第32話 あたふた聖女さま

 陽も沈みかけた頃。


「失礼します」


 リーベルデの居室を訪れた俺は、椅子の上で唇を尖らせる聖女様を目にした。俺が入室しても一瞥さえくれず、そっぽを向いたまま。

 別のデスクで書類に目を通していたメローネが、顔を上げて微笑みかけてくれる。


「おかえりなさいフリード。お片付けは捗った?」


「ほぼ完了ってところかな。あとは荷物を運び出すくらいだ」


 といっても、持ち出すものなんて装備品と貴重品くらいのものだが。


「あ、そうそう。これ、あなたの部屋の鍵」


 立ち上がったメローネが、懐から取り出した鍵を持ってくる。


「さすがに男女同室はお互い気を遣うでしょうから。隣の部屋を取っておいたわ」


「ここって女子寮だよな? 俺が使ってもいいのか?」


「もちろん。あなたはもうお付きの騎士なんだから。できるだけ近くにいてもらわないとね。職員の許可は取ってあるから、安心して」


「そっか。ありがとうメローネ。助かるよ」


「どういたしまして」


 微笑みを浮かべるメローネにつられ、俺の頬も自然と緩んでしまう。

 ふと、強い視線を感じる。


「じーっ」


 と、リーベルデが俺達を凝視していた。


「フリードさん。なんだかメローネと仲良さげじゃないですか?」


 その声に責めるようなニュアンスを感じ取った俺は、意図せずして姿勢を正していた。


「ええっと……その」


「昨日まで二人とも他人行儀だったのに」


 いや、これは予想外だった。まさかメローネと親しくなることで嫉妬心を煽ってしまうとは。メローネはおかしそうに笑いを堪えており、フォローをいれようとはしない。

 俺は言葉を吟味しつつ口を開く。


「昨夜、リーベルデ様がお休みになった後にですね。しばらく二人で話し込みまして」


「へぇ。いったい何の話をなさっていたんですか」


「それはその……身の上話であったりだとか、リーベルデ様のお話であったりだとか」


「わたしの?」


 首を傾げるリーベルデ。一瞬だけ表情が和らぐが、すぐにしかめっ面に戻ってしまう。


「それでどうしてそんなに仲良くなれるんですか」


 つんとそっぽを向いたリーベルデの肩に、メローネが両手を置く。


「リーベ。大人には大人のコミュニケーションがあるのよ。あなたは賢いから、ね? わかるでしょう?」


「大人のコミュニケーション……?」


 リーベルデは目をぱちくりとさせた後、音が聞こえてくるんじゃないかと思うくらいの勢いで顔を真っ赤に染めた。


「あ、え、うそ。ちょっとまって」


 あたふたしながら俺とメローネを交互に見て、しまいには椅子から転がり落ちてしまう聖女様。

 俺は慌ててリーベルデに駆け寄る。目に涙をためているのは、転んだ痛みのせいではないだろう。


「フリードさん……わたしの気持ちを知っていながら、どうして?」


 潤んだ瞳で見上げられ、俺はわかりやすく動揺してしまう。助けを求めてメローネを見るも、やはり彼女は小さく笑うのみ。


「なぁメローネ」


「うふふ。ごめんなさい」


 神聖騎士というと真面目でお堅いイメージがあったが、メローネは意外といたずら好きなところがあるようだ。親しいゆえのものなのだろうが、初心なリーベルデには少々刺激が強い。


「リーベルデ様。大人の云々というのは、酒のことです。リーベルデ様がお考えになっているようなことではありません」


「へっ?」


 素っ頓狂な声。あからさまにほっとした表情になる。


「そうですか……お酒」


 といってもほんの少量、グラス一杯くらいのものだ。それでもあるのとないのとでは舌の滑りが大きく変わる。メローネと親しくなったのは、境遇や年齢など共通点が多かったからで、決して色っぽい出来事があったわけではない。むしろそうなっていたらどれほどよかったことか。

 メローネはくつくつと笑いを漏らしている。


「ねぇリーベ。あなた一体なにを想像していたの?」


 ああもう。どうしてそういうことを聞くかな。


「なにをって……」


 きょとんとした様子から一転、にわかに慌て始める。リーベルデ百面相。


「べ、別になにも! お酒、そうお酒! ちゃんとわかってた! いかがわしいことなんてこれっぽっちも考えていなかったわ! ええそうよ。わたしは聖女ですもの」


 早口でまくし立てているのが何よりの証拠である。今のは聞かなかったことにしよう。


「そもそも悪いのはフリードさんよ!」


 何故か急に矛先を向けられてしまった。

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