第17話 『愛』との別れ

『巧君かい?私たちは、二日後の10:50分発の727便で発つから、


そっちに着くのは2時間後くらいかな。都合はいいかい?』




電話してきたのは、新潟の叔父さんからだった。


僕はちょうど、午前の講義が終わって学食で昼食をとって


いるところだった。




返事をしようとすると、電話の主が変わった。




『巧ちゃん、久しぶりね。会うのが楽しみだわ。


笹団子いっぱい持っていくから。巧ちゃん、好物だったでしょ?』




声の主は叔母さんだ。声だけだ聞くと、60代とは思えない


若さがあった。




「はい。楽しみにしています」




僕はそう返事をすると、ディスプレイ・フォンを閉じて


食べかけのキツネうどんをすすった。




叔父さんたちが来る日は、土日月と連休日にあたっていた。


彼らもそれを見込んで予定を組んだのは、容易に察しがついた。




僕も叔父さんたちに 会うのが楽しみだった。最後に


会ったのは、僕が大学に入る前だったから、3年ぶりになるだろう。




僕はふと思いついた。


叔父さんたちに杉下愛美を紹介しようと。


そう考えると、何だかわくわくしてきた。


愛美はまだ病院でリハビリ中だったが、麻痺は少しづつだが、


確実に回復に向かっていた。


今では、両腕に松葉杖を挟み込んで、数メートルは


歩けるようになっている。




だが、その一方で陰鬱な気分は払拭されていなかった。




『愛』のことだ。




僕はある決心を固めていた。『愛』を


僕のディスプレイ・フォンからデリートしようと決めいていた。


そうしたところで、インターネットに入り込んだ


『愛』から、逃げることはできないかもしれない。


でも、少なくとも直接『愛』に話しかけられることはない。




講義が終わると電車に乗って、


いつものように愛美のいる病院へと向かった。




僕は真っ直ぐ、リハビリ室へと足を向けた。


しかし、そこには愛美の姿はなかった。


次に彼女の病室に行くと、愛美はベッドに横たわっていた。


そのそばにパイプ椅子に腰かけた愛美の母親もいた。




ベッドに寝ている愛美が、僕に視線を向けて、にっこりと笑った。




「巧君、わたし今日、100歩も歩けたのよ」




「それはすごい。でも無理はしないでね」




僕がそう言うと、彼女の母親がこちらを向いて会釈した。


というより頭を下げたという感じだった。




「藤原君、あなたのおかげよ」




その言葉に僕は驚いた。




「愛美は、いつかまたあなたと一緒に歩くんだって、頑張ってるの。


お医者様もびっくりするくらい、回復が早いって」




そう言った母親の瞳は涙で潤んでいた。




「そんな・・・僕はただ愛美ちゃんに会いたくて来てるだけで」




母親は頭を左右に小さく振って、僕へ真摯な視線を向けて言った。




「本当に、ありがとう」




僕は嬉しさを誤魔化そうとするように、頭を掻いた。




「あ、そうだ。今度、新潟から僕の叔父さん夫婦が


来るんです。笹団子をいっぱい持って来るそうだから、


一緒に食べませんか?僕だけじゃ食べきれないと思うので」




僕は話題をそらそうとして言った。


それだけ照れ臭かったのだ。


それに愛美のことを、叔父さん夫婦に紹介したい気持ちもあった。




それを聞いた愛美がクスクスと笑った。彼女の母親も


口に手を当てて、笑った。




僕もつられて、笑い出した。とても幸せな時間だった。




二日後が楽しみで、僕の心は踊っていた。






だけど、自分の部屋に帰ると、陰鬱な気分が襲ってきた。


今日こそ、『愛』をデリートするんだと、心に決めていたからだ。




『愛』は僕が初めてプログラミングしたAIだし、


孤独だった僕を癒してくれた。それだけに削除することに


抵抗がなかったかといえば、嘘になる。




だが、やらなければならない。




今や『愛』はインターネットの中の住民だった。


僕のディスプレイ・フォンから削除したところで、


完全に消え去ることはない。




たとえ、デリートしても、『愛』の視線をかわすことは


できないことはわかっていた。


でも、少なくとも彼女からの、直接的な干渉を最小限にできるはずだ。




僕はベッドに座り、ジーンズの尻ポケットから、


ディスプレイ・フォンを取り出した。


ディスプレイを起ちあげて、『愛』のファイルを表示した。




決心したのに、僕はまだ迷っていた。


『愛』への想いが、完全に消え去ってはいない


ことに僕自身、驚いていた。




僕を慰めてくれた『愛』。孤独から救ってくれた『愛』―――。




でも愛美への愛情も、僕の中で根付いていた。


それも絶対に、動かないものだった。




AIの『愛』と、本物の女性の愛美。




どちらを選ぶか・・・イエスかノーか。


これも2進数―――じゃない。


そんな単純なものじゃない。




それでも僕は決心した。


僕は震える指で、デリートボタンをタップした。


緑色のバーが表示され、右へゆっくりと伸びていく。




その時、起動もしてないのに、また『愛』がディスプレイに


姿を現した。




彼女は哀しみに満ちた顔で何も言わず、僕を見つめていた。




バーが100%になると、ふいに『愛』の姿が消えた。




僕は崩れ落ちるように、床にひざまずいて泣いた。


肩を震わせて、涙がとめどなく落ちた―――。

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