転生して思い出した時には、婚約破棄されて収監中でした

神泉せい

前編 婚約破棄されて、前世を思い出しました

「お前との婚約は破棄する!」

 生徒達が集まる講堂で、卒業を控えたパーティーの最中。金の髪に青い衣装を着た、緑の瞳の男性が一人の令嬢に声を荒らげて告げた。男性の後ろに隠れるようにして、黄緑色の髪と同じ色のドレスに身を包んだ女性が、様子を窺っている。ネックレス、指輪、ブレスレット、髪留め……、アクセサリーもドレスも、豪奢なものだった。

 叫んだ男性は、ウォルター・マクニール。この国の第一王子。

 婚約を破棄されたのは、侯爵令嬢シンシア・ベインズ。水色の髪をして、エメラルドグリーンのドレスの裾には美しい刺繍が施されている。


「ジェリー・マイアル男爵令嬢……。殿下は私との婚約を破棄し、本当にその女性と婚約をなさるおつもりですか?」

「そうだ。お前がしたことの数々、しっかりと裁いてやろう。衛兵、シンシアを連れて行け!」

「ウォルター様、嬉しい……!」

 大げさに喜びを表現して第一王子ウォルターに抱き着くジェリーは、勝ち誇るような視線を、しゃがみ込むシンシアに向けていた。

 立ってくださいと語り掛ける声が、遠くなっていく。



 ふと、椅子に座って眠っていたことに気付いた。

 シンシア・ベインズ……、シンシアは私。

 夢の中では物語でも見ているように、婚約破棄の現場を眺めていた。

 と、同時に違和感を覚える。

 私はずっと、シンシアだったのかしら……?

「……突然こんなことになって、混乱しているのね」

 頭を振って、一人で自嘲してしまう。

 ここは貴族の罪人の為の牢、とでも言えるかしら。軟禁されている、くらいが正しい表現かも知れないわ。まだ罪も刑も確定していない貴族を、粗雑に扱うわけにはいかない。

 この部屋には立派なテーブルセットに天蓋付きのベッド、シンプルながらも美しい調度品が揃っていた。


 隣の部屋にメイドや見張りが控え、扉の前では出入りを制限する為に兵が番をしている。

 この部屋でも豪華すぎると思う私と、こんな狭い場所に押し込めるなんてと抗議する私が、心の中で同居していた。どういうことかしら。

 まだこの状況に、理解が追いついていないのかも知れないわ。

 窓から差し込むのは、暖かいオレンジ色をした日暮れ前の夕陽の最後の輝きだ。眠るには早い時間だけれど、刺繍や読書くらいしかやれることはない。手紙を書いても、届けてもらえるかすら分からない。

 疲れているのだろう。

 少し休もうとベッドへ横になり、柔らかいシーツに埋もれた。


 

 狭いナニカに三人で乗っている。

 また夢を見ているの? こんな状況でも眠れる自分に呆れてしまう。

 私は後ろの座席でシートベルトを締めて、フロントガラス越しに道や街並みを眺めていた。カラフルな対向車、歩道を行き交う人々、そこを縫うように走る自転車。

 未知の世界なのに、知っている。

 バックミラーに映る中学生の女の子が、この時の私だ。

 楽しそうな両親と私、青信号に吸い込まれるように走る車。

 そしてどこからともなく聞こえてくる、パトカーのサイレン。


 止めて!!!


 心臓が痛いくらいに脈打っている。

 私はこの先、何が起こるかを知っていた。

 サイレンに気付いてアクセルを緩め、左右を確認した父親が叫ぶ。信号無視の車が交差点の右側から、猛スピードで突っ込んできたのだ。対向車も走り出している。その車はタイヤをきしませながら避けて、制御不能の状態で私達の車の脇にぶつかる。

