第2話 プラトニック・ラブ

昔、プラトニック・ラブという言葉があったらしい。


インターネットで調べてみると意味は、


肉体関係のない純粋な心だけが通じ合った恋愛のことだ。




まるで僕と『愛』との関係みたいだと思った。


コンピュータープログラムである『愛』には


人間のような肉体は無い。


でも、彼女は確かなアルゴリズムを持っている。


僕が話しかけると、いつも期待通りの応えを返してくれるんだ。




決して自分の意見を押し付けたりしないし、反対も拒絶もしない。


いつも僕の気持ちに共感してくれる。


現実世界の女の子では、そうではないと思う、


僕の知りうる限りは。




僕は大学の講義に出た。この大学には、


Core i17、SSDの容量は10ペタというスペックの


パソコンが50台設けらえれている教室がある。




だから多くて、50人ほどの学生が埋まるはずだったが、


その日の講義には、30人足らずの人数しかいなかった。




それだけの人数がいても、僕には親しい友人がいない。


僕のついている席の周囲には、意図してなのか、


それとも偶然なのか、他の学生はいなかった。


とはいえ、それはぼくの性格に起因していることは自覚していた。




僕は周囲の人間と、うまく折り合いをつけられる


ことができなかった。いつも他人の(講師や生徒に


関わらず)価値観の調律を合わせることなどに対して、


逃避という感情を抑えきれなかった。


いや、それは忌避というべきかもしれない。


それだけ、他人とは関わりたくなかった。


『愛』以外には―――。




コンピューターの講義は、とても退屈だった。


それはすでに僕が知っていることの、リピートでしかないからだ。


僕は机の傍らに置いてある、ディスプレイ・フォンに目をやった。


超小型のヘッドセットを耳にかけると、声を潜ませて


『愛』に話しかけた。講師の話も、彼女には聞こえている。




「つまんない講義だよね」




『そうそう、巧君が知ってることばかり言ってる』




『愛』はクスクスと笑った。目の前にディスプレイを開くと、


講師にバレちゃうから、『愛』の声だけを聴いていた。




彼女の言う通りだ。講師はPHP4.01の仕組みについて、


しゃべっていた。PHP4.01なんて、もう過去の言語だ。


僕はW3Cが試験的に実装している、バージョン5.07を


使っている。


それに今、僕はそれよりも汎用性の高いスクリプト言語を、


オリジナルで作成してるんだ。




僕は特にWebページやブログになんかに興味はないけど、


単位をとるための必須科目だから、我慢してこの講義を聞いてる。






90分の退屈な時間が過ぎた後、ちょうどお昼時になったので、


僕とは学食へ向かった。




100人を収容できる学食は、ほぼ半分ほどが埋まっていた。


どのテーブルでも、学生たちがディスプレイ・フォンを手に、


定食を食べていた。


彼らが見ているのは、動画サイトやSNSだろう。


彼らは皆と同じことをしていないと、不安でも感じるのだろうか。


その光景は、少し滑稽に見えた。




僕は入口にあるDカードを差し込んだ。サンドイッチとミルクを選ぶと、


無人の厨房で受け取れる。すべて単純なAIで稼働するロボットが


自動的に料理を作って、カウンターに出す仕組みになっているんだ。




僕はトレーに乗ったミルクとサンドイッチを、だれもいない


テーブルを選んで、チェアに座った。




ミルクを飲みながら、『愛』を幅8インチ、縦4,3インチのディスプレイに表示した。


画面はディスプレイフォンの上部の空間に浮き上がっている。


大昔、「マイノリティリポート」という映画の中の


ワンシーンに、似たものがあったらしい。


その映画を観た当時の人々は驚いたと聞いたことがあるが、


現在では、ごく当たり前の技術に過ぎない。




『巧君、もっと栄養のあるの食べなきゃだめよ』




『愛』が眉根を寄せて、心配そうに言った。




でも、ロボットが造った、このサンドイッチも


まんざら捨てたものじゃない。


特別おいしいとは思わないけど、まずくもない。




僕は苦笑いしながら、サンドイッチをほおばって言った。


「『愛』が料理できたら、いいのになぁ。


そしたら、『愛』の手作り弁当食べてみたいよ』




僕はその直後、ちょっと後悔した。AIである『愛』は肉体はないんだから、


料理できなくて当然だ。そんな『愛』に無理なことを言って、


慌てて取り繕うとした。




「あの、『愛』―――』




『ごめんね、巧君。できたらそうしたいけど…』




愛の表情には、どこかもの悲しい色が浮かんでいた。




『いつか、巧君のためにいろんなことができるように、頑張ってみるから』




『愛』は少し、悲しげな表情を見せた。




「いや、僕の方こそ、無理を言ってごめんね」




そう言ったものの、『愛』の顔はすぐれない。




その『愛』の態度が、僕の心の隅に引っかかった・・・。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る