第22話 *ぶつかり合う心


「私、本当に凜さんと昴さんはお似合いだと思っていたんです」

「平折、ちゃん……?」


 凜はこの状況がよく分からなかった。

 先ほどの平折の昴が好きという言葉もあり、ますます困惑を深めていく。


 なにより頬を叩いたはずの平折はしかし、まるで何かに打ちのめされたかのように泣いていた。

 それがどういう訳か、凛にはわからなかった。


「凜さんも昴さんも、私を救ってくれました。私を変えてくれました。2人とも私と違って明るくて眩しくて優しくて……憧れました。だからあの時、凜さんが昴さんの事を好きって教えてくれて、それはとても素晴らしい事なんだって思ったんです……っ!」

「…………あ」


 それは平折の本心だった。

 嘘偽りのない気持ちだった。

 欺瞞や嘘、打算に塗れた瞳に散々晒されてきた凜だからこそ、真実平折が自分の事を応援してくれていたのだと、あの時の言葉を理解させられる。


「政略結婚を決めたのは悲しい事だけど、でもそれがちゃんと考えた上で決めた事なら仕方ないと思いました……だって凜さんは、誰かが困っていたら無視できないひとだからっ! だって私は、そんな凜さんに助けてもらってその事を知っているから――なのにっ!」


 そこで言葉を区切った平折は、涙に濡れた瞳を真っ直ぐに凜へと向け、逃さないとばかりに思いをぶつける。


「凜さん、あなたはただ何もせず昴さんを諦めただけじゃないですかっ!」

「――平折ちゃんに何がわかるっていうの……っ!?」


 パシンと、周囲に乾いた音が鳴り響く。

 今度は凜が平折の頬を叩く番だった。

 心の柔らかく痛い部分を突かれた凜は、激情に任せて平手を振るうも、自分が泣いている事には気付かない。


「あたしは……あたしは南條凛なの! 南條家のお嬢様なの! 服も食べるものも、一人で住んでるここだってそう! 平折ちゃん達とは比べ物にならないくらいの裕福な生活をさせてもらっているの! あたしがこの婚姻を結ばないとアカツキの従業員とその家族数十万人の生活が立ちいかなくなっちゃう……だからこそ、その恩恵を受ける南條の娘として、責務を果たさなきゃなんないの! あたしは昴を好きになっちゃいけなかったんだ……その気持ち、平折ちゃんに分かるわけないでしょ?!」

「わかるもん!」

「っ!」

「私は……私は昴さんの家族なんですよ……義妹なんですよ? もし私と昴さんの間に何かあって上手くいかないことがあったら……お母さんはどう思いますか?! 凜さんも有瀬直樹がお母さんにしたことは知っているでしょう?! 望まない私を妊娠して、誰にも頼れず、それでも私を育ててくれて……辛く苦しい中でやっとお父さんと出会って結ばれて……そんなやっとつかんだ幸せを、私の勝手で台無しになんて出来るわけないじゃないですか……ッ!」

「え……あ……」


 それは平折の心の奥底に、随分と長い間閉じこめていた想いだった。

 母の幸せの為、望まれて生まれたわけじゃない自分が邪魔をしてはいけない――平折という女の子を良く知る凜にとって、その気持ちは痛いほどわかってしまう。


 だからこそ、気付くこともある。

 それは凜にとって見過ごすことはできないものだった。


「平折ちゃんこそ、最初からあきらめてしまってたんじゃない!」

「そうですよ! だからこそ、凜さんの気持ちが分かってしまったんじゃないですか……何を勝手に諦めてるんだって、言いたくなってしまうじゃないですか……ッ!」

「そんな事、あたしだって……あたしは平折ちゃんになりたかった! 自分を変えようと頑張って、それを見てくれる人がいて……しかも昴の妹だなんて! その事にどれだけ羨ましく思って、嫉妬したと思ってんの?! いつも一緒に居られて、そんなのって――ずるい……っ!」

「凜さんの方がずるいもん! それだけ綺麗で何でも出来てお金とか色々持っていて、しかも私と違って異性と意識されていて……私こそ凜さんになりたかった! だからこそ凜さんが諦めるだなんて、イヤなんです!」

「あたしだってそうだよ……だからこそ平折ちゃんが諦める事だけは許せない!」

「なら、どうして諦めるんですか?! こんなに好きだって気持ちを押し殺すことがどれだけ苦しい事だってわかる……何でそんな自分を偽るような事が出来るんですか……っ!!」

「そんなこと、本当は出来るわけではないでしょう!!!」


 互いの相手にぶつけあう言葉は、相手だけじゃなく己をも傷付ける諸刃の剣だった。


「出来るわけ、ないよぉ……ほんとに、どうしていいのかもわかんないよぉ……ほんとに、こんなの初めてで、胸が痛いよぉ……っ」

「りん、さん……っ」


 だから、そこが凜の限界だった。

 幾度となく平折に打ち付けられた心は、凜が生まれて今まで被ってきた仮面を、完膚なきまでに破壊した。

 それにより決壊した想いは、もはや凜は自分で制御することは出来ない。

 膝から崩れ落ち、顔をその手で覆い、童女のような叫びを上げながら嗚咽を漏らす。


「好きなの……でも好きでいちゃダメなの……やだよぅ……あぅ……あぁあぁぁぁあぁぁぁ……」

「わ、私だって好きで……でも、家族だからって、ホントは私も……っ! うぅ、うぁあぁあぁ……」


 平折もまた限界だった。

 5年に渡って蓋をしてきた胸の錠を、互いの言葉によってボロボロにして、中身を曝け出されたのだ。

 溢れた想いは涙となって溢れ出す。


 そして平折は同じように想いが決壊した凜を、声を上げながらその胸に掻き抱く。


「何で好きになっちゃったんだろ……」

「どうして好きと気付いてしまったんだろ……」


 涙をこぼしながら抱き合い、共に同じ人を好きになってしまった2人は、確かに親友同士だった。

 それはとても綺麗で輝かしくて、とても尊いものだった。


(あぁこれ、私が覗いていいものじゃないよね……)


 陽乃は、そんな平折と凛を陰から見つからないように見ていた。

 しかしこれ以上2人を見るのは野暮だとばかりに、その場を離れていく。


 昴からアカツキの事を聞いた陽乃は、すぐさま情報収集のためと姉である平折に話を尋ね――そして彼女は凜の所へと駆け出した。

 陽乃はすぐさま姉の平折を追いかけたが、凜の家で待つ真剣なの顔を見て――疎外感を感じてしまった。自分との違いを見せつけられてしまった。


(私はお姉ちゃんにとっては妹で、対等な相手じゃなかったんだ……)


 決して悪い感情を持たれているわけでなく、扱われているわけでもない。

 しかし共に並び立ちたい相手でなく、ただ庇護される立場でしかないのだと思い知らされてしまい――孤独感を覚えると共に、どこかへ走り出したい気持ちになってしまう。


 陽乃には追いかけたい背中が、すぐ隣で見たい横顔が、同じ目の高さで見たいものがあるわけでなく、それがひどく羨ましかった。


(私も早く自分の気持ちに気が付いて、本音でぶつかっていたらなぁ)


 陽乃はそう思うがしかし、それは既に叶わぬ願いになってしまっていた。

 既に彼女の願いは、当の昴本人によって否定されている。

 後悔に似た想いがある。


 だからこそ姉、もしくは姉が認めた親友のどちらかによって、その気付いた想いを昇華して欲しかった。



 ~~~~~~~~♪



「っ! はい、陽乃です……えぇ、なにそれ?!!」


 自分の家の扉に手をかけた時、突如だれかからスマホが呼び出しを告げる。

 告げられた内容には、とてもじゃないが聞き流せないものでもあった。


 そして陽乃は決心する。


「とりあえず、南條専務に話があるって――有瀬直樹の娘から話があるって伝えて」

「えぇ?! うぇえええ……いいんですか、それ?!」


 自分にも何か出来る事があるはず……姉の幸せをどこまでも願う妹は、動かずにはいられなかった。

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