深層で

 やばいオウガには出くわしたくない。

 その願いは半分しか叶わなかった。


 話の通じない相手は、オウガだけじゃない。2つ目の隠し階段を下ったおれたちを待っていたのは、問答無用に銃をぶっ放す兵士たちだった。

 鼻先を銃弾が掠めていく。

 嘘だろ!?


「下がって!」


 首根っこを掴まれるように後ろに引きずり込まれたおれは、正直、震えを抑えるので精一杯だった。


 ちきしょう、どうするんだよ……! 見つかっちまったぞ……!


 けど、結城は落ち着き払ったものだった。思わず、畏怖の念すら覚えちまう。

 こいつ、何者だよ? ただの研究者じゃなかったのか……?


「追って来る気はないようね。向こうも人手不足ってわけか」


 通路の奥を覗き込みながら、結城が呟く。

 なら、ここはしばらく大丈夫ってことか……?


 思って、そんな自分が情けなくなる。

 こんなザマで証拠を集めるとは、笑わせるよな……。


「これから、どうするんだ?」


 動悸を堪えて尋ねてみると、結城はしばらく思案顔でおれを見つめた。

 それから、すぐそばの部屋を指し示す。


「あんたは、そこで待ってなさい」

「待ってろって……あんたは? あんたはどうする気だよ。相手は訓練された兵士なんだろ?」


 いくらなんでも、結城だけでどうにかできる相手とは思えなかった。

 だが、結城は不敵な笑みを浮かべてみせた。


「オウガたちが来てる。騒ぎを起こしてくれるわ」


 オウガ? オウガが来てるだって!?


「兵士たちより危険じゃねぇか!」

「いいから入って!」


 突き飛ばされるように部屋に押し込まれる。

 そのままロックされた扉に、おれは目を剥いた。

 な、待てよ!


 そこへ、オウガ特有の咆哮が聞こえてくる。

 全身から血の気が引いた。

 マジで来やがった……!


 すぐ外で怒声や銃声が響く。ドシンという衝撃とともに扉が揺れる。

 けど、外側からは、そう簡単には開かない構造らしい。

 それにほっと安堵する自分が忌々しい。


 けど、どうするんだ?

 この様子じゃ、結城だって無事では済まないだろう。

 助けに行くか……?


 思って、全身から冷汗が噴き出した。

 でも……やられるだけじゃねぇのか……?


 あぁくそ、だからって放っとけるかよ!


 ロックをはずして外に飛び出す。

 そこにいたのは、全身血濡れのオウガ。


 ……や、ば――!


「ばかっ、矢吹!」


 振り下ろされる腕を辛うじて交わし、反射的に声のした方へ駆ける。


「こっちよ!」


 結城の姿を見てホッとする。

 その瞬間、殺気が迫った。


 ま……っ!


