第26話 メローネ・アマンテ
契りの儀式を終えた後、リーベルデはまもなく眠りに落ちてしまった。まだ話したいことがありそうだったが、メローネの諫言もあって、今はベッドで静かに寝息を立てている。
「疲れているのね。あれからあまり寝ていなかったから」
メローネが窓を閉め、魔導の照明具を焚く。ほのかな光に照らされた部屋は、なんとなく妙な雰囲気があった。
「あんなことの後じゃ無理もない。さぞ怖い思いをされたでしょう」
「あら? そうじゃないわ。この子だってれっきとした聖女だもの。あれくらいの修羅場は慣れっこよ」
たおやかな所作で椅子に腰かけたメローネは、落ち着いた微笑みで俺に向かう。
危険指定種に囲まれ、お抱えの神聖騎士達が全滅する。それを慣れているだって? 剣魔学院で任務に勤しむ俺でも考えられないことだ。
聖女の巡礼とは、そこまで過酷なものなのか。
「この子はずっとあなたの無事と、あなたが自分のところに来てくれることを祈ってたわ。ふふ、愛されているのね」
リーベルデから向けられる想いはもちろん嬉しいが、手放しで喜べるかといえばそうじゃない。
「正直なところ、後ろめたい気持ちはあります。聖女は慈悲をもって万人と接する使命がある。それなのに、彼女の気持ちは俺にばかり向いている」
「いいじゃない。愛には種類がある。あなたに向けられる愛と、他の人々に向けられる愛が、同じである必要なんてないわ」
「まぁ」
そうなのかもしれない。頭では理解した気になっても、心はそうじゃない。どこか自分が贔屓されているような気がして、居心地が悪いのだ。
「でもよかった。フリードさんが騎士になってくれて。この子の想いを受け入れてもいいって、少しでも思ってくれたってことでしょう?」
「目を逸らさないと決めただけです。もしかしたら、また逃げ出すかもしれません」
「そう思っているうちは大丈夫」
柔らかに言葉を紡ぐメローネが、やけに魅力的に見える。
こう言うと非常に申し訳ない気持ちになってくるが、十代半ばのリーベルデと、二十を過ぎたメローネとでは、女性としての成熟度が違う。二十四の俺にとってリーベルデはまだ子どもであり、翻ってメローネに異性としての魅力を感じるのはおかしなことではないだろう。
陽も落ちて外は暗くなっているが、もう少し彼女との会話を続けたい気分だった。
「この前、俺の選択がどうであってもリーベルデ様の運命は変わらない、みたいなことを言っていましたよね? あれは一体どういう意味なんです?」
あの言葉が、リーベルデの騎士になる後押しをしてくれた。だから気になるのだ。
「内緒にしてくださいね?」
白い人差し指を唇の前に立てるメローネ。その仕草は、無邪気な幼さと女の色気の両方を孕んでいる。俺は不覚にもどきりとしてしまった。
「私もフリードさんと同じ。粛清の対象となるスキルを持っているの」
「それって」
「ええ。リーベルデ様が隠して下さったのよ」
なるほど合点がいった。破戒のスキルの所有者を匿うのは俺が初めてじゃないってことか。確かにそういうことなら、俺が騎士になろうがなるまいが関係ない。一人でも二人でも罪は同じだ。
「なーんか……気が抜けたなぁ。いや抜けちゃ駄目なんだろうけど」
「うふふ。ごめんなさい」
「どうしてあの時それを教えてくれなかったんです?」
「そうね。初対面というのもあったし、おいそれと私達の秘密を明かすわけにはいかないでしょう?」
そりゃそうだ。
「あなたを試していたというのもあるわね。フリード・マイヴェッターという男性が、信用に値する人物なのか。騎士にふさわしい気概を持っているのか。この子から聞いた話だけじゃ、何もわからないもの」
リーベルデは俺に対して盲目的なところがあるからな。メローネの判断は正しい。
「けれど先の襲撃でわかったの。学内が混乱の最中にありながら、あなたはたった一人でリーベルデ様を助けに来てくれた。あなたほどこの子の騎士にふさわしい人はいないわ」
「あの時は無我夢中で、難しく考えてなかっただけですよ」
「窮地にこそ人間の真実は顕れる。気付いていないかもしれないけど、あの時見せてくれた頼もしい背中が、あなたの本当の姿なんだと思うわ」
照れ隠しで思わず頬をかく。なんというか、こう真正面から褒められると心がざわめく。今まで劣等生とか浪人生とか馬鹿にされてばっかりだったから、褒められるのがこんなに嬉しいとは知らなかった。美人に褒められて有頂天になるなんて、俺もちょろい男だな。
なんとなく恥ずかしくなって、少しだけ話題を逸らす。
「ちなみに、メローネさんのスキルって教えてもらえたりします?」
「あまり自慢できるようなものではないのだけれど」
「お互い様ですよそんなの」
苦笑を漏らしたメローネは、豊かな胸の下で腕を組む。
「私のスキルは『魅了のまなざし』っていうの。種族性別を問わず好きにさせちゃうっていう能力」
「……そりゃあなんとも、凄まじいスキルですね」
身が震える思いをした。使いようによっては世界を支配できるスキルだ。
情愛というのは心に対して非常に強力な影響力を持つ。時に人を盲目にし、正常な判断を封じる。愛というと聞こえはいいが、それによって人は天使にも悪魔にも、聖人にも奴隷にもなりうる。
魅了をかけられた相手は、メローネの意のままだろう。権力者にとっては都合の悪いスキル。粛清の対象とされているのも頷ける。
「気持ち悪いでしょう? 人の心を操れるなんて」
自嘲気味に呟き、俯いてしまったメローネに、俺はなんと声をかけようか迷った。
「なんていうか。俺はそんなに頭もよくないし、こんな年でもまだ学生です。だから、気の利いたことは言えません。だけど、一つだけ聞いておきたいことがあります」
「……なにかしら?」
「いつの間に俺にスキルを使ったんです? まったく気が付きませんでしたよ」
メローネは首を傾げる。
それからすぐに思い至ったようで、小さく笑みを漏らした。
「本当、お世辞の上手な人」
その声色は、ほんの少しの心の涙が混じっているように聞こえた。今まで剥がれることのなかった騎士の仮面の隙間から、メローネの本心が垣間見えたような気がする。
それから、俺たちは夜更けまでお互いのことを話し合った。
俺の十年。メローネとリーベルデの十年。
大切なのは心の扉を開いているかということだろう。
たった一夜の語らいでも、人を知るには十分なのだから。
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