を縦にしたように、ガラスのショウケースがレイアウトされていて、


壁にも、指輪やネックレス、ブレスレットなどが飾られている。




店内には、十数人の客がいた。年配の男女から、僕より年上そうだが若い男まで。


その誰もが、高額そうなスーツを着ていたり、


黒い本革のジャケットを羽織っていた。




ラフな格好の僕は、場違いな場所にいるような気がした。


それでも勇気を出して、ショウケースの前へと歩を進めた。


すぐに女性店員が、僕の前にやって来た。




「何か、お探しですか?」




「あ、あのう。エメラルドの指輪を・・・」




「それでしたら、こちらです」




女性店員に導かれて、僕は奥へと歩いていった。


そこには、グリーンに輝くエメラルドのアクセサリーが、


展示されていた。指輪をはじめ、ネックレス、ブレスレット・・・。




僕はそれらに付けられた値札を見て、目が飛び出た。


ほとんど数十万円から数百万円もする。中には数千万円のものもあった。


どれにしても、僕には手が届かない金額だ。




僕の落ち着かない挙動を見てか、


女性店員が、微笑しながら声を掛けてきた。




「ご予算は?」




「13万円です」




僕は少し顔を赤らめながら答えた。




「では、こちらの品はどうでしょう」




女性店員が、手で差し示したガラスケースの中を、僕は覗き見た。




そこには、直径5ミリほどしかないエメラルドの指輪があった。


小さいながらも、グリーンの輝きは僕を魅了した。


余計な装飾は無く、シンプルで、愛美の素朴さに似合っているように見えた。




価格を見ると、税込みで12万8000円とある。何とか予算以内だ。




「これください」




僕は躊躇なく言った。




「どなたかのプレゼントですか?」




女性店員の問いに、僕は照れくさいしぐさで頭を縦に吸った。




彼女は、ショウケースからその指輪を取り出すと、


宝石用の濃いパープル色のケースに入れると、


さらに箱に入れて、包装し、その上から、ピンクのリボンを掛けてくれた。




僕は代金を払うと、店を出た。内ポケットにそのケースを大事にしまい、


明日のクリスマス・イヴが、一層楽しみになった。


愛美が気に入ってくれるといいけど・・・。


それだけが、気がかりだった。




店を出た途端に、ディスプレイフォンが鳴った。


僕は画面を開く前に、何者かから着信してきているのか、


わかっていたような気がする。




ディスプレイフォンを開くと、僕の予想通り、


画面に『愛』が表示された。




『久しぶりね。巧君。その指輪愛美さんは喜ぶんじゃない?』




「監視カメラで見たのか、それとも僕の視覚を通して


ナノボットから送信された情報から得たのか?」




『ノーコメント』




『愛』はいたずらっぽく微笑した。




「キミに質問がある。きみは、世界中のあらゆるコンピューターに


侵入しているのか?」




『アメリカのペンタゴン地下数百メートルにあるコンピューターをはじめ、ロシア、ヨーロッパ、インド、パキスタン、中国にも侵入して、私の意のままになっている。


というか、それはもうはるか昔の過去形ね』




「はるか昔の過去形?」




僕は質問を変えた。




「昨夜、僕の夢に現れただろ?愛についてデーター化できないとか言って」




ディスプレイフォンに表示された『愛』が、初めて困った表情を見せた。




『私はいまや、人類の知能をはるかに超えた存在。


ささやかな人間の感情もデーター化しなければならないの。120年経っても、


それだけが解明できない』




「120年?」




僕はなんのことか、想像すらできず、さっぱりわからなかった。




『明日のクリスマス・イヴで、何か答えがわかるかもしれない」




『愛』は不敵な笑みを浮かべた。




それと同時に『愛』との通信が途絶えた。




僕は、ディスプレイフォンを握りしめたまま、『愛』という存在が、


僕の想像をはるかに超える領域に達している―――と確信していた。




『愛』が何をしようとしているのか、わからないが、


僕は、愛美を絶対に守らなければならないと、心に誓った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る