 何かが脳天を直撃した。

 物理的な攻撃じゃない。けど、頭を抱えるほどの何か。


『オオアアアアア!』


 脳髄を抉るような声にうずくまると、すごい力で腕を引っ張られた。


 気付くと、すぐ目の前に結城の顔があった。

 横には閉ざされた扉。

 いつのまにか、別の部屋に連れこまれたらしい。


「……結城、よかった、無事だったんだ」


 ほっとして結城を見上げると、彼女は目を吊り上げた。


「隠れていろと言ったでしょう!」


 頭から湯気が立ち上りそうな怒気。


「いや、けど……」

「ど素人のあんたにウロウロされると、こっちの予定が狂うのよ! もうちょっとであんた、死ぬとこだったじゃない!」


 ……そうか、そうだよな。何度同じ事を言わせてるんだ、おれ……。


「ワリィ……悪かったよ、本当に」


 どうにも立つ瀬が無くて、それだけを呟くと、結城は怒らせていた肩を落とした。


「まぁ、私も悪かったわ。あんたがそういう奴だってこと、忘れてた。……でも」


 そのまま、怒ったような顔で口を閉じる。


「……何?」


 罵倒を覚悟で先を促すと、結城は何度か迷うようにした後、口早に言い捨てた。


「ありがとう。助けようとしてくれて」


 おれは思わず目を瞬き、それから苦笑しちまった。


 こいつは本当に、素直じゃない……。



 *****



 しばらくその部屋に潜み、外の様子が静かになるのを待ってから、おれ達はそっと扉を開けた。


 廊下は案の定、血の海だった。

 無残な姿になった兵士やオウガ達が、折り重なるように倒れている。今までと違うのは、まだ幾人かが痙攣するような動きを見せていることだろうか。


 ……ひでぇ……こんな……。


 一歩間違えれば、おれもこうなってたんだ。

 それ以上考えると、自分で自分を抑えられなくなりそうで、おれはそいつ等を見ないように、ひたすら先を急いだ。


 突き当たりの部屋は、やや広いコントロールルームだった。

 奥の壁には、無数の画面や計器類が埋め込まれ、腰の高さからキーボードがせり出している。そこで、結城はせわしなく指を走らせた。


「よし、これでいいわ」


 言って、床に倒れこんだ研究者たちに歩み寄る。

 何をするのかと思って見ていると、そのまま、足で彼らを転がし始めた。

 ちょ、なんっ……! 


「何やってんだよ!」


 結城は面倒くさそうにおれを見て、すぐに視線を戻した。


「……探してるのよ」

「何を?」


 結城はそれには答えず、元同僚だったはずの人間をぞんざいに仰向けにしていく。

 顔を、確認してるのか……?


 そこには死者に対する敬意など微塵も感じられなくて、……こんな状況だ、仕方がねぇと思っても、それでもやっぱり、結城のこんな姿は見たくなかった。

 だけどおれは、止めさせることもできずに、ただ顔を背けて待っている。

 くそっ……。


 やがて、結城は一人の研究者を抱え起こした。


「な、何してるんだよ……?」


 思い切って尋ねると、結城は少し思案するようにおれを見つめた。


「……悪いけど手伝ってくれない? こいつの眼球をそこのモニターにかざして欲しいの」


 結城が肩に抱いていたのは、口から泡を噴いている研究員だった。かくかくと痙攣し、意識はすでにない様に見えた。


「なんで、そんなこと……」


 声が引き攣ってしまう。


「この先のセキュリティを解除するには、事前に登録した人間の認証が必要なの。それも、二人同時のね。その内の一人がこいつ、もう一人がそっちの奴ってわけ」


 結城が指差した先にも、似たような姿で倒れている人間がいた。

 ……いや、もっとひどい。

 裂かれた腹からはピンク色の何かが覗いて見え、おれは反射的に顔を背けた。まだかすかに胸が上下していたものの、到底、助かるとは思えなかった。


「一つ、聞いていいか」


 どうにか呼吸を落ち着けながら、辛うじて声を絞り出す。


「何?」

「オウガが来なかったら、あんた、どうするつもりだったんだ」


 結城が、おれを射るように見つめる。


「脅して、セキュリティを解除させるつもりだったのか。……それとも」


 ひどい息苦しさを覚えながら、それでもおれは、聞かずにはいられなかった。


「あんたの手で、こいつらも殺す気だったのか……?」


 結城の目が、これ以上ないほど冷えた気がした。


「もし、そうだと言ったら?」


 おれは黙り込んだ。答えられなかった。


「……勘違いされても何だから、この際、はっきり言っておくけど」


 結城は、凍えるような視線を向けてくる。


「私はこいつらが死んでもなんとも思わないし、むしろ自業自得だと思ってる。だから、オウガがやっていなければ私がやっていたでしょう。……それに」


 結城は酷薄な笑みを浮かべた。


「私はもう、何人も殺してるのよ」


 もしかしてという思いはあったが、はっきり言われると体が震えた。


「ここの職員だけじゃなくてね。被検体として連れてこられた人間も、……つまりあんた達みたいな人間も、もう何人も殺してきたわけ」


 体が震える。

 怖いからじゃない。

 決して怖いわけじゃないのに、何で何も言い返せない……!


 結城が追い討ちをかけるように続けてきた。


「……で? どうする? もう私には協力できない? いいのよ、逃げても」


 ……っ!