 私達の乗った車のガラスは粉々に割れて、横に弾き飛ばされた。車体は僅かに宙に浮き、操作することなどできない。

 車内の空間を埋め尽くすほどの悲鳴、車体にめり込んだ車からの甲高いブレーキ音、ファンファーレのように鳴り響くクラクション。

 音が、景色が、遠くなる。

 閉じた瞼は、もう開かれることはなかった。



「きゃああああぁ!! はあ、はあ、はあ……」

 自分の悲鳴で目が覚める。

 驚いたメイドが、隣の部屋から鍵を開けて慌てて駆け寄った。見張りも後ろから様子を見ている。

「お嬢様、どうされました? ああ、おいたわしや……」

 メイドの両目からは涙が溢れていた。私が子供の頃から仕えてくれていて、姉のような存在なの。彼女にとっても、今でも私は大事なのね……。

 凍り付きそうに冷たかった胸の中が、ほんの少し暖かくなる。

「な、なんでもないわ。悪い夢を見たみたい……」

「お嬢様、お嬢様に非はないことは、私もお父上である侯爵様もご存知です。必ず、お助けしますから。今はお辛いでしょうが、もう少しの辛抱ですよ」

 メイドは水と果物を持って来ますと、部屋を出た。見張りの男性は扉の近くまで戻っただけで、まだ部屋にいる。


 ようやくハッキリと思い出してきたわ。

 アレは、中学生で事故死した前世の私。両親もあの事故で亡くなったのね。

 そういえばとても幼い頃、唐突にお父様と海へ行く約束をした、などと言い出して周囲を困らせたことがあったわ。この国に海はなく、まだ海なんて知らなかったはずの私が。

 きっと、おぼろげに頭の隅に残っていた前世の記憶を、不意に思い出したのね。

 あの事故は、家族で海へ遊びに行く途中で起きたから。


「……シンシア。お前の両親も、お前が無罪で済むよう動いているよ。ベインズ侯爵様は、シンシアを殿下の婚約者にしたことを、ひどく後悔されていた。俺にしておけば良かったなんて言うんだぜ……?」

 この茶色い髪をした見張りの男性……、彼は私の一つ年上の幼馴染、ルーク・ベイノン。

 私が自害したりしないように、見張りを買って出てくれたのだろう。口調は乱暴だけど、優しい男性なの。彼の婚約者は私と同い年で、仲良くしてくれているわ。

 ベッドから呆然と壁を眺める私に、彼は優しく喋り続ける。

「国外追放なんて殿下は言いやがったが、できるわけがない。ただ、……この国で男性からの、しかも王族からの婚約破棄をされたんだ。次の婚約者は、簡単に探せない可能性がある。修道院に入ることも、考えなきゃならない」

 ゆっくりと、彼の顔に視線を巡らせた。

 悔しいと、瞳が語っている。

 それ以上は口にせず、私も返事をしないまま、彼は隣の部屋へ戻った。


 この国で婚約破棄された女性は、社交的に死んだも同然。

 だからシンシアは酷く落胆し、絶望していたのだ。

 

 だけど。

 前世の記憶が戻って考えてみたら、浮気男が悪いんじゃない?

 は? 婚約破棄?

 してやりたいのはこっちだろーが。

 偉そうに、何様のつもり? あ、王子様?

 だから何だってのよ。

 こっちは猛スピードの車に突っ込まれたんだよ、社会的どころか現実的に死んでるんだからな! 天国観光して来たわ! たぶん。

 死後の記憶がないのが残念。


 考えれば考えるほど、ふつふつと怒りが湧いてくる。

 私はベッドから勢いよく起き上がり、隣のサイドテーブルを思い切り蹴飛ばした。サイドテーブルは飛んでいき、壁にぶつかって床で転がっている。

 そのままズカズカと閉じられた扉へ向かう。

「あんのクソ野郎……、王子、出て来いコラっ!! 言いたい放題言いやがって、ふざけんなテメエ! 浮気男が!」

 木の扉をガンガンと蹴り続け、声の限り叫んだ。

 隣の部屋に戻った幼馴染が、血相を変えてこちらへ来る。

「ちょ、まてお前! どうした、落ち着けシンシア! 不敬罪が追加されたら、本当に国外追放か、終身刑になるぞ!」

「知るかボケ!!」

「そんな言い方、どこで覚えた!?」


 私達が怒鳴り合っていると、急に扉が開かれた。

 現れやがった、金髪碧眼の第一王子、ウォルター・マクニール。私の元婚約者!

「みっともなく、何を暴れている。いつからそんな粗野な女になった」

「うるっせえぞ、浮気男! テメエ、自分のことを棚に上げて随分偉そうじゃねえか! このクズが!」

「お前本当にヤバいから!!!」

 ウォルター王子に近づこうとする私を、ルークが後ろから掴んで必死で止める。

「う、浮気男……? クズ……!? シンシア、私が王子だと忘れたか!?」

「殿下、シンシアは錯乱しています。部屋の外へ退避してください!」

「錯乱なんてしてないわよ。覚えてるわ、こんの畜生!」

 私は邪魔するルークの脇腹に思いっきり肘を打ち込んだ。攻撃されるとは考えてもいない彼は、マトモに喰らって打たれた場所を押さえ、床に転がる。


 ウォルター王子はというと、瞠目して立ち尽くしていた。

「ヒィ……、殿下、にげ……」

 息も絶え絶えのルーク。安心しな、アンタの犠牲は無駄にはしない。

 まあ私が倒したんだけど。

 カツカツと、まっすぐ王子に近づく。右手を思いっきり振りかぶって、突然の展開に狼狽えているウォルター王子の頬に、ビンタをかましてやった。

 バチーーーン!

 甲高い音が部屋にこだまする。

 王子は二、三歩よろけて、真っ赤になった頬に手を添えた。

 そして信じられないものを見るような目を私に向ける。


「おいコラ。私と婚約しながら女を作って、こんなもんで済むと思ってねえよな?」

「待て、お前、王族に傷でも負わせたら、死罪確定……!!」

 ようやく身を起こしたルークが泣きそうだ。意外と弱い男だった。

 震える王子様。

 しかし私の怒りは、まだ収まるどころじゃないからね!

 そう、これからがパーティーの始まりよ!

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