第70話 旅立ち

 学院の最南に設けられた発着場。

 普段はあまり使われることのないわりには大きな施設だ。飛空艇を用いるのは、大規模な軍事作戦を行う時、あるいは王侯貴族や大商人などの要人を招く時に限られる。使用には理事会の決裁が必要であり、例外的な使用申請をしたとしても実際に許可が下りるまでに何か月もかかるなんてことはザラだった。

 とはいえ、俺とフォルスは揃って飛空艇を見上げている。


「サー・グリフォン。この中では一番速度が出る機体だ」


「よく許可が下りましたね」


「なに。意外と簡単だったぞ」


 木と金属を魔力で加工して造られた流線型の船体は、かるく百人は収容できそうなほどに大きい。一見ただの海洋船舶のように見えるが、帆はなく、左右の舷には浮力を得るための魔導機関が何基も備えられている。空での非視認性に優れた黒を基調としたカラーリングは、これが軍事用ではないことを示している。


「事件の調査に使いたいと言ったら、すぐ使わせてくれるとさ。まったく、それができるなら普段からそうしろというんだ。まったくもって頭の固い連中だよ」


「それだけ理事会も切羽詰まっているということでしょう」


 一刻も早く事件を解決しなければ学院の威信に関わる。既得権益に縋りつく理事達にとっては現状は気が気でないだろう。


「もう離陸準備は整っている。忘れ物はないな?」


「ええ。行きましょう」


 船体後部にある狭い乗込口をくぐり、これまた狭い通路を抜けると、広々としたキャビンで数人の船員達が迎えてくれた。


「ようこそサー・グリフォンへ。歓迎するぜ」


 青い制服の若い男性が、帽子を脱いで一礼する。俺と同じくらいの年齢だろうか。細身で坊主頭。無精髭を蓄えているせいで老けて見える。


「世話になる。今回もよろしく頼むぞ。アギラ」


「おー任せてくれや」


 男は豪放な仕草で帽子でとんと胸を叩く。そして、俺を見た。


「あんたが噂の神聖騎士様か」


「フリード・マイヴェッターと申します。この度は、どうぞよろしくお願いします」


「あーいいっていいって、そういうの。お互い固ぇのはナシにしようぜ。ラフでいいんだラフで。それが空の男ってやつだ」


「はぁ」


「俺っちはシュネール・アギラ。サー・グリフォンの船長兼操縦士やらせてもらってる。ま、よろしく頼むわ」


 屈託のない笑みで右手を差し出してくるシュネール。俺はその手を躊躇なく握った。


「そういうことなら、こちらも気を遣わない。よろしく頼む。シュネール」


「おう! そういう感じだ。任せとけ。快適な空を旅を保証するぜ」


 気のよさそうな男だ。これなら肩肘張らずに乗船できそうだな。もしかしたら、シュネールの方こそ俺に気を遣ってくれたのかもしれない。

 挨拶を終えると、船員達はそれぞれの持ち場へと向かう。

 俺達はキャビンで一番いい席に隣り合って座り、シートベルトを着けて離陸を待っていた。


「飛空艇を貸し切りとは、まるで大貴族のようだな」


「役得ですね。広すぎて落ち着きませんけど」


「いいじゃないか。誰にも邪魔されずにすむ」


 俺の手に触れるフォルス。肩に小さな頭が寄りかかった。

 しばらく俺達は無言を保つ。


「あの、すまなかった。フリード」


「なにがです?」


「本当は私もリーベルデ様にご挨拶をするべきだったのだが……なんというか、顔を合わせるのが気まずくてな。逃げてしまった」


「ああ」


「公私混同はしないと言った手前な。ああもう」


 フォルスは両手で顔を覆う。よく考えてみれば、確かに大変なことになったのかもしれない。


「けど、別に悪いことをしているわけでは」


「それはそうだが……きっとリーベルデ様の逆鱗に触れてしまう」


「俺達の関係は公にはしないんでしょう?」


「バレたらどうする」


「その時はその時です。俺がフォルスを守りますよ」


「む」


 リーベルデとて話せば分かってくれるはずだ。確かに彼女の想いを知りながらフォルスを関係を結んだのは後ろめたいが、残念ながらリーベルデの恋が実ることはない。というより実ってはならないのだ。聖女は清純な乙女でなくてはならない。騎士と結ばれることは禁忌だろう。


「まさかお前とこんな風になるなんてな。結局、私もただの女だったというわけか」


 俺達は互いに指を絡ませる。

 それが合図だったかのように、船体が振動を始めた。あっと思う間もなく妙な浮遊感を覚え、それでやっと離陸したのだと理解する。飛空艇に乗るのは数度目だが、未だにこの感覚には慣れない。

 窓の外を覗いてみると、広大な学院がみるみる小さくなっていくのが見えた。

 リーベルデとメローネは、飛び去るサー・グリフォンを見上げていることだろう。


 禁忌。禁忌か。

 思えばリーベルデは、既に禁忌を犯していたんだった。

 これは帰ってきたら、また一悶着ありそうだな。

 そんなことを考えながら、俺はシートに背を預けた。


 ほんのちょっとの間だけど。

 さようなら、剣魔学院。

 行ってきます。

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