「今ならまだ間に合うわ。まだ、あんたの手は汚れてない。でもね、ここにいたら、いずれあんたも人殺しにならざるを得なくなるわよ」


 その言葉に、体がびくりと震えた。

 おれが……おれも……?


 結城が低く笑う。


「さあ、もう分かったでしょう。ボウヤはさっさと家に帰りなさいよ!」


 ……それでも……おれは……。

 結城が指差していた男に近づく。


「……矢吹?」


 近くで見れば見るほど、その男の姿は惨かった。見ているだけで胃が痙攣する。

 できるだけそれを見ないようにして、おれはそいつの脇にしゃがみこんだ。


「矢吹! そっちは……!」


 血で滑って上手くつかめない。それでも無理やり力を込めると、手の中で何かが潰れる嫌な感触がした。

 全身が総毛立ったが、そのおぞましさを全身全霊で無視して、おれはその男を引きずり上げる。


「これで、いいか……?」


 結城が、形容しがたい表情でおれを見つめていた。


「あんた、なんで……」


 おれは何とか笑ってみせる。

 ただ、顔が引き攣っていただけかもしれねぇけど。


「何が正しいかなんて、おれにはもう分からねぇよ。でも、もう遠くから傍観者面していることも出来ねぇんだ。……それに、」


 結城を見て、もう一度笑って見せた。


「おれは、あんたを信じてる」


 結城は目を見開き、それから顔を背けた。


「……そう」


 それ以上、何も言わなかった。



 *****



 認証をパスした先にあったのは、1基のエレベータだった。

 乗り込むと、ボタンはたった2つしかない。下のボタンを押すと、音もなく扉が閉まった。


 そうして、しばらくして扉が開いた先に、それはあった。


「これは……」


 薄暗い部屋の中、エレベータを降りた途端に目つくそれ。

 液体の満たされた円筒状のカプセルの中に、少女がいた。


「彼女が、シンシアよ」


 ぬけるような白い肌に、ウェーブの掛かった金色の髪。

 ……けど、これは何だ……?


 彼女は、上半身だけの存在だった。


「どうなってるんだ……」


 結城は顔を歪めた。


「彼女の下半身は、もう存在しないの」

「……なんで――」

「彼女を使って、ウイルスを培養するためよ」


 培養……?

 頭の芯が痺れた。

 こんな姿にして、培養だと……?


 腕も、上腕部より先がなかった。まるで引き千切られたような頭と小さな胸だけが、液体の中を漂っている。


「あんたにはまだ説明していなかったわね。彼女は、ウイルスによって蘇生した死人じゃないの。過剰なウイルス投与によって、生きたままオウガへと変態を遂げた者。それがシンシアよ」


 生きたまま……?


「……普通は、即死するんじゃなかったのか」


 声が掠れる。


「普通ならね。でも、極めて稀に、生きたままオウガへと変態を遂げることがあるらしいの。理由はまだ分かっていない。体質によるものだとしか……。そして、生前でのウイルス投与により、生きたまま変態を遂げた唯一の成功例が、彼女よ」


 蒼白い明かりの中に浮かび上がる少女。


 ……オウガ……彼女が……?


 虚ろな瞳は、何も映していない様に見えた。


「彼女の中で増殖するウイルスは、既存のウイルスを進化させる……無限の可能性を生み出すと言われているの」


 無限の可能性、だと……?


 言いようのない怒りが込み上げる。

 そのとき、青色の瞳がおれを捉えた。


『……キテ……クレタンダ……』


 脳に直接響くような声。

 ……お前……!


『コレデヤット……自由ニナレル……』


 深い溜息と共に吐き出された言葉。その声を聞いた途端、息が詰まった。


 どうして……どうして、もっと早く助けに来てやらなかったんだろう?


 胸が疼いた。掻き毟ってやりたいほど胸が疼いて、つんのめるようにケースに駆け寄る。そのまま、手を触れた瞬間、


『ヤメテユルシテオネガイダカラモウ、コロシテエェ!!』


 ……っ!!

 頭が弾け飛ぶ気がした。

 膨大な情報の奔流。

 ほんの一瞬のことだったのに、垣間見た少女の記憶に、頭が沸騰した。


 許せ……ねぇ。許せねぇよ……!!


「や、矢吹……?」


 割れ鐘のような音が響く。

 足を踏み締めようとした途端、全身を引き攣るような痛みが走った。


 誰かが歩み寄る気配。

 顔を上げると、狂気を宿した目がおれに向かって何かを振り下ろして――

 や……止メろおぉっ!!


「しっかりして!」


 気づくと、誰かに体を支えられていた。

 喘ぎながら目を凝らすと、ぼんやりと女の顔が浮かび上がる。


「……あ……結城……?」


 何が起こったのかわからない。呼吸が乱れて、それ以上、何も言うことができなかった。


 結城が、何かを堪えるような顔を向けてくる。


「やっぱりあんた、この子と感応していたのね……」


 え……?


「どういう意味だ……?」


 結城の手を借りてなんとか立ち上がると、結城は言葉を探すようにした。


「オウガには、……いえ、ウイルスを投与された者の中には、かしら。記憶を共有することがあるらしいの。テレパシーとでも言うような……。シンシアは、飛びぬけてその能力が強いらしくて」


 ……テレパシー……?


 おれはふと、オウガに襲われたときのことを思い出した。

 あいつ等に閉め出された建物の前で。

 兵士とオウガに遭遇した廊下で。

 オウガの爪が迫ったとき。頭を貫くような咆哮の後で、おれはいつも危機を脱していた。

 ……あれは、もしかして……。


「今まで、この子がおれを助けてくれていたのか……?」


 結城は複雑な顔をした。


「……あんた、よほどシンシアとの波長が近かったんでしょうね。それで、彼女の声が聞こえた」


 おれは、結城を見返した。


「あんたにも、聞こえていたんだろう?」


 結城が、はっとしたように顔を上げる。それから、苦笑するように頷いた。


「……そう。私も、あんたと同じような実験を受けていた身だから……」


 言って、振り切るように立ち上がる。


「さあ、急ぎましょう」


 その表情に、ほんの僅かな違和感を覚えた。


「結城」


 結城は、テーブルに据えられたパネルに指を走らせていく。

 いくつもの画面が開いた後、中央にCautionの文字が点滅した。

 なぜか不安を覚えて、おれは尋ねた。


「彼女を助けてやるんだよな?」

「……そうよ」


 同意が返ってきたのに、なぜか不安は深くなった。


「なぁ、彼女をここから出して大丈夫なのか?」


 結城は、ただ指を動かし続ける。

 いくつもの警告音が響いた後、最終確認を促す表示が現れた。

 おれは思わず、結城の手を押さえていた。


「なぁっ、大丈夫なんだよな?」


 結城はおれを睨み、ふいと視線を逸らせた。


「もう、無理なの」


 おれは目を見張った。

 無理?


「彼女は、ここを出たら生きていけない」


 なっ……!


「でも、ここにいたら永遠の地獄。終わることのない悪夢に苛まれ続ける。だったら――」


 言って、苦しそうに笑う。


「私たちにできるのは、せめて彼女を開放してあげることでしょう?」

「違う!」


 思わず叫んでいた。


「違う!! そんなのは――」

『コロシテ……』


 はっとして振り返ると、シンシアが懇願するような眼差しを向けていた。


『オネガイ……コロシテ…… 』


 おれは呻いた。自分の愚鈍さに眩暈がする。

 今まで……今までずっと、そう言っていたのかよ……!!


「そんなことはさせねぇ!」


 叫ぶように言うと、蒼い双眸がおれを冷たく見据えた。


『ドウシテ……?』

「どうしてって、お前……!」

『ソノタメニ、アナタヲ呼ンダノニ……?』


 頭を殴られた気がした。

 ……そういう……ことかよ……!


