第67話 実りの夜

 ならばどうして俺を部屋に招き入れたのか。十九になる女が、男を部屋に泊めることの意味を知らないわけはあるまい。


「教官」


「なんだ?」


 声が上ずっている。彼女の心境が伝わってくるようだ。余裕のなさと、それを取り繕おうとする仕草が、なんだか可愛く見えてきた。普段とのギャップが凄まじい。これから行うであろう行為を想像しているのか。そわそわと落ち着かない様子でお茶を飲み続け、ついにはカップを空にしてしまう。

 いかん。俺まで変な気分になってきた。

 いやいや違うだろ。今はとにかく、この変な空気を払拭しなくては。真面目な話をすれば場もピリッとするだろう。


「あの、今日メローネと話をしたんです」


「先輩と?」


「ガウマン侯爵について」


 いつもの教官ならここで表情を引き締める。浮ついた心を潜め、仕事モードに入るはずだ。

 だが今日は、そうはならなかった。


「マイヴェッター。それは、今しなければならない話か?」


「え?」


「すまない。大切な話なのはわかるんだ。でも今は……その話はしたくない」


 拗ねたような、あるいは今にも泣き出してしまいそうな、小さく震えた声。

 再びの沈黙。

 教官は俯いたまま、空のカップを見つめている。

 どうやら俺は、とんでもなく野暮なことを言ってしまったらしい。なんて甲斐性のない男なんだ。自分が情けなくなる。

 フォルス教官は、ここまで覚悟を決めてくれているというのに。

 お茶を飲み干す。そして立ち上がり、早足で教官に歩み寄り、


「ど、どうしたマイヴェッターあっ――」


 座っていた教官を抱き上げた。ちょうどお姫様抱っこの状態になるが、教官は抵抗しない。


「危うく俺は、あなたに恥をかかせるところだった」


 教官をベッドまで運び、優しく寝かせてナイトキャップを外す。銀の髪からふわりとシャンプーの香りが広がった。


「や、ちょっと待て……!」


「いいえ。待ちません」


 華奢な体に覆いかぶさり、深紅の瞳をじっと見つめる。顔の横に両手を投げ出した教官の目は、ほんの僅か潤みを帯びていた。


「わ、私は……すまん。こういった経験が、ないんだ。だから、その……」


「大丈夫。優しくします」


「お前は、こういうことに慣れているのか?」


「慣れてるってほどじゃありませんよ」


 思わず笑みが漏れた。


「な、なぜ笑う」


「いえ。教え子から恐れられる怒り竜も、男に抱かれるのは怖いんですね」


「……たわけ」


 顔を逸らした教官の髪を撫でると、彼女はくすぐったそうに吐息を漏らす。


「こっちを見てください」


「ん」


 上気した頬に触れ、顔を近づける。息が触れ合うほどの距離。


「マイヴェッター……」


「フリードと、呼んでください」


 唇を奪う。柔らかくもハリのある感触と、そこから伝わってくる体温が、俺の理性を溶かしていった。

 どちらからともなく絡ませた舌が、互いの口内を行き来する。

 心臓が大鐘のように響いている。頭の中が痺れて思考がうまく回らない。混ざり合った唾液が麻薬のように俺を狂わせる。

 ひとりでに動いた手が小さな体をまさぐりはじめた。俺の指が汗ばんだ肌を這う。その動きに合わせて、堪えるような喘ぎが耳朶を打った。


「やっぱり……慣れているじゃないか……」


 涙ぐんだ瞳が、俺を見上げる。


「抱きしめてくれ。フリード」


 俺の首に回される腕。それに応え、華奢な背中に腕を回す。


「フォルス」


 耳元で囁くと、彼女の肩がぴくんと跳ねる。

 荒い息遣い。火照った体。

 逸る気持ちを抑え、俺はピンクのネグリジェに手をかけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る