第16話 待ち伏せ


 ――PiPiPiPiPiPi……


「――ッ!!」


 目覚ましのアラームに、無理やり意識を覚醒させられた。

 叩き起こされたせいか、心臓がバクバクと煩く鳴り響いている。


 先日と同じように寝坊したのかと慌てて時計を見るも、いつも起きる時間より30分早かった。


 ――昨夜自分で設定を変えたんだっけ。


 その事を思い出し、未だドキドキしていた胸を撫で下ろした。


「ふぁ~あ」


 大きな欠伸を噛み殺しながら階段を下りる。

 いつもより30分早い朝の日差しは、なんだか柔らかい感じがする。


「平折」

「……っ!?」


 キッチンに顔を出せば、牛乳をコップに注ぐ平折に遭遇した。

 俺を見て固まるその姿は、寝起きのボサボサ頭にジャージ姿。


 ――そういえば、この姿の平折を見るのは久しぶりだな。


 最近キチンとした姿ばかり見ていたので、気が緩んでいるともいえるその姿は、なんだか逆に新鮮に感じてしまう。

 それが何だか可笑しくて、思わず口元が緩んでしまった。


「あーその、おはよう」

「~~~~っ!」


 いつもの様に挨拶をするのだが、どんどん顔を真っ赤にしていった平折は、脱兎の如く洗面所へと逃げ出して行った。

 そして、ブォォオォォとドライヤーの音が聞こえてきた。


 ……少しだけ、悪いことをした気になってしまった。


 俺と平折の朝の時間は重ならない。

 ギリギリまで寝ていたい俺と違い、平折は割りと余裕を持って登校している。

 ついでに言えば仕事上朝が早い弥詠子さんとも重ならないので、必然的に朝は各々で動く。


 洗面所からのドライヤーの音が途切れたかと思えば、パタパタと階段を駆け上る音が聞こえてくる。

 そんな平折が慌しく支度をしている音を聞きながら、俺も手早く準備を済ませて、キッチンでコーヒーを淹れる。


 慌しい音が止んだかと思うと、平折がキッチンに顔を出した。

 図らずともさっきと逆の立ち位置だった。


 艶のある手入れのされた長い髪、ほんのりと色づいた頬と唇、ブラウスの襟元をきっちり締めて品を損なわない程度に短くされたスカート。

 先ほどの寝起きのボサボサしていたのとは打って変わって、清楚で真面目そうな美少女な平折だった。


 そのギャップもあって、思わず見惚れてしまった。


「んっ……お、おはよぅ」

「おぅ」


 平折はどこか恥ずかしそうに、そして仕切りなおすかのようにそう言った。

 ほんの少しだけ、恨めしそうな目で、俺に抗議しているのかのようだった。


「……」

「……」


 流れでそのまま一緒に朝食を摂ることになった。


 いつものように沈黙が横たわり、トーストを咀嚼する音だけが響いている。


「……」

「……」


 会話は無くとも、どこか居心地の良い空気だった。

 まだ身だしなみに気を使った姿に恥ずかしさを感じているものの、俺に対する気後れのようなものは感じない。


 だというのに俺はと言えば、コーヒーを口にしているのに、喉の奥はカラカラだった。

 何のために早起きをしたのだと、自分を叱責する。


「……なぁ、一緒に行くか?」


 その一言を言うのに、ひどく勇気を必要とされた。

 最後が疑問系になってしまったのは、もし断られてもそうかと流す為に予防線だ。


 言葉でさえそうなのに、平折がいかに努力をしているのかと感心してしまう。


 ――兄妹なら、一緒に行っても行かなくても普通だ、よくあることだ。


 そんな事を考えないと、返事までの僅かな時間に、息が詰まって溺れてしまいそうになった。


「………………ぅん」


 小さく頷く平折の姿に、今度は胸に熱が広がっていく。

 我ながら現金な奴だ。




◇◇◇




 いつもより早い時間の通学路を歩いていく。

 先日と同じく、俺が前で少し後ろを平折。


「……」

「……」


 まるでそこが定位置と言わんばかりにしっくりきた。

 一緒に登校するからといって、特に会話は無い。

 時折感じる相手の息遣いが、何故か懐かしい気分にさせた。


 ――まるで昔からこうだったいう様な……あれ、昔こんな事があった……?


 不思議な感じだった。

 いや、もしかして俺、何か忘れて――


「……あっ」

「っと!」


 歩幅が違うのか、少し遅れ気味になった平折が、少しだけ急ごうとして――体勢を崩した。

 その腕を取って、倒れるのを支える。


 先日に引き続き二度目なのが恥ずかしいのか、平折の顔は耳まで真っ赤だ。


「悪ぃ、もうちょっと足を合わせ――」

「こ、これならっ!」


 そう言って安全を確認した後、手を離そうとするも、今度は慌てた平折が手を握ってきた。


 びっくりした。

 いつもどこかおっとりしている平折からは、信じられないスピードだった。

 どこかしっとりとして、少しひんやりした感触が掌に伝わってくる。


 誰かと手を繋いだのなんて、幼稚園まで記憶を遡っても無い。


 ピッタリと隣にまで距離を詰めてきた平折に、どぎまぎしっ放しの俺はどう反応していいかわからない。

 すぐ傍の平折から漂ってくる髪の香りが、鼻腔をくすぐり理性を溶かす。


「え、駅まで!」


 身体はガチガチに緊張してしまった。

 辛うじて、駅までこの状態だと言うのがわかった。


 この展開は完全に予想外だった。


 真っ白になった頭のまま、駅への歩みを再開する。


「……」

「……」


 道中はまたも無言だった。

 だけど左隣からは機嫌の良さそうな平折が、はっきりと感じられた。


 時折繋いだ手に、にぎにぎと何かを確かめるかの様に力を入れてくる。


 どういうことかと視線を傾ければ、恥ずかしそうにしながらも、ふにゃりと顔をほころばす平折と目が合った。


 ――平折はずるいな。


 今まで見たことの無い、はにかんだ笑顔だった。

 心の中で白旗を上げ、何も言えなくなってしまった。

 これはきっと、彼女なりの甘え方なのかもしれない。


 それが例え義兄に対するものだとしても――それでも構わないと思わせてしまうほどのものだった。



 ………………


 ……



 駅に着くと、ほどなく手を離した。

 さすがに人の目が気になったからだ。


 正直なところ、名残惜しい気持ちはある。


 しかし、今の平折は非常に良く目立つ。

 先ほどから行き交う人達が二度見しているくらいだ。


 当の本人は肩身を狭そうに縮こまっている。

 誇らしい気持ちもあったが、そんな平折の姿を見ると喜べない。


 この時間帯は昨日ほど人が居ないとは言え、座れるほど空いているわけじゃない。


 電車の中だと、余計にチラ見する視線に晒される事になる。

 俺に出来るのは、衝立ついたてのように視線を遮るように傍にいるだけだった。


 堂々としてればいいのにと思わなくもないが、平折がこの格好になったのはつい先日だ。

 慣れるのには、どうしたって時間がかかるだろう。


 なんとも出来ない自分に、苛立ちめいた気持ちが募っていく。


『――――駅、――――駅』


 そうこうしているうちに、駅に着いた。

 各車両からは、同じ制服姿の生徒が吐き出されていく。


 ――ここからは別で行ったほうがいいか。


 俺と平折の関係は特殊だ。

 平折の今後の学生生活を考えると、そのほうがいいはずだ。


 頭では、そうわかっているが――


「……ぁ」

「……ん?」


 なにやら、改札口の辺りが騒がしかった。

 騒いでいるのはうちの生徒だ。

 足を止めている者さえいる。


 思わず何事かと、平折と首をかしげて見合わせてしまう。


 ……


 興味本位で覗いてみれば、南條凛だった。


 改札近くの目立つ場所に、落ち着かない様子で周囲を伺っている。

 そわそわしながらコンパクトミラーで髪型を気にするその姿は、まるでデートの待ち合わせだ。


「南條さんって電車だったっけ?」

「くぅ、普段も可愛いけど、あの姿は反則だろう!」

「一体誰を……まさか彼氏?!」


 確か南條凛の家は山の手のタワーマンションだ。

 駅からは明らかに遠回りになる。


 そこまでして誰を待って――いや、まさか……



「あ、いた! 吉田さん!」

「ぇっ?!」



 平折を見つけた南條凛は、パァっと表情を華やがせ、こちらに小走りに向かってくる。

 その笑顔は見ているほうも嬉しくさせるほどのものだ。


 しかし、その笑顔を向けられた当の平折はといえば、困惑してキョロキョロ左右を見渡し、あろうことか俺の後ろに隠れようとする。


 おいおい、それはさすがに――


「……なんで倉井が吉田さんと一緒なの?」

「……同じ電車だっただけだよ」


 なんだか出鼻をくじかれたと言う様子の南條凛は、思わず訝し気な視線を投げかけてきた。


「あんたまさか、吉田さんが気が弱い事をいい事に……」

「……ちげーよ」

「何、その間は?! まさか本当に……!」

「誤解だ」


 って、大丈夫か? 猫が逃げ出してるぞ?


 よくよく見れば南條凛は俺の顔など見ずに、平折とどう切っ掛けを掴もうかとそちらの方ばかり見ている。

 時折『あんた事情知ってるでしょ? 協力しなさいよ!』という目で俺を睨む。


「ほら、邪魔はしないから行けよ」

「い、言われなくても! 行こ、吉田さん!」


 そう言って平折の手を取った南條凛は、学校の方へと駆け出していった。


 普段の南條凛は、誰にもでも人当たりが良い。

 そんな南條凛の見たこともないやり取りを見た平折は、俺と南條凛を交互に見ては慌てふためいていた。


「ふぇぇっ?!」


 そして、平折の素っ頓狂な声を残して去って行った。

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