『コロシテ……』


 胸が痛い。灼けつくように痛んで、おれは呻いた。


「……黙れよ」

『……コロシテ』

「黙れ!」


 おれは叫んだ。


「助けてやるから、お前は黙ってろ!」


 少女は、愁いを帯びた瞳で結城を見つめた。


『マホ……』


 結城は顔を歪めた。


「……あんたにだって、本当は分かっているんでしょう? もう、どうしようもないってこと……」

「うるせぇっ!!」


 どうしようもないだと!? ふざけるな、そんなこと――!


「……開けるわ」


 おれはとっさに、結城の腕を掴んでいた。けど、


「いい加減にして」


 底冷えのする視線に射竦められる。


「押し付けの善意は、ただの悪意よ。あんた、これ以上この子を苦しめたいの?」


 ……っ。


 何も言い返すことが出来なかった。

 無力感に全身を締め上げられる。


 ……ちくしょう……こんなの……!


 気づくと、シュウッという音と共に液体が吐出されていく。結城が彼女に近づいて――


「待て」


 口を付いて出たのは、自分でも理解できない言葉だった。


「おれがやる……」


 結城が眉を顰めて振り返った。それから、溜息を落とす。


「おれがやる」


 もう一度繰り返すと、結城はおれをじっと見つめ、小さく笑った。


「あんたには無理よ」


 おれは結城に駆け寄った。

 どうしてだか分からない。ただ、それはおれの役目だと、そう思えてならなかった。

 そうでなければ、おれは……。


「……頼む、そいつを貸してくれ」


 結城は首を振った。


「止めなさい。あんたが手を汚すことはないわ」


 ぎりっと唇をかみ締めた。

 だから……おれは……!


「貸してくれ……!」


 絞り出すように言うと、結城は戸惑った顔をして銃に視線を落とした。

 しばらく迷うようにした後、ゆっくりと右手を差し出す。

 その手にあるのは、やけに銃口の大きな、見たこともない凶器だった。


「……使い方は同じ、引き金を引くだけ、だから」


 それを手にして振り返ると、液が抜け切り、カプセルが開くところだった。

 上半身だけの少女はおれの手元を見て、そっと微笑む。

 その瞬間、母さんの顔が脳裏をよぎった。


 なんで……。

 おれは喘いだ。

 ……なんで……そんな顔……。


 少女の息遣いは、ひどく荒かった。

 カプセルを出たら生きていけない。けど、このまま放って置いても、きっとすぐには死ねないんだろう。

 なぜか、そう理解している自分がいる。


 なのに……どうして……そんな顔……。


 目の奥が熱い。

 痛いほど熱くて、おれはゆっくりと銃口を少女の頭に押し当てた。

 苦しげに顔を歪ませながらも、少女はどこかうれしそうに笑う。


『アリガトウ……』


 ……っ!

 指先に力を籠める。

 乾いた音が響いた。

 笑えるほど軽い音に、少女の頭が半分吹き飛んだ。


 何が……!

 おれはもう一度、引き金を引く。

 何が、ありがとうなんだよ……!


「矢吹……!」


 視界が滲んでよく見えない。

 だめだ。もっとちゃんと消してやらなきゃ……。

 もう一度引き金を引く。


「もういいわ! もういいから、行きましょう!」


 肩を強く揺すられて、おれはようやく結城を見上げた。


「早くしないと逃げ遅れるわ」


 逃げ……何……?

 結城は硬い表情で告げた。


「もうすぐ、地上が爆破される」


 爆破……?


「セキュリティを解除しているときに気づいたの。約90分後に爆発するようセットされてた」


 おれは目を見開いた。

 何だって……?


「恐らく、地上のオウガを焼き払うつもりなんでしょう。さすがに、ここまで被害は及ばないでしょうけど。でも、ここにいたら、いずれ捕まってしまうわ。今のうちに地上に出て、爆発に乗じて船を奪うのよ」


 地上、と聞いて、ぐちゃぐちゃになっていた頭に浮かんだのは、

 ……あいつ等の顔だった。

 思い出したくもない、あいつらの顔。


 爆破されたら、あいつ等は……?


