第29話 脱走者

 テーブルにはしばしの沈黙が訪れた。

 クレインは俯き、フレデリカはそっぽを向いて唇をとんがらせている。ユキは相変わらずの無表情だ。

 ちゃんと話をすれば、この子達が根っからの性悪ではないと分かる。愚昧と悪は限りなく近い場所にあるが、その本質は似て非なるものだろう。彼女達は年齢相応に未熟なだけなのだ。


「こんなところにいたか」


 食堂の喧騒を切り裂いて沈黙を破ったのは、なんとフォルス教官だった。

 俺達は半ば反射的に居住まいを正す。というのも、教官から漂う強烈な気迫を感じ取ったからだ。彼女の周囲だけ空間が歪んでいるような錯覚さえ起こしていた。


「こ、これはシャルラッハロート教官。ご機嫌麗しゅう、ですわ」


 クレインがしどろもどろになってぎこちない笑みを作るも、教官の険しい表情は緩まない。


「残念ながら今の私はすこぶる機嫌が悪い。貴様達のせいではないが、まったくの無関係でもない以上、多少の八つ当たりは許してもらおう」


「……ええっと」


 なんだろう。話がまったく読めない。

 只事でない雰囲気にあてられ、三人の少女達はすっかり委縮してしまっている。ここは俺が口を開くしかない。


「事情を伺ってもよろしいですか」


「無論だ。しかしここではまずい」


 周囲に目を配らせる教官。


「クレイン」


「は、はい」


「貴様達の作戦室がいい。そこなら邪魔は入らんだろう」


「いまからですか?」


 フレデリカの言葉には少し時間が欲しいとのニュアンスが含まれていたが。


「なにか問題があるのか?」


 教官は有無を言わせない。

 少女達は顔を見合わせて戸惑うばかり。こうなってはどうにもならない。俺達は食堂を後にし、作戦室へを脚を運ぶことになった。


 学生会館。レンガ造りの四階建ての校舎だ。ここには各パーティに当てがわれた作戦室が並んでいる。いわゆる活動拠点というやつだ。

 広々とした部屋には、クレインが持ち込んだ高価なインテリアが置かれ、さながら屋敷の客間のよう。侯爵令嬢だけあって、ラグや戸棚、ティーセットまで一流の品ばかりを揃えてある。数週間ぶりに訪れる作戦室に、俺はほのかな感慨を覚えていた。


「お茶を淹れますか?」


「いらん。長居はせん」


 背の高いスツールに浅く腰掛ける教官。

 部屋の中央に置かれた豪奢なソファには、少女三人が肩を寄せ合って座っている。


「あの、教官……わたくし達が何か粗相を?」


 向かい合う彼女達の脇で、俺は所在なく突っ立っていた。

 腕を組んだ教官は、眉間を寄せて溜息を吐き出す。


「グートマンが脱走した」


 たった一言で、部屋の空気がひりついた。


「先日のどさくさに紛れたようだ。奴を捕らえようとした学生も数名死傷している。貴様達なら何か知っているかと思ってな」


「そんな……! 私達が手引きしたと言いたいんですか!」


 フレデリカが身を乗り出して声を大きくする。


「そうではない。貴様達が学内を駆け回って応戦したことは聞いている」


「ソルの行き先。あるいは他に手引きした者に心当たりはないか、と?」


「察しがいいなマイヴェッター。そういうことだ」


 戦闘を行っていたクレイン達に嫌疑はかからない。だがパーティメンバーである以上、何も知りませんでは済まないか。


「奴の交友関係を洗いたい。知っていることは全て話せ」


「そう言われましても……彼はただのパーティメンバーですから。ユキ、あなたは何かご存じ?」


「なにも。任務以外では会わない」


「フレデリカはどうなんですの? わたくし達の中ではあなたが一番仲がよかったでしょう」


「仲がいいって言っても、たまに魔法を教えたりしてたくらいで、そこまで親しいわけじゃ……ソルってあんまり自分のことを話すタイプでもありませんし」


 確かにそうだ。彼はパーティメンバーとは最低限の関わりしか持っていなかった。訓練や任務以外でみんなと一緒にいるところをあまり見たことがない。

 人付き合いが苦手とか、孤独を愛するとか、そういう感じではなく、ただ単に同年代の異性が苦手なだけなのだと思う。


「貴様はどうだ。マイヴェッター」


「いえ。思い当たる節はありません」


 俺は特に疎まれていたからな。彼のプライベートなど何一つわからない。

 教官は目頭を押さえ、額を指で叩く。


「いいかクレイン。貴様もリーダーならば、自分のメンバーに対してもっと気を配れ。そんなことでよく今までやってこられたものだ」


「……肝に銘じますわ」


 今のクレインにはよく効く言葉だろう。


「わかっていると思うが、この話は他言無用だ。なるべく大事にしたくないというのが理事会の意向なものでな」


 スツールから下り、踵を返す教官。


「心しておけ。近いうちにグートマンの捜索任務が出される。その時は先駆けとなって奴を探し出せ。期待しているぞ」


「まじですか……」


 フレデリカの悄然とした声。

 部屋の扉に手をかけた教官は、思い出したように俺に振り返る。


「マイヴェッター。私と一緒に来い。別の話がある」


 なんとなく想像はつく。

 リーベルデと、神聖騎士の件だろうな。

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