第34話 魔王復活の兆し
ひととき、俺は言葉を失った。
「……しかし、とてもそんな風には」
見えない。
ダンジョンは外界と隔絶された特異空間だ。内部には陽の光は届かないし、決まった場所からでないと出入りもできない。瘴気と化した魔力が淀んでおり、常に魔物が生まれ続ける魔境。
だが今の学院はそんな危険地帯ではない。襲撃の爪痕は悲惨だが、ひとまずは平穏を取り戻している。
「完全にダンジョンになったわけではないのです。そもそもの話、人が集まる場所にダンジョンができることはありません。我々の身体がそのまま魔力の調整器として働いてくれますから」
そうだ。ある程度の人数がその場にいるだけで、魔力の淀みは解消される。だからダンジョンは、人里離れた辺境の地にできることが多い。間違っても学院の中にできるなんてありえないのだ。
「今この場所は、ダンジョンになろうとする力と、それを抑制しようとする力とがせめぎ合っている状態なのです。ほんの少し、前者の力の方が強いようですが」
「これだけの人がいて、ですか」
「はい。もちろん通常では考えられません。少なくとも人為的に起こせる現象じゃない。ですから私は、ガウマン侯爵の関与を否定するのです」
確かにそれなら筋は通っている。
もし人の集まる場所をダンジョンに変えられるとしたら、誇張でもなんでもなく世界が終わる。
今回は剣魔学院という戦闘のプロが集まる機関だったからこの程度で済んだが、これが村や都市であれば、想像を絶する虐殺と破壊が行われるだろう。
「学院のダンジョン化が自然現象でもなく、人為的なものでもないのなら、これは一体なんなんですか?」
「フリードさん。他言無用でお願いしますね」
リーベルデは人差し指を唇に当て、そんな前置きをした。
「おそらく……いえ、ほぼ間違いなく、魔王アンヘル・カイドの復活が目前に迫っています」
自分の息を呑む音が、やけに大きく聞こえた。
「魔王の封印が弱まっていると?」
リーベルデは頷く。
「なら、この前みたいなことが世界中で起きる可能性も」
「魔王が復活すれば、十分にあり得る話ね」
メローネが漏らしたのは憂いの吐息だった。
「猶予がないわけじゃないわ。完全にダンジョン化してしまう前に魔王の復活を阻止すればいいんだもの」
「言うのは簡単だが……」
相手は魔王だぞ。学院は魔王に対抗する人材を育てるための機関だが、ここにいるのはあくまで学生だ。戦士としては育ち切っていない。フォルス教官のように戦闘に熟達した者は百人もいないだろう。
「教会や、あるいは王国騎士団に応援要請を出すべきではありませんか」
「すでに密書を送っています。ですが彼らは腰が重いですから、すぐに駆けつけてくれるとは考えない方がいいでしょう。最悪の場合、私達だけでこの問題に対処しなければなりません」
「俺達だけ? 学院に協力は仰がないんですか」
「いらない混乱を招くだけよ。理事会の連中は信用に値しないし」
柔和な声色で辛辣なことを言うメローネ。理事会の評価については同感だが、協力者がまったくいないというのもいかがなものか。
「でも、そうね。フォルスには手伝ってもらってもいいんじゃないかしら。あの子なら信用できるし、腕前も申し分ないわ。ねぇリーベ?」
「任せます。わたしはその人を存じ上げませんから」
フォルス教官の名を出した途端に不機嫌になるリーベルデ。
それを見てやはりメローネは可笑しそうに微笑む。
なんというか。ちょっと緊張感がなさすぎではなかろうか。五百年ぶりに魔王が復活しようとしているというのに、二人から重苦しい空気は感じられない。
もし魔王が復活してしまえば、世界中で多くの人が死ぬだろう。文明は破壊され、伝え聞く恐怖と絶望の時代が訪れる。俺には目の前の二人があまりにものんきに感じられて仕方がない。それともおかしいのは俺の方なのか。
「フリードさん。明日からは本格的に学内の調査を始めます。先日のような大量の魔物が生まれることはしばらくないでしょうが、まったく生まれないというわけではありません。これ以上被害を出さないためにも、一刻も早く魔王の封印を見つけ出さなければ。力をお貸し頂けますね?」
「もちろんです。俺はもうあなたの騎士ですから」
語気を強めた返答に、リーベルデは満足そうに微笑んだ。
いや、ちょっと待て。威勢よく答えたものの、彼女の言葉に引っかかりを覚えずにはいられない。
「リーベルデ様。一つよろしいですか」
「はい?」
「なぜ魔王の封印を探すのに、学内の調査を?」
的外れな質問だったのだろうか。
リーベルデはきょとんとした表情を浮かべてから、得心したようにぽんと手を合わせる。
「それはもちろん――」
ああ。
俺は一体、何度驚かされたらいいのだろう。
「――魔王アンヘル・カイドは、この学院に封印されているからですよ」
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