「さあ急いで!」


 結城に半ば引きずられるようにしてコントロールルームを出る。

 そのままエレベータに乗り込んだところで、ようやく言葉が絞り出せた。


「結城。この近くに、もう一つ建物があっただろう? ……爆破されたら、あそこはどうなる?」


 結城は、面食らった顔をした。


「第二研究棟のこと? ……あそこは防爆構造にはなっていないはずだから、木端微塵でしょうね」


 半分吹き飛んだシンシアの顔。それがあいつ等の顔と重なる。

 ……くそっ……どうして……!


 上の階につくなり、結城は辺りをざっと見渡してから口早に告げる。


「ほら、ボサッとしてないで行くわよ」

「……結城!」


 結城は苛々とした顔を向けてきた。


「何? 時間がないんだから……」

「おれ、あいつ等に知らせに行く」


 結城がぎょっとした顔をした。


「……何?」

「あいつ等に知らせに行く」


 息を呑む気配がした。


「あいつ等って、あんたを置き去りにした友人のこと……?」


 その言葉に顔が引き攣るのを感じながら、おれは頷く。


「あんたは先に脱出してくれ。おれも、後から向かうから」


 そう言った途端、結城は怒り心頭という顔をした。


「バカじゃないの!? あんた、あいつらに裏切られたんでしょう? そんな奴らのために、戻るですって?」


 思っていた以上に、その言葉は胸に刺さった。


「お人よしも大概にしなさいよ。また裏切られるだけよ。あんた、そんなにおめでたいの?!」


 ……違う。


「あいつらを許してなんかいねぇ。……でも、死ぬと分かっていて放っておくことも、できねぇんだ」


 あいつらの仕打ちを思い出す度、今でも灼けつくような怒りを覚える。

 死んだって自業自得だ。心のどこかでは、そう思ってる。


 でも……。


 さっきから、あいつ等の顔とシンシアの顔が重なって仕方がなかった。

 ここで見捨てたら、あいつ等は死ぬ。シンシアと同じように吹き飛んじまう。

 そう思うと、胸の奥が焼けるように疼いた。


 助けられるかもしれないのに、見捨てて逃げる。それをやったら、あいつらと何が違う? 何も違わねぇじゃねぇか……!


 こんな思いを抱えて帰るなんて、くそくらえだ。

 きっとただ、それだけのことなんだろう……。


 結城はおれを刺すように見つめて、それから色の無い声を上げた。


「あんた、死ぬわよ」

「……死なねぇよ」


 結城は、皮肉げな笑みを浮かべた。


「皆そう言うのよね。そして、モルモットにされるわけ」


 おれは結城を見上げた。


「おれは死なねぇ。こんなところで、死んだりなんかしない」


「あんた、バカじゃないの? あんたが今まで生き残れたのは何でだと思ってるの?! ……助けられてたからでしょう!? 思いさえあれば、何でも叶うと思ったら大間違いよ! 無理なものは無理なの! あんた、そんなに死にたいの?!」


「おれは死なねぇ。必ず、生きてここを出る」

「なら、勝手にすればいいわ!」


 おれは俯いた。

 結城を怒らせたいわけじゃない。こんな形で別れたくはなかった。

 でも……。


 おれは深く頭を下げ、それから、すぐに身を翻した。

 早く行かねぇと……!


 だが、扉に手をかけたところで、


「矢吹!」


 何かが足元に放り投げられる。

 拾い上げたそれは、両面に無数の穴が開いた1本のディンプルキーだった。

 驚いて顔を上げると、


「ほら、これも」


 吐き捨てるような言葉とともに、目の前に何かが飛んでくる。

 慌てて受け止めると、女物の腕時計だった。


「餞別よ。持って行きなさい」


 鍵は、研究棟のものだろうか。

 もしそうなら、これで自由に建物を出入りできる――


 何と言えば良いのか迷っていると、ただ冷えた笑いが返ってきた。


「お礼は結構。どうせ死ぬのなら、せめてあいつらに会ってからの方がいいでしょう?」


 おれは苦笑した。

 きっと、結城なりのぎりぎりの好意なんだろう。

 おれはもう一度頭を下げ、扉の外へ飛び出した。

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