第21話 真白とスパゲティを食べたいだけなのに……

 けっきょく、朝食を食べた間もないという理由で、腹が減るまで家で待つことにした。しばらくして、小腹が空いてきたタイミングを見越して、外出する。


 真白が靴を履いたのを見越して、ドアを開けた。


「どうだ、久しぶりの外だぞ」


 ドアの先には、雲ひとつない青空が広がっている。ピクニック日和だな。


「ま、まぶしい」


 真白は自前のフードで目元まで隠してしまう。紐から手が離れることはなさそうだ。


「しばらく出てないもんな。くれぐれも無理はするなよ」


「わかってる。でも、スパゲティは食べたいから」


 徒歩三十分。何ヶ月ぶりの外だ? はじめからハードルを高く上げすぎたな。でも、近場で真白が行きたがる場所がないんだ。コインランドリーなんていった暁には、「真白、こんなところに来るくらいだったら映画見てたし」といわれるのがオチである。


 おぼつかない足取りで、先へ先へと歩いていく。体の大きさの違いはもちろん、慣れていないので真白の歩くペースはかなりゆっくりだ。歩幅を合わせ、真白が俺のすぐ後ろに来るようにしている。


 十分ほど歩いて住宅街から抜け出し、交差点へと出た。十字路で、信号を渡らないと先に進めない。ちなみに信号は押しボタン式だった。俺たち以外に、歩行者はいない。


「真白が押して見ていいかな」


「いいぞ、お兄は押し飽きてるから」


「やった〜!」


 カチッと押したことで、「おまちください」の表示が浮かび上がった。それをはじめてみた子供のように、真白は目を輝かせていた。


「……真白、外に出られたんだね! 外に出られたんだ!」


「そうだ。真白はえらいぞ」


 腕を伸ばし、頭を撫でてやる。


「お兄、真白はもう小学六年生だし、ここは外だからやめて。誰かに見られたりしたら恥ずかしい」


「大丈夫だ。誰も見ちゃいないよ」


「でも、なでなでするのはおうちにいるときだけにしてほしい。真白だっていつまでも子供じゃないもん」


 真白は真白なりに、自分の殻を打ち破ろうとしているんだ。先へ進もうとしている。俺の言葉が、少しは届いたらしい。


「以後気をつける。お、信号が青になったぞ。いくか」


「お兄、ちょっと疲れちゃった。おんぶ」


「子供じゃないっていってたのはどこの誰かさんだったか……真白本当に疲れたのか」


 真白ははこくりとうなずいた。俺は真白をゆっくりと背負ってやった。


 そんなこんなでもたもたしていると、いつの間に青信号が点滅し始めていた。


「やべ、真白、走るぞ」


 下手に揺らしすぎないように、後ろを気にかけて走る。赤信号が灯る直前でどうにか走りきれた。


「お兄、ルール守らなきゃ、だよ」


「悪い見本を見せちまったな。これじゃ兄も失格だな」


「いいよ。ガタゴト揺れるの、楽しかったから。アクション映画くらいワクワクした」


 我が家の天使は、心の底から笑っていた。


「お兄のおんぶがアクション映画レベルだってのは寂しいな」


「真白は褒めたんだよ。いい意味でいったんだよ」


「そりゃどうも」


 俺は前にくるりと視線を変え、パスタ専門店へと足を進める。店のある通りに入った。


「ここか」


 駐車場があるわけでもなく、こじんまりしている。そんな店が、俺たちの目的地だ。よく見ると、パラパラと人だかりができているのが見える。


「よし、読みが当たった。急いでいくぞ、真白」


「お兄、ファイト」


 俺は真白を背負ったまま、また走る。絶対に、このスパゲティは、あいつに食わせてやりたいんだ。


「いっけー!」


 人だかりは、すでに食べ終えた人たちのものだったらしい。ほとんど並ぶことなく、店の目の前まで。


「降ろすぞ」


 背中からおろし、一呼吸おいてから店に入る。


「いらっしゃいませ。何名様でしょうか」


 爽やか系のお兄さんが対応してくれた。制服もバッチリ着こなしていて、雰囲気がいい感じだ。他の店員さんも、みんな爽やかだった。


「二名です」


「では、あちらのお席へどうぞ」


 俺たちが案内されたのは、奥の方の席だった。


 席数は約十席。床はフローリングで、茶色を基調したものが多く、オレンジがかった照明に照らされた、落ち着いた雰囲気の店だ。


 隣の二人席は、パスタと荷物が残されていたままだった。ミートスパゲティであるから、きっと気まぐれパスタを頼んだろう。そこにいたはずの客は、トイレでもいっているのだろう。


 他の客は俺たちのような学生ではなく、四十くらいのおじさんと白髪の生えたご老人といった、年上の人ばかりだった。


「若い人には有名ではないのかな」


 注文は決まっているので、すぐに店員を呼ぶ。


「ご注文は」


「シェフの気まぐれパスタ、ふたつで」


「大変申し訳ありません。シェフの気まぐれパスタの方は、あとひとつしか残っていない状況でして……」


「じゃあ片方はひとつはふつうのミートスパゲティで」


「かしこまりました。シェフの気まぐれパスタが一点、ミートスパゲティが一点。以上で間違いないでしょうか────はい。出来上がるまで少々おまちください」


 店員は、カウンターの方へと戻っていった。


「一つしかないのは残念だが、なんとか残っていてよかったな」


「そうだね、お兄」


 奥のトイレの方から、誰かが歩いてきた。隣の席の方へと向かってきている。女性のようだ。俺たちと同じくらいの年みたいだ。


「同い年で、この店を知っている人もいるんだな」


「ええ、知ってるわよ。っていうか、何であんたがここにいるわけ」


 やけに馴れ馴れしいな。というか、さっきのは独り言ボリュームだったはずだが。


「一樹、なんであんたがこの店にいるわけ? そしてよりによって隣の席だなんて」


「そ、園崎? なんでここにお前がいるんだ」


 見上げてみれば、あらまびっくり園崎真琴。それはこっちのセリフなんだよ。

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