凡人万歳

赤坂大納言

第1話

休日、特に予定もなく、暇を持て余しているのが酷く寂しく感じたので、本一冊と財布と音楽プレーヤーを持って繁華街へ向かった。そこで有名チェーンのカフェに入り、入口から程遠い奥の席を取って本を読みながら、妄想に耽った。妄想の内容はとてもじゃないが、ここでは書けない。これはよく言えば官能的妄想、悪く言えば破廉恥妄想であったからだ。


気持ちよく妄想に没入していると、音楽プレーヤーをしていても分かるほどに、辺りが静寂の雰囲気になっていた。耳からイヤホンを片耳だけ取ってみると、怒声が響いていた。

「おらぁ、俺が手に持ってるのが見えねぇのかああああああ」

ちょいと入口の方を覗いてみると、いかにもな風貌をした覆面男がナイフを振り回して暴れていた。

「いいからぁ、ここの金全部だぁせぇぇぇ」

なんで銀行じゃなくてカフェ?とか考えたが、起こってしまったことを考えるのは、警察に任せる。今はあの暴漢をどうにかせねばならん。選択肢は二つに一つ、処すべし。

たまたま厨房というかレジ裏に入るところが男の死角だったので、しゃがんでそこからするりと中に入った。店員さんが中で縮こまっていたので、尋ねた。

「すみません、このホイップクリーム貰っていいですか?」

店員さんはなんだこいつこの状況で馬鹿か?という半ば軽蔑の目で私を見たが、店員さんが可愛いので許した。おどおどと「か、構いませんが...」と許可をいただいたので、鉄製の硬い容器に入ったホイップクリームを拝借した。


「おいちょっと落ち着け、ホイップクリームでも食うか」

私は暴漢の前へ堂々と出て声をかけた。ひとしきり暴れていた覆面はこっちへ結構大きめのナイフをこっちへ向けゼェゼェと肩で息をしていた。そんな疲れてまですることかね強盗なんて。しかもカフェ。

「なんだてめぇ、この状況がわかんねぇのか」

「分かってるから落ち着けと言った」

ぐっと歯ぎしりした暴漢は大声で怒鳴った。

「な、なんだてめぇ。俺を舐めてんのか、おちょくってんのか!」

「相手をおちょくるのに、落ち着けとか言わんだろ」

私はゆっくり一歩を踏んだ。あまりにも私が堂々としているせいで、少し後退りする男。よし、精神面では今圧倒している。

「ホイップクリーム単体が嫌ってなら、一杯奢るよ。何飲む?」

メニュー表を眺めながら覆面に言ってやった。犯人はこいつまじで何なんだ?と困惑の雰囲気マシマシ状態だ。

「なんだ、決めれないのか。なら......ホイップクリーム単体でいいよな!」

そう言った刹那、私は暴漢の顔面目掛けてホイップクリームを発射、運良く目に直撃、うわっと手を目にやった瞬間に、近寄って貧弱な右腕で暴漢の顎を打つ。ボクシングのKO負けの要領で、暴漢は顎を打たれて脳が激しく揺らされる。糸が切れた人形のように地面へ崩れ落ちたところでナイフを蹴り飛ばし、うつ伏せにさせ、両腕を後ろで組ませる。ついでに頭も抑えて完成。

「あの誰か警察お願いします」

数分後、近くの交番のお巡りさんが駆けつけて来て、暴漢は無事逮捕されて行った。私は誰にもバレないように、そそくさと荷物をまとめて出た。署で事情聴取なんかめんどくさくて敵わないから。


という妄想をした。本を読むつもりだったが、この妄想でかなり満足したので、やめた。

カフェは次第に賑わってきた。これでは静かに妄想もできない、と思った私は外に出ることにした。


若者が楽しそうに往来する大通りを悠悠と歩いていると、道端に突っ立っていかにも視線を隠すためのものですよと言わんばかりのサングラスをかけていた男が話しかけてきた。

「あ、君ちょっといい?」

私はもうこの男の要件がわかっていた。

俺っちさこういうもんなんだけど、と名刺を渡してきた。竹梅芸能事務所と書かれたその名刺は過去に何度も貰ったことがある。

「いや、君何故か一人だけすごく異質な者に見えちゃってさ。こう、オーラが違うというか。俺っちビビっと来ちゃったわけ」

「申し訳ない、自分以前も何度かこういう声がけ頂いていますが、全部断っているんです」

「どうしてよぉ。すごい逸材だとおもうんだけどなぁ。俺っち一応見る目には自信がアンのよ。西園寺貴美香とか、松岡てるきとか俺っちがスカウトしてんだで」

西園寺貴美香と松岡てるきは今話題の若手人気俳優である。

「すみません、ではとりあえず名刺だけ今日は」

そう言って私はそそくさと足早に去った。私は芸能とかそういう世界は怖くてとてもじゃないが入れない。まずメンタルが脆弱だ。根性がないから、続けられる自信はない。そして目立ちたくない。できる限り目立たず穏やかに生きていたい。


という妄想をしながら大通りを歩いた。丁度目の前で若い男がおじさんに話しかけられている。そばを歩いて、そこを過ぎた瞬間振り返って見てみると、若い男はかなりのイケメンだった。ちきしょうめ。中学時代に女子に「君って生姜に似てるよね」と言われた私にそのルックスを分けて欲しいものだ。というか生姜に似てるってどういうこと?落ち込みづらい感想は控えていただきたい。


今日は妄想が酷く捗った。やはり妄想程度が一番楽しい。こういう妄想が実際に起こると、意外と辛いという場合が多いと思うので、楽しい部分だけを抽出して何度も味わえる妄想は、やはり知恵の実を食した人類の特権だろう。脳内エデンは神すら手出しできない領域なのだ。

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