中編 婚約破棄された幼馴染(ルーク視点)

 婚約破棄って、衆目を集めてこんなに堂々とするものか?

 俺はあたかも決められた台本を演じる劇のような、目の前で繰り広げられる光景を呆然と眺めていた。


 婚約破棄をしているのは、ウォルター・マクニール。この国の第一王子だ。金髪碧眼、頭のキレも……、まあまあいいかな。ちょっとプライドが高い。

 その横には新たな婚約者候補、ジェリー・マイアル男爵令嬢。こっちは黄緑の髪をしていて背が低く、可愛らしいといえばそうかな?

 殿下から与えられたのだろう。領地すらない貧しい男爵令嬢が、身の丈に合わない豪華なドレスやアクセサリーを、見せつけるように身に着けていた。統一性もないし、品がいいとは言い難いな。

 アレは殿下の趣味だろうか。だとしたら、センスは良くない。


 哀れな被害者は、俺の幼馴染でベインズ侯爵家の令嬢、シンシアだ。

 真面目でツンとした性格だけど、嫌なヤツじゃない。ジェリーにキツく当たっただの、侯爵令嬢としてあるまじき言動があっただのと言い掛かりをつけられているが、イジメなんて卑怯なことは絶対にしない。

 ……まあ、あのジェリーって女も婚約者のいる男に言い寄ってたんだからな、キツい言葉の一つ二つ浴びせられるのは、相手の権利だと思って諦めてやれよ。

 助けてやりたいところだが、騎士団長のご子息まであちら側についてしまった。

 将来騎士団の一員として働きたい俺としては、ここで揉めるのも分が悪い。どうせ罰を与えるなんて、陛下の判断も仰がずにできるわけがないんだ。

 シンシアの父である侯爵閣下につまびらかに説明して、落ち着いてから状況を打開してもらうのが一番だろう。


 泣きそうな瞳で睨みつけるシンシアが、痛ましかった。

 彼女は切実な訴えを唱える声を残し、殿下の護衛兵に連れられてこの会場から退場させられた。兵としても、勝手に婚約破棄を言い渡された、現時点で立場の解らない侯爵令嬢に触れて連行するなんて、やりにくいことこの上なかったろうな。後で処罰されないか不安じゃないか。

 それにしても……殿下は正式な婚約者である彼女には、あんなにアクセサリーをプレゼントなんてしていない。ずいぶん愚かな恋に身を落としたものだ。

 俺は騒然とする会場を抜け出した。シンシア付きのメイドと共に彼女の家の馬車まで行き、御者に事情を説明する。メイドには残ってシンシアに付いていてもらい、俺は彼女の父であるベインズ侯爵の元へ向かった。

 このパーティーの後に家族で食事をすると言っていたので、近くまで来ているはずだ。

 

 ベインズ侯爵は、王都にある邸宅で出掛ける準備をしている最中だった。

 そして婚約破棄と、シンシアが連行されたことを知り愕然とした。侯爵夫人は、不義をしただけではなく娘をおとしめるなんてむごい仕打ちだと、泣き崩れてしまう。

 俺はシンシアの側について、万が一にも自殺しないように目を配らせることを約束した。

「……頼んだ、ルーク。私はすぐに陛下への謁見を申し出て、シンシアの釈放を願い出る。今回の経緯についても、調査を懇願して来よう」

「はい、侯爵閣下。シンシアは侯爵令嬢として恥ずかしいおこないなど、一切していません。学年は一つ違いますが、同じ学校に通っていた俺が保証します」

 予約していたレストランのキャンセルと、王城へ向かう為の準備を家令に申し付ける侯爵は、悲痛な面持ちで窓の外に視線を移した。

「こんなことになるのなら……シンシアに、もっと自由にさせてやるんだった……」

 自分にも他人にも厳しい人なので、娘にも甘えさせなかったことを悔やんでいるように映る。気の強いシンシアは弱音を吐かなかったが、ずいぶん我慢して生きてきたのかもな……。

 俺はその場を後にして、シンシアの元へ急行した。


 

 我慢は、良くない。

 あのどんなに怒っても手を上げることも、言葉を乱すこともなかったシンシアが、殿下を土下座させて前髪を掴み、自分に顔を向けさせている。

 こんなキレ方するヤツ、見たことないよ……!

 相手は殿下だから! この国の王子だから! 王位継承権、第一位の所持者だから……!


「アタシはさあ、ず~いぶん優しくあの女に諭したろ? あァ? いじめだ? あるまじき言動だ? どの面さげてぬかしやがんだ?」

「あ、あれはその……、ジェリーが泣いたので……」

「泣いただぁ? ほー、お前バカじゃねえの? 鳥なんかそこかしこで鳴いてんじゃねーか」

 扉の前で警備していた兵は、とんでもない展開に困惑している。

 俺も正直、巻き込まれたくない。鳥が鳴くのと人の泣くのは、違うと思う。あのジェリー男爵令嬢にいたっては、ウソ泣きじゃないかな。

「私が間違っていました……」

「聞こえねえよ!」

「私が間違っていました、申し訳ありません~~~!!!!」


 ついに殿下が泣きそうな顔で謝った。

 対するシンシアはというと、尊大に見下ろしている。すごい態度だ……。

「おい、あの女も連れて来いや」

「は、はい。……誰か、ジェリーをここへ……」

 シンシアはまだ止まらない。殿下を通して、ジェリー・マイアル男爵令嬢を連れてくるように、兵に命令した。

 わざわざ殿下を介して言われたのだ、兵はすぐ行動に移す。


「殿下~、どうされました? シンシアが泣いて謝ってますか~?」

 しばらくして姿を見せたジェリーは、のほほんとした声で部屋の中を覗きこみ、そのまま動かなかった。残念ながら、泣いたのはウォルター殿下だ。

「……いい根性してんじゃねえか、ジェリー。そこ座れや」

 殿下の隣の床を、顎で示すシンシア。

 シンシアは椅子に足を組んで座り、殿下はその前に背を伸ばして正座をしている。

「……はい……」

 消え入りそうな小さな声で、返事をするジェリー。

「誰が謝るんだって? あ? 舐めてんのか?」

「あの、だって……」

「だってじゃねえ!!! 誰が謝るんだって聞いてんだよ、ジェリー・マイアル!」


「ひ……っ」

 怒鳴られて、ジェリーは声を詰まらせた。

「ジェリー、謝るんだ……」

 ジェリーの瞳に映るウォルター殿下の右頬は、真っ赤になっている。シンシアに思い切り平手打ちをされたからだ。

「ああぁん、ごめんなさい~!」

「ごめんじゃねえだろ! ぶっ殺すぞ!」

「も、申し訳ありませんでした~!!」

 さすがのジェリーも本当に泣いて、ひれ伏している。

 ぶっ殺すって……、貴族令嬢の口から出る単語じゃない。殿下達はとんでもない怪物を目覚めさせてしまったのか……。


 ふと廊下に視線を移すと、シンシアの父であるベインズ侯爵が顔を出し、手に持っていた紙袋を落とした。陛下との謁見はすぐに整わないだろうから、先に様子を確認しに来たのだろう。

 シンシアの変容に呆然と立ち尽くして。

 そして何も言わず、去って行った。

 兵が無言で拾ったその紙袋を、俺が受け取っておく。中身はシンシアが子供の頃好きだった、お菓子だ。

 今の好みじゃないところが、生真面目な侯爵らしいな。


 シンシアはその後も説教を続けたので、一時間ほどしてから俺がもうこのくらいにしようと止めた。

「ルーク。まあこいつらも反省したかな」

 良かった、素直に終わりにしてくれそうだ!

「そうだ、シンシア。疲れたろう? みんなでお茶にして、仲直りしよう。あ、お前は夕飯もまだなんじゃないのか?」

「そうねえ、喉が渇いたしお腹もすいたわね」

「そうだよね! お茶の準備をしてくれる?」

 先ほど飲み物を用意すると出て行ったメイドは、無表情で隣の部屋に控えていた。俺に声を掛けられて、ヒッと息を詰まらせる。


「お願いね」

「は、はい! ただいま! すぐに準備させて頂きます!」

 意に添わなければ、次の標的は自分だと恐れたのかも知れない。メイドは待っている間に冷めてしまったティーポットを手に、再び厨房へと姿を消した。

 騒ぎに集まっていた使用人も転がるテーブルを起こしたり、新しいテーブルクロスや部屋に飾る花を用意して、ご機嫌を取ろうと必死だ。


 メイドが戻ってきた時にはテーブルのセッティングは終わり、足りない椅子も揃えられていて、俺達四人で囲んでいた。

 恐怖のお茶会の開幕だ。それでも床に座るよりはマシだろう。

「ジェリー。カップを両手で持つんじゃねえよ。マナーも知らねえのかよ、どんくせえ」

「す、すみません……」

 皆で一緒にお茶をする間中、シンシアはジェリーに一つ一つ丁寧に指導してあげていた。優しいなあ。優しさだよ。そうに違いない……。


 俺はこの日、シンシアの婚約者に選ばれなかったことに、心から感謝した。

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