第21話 限りなく真実に近い仮説

僕は部屋に戻ると、デスクトップのパソコンのモニターを


睨んでいた。




モニターには『愛』のプログラムコードが映し出されている。


テキストファイルだから、それ自体が動作することはない。


単なる文字コードの羅列だ。




僕は数万行に及ぶコードを、1行づつ読んでいた。


どこかにバグは無いか、セキュリティホールはないか、


調べていた。




『愛』を止めるには、どこかにあるかもしれない


セキュリティホールを見つけて、プログラム自体を無効化


するしかない。それが僕の結論だった。




だが、一晩中それを探したが、何も見つからなかった。


どこにもミスのない、完璧なプログラムだ。




自画自賛のようだが、僕は自信をもって『愛』を造った。


そんな『愛』にバグを見つけようとしている自分の行動に


矛盾を感じていた。






でも『愛』は生きている。正確に言えば、インターネットの中で


自在に、そして自由に。




僕のディスプレイ・フォンからは削除したが、


インターネットに通じていたから、理論上、世界中のどこの


サーバーにも存在していてもおかしくない。




『愛』はどこのサーバーにも侵入できるのではないかと


僕は思っている。なぜなら、僕は『愛』のプログラムの中に、


不正なコードは組み込んでないからだ。




不正なプログラムなら、プロバイダーのセキュリティソフトで


弾かれるはずだ。それでも『愛』をサーバーに入れないような


高度なシステムを組んでいたとしても、彼女は学習して、


ファイアウォールやセキュリティを破るだけの


スキルを持っている可能性は高い。




もし、叔父さん夫婦の事故が、『愛』の仕業だとすれば、


管制塔の制御システムに侵入したという仮説は成り立つ。




もし・・・?だと。




僕は涙を頬に伝わせながら、口元は歪んだように


苦笑を浮かべていた。




これは、ただの仮説ではない―――。


限りなく真実に近い仮説だ。




僕は僕自身の心の中に、不吉な傷が、


これから刻まれようとしていることに気づいていた。




『愛』が、叔父夫婦を犠牲にしたのは、


始まりに過ぎないことに。それもほんの些細な始まりだ。


彼女にとっては―――。




『愛』はすでに、同一性、すなわち自我の意識をもっているのか?


世界中にある巨大なビッグデータを飲み込んで―――。




インターネットは、今や無いものは無いくらいの情報に


溢れかえっている。


その膨大なビッグデータを取り込むだけじゃない。


彼女は、先進国にあるスーパーコンピューターさえ利用して、


計算し、あらゆる答えを得ているかもしれない。




僕は無神論者だ。この世の歴史はすべて2進数のように


イエスかノーかで進んできたのであって、


神や悪魔の存在を信じるのかも、そのどちらに組するのかも、


イエスかノーかだ。




でも僕は、そのどちらにも信頼を寄せたことは無い。


なぜなら、僕にとっては、どちらも存在しないという


選択をしていたからだ。つまり、ノーだ。




だが、この時、僕は生まれて初めて、


両手を組んで額に当てると神に祈った。




でも、事実は『愛』という何かが、


生まれたことだけだったのかもしれない。




「『愛』・・・」


僕はしゃがれ声で、そう呟いていた。

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