妖‐あやかし‐ 一族

渡貫とゐち

第一集/柊と雪女

第1話 神谷家の日常

 ――みんなはあやかしを信じるか?


 簡単に言えば、妖怪のことなんだがな。


 俺は、信じない。そんな存在がこの現代にいてたまるかよ。

 だけどな、現実はどうして、どこまで酷くなればいいのか――。

 俺に厳し過ぎる気がするんだよなあ。


 俺の家は代々続く、妖怪退治の専門らしい。


 今は全然、活動していないけどな。

 それでも、後々、役に立つから、と言って、俺に嫌ってほど妖怪のことを学ばせる。

 もう嫌になる。


 男が俺一人しかいないんだから、仕方ないと言えばそうだが。


 もう一度、言おう。

 俺は妖怪なんて、信じない。


 今までだって、見たことがないのだ。じいちゃんの冗談だと思っていたくらいだ。

 代々続く冗談となれば、スケールが大きいけどさ……、

 そりゃまあな、小さい頃は興味津々にじいちゃんの話を聞いていたけど、高校生にもなって、そんな妄想を聞かされるこっちの身になれ。


 本当にいるのなら、目の前に連れてこい。

 そうしたら信じてやるよ。


 ……とか言っていた時期が、俺にもありました。


 信じることなんて一生ないと思っていたのに。


 あの夏、俺は、あり得ない体験をした。


 それは俺、神谷かみや妖一よういちの人生を大きく変える大事件だった。


 ―

 ――

 ―――

 

 ジリリリリリッ、と俺の枕元にある目覚まし時計が、起床を知らせてくれる。


 止まる気配はない。当たり前だ。

 こっちから止めない限りは、鳴り止まない。

 セットしたのは自分のはずなのに、毎回毎回、イライラしていることに、この目覚まし時計さんは気づいているのだろうか。


 伸ばした手が時計に触れる。

 だが、音を止めるボタンが押せなかった。


 ベッドから時計が、ガンッ! と落ちて、

 その瞬間に地面との接触なのか、ボタンが押されて音が鳴り止んだ。


 運が良い……、これで第一任務は完了。あとは起きればいいだけ――、そこで気づいた。


 今日から夏休みのはずだ……、ということは、まだ寝ててもいい……。

 そして、俺の意識が再び落ちていき……、


「だりゃーっ!」


「うげぇ!?」


 ……いかなかった。

 落ちていたまぶたを、ゆっくりと上げる。


 もうこれが妖怪なんじゃないか?

 という表情をした、妹一号が、俺の腹の上に座っていた。

 馬乗りである。


「起きろ、バカ兄貴!」

「なんでだよ……、今日から夏休みなんだから、ゆっくり寝させてくれよ」


 妹の額に血管が浮かび上がっている……え?

 あ、これ、怒りで切れる寸前のやつだ、と遅れて気が付いた。


「へえ、いい度胸ね。今日は家族全員で大掃除なのに」

 

 ……大掃除? なんだそれ、聞いてないけど……あ。



 確か昨日、


 ――明日は大掃除するから、朝はきちんと起きてね。


 と、ひなねえに言われた気が、しないでもない。


 ダラダラダラ、と変な汗が背中を流れる。鼓動も段々と早くなる。


 大掃除は、朝早くからやるはずだった。

 この家は大きくて、とても一日では終わらない。

 だから朝早くからやる必要がある――。


 そう、いつも学校へ行く時間から、三時間前くらいからは。


 そして、あの目覚まし時計。

 学校の時間に合わせたまま、変えていなかった。


 えっと……つまりこれってさ……。


ようちゃん……起きた?」


 ゆらゆら、と、部屋の前に立つ、幽霊のような……、雛姉が立っていた。


「ひっ!?」


 うわうわうわうわうわ――、これ、ぶち切れ!? 超怖い!?


「気持ち良さそうに寝てたね。

 どう? のんびり寝たから、体力、余ってるでしょ?」


「いや、そんなことは――」


「余ってるよね?」

「はい、余ってます……」



 考える暇なく言わされた。


「じゃあ、お願いね。

 寝坊してさらにサボったりしたら…………、どうなるか、分かってるよね?」


 うんうんっ、と顔を縦に二度振る。

 脳が揺れて、気持ち悪くなった。


「おーい、雛菊ひなぎく! こっちを手伝ってくれー」


 下から飛鳥あすかの声が聞こえた。

 飛鳥は俺の二つ上の姉で、高校三年生――ちなみに雛姉は大学生。


「はーい。いまいくー」


 雛姉はさっきとは違い、機嫌を良くして、階段を下りて行った。

 さっきまでが異常で、今の雛姉が正常だ。

 雛姉はあまり怒らなくて、いつも穏やかだ。


 だからこそ、怒った時は、超怖い。

 それは、この家の者なら誰でも知っている常識だ。


 雛姉の頼みを断るわけにもいかないし……、

 はあ、でも、掃除とか面倒だなあ。


「おい、さっさと下りろ、妹一号」

「な!? 一号ってなによ! ちゃんと名前で呼べ!」


「へいへい、気が向いたらな」


 あまり名前では呼びたくない。

 特に理由はないが、そういうもんだろ?


 階段を下りて、居間に出る。

 雛姉と飛鳥が、ここの掃除の担当だったらしい。

 押入れの中身を引っ張り出し、押入れの中を掃除する。

 考えただけで面倒くさい作業だ。


 それを嫌と言わずに、黙々とする雛姉はすごいなあ。


「あたしもすごいだろ?」

「いや、全然」


 人の心を読むなよ、飛鳥め。


「まったく、照れちゃって。

 この完璧魔人と呼ばれた飛鳥ねーちゃんのすごさが分からないなんてね。

 あんたもダメだにゃあ」


「魔人でいいのか、お前は」


 褒められているのか、貶されているのか、よく分からないあだ名だな。


「二人とも、喋る前に、手を動かして」

『はーい』


 それぞれの作業に戻る。

 俺は特になにもしていないし、ここにいても邪魔になりそうだから……、どこへいこう?


 家の中はもう、だいたい役割が決められているんじゃないか?

 だったら、そこに首を突っ込むのは止めた方がいいな。


 となると、外か。

 池の周り、ここの掃除はじいちゃんが毎日やっているから、特別しなくてもいいんじゃないかと思うけど、やることもないし、やっている振りだけでも――。


 そう思って池に向かうと、先客がいた。


「あ、お兄ちゃん」

「ん? なんだ、蝶々ちょうちょうか」


 そこにいたのは妹二号。

 一号のまいとは違い、静かでおとなしい少女だ。

 学校で一人、本でも読んでいそうな、儚いイメージを抱かれやすい。


「ここでなにしてんだ? 掃除、なわけないよな」


 ただ池をじっと見てる、だけにしか見えないからなあ……。


「池の中の鯉を見てた」


 本当に見てただけだった……口には出さなかったが。

 蝶々とは、兄妹きょうだいだけど、そこまで話をするわけでもない。


 いきなり叫んだりしたら、変な兄貴だと思われるからな。


 沈黙が続き、この空間にいるのがつらくなってきた。

 蝶々の方は気にしていないのだろうが、こっちは意外ときついのだ。


「そか。じゃあな、蝶々」


 手を振って別れる。

 あっちも手を振ってくれたのが、少し嬉しかった。


「やっぱり、あいつはなんかやりにくいなあ」


 可愛いんだけどな。


 少し進んだところに、舞がいた。妹一号の方だ。


 妹は、箱を持ってフラフラとした足取りで――って、転びそうになってんじゃ、


「んっ、きゃあっ!?」


 ドスンっ、と箱が舞の手から離れ、地面に落下する。

 俺は、舞の体をガッチリと支える……怪我はないようで、ひとまず安心だ。


「あ、ありがとう……」


 なぜか不満顔で、お礼を言ってきやがった。

 なんだその態度……、助けなきゃ良かったな。


 とはまあ、当然、言えないわけで。


「危なっかしいな、本当に」

「仕方ないじゃん。一人なんだし」



 一人? ああ、確かに一人だな……あ。


「なら、手伝うぞ」

「当たり前なんだけどね。手伝うのは」


 ちっ、可愛くねーやつだ。別にお前に求めてないけどさ。


「それで。お前の担当は?」

「ここの、倉庫の掃除と、整理を任された」


 掃除、と、整理ねえ――。

 じいちゃんも酷いな。舞に、こんな汚い場所を掃除させるなんて。


「ここ、元々兄貴の担当なんだけどね。

 どっかの誰かが寝坊したせいで、いきなりここをやれって言われて、ほんとに最悪」


「……申し訳ねえ」


 寝坊は少しのミスで起きた事件だから。

 まさか、雛姉の忠告を聞いて尚、寝坊するとは、一生の不覚だった。


「いいから、もう早くやっちゃおう。

 それですぐに休憩して、わたしは寝る」


「そうだな、俺も寝たいし」

「まだ寝るか!」


 拳を突き出してくる妹は正常か? 異常だろ……。


 倉庫の扉を開け、中に入る。

 倉庫内は埃が舞っていて、入った瞬間に二人でげほごほとむせた。

 なので、タオルで口元を覆う。これなら少しはマシだろう。


「一旦、全部出すか?」

「それがいいと思う」


 倉庫内は暗くて、お互いの姿がよく見えない。

 懐中電灯の用意のなさは、気が利かないな。

 仕方ないので、信じるものは自分の視力と感覚のみ。


「おい、どこにいる?」

「ここ、ここ。って、うわっ」



 ドスン、と鈍い音がした。

 なにかが倒れた、もしくは落ちた音がした。


「どうした?」

「な、なにかが落ちてきた……」


 落ちてきた物は、大きな箱だ。

 棚の上にあったらしいのだが、棚が古くて、壊れたのだろう。

 さっさとリフォームでもすればいいのに……。

 景観さえ損なわなければ、内装くらいは良いと思うけど……。

 

 どれだけ歴史を重ねているのか知らないけど、伝統を守れたらいいのだろう?


「ひとまず、これを外に出すか。そっちを持ってくれ」


 二人で協力して持ち上げる。

 力は充分、入れている。

 これでもかってくらい、全力で。

 にもかかわらず、全然、箱が持ち上がらない。


「なにこれ? すっごい、重い……っ」

「じいちゃんの……変なものが入ってんじゃねえだろうな?」


 持ち上がりそうにないので、引きずることにした。

 地面と擦れて、ガリガリと箱が削られるが、まあ大丈夫だろ。


 そして、暗闇から日向へ出る。ついつい眩しくて目を瞑る。それでも眩しかった。

 手をかざし、やっと、ちょうどいい光加減だ。


「さて、中になにが入ってるのかねえ」

「まさか、開ける気なの?」


「ここまで持ってきて、開けないってのはないな。

 どうせ、くだらない物ばっかり入ってるんだろ。別に、減るもんじゃないしな」


 箱の蓋に手をかけ、思いっきり開ける。

 だが、開かない。

 鍵でもかかっているのかと思ったが、そういうことでもないらしい。


 蓋の調子が悪くなっていたらしく、歪んでいる。


「これのせいか。っつ、くうううッッ! はぁ、ダメだな……」


 びくともしねえ。

 なんて意志が固い箱だ。尊敬するぜ。


「なにやってんの?」


 舞が冷静に突っ込んだ。

 心の中を読まれていないとしたら、俺の非力さに呆れているのだろうか。


 だがな、妹よ、一つ言っておく。

 俺は弱くない。非力でもない。お前が強過ぎるんだ。


 格闘技、いくつやってるんだよお前は。

 確か、忘れたけど、ほとんどに手を出してるような……。


「どいて、ぶっ壊す」


 女の子のセリフじゃないような気がするが、まあいいだろう。


「よし、やっちまえ」

「上から目線、むかつく」


 構えた拳が、箱の蓋へ勢い良く衝突し――ガガッッ! と音が響く。

 箱の蓋以上に、箱まで破壊した。


「……あ」

「やり過ぎだ、バカ! どうすんだよ、これ!」


 中身が箱から飛び出して、色々とマズイことになっていた。

 状況を説明すると、中にあった大量のお札みたいなのが、空中に舞ってしまっている感じだ。


 風に乗り、遠くへ――。

 俺たちは、八方へ散るそれを、ただただ、見ていることしかできなくて。


 ばばっ、と舞の方を向くと、


「見なかったことにしよう」

「いやいや、いやいやいやいや」


 さすがに無理だろう。……というか、あれ、なんだったんだ?


 色々と可能性があるが、どれも、それっぽくはない。


「別に、大切な物じゃなさそうだったし、言わなきゃバレないって」


 舞が楽観的に言う。それは、そうだが。


 だが、なにか嫌な予感がする。

 なんだか、これから大変なことが起きそうな、嫌な感じが――。


 分からない以上、気にしても仕方ないと言えばそうだが……。


「掃除の続き、やっちゃおう。まだ長いんだから」

「ん? あ、ああ……」



 俺は、飛んでいってしまった札を見送ってから、倉庫の中へ戻った。


 倉庫の掃除が終わる頃、お昼が過ぎていた。

 昼食は各自で勝手に食べろ、とのことだった。


 用意もしてくれないのか。

 いや、それすらもできないほど、忙しいってことか?


 台所に向かい、冷蔵庫を開ける。

 当然、中にはなにもない。あるのは麦茶くらいだった。


「……買いに行くか」


 財布を持って玄関へ移動。

 最近、お小遣いが寂しいことになっているから、あまり贅沢はできない。


 そして、俺が出かけるのを嗅ぎ付けたように、



「ん。どっかいくの? 妖一」


 飛鳥だった。敏感なやつだ。

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