第35話 引かれる袖


「倉井、これどうさ?」

「ちょっと派手すぎないか?」

「んーでも、これを機に色々挑戦してみるのもありっしょ」

「とは言うがな……」


 南條凛が目の前で広げているのは、メンズ向けのド派手な柄シャツだった。

 極彩色の幾何学模様が躍るように描かれており、それを着こなすには俺のお洒落経験値が圧倒的に足りていない。


 困った顔をするも、南條凛は悪戯っぽい笑みを返すだけ。


 ――こいつ、わかってやってるな。


 俺達は今、ファッション関係の店が軒を連ねる繁華街の通りに繰り出していた。


 どうしたわけか、先ほどからずっと、俺の服についてあれこれとお勧めを持ってこられていた。

 なんとなく平折の機嫌もあまりよくないままだし、居心地が悪い。


「んー、でも案外似合うと思うんだよね。ほら、サイズもピッタリ。うん、悪くない」

「お、おい!」


 そんな空気を読めないわけじゃないのに、南條凛は俺の背後に回ったかと思うとピタッとシャツを合わせてきた。

 必然的に身体が密着することになり、彼女のその豊かなたわわが背中に当たり、ビクリと反応してしまう。


「くすくすっ。あんたって本当、女の子に免疫無さ過ぎ。あ、もうちょっとサービスしようか?」

「ちょっ、おい止めろ! 平折も何か言ってくれ!」


 俺の反応が面白かったのか、南條凛はふざけてより身体を密着させようとしてくる。

 だが見ようによっては、それは無理にはしゃごうとしているかのようにも見えた。


 しかし、俺にとって気まずい事には変わりはない。

 その慣れぬスキンシップをどうにかしてくれという想いで平折を見るが――


「むー……」

「ひ、平折……?」

「…………………ぉり、ね」


 相変わらず頬を膨らませて不機嫌をアピールする顔があった。

 そして、どういう訳か手にはパステル調の可愛らしい色のシャツを持っていた。


 南條凛と同じ様にシャツを広げたかとおもうと、俺に押し当ててきた。

 頭一つ分は小柄な平折だと、背伸びしているかのようにも見える格好だ。


「ん……っ!」

「こ、これはちょっと可愛らし過ぎるかな?」

「ん……っ!」

「キャラものはちょっと子供っぽ過ぎるというか……」

「ん……っ!」

「あぁ、こういう地味な感じの方がしっくり……って平折、その妙に残念そうなものを見る目は止めてくれ……」


 それだけでなく、いつになく俺との物理的距離を詰めようとしてきた。


 ――引っ込み思案だった平折が、胸を張るようにしているのは良い事だと思うけれど……


 しかし、いつにない積極性に困惑してしまう。

 南條凛も、どこかびっくりしたかの様な表情で俺達を見ていた。


 これは気まずい。


「あーその、平折も凛も、自分たちの買い物はいいのか?」

「……むぅ、よくない」

「そ、そうそう! あたし秋物で新しいの見たいんだった!」


 誤魔化すように言った台詞だったがしかし、それで思い出したとばかりに南條凛はこの場を離れて物色しに行った。


 そして彼女の姿が見えなくなった時、ポツリと平折が呟いた。


「凛って言った」

「平折……?」

「……仲が良いなんて知らなかった」

「いや待て、俺は別に凛と仲が良いことは……あっ……」


 平折はムスッとした顔で、口を尖らせる。


 ……よくよく考えれば、それもそうだろう。


 自分の恩人でもあり憧れでもある娘の下の名を、先ほどから俺が無遠慮に呼んでいるのだ。

 平折としても面白くないだろう。


 だが凛と名前で呼ぶことになった経緯を話すのは、例え平折であっても憚はばかられた。

 なにぶん家庭の事情も絡んでいる、デリケートな問題だ。


「まいったな……特にこれっといった特別な理由はないんだ」

「……ふぅん」

「信じてくれとしか――」


「こっ、ここここここここれとかどうです、か……っ?!」


「凛?」

「ふぇっ?!」


 どう説明しようか迷っていると、当の本人が先ほどのように服を持ってきて、今度は平折に差し出していた。


 顔は真っ赤で緊張しているのが一目でわかる。

 普段の南條凛とは考えられない表情であり、呂律もちょっと危うい感じだ。


 どうやら平折に合うもの見繕って来たようだった。

 平折はというと、差し出された服と俺を交互に見やり、困惑した視線で訴えかけてくる。


「試着してみたらどうだ? せっかく平折の為に選んできてくれたものなんだしさ」

「そ、そそそそう! あ、あたしの感覚だけど、似合うかなと思い……まして……」

「う、うん……」


 おずおずとしながらも平折が受け取ると、先ほどの表情とは打って変わって、にぱっと演技とは思えない笑顔をみせた。

 そして平折が試着室へと消えると小さくガッツポーズ。それほどまで不安だったのかと思うと、思わず笑いが零れてしまった。


「何さ……もう、こんな滑稽な姿笑えばいいのよ」

「はは、ちげーよ。それだけ平折の事を考えて選んだんだよ」

「……平折、ね……」

「……ぁ」


 無意識だったが、先ほどから普段そうしているように、平折と名前を呼んでいた。

 これは南條からしてみれば、不審に思っても仕方がないところだ。


 ――軽率だったか。


 南條凛は俺に何かを探るかのような瞳で、顔を覗き込んでくる。


 これはまずい……


「……ま、さっき助けようとしてくれた時は、名前呼びの方が色々都合よかったもんね」

「あ、あぁ、そうだ」


 一つ大きなため息を吐いた南條凛は、まるで自分を納得させるかのようにそう言った。

 どこか釈然としない様子でもあったが、俺はそれに乗っかることにした。


 今はまだ、このほうがいい。


「あ、あのっ……」

「……わぁ!」

「……ほぅ」


 そうこうしているうちに、平折が着替えて戻って来ていた。


 秋の空を連想させる色合いのチェック柄ワンピースに、落ち葉色のジャケット。

 小柄な平折が着ると可愛らしさが強調されるようなデザインだったが、ジャケットと合わせることによって大人っぽさも引き出されていた。

 その何とも言えない魅力のある恰好は、まるで平折の為にあつらえたのかと錯覚してしまうほどだ。


 ――さすがは凛の見立てか。


 俺達の反応を見た平折も、満更じゃない顔をしている。


「り、凛さんのっ! 凛さんのは私が選ぶから……っ!」

「え……っ?! 今なんて……」

「凜さんのは私が……あっ……名前で呼んで……迷惑、でしたか……?」

「そ、そんなことない! あ、あたしも吉田さん……平折ちゃんって呼んでも……」

「う、うん……凜さん!」

「えへへ……平折ちゃん!」


 平折に名前を呼ばれた南條凛は、普段の美少女ぶりが台無しになる程に頬を緩ませていた。

 だけどとても嬉しそうにしている顔は、見ているこちらも嬉しくなってしまう程だ。


 互いに名前を呼び合った2人は揃って笑顔を俺に向け――そして俺も笑顔を返す。


 ひと悶着あったけれど、この笑顔の為にだったと思えば、全て許せるような気がした。




◇◇◇




 その後、2人に連れまわされる形で買い物に付き合わされた。


 きゃいきゃいと盛り上がるその様子は、ゲームの中で会話に盛り上がるフィーリアさんとサンクの姿そのものだった。

 おかげで俺への服の勧めは二人同時のユニゾンを奏で、いくつか買ってしまう羽目になった。


 まぁ自分で選ぶよりかは、平折と南條凛の方がこういったセンスがあるだろう。


「んーっ、楽しかった!」

「疲れ、ました……」

「買い過ぎて小遣いが……」


 俺達は買い物を終えて、繁華街をブラついていた。

 目的は特に無い。


 ホクホク顔の南條凛とは違い、財布の中が軽くなった俺は対照的だった。

 そういや南條凛はブラックカード大金持ちだっけか。


 ――彼女との交遊は金銭感覚に注意しないとな。


 そんな事を考えていると、前方がやたら騒がしくなっているのに気が付いた。


「何かしら、あれ?」

「……?」

「行ってみるか?」


 人だかりの輪の中には、遠くからでもカメラがあるのが見えた。

 どうやら何かの撮影らしい。


「きゃ~可愛い~っ!」

「顔とかマジありえないくらい小さくね?!」

「はぁ、わたしもあんな風になりたい……」


 周囲の噂に耳立ててみれば、どうやら女性に人気の――可愛いと言われるような人物がいるらしかった。


 平折と南條凛もさすがに女の子というか、興味が湧いた様だった。

 お互い頷きあって、その誰かを一目見ようかと人の輪を掻き分ける。


 どうやら撮影の休憩中のようで、出演者がファンサービスに周囲に笑顔と手を振りまいていた。


 その娘は神秘さすら感じさせる美少女だった。

 月無き暗がりの夜を照らす、星々の輝きを持つ少女だった。


「あの子は……っ」

「……っ!」

「あぁなるほど、有瀬陽乃か。この人だかりも納得だわ」


 何故か、彼女と視線が合ってしまった。

 ファンの目があるにもかかわらず、まるで石になったかのように笑顔を凍らせる。


 そして何故か――平折がぎゅっと服の袖を引っ張った。

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