名前を呼んで

第20話 悪意


 夢を、見ていた。

 夢の中の俺は今より随分と幼かった。


『何やってんだ、ほら行くぞ』

『……え?』


 小さな手を引っ張って、雑踏の中を歩く。

 そいつはいつも我慢ばかりして、何も言わず愛想笑いばかりしていた。


 俺はそれが気に入らなかった。


『お前、嫌な事は嫌ってちゃんと言えよ』

『……』

『皆心配してたんだからな』

『……』


 話しかけても何かを促しても、反応の薄い奴だった。


 当時の俺は幼かった。

 自分の都合を押し付けてばかりだった。

 相手の気持ちなんて考えも及ばなかった。


 意地になっていたと思う。


 それらは失敗だったと、今ならわかる。


 ああ――



 ――~~~~♪


「――っ?!」


 突如鳴り響いたスマホの音に、叩き起こされた。

 朝っぱらから何事かと、寝ぼけた頭で誰からなのかと確認もせずに通話を押す。


「ふぁいっ!」

『……っ!!』


 起き抜けに突然の事だったので、思いのほか大きな間抜け声が出てしまった。

 相手も想定外の大声に、驚いて息を飲む声が聞こえてくる。


『……ぁ』

「……」

『……ぁ、朝です』

「……平折? え? あ、うぉっ?!」


 時計を見てみれば、いつもの起きる時間をとうに過ぎていた。

 遅刻するという程ではないが、のんびりとしていられる時間ではなかった。

 どうやらアラームをセットし忘れた様だ。


「すまん、助かった!」

『う、うん』


 そのままスマホを放り出して、その場で部屋着を脱いで制服を引っ掴む。

 そして急いで鞄に教材を詰め込んでいくが――確認は忘れない。


 ――せっかく起こしてもらったのに、忘れ物をしたら申し訳ないからな。


 それにしても、初めての平折との通話がこれか……



 …………


 ……



「あー、おはよう、平折」

「……ぉはよぅ」


 登校の準備をして一階に降りれば、ダイニングで平折が朝食を摂っていた。

 その向かいの席にはコーヒーとトーストが用意されていた。


 ……俺の分なのだろうか?


「良いのか?」

「……ん」


 と思って訪ねれば、平折は小さく頷いた。


 時間も差し迫っていることだし、俺はそれに甘えることにした。




◇◇◇




「鍵は閉めたか?」

「……ぅん」


 あれから数日経っていた。

 いつの間にか、平折と一緒に登校するのが恒例になっていた。


 共に駅までの遠くない道を歩む。


「……」

「……」


 俺の少し後ろをとてとてと、親鳥に懐く雛のように平折が着いてくる。


 特に会話をすることもなく、かといって手を繋いだりもしない。さりとて、気まずいと言う訳でもない。


 納まりが良いといった感じだった。

 自然体とも言い換えることができる。


 ――もしかしたら、本当の兄妹だとこういう感じなのかもしれない。


 どこか機嫌良さそうにしている平折を見て、そう思った。


 だけど――




◇◇◇




『――学園前、――学園前』


 到着のアナウンスと共に、電車の扉が開く。

 降車する人たちが一斉に扉から吐き出される。

 そのタイミングを同じくして、俺はそれまで一緒だった平折と距離を取った。


 ……少し名残惜しい気持ちがあったが、平折が注目を浴びている今、義兄妹とバレるわけにはいかない。


 それに――


「おはよう、吉田さん!」

「おはよぅ、南條さん」


 改札を抜けたところで、太陽のように華やかで明るい美少女が、平折に近づいてきた。


 南條凛だった。


 見るものを魅了する様な笑顔で挨拶をする南條さんに、控えめに返事をする平折。

 それは一種の絵画めいた光景だった。


 2人の美少女が織りなす光景に、ため息をつく男子生徒も散見される。


 あれから、平折と南條凛は自然な形で仲良くなっていった。


「実はちょっとシャンプー変えてみたんだ。どうかなー?」

「すんすん……ん、前の方が好みかも」

「なるほど、吉田さんは柑橘系の香りが好きと」

「あはは、あくまで私は、だけど」


 今だって、他愛ない会話をしながらも、南條凛が隣にいる距離は、俺のそれよりも近い。

 それだけ、南條凛が平折に踏み込んでいるという事を物語っている。


 元より、南條凛は周囲の要望を嗅ぎ分け猫を被るのが得意だ。

 それを応用すれば、平折のペースを掴んで仲良くなっていくのは、さほど苦労するものでもなかった様だった。

 積極的に相手のペースを乱さず魅了していく術は、見ていて感嘆するものがあった。


 ゲームの方でも、その能力は如何なく発揮されていた。


『水龍の試練に挑戦したい、です!』

『おいおい、あれってサブストーリーの中でも難易度が高いやつだぞ』

『サンク君だと、レベルを上げて装備を整えるとこからだね~』

『色々、まとめサイトとかで、情報はあつめました! 僕のレベリングと、お二人の素材集めのトレハンを兼ねて、鬼の森で纏め狩りしましょう!』

『……やる気満々だな』

『あ、それだと私も嬉しいなー。よーし、じゃあ行っちゃおーか!』


 自分のしたい事や手伝って欲しい事を積極的に伝え、尚且つこちらの興味を引くメリットも示す。

 おそらく学校でも平折に対して、先日のように空回りせず、ゲームの時のような感じで接していったのだろう。


「はぁ、太陽と月の競演……いいよなぁ」

「康寅」


 平折と南條凛は共によく目立つ。

 俺は2人を見守るかのように後ろを着いて行っていた。


 また、そんな2つの花を愛でようと後ろを着いていく人も多い。

 康寅もその一人だった。


「なんだかんだ言って、昴もいつも見ているよな……ふひひ、ま、気持ちはわかるよ」

「……そうか」


 おそらく、俺も同じような一人に見えるだろう。


 仲睦まじく談笑して歩む2人は、割って入ってはいけないような空気があった。

 否、その2つの輝きに割って入ると、生半可な物ならその光に呑み込まれてしまう。

 余程己に自信がなければ、その間には居られない。


「うーん、でもだけどなぁ……気付いてるか、昴?」

「何がだ?」

「他の女子の視線」

「……どういうことだ?」

「俺も人伝に聞いて、うん? って思ったことなんだが……」

「……」



 ……


 …………



 康寅の話を聞いてみれば、ああ、なるほど、と思ってしまうことだった。


 南條凛は人気者だ。

 男女共に人気があるが、主に女子同士のグループで動くことが多い。


 そして、そのグループが友情だけで構成されていないという事を、俺は本人から聞いてその事を知っている。


『最近吉田さん調子に乗ってない? てかあの子も上手くやったよねー』

『確かに可愛くなったけど……どうせ、男に股開く為でしょ?』

『ていうかさ、南條の奴も吉田に構い過ぎだってーの。おかしくね?』

『あーあ、せっかく南條グループっていうヒエラルキー強者に近づけたのにさ』


 休み時間、耳ざとく周囲の声に傾けて見れば、そういった声が数多く飛び込んできた。

 もちろん、表面的には皆は仲良くやっているし、何も問題は起こってないよう見える。


 ……


 正直。

 ハラワタが煮えくり返りそうになった。


 要は嫉妬だ。虚栄心の拗らせだ。

 まるで学内のヒエラルキーの象徴のように扱われている南條凛が、平折にご執心な事によって生じる歪みだった。

 そして長年積み上げられた固定観念より、南條凛というブランドを不意にするより、利用したいという思惑が透けて見えた。


 それが余計に、俺の感情に拍車をかけた。

 このままだと遠くないうちに、その負の感情が平折に向けられるのは明白だった。


 ――なんとかしないと。


 そう決意した午後の休み時間、廊下でばったりと南條凛に出くわした。


 その顔は、俺と同じく深刻そうな顔をしていた。


「ねぇ、放課後時間あるかしら? ちょっと話したいことがあるんだけど」

「奇遇だな、俺もだ」


 何が出来るか分からない。

 だが、俺に出来ることは何でもする――それだけの覚悟は出来ていた。

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