第7話
「無礼者! お前誰よ!?」
振り払おうと動かすリチェルーレの腕に従って手を放した男性は、「誰」という彼女の問いに答えずエリーゼの前に歩みでた。
(わあ、綺麗……)
観衆の視線を一堂に集めても意に介さず堂々としているこの世界では珍しい漆黒の瞳と髪の青年。童話の世界から抜け出て来たような端正な容姿は、まさしく王子様だ。そんな青年はぎこちなさの一つもなく、流れる動作でエリーゼの前に跪いた。
「プロチウム殿下より、エリーゼ様の護衛を仰せつかっております、魔導師のクレヌと申します」
その自己紹介に一気に周囲がざわついた。
クレヌ・オン・フュージ。滅多に人前に姿を現さないクレヌの外見を知らぬ者は多いが、その名は子供とて知っている。現在二十歳と、若いにもかかわらず軍属魔導師の中ではトップの実力を誇るクレヌの登場に周囲は騒然。しかも、エリーゼの護衛をプロチウムから一任されているという事実も貴族たちにしてみれば初耳のはず。
「プロチウム殿下はエリーゼ様を大事になさっているのね」という好意的な感想から、「一人の娘に傾倒しすぎでは?」という訝しんだ声まで色々だったが、リチェルーレが呆気にとられて呆けてくれたのは幸いだった。
クレヌは立ち上がり、エリーゼの手を取った。
「遅くなり申し訳ございません、エリーゼ様。アブソリュート伯爵家にお伺いしたところ先にお出になられていたので慌てて追いかけたのですが……。プロチウム殿下より、本日のエスコートは私がするよう仰せつかっております」
「あのプロチウム殿下からの手紙は、クレヌ様が迎えに来てくれるという意味でしたの?」
「はい、後こちらも。ヘアドレスをプロチウム殿下から預かっておりますが……」
クレヌは左手で大事に持っていた箱をエリーゼの目の前で開けた。
木の枝と葉をモチーフにした白銀のへアドレス。宝石で花が咲き乱れた息をのむほど見事な名工の一品にエリーゼは思わず「綺麗」と呟き、ハッとして口を押えた。
「お気に召していただけたようで何よりです」
そう微笑んだクレヌは、「ですが……」と口ごもると、あろうことかエリーゼの髪を一束すくった。
「エリーゼ様の髪はお綺麗ですから、纏めてしまうのが非常にもったいないですね。ヘアドレスはアブソリュート伯爵家まで持ち帰りましょう。今度プロチウム殿下とお会いするときに是非お付けください」
そう言うとクレヌは胸元に箱を大事にしまい、エリーゼを見た。つま先から上がった視線はエリーゼの目と合うと、優しく微笑んだ。
「装いも良く似合っておいでですよ。プロチウム殿下もご覧になれなくてさぞかし残念に思われることでしょうね」
「あ、ありがとう、ございます……」
エリーゼはクレヌの賛辞を疑うことなく受け入れた。
最近機嫌が悪かったエリーゼ。屋敷の人間から感嘆の声をかけられても、この会場で他の令嬢から褒められても心にはちっとも響かなかったが、クレヌの言葉は心に響いたらしい。気を抜いたら赤面して顔がにやけてしまいそうだ。だが、それじゃいけないと、エリーゼはいつものように平常心を装った。そんなエリーゼにほんの少しだけ口元を緩めたクレヌは、一転厳しい顔でリチェルーレを振り返った。
「リチェルーレ様、一つ御忠告を」
「な、なによ……。魔導師の分際で私に向かって無礼よ!」
「言っておきますが、私の言動すべてプロチウム殿下のものとお思いください。この場の全てが、プロチウム殿下の知るところとなると心に留め置くとよろしいですよ」
「――っ」
「さて、リチェルーレ様、ご自身の行動を顧みてください。何故ディーデリウム殿下を連れ出したのです? ディーデリウム殿下もご公務のはず、それを、無理言って連れ出したのですか?」
「す、少しなら、平気だっていうお話だったわよ!」
「ほう、だからといってただの公爵令嬢である貴女様がディーデリウム殿下を好きなように連れまわすのですか? 陛下も大層お怒りです。ディーデリウム殿下、外に王宮の馬車が用意されております、そちらまで一緒に参りましょう」
「は、はい!」
今まで後ろでおっかなびっくりしていたディーデリウムの顔が、輝いた。実年齢よりもかなり幼い少年のように喜ぶディーデリウムはクレヌのもとに駆け寄ると、ちら、とエリーゼを見てきた。
そしてクレヌが振り返り、手を出した。
「エリーゼ様。申し訳ありませんが一緒にいらしてください。こちらに一人にはさせられません」
そう言ってクレヌは好奇の視線の中からエリーゼとディーデリウムを連れ出したのだ。
「ありがとう、クレヌ」
「礼には及びません。ですが殿下、フルーエルト公爵家の令嬢にものを申しにくいのも分かりますが、毅然とした態度でいなければなりませんよ」
第二王子を窘めるクレヌ。どうやらプロチウムだけでなくディーデリウムの信頼もよほど厚いのだろう、当のディーデリウムが「はい」と素直に頷いた。そして、馬車に乗り込む前にエリーゼに頭を下げた。
「エリーゼ嬢、今日は騒がせて申し訳ありませんでした」
「そんな……。どうかお顔をあげてください」
シュンとした顔は兄のプロチウムとは違い、小動物を連想させる可愛さがある。そんなディーデリウムは見送りに来たフリーネイリスとマグネにも頭を下げ馬車で王宮へと帰って行った。
残されたのは四人。その中ですぐに動いたのはクレヌだ。
「マグネ殿、フリーネイリス様、ご婚約おめでとうございます」
「クレヌ、ありがとう」
「まさかクレヌ様にお会いできる日が来るなんて思っても見ませんでした、嬉しいですわ。それにリゼの護衛だなんて……、面白いですわ!」
そう楽しそうに笑った二人は一足先に庭園へと戻って行った。
「エリーゼ様、落ち着かれたら我々も戻りましょう」
「落ち着いたらも何も、私はもとより平気ですよ」
「そうですか? 少々ご機嫌がお悪いのかと思いましたが?」
エリーゼの隣にピッタリ寄り添うクレヌは、面白そうにエリーゼの顔を覗いてきた。
「……まあ、何故そうお思いになったのですか?」
「リチェルーレ様との言い合いですが、身分を重んじるエリーゼ様がああまで言い返したのは意外でしたよ。いなして、リチェルーレ様の気がすむのを待つのだろうと、そう思ったのですが、違いましたね」
「だって少し腹立たしくなったのです。プロチウム殿下の事をひどく言うのは許せません」
「おや、お二人の――」
そこで言葉を止めたクレヌは、エリーゼの耳元で囁いた。
「お二人の婚約は仮で、いずれお別れになるのでは?」
「そ、そそ、そうですけれども!」
思わず叫んだエリーゼは辺りを見回した。使用人が何事かと見ているが、エリーゼの視線があると分かると、いそいそと自分の持ち場へと戻って行く。そしてエリーゼは声を潜めた。
「でも、プロチウム殿下がお優しくてご聡明なのは確かでしょう? 少し真面目過ぎるかと思う事もあるけれど。素敵な方だと思うもの……」
クレヌに耳元で囁かれたからか、それともプロチウムを思い出したからか定かではないが、エリーゼの顔が熱くなった。思わず頬を押さえようとすると、その手をクレヌに掴まれた。
「クレヌ様?」
「いえ、先ほどはお顔が無事でよかったと思いまして」
そう言って軽く頬を撫でたクレヌ。エリーゼの首から上が一気に真っ赤になった。きっと、親友のフリーネイリスなら、頭突きでもしてこの場から逃げ出すだろうという甘い空気に、エリーゼはただただ固まるしかなかった。
「エリーゼ様?」
「な、ななな、なんですか……」
「ご機嫌は直りましたか?」
「え、ええ……。(直ったとかもう分からないわ! 自分の機嫌が分からない!)」
「お聞きしますが、何故ご機嫌が悪かったのです?」
「それは――」
素直に答えそうになって、慌てて口をつぐんだ。
(言えないわ……。今日初対面、そしてこれから護衛をしていただくクレヌ様に、絶対に言えない!!)
一度深呼吸したエリーゼは、自分でもよくできたと褒められるほどの作り笑顔を張り付けた。
「なんでもございません、ちょっとしたことなのでお気になさらず。さ、戻りましょう……」
そう一歩踏み出せば、クレヌの腕が行く手を遮る。ぐん、と伸ばされた手がそのままエリーゼを巻き込むと、ぶつかるすれすれまで引き寄せられ目と鼻の先にクレヌがいる。
(は?)
「いえ、気になります」
(ち、近い、近い!! 誰かに見られたらどうするの!?)
離れようとするエリーゼを引き留め始めたクレヌ。この魔導師、距離感が近すぎる。エリーゼはもがき続けるも力の差は歴然で一向に一歩も後ろにさがれない。むしろ、暴れるごとに力が強くなっていく。そして最後には耳元で囁かれるのだ。
「立ち居振る舞いが完璧と言われるアブソリュート伯爵家のご令嬢を変えるほどの事態なのでしょう? 何があったのですか? プロチウム殿下も気になさいますよ」
「わ、分かったわ。お話します! だから離れてください!」
「エリーゼ様が話すのが先です」
「分かりました! 絶対に他の方に喋らないでくださいますか? プロチウム殿下にもです!」
「プロチウム殿下にも?」
クレヌは怪訝そうな声を出した。
「だ、だって、知られたくないもの……」
「分かりました。善処します」
「善処って……」
「ほら、早く話さないと人が来ますよ」
「うー、分かりました! お気に入りの本があったんです! それを読むのを禁止されたのです! だから少し怒っていたの!」
「禁止されるほどの本ですか? 一体何をお読みなのです」
「『有毒植物大辞典。発見されている有毒植物を全網羅』よ!」
「有毒、植物……?」
クレヌの腕の力が弱くなり、エリーゼはクレヌの拘束をすり抜けた。距離を取り、見上げれば呆けたような顔をしたクレヌがいる。それはそうだろう、良家の令嬢がお気に入りだというべき本ではない。変なことをここで暴露することになったエリーゼは、「もういいです! 戻りますよ!」と再びクレヌに背を向けた。そうすると、肩に手をかけられ、くるり、と半回転しクレヌに向き直された。
「面白いものをお読みですね。今度貸してくださいますか?」
「……クレヌ様、ご興味があるの?」
「もちろんです。魔法に使う魔法植物は有毒の物も数多くありますから興味深いですよ」
その答えを聞いてエリーゼの顔は煌めいた。自分のお気に入りを肯定してくれる貴重な人物にエリーゼの心の中では小さい自分が小躍りしていた。
「よかった! あ、でもやっぱりこのことはプロチウム殿下には内緒でいてください」
「何故?」
「傍から見たらおかしな趣味だもの、プロチウム殿下に変に思わるのは嫌です」
「婚約者ならばいいのではありませんか? 隠し事はよくありませんよ」
「本当の婚約者なら包み隠さず見せてもいいかもしれませんが、私は『仮』です。少しの間なのに私の事をすべて理解してというのは酷でしょう?」
「……では、プロチウム殿下の事を理解する気もないと?」
「そうは申しておりません! 何といえばいいんでしょう……。決められた期間くらいプロチウム殿下のご期待に応えられるような婚約者でいたいのです! だって私と一緒にいて、プロチウム殿下のお顔に泥を塗ることになったら申し訳なさすぎますし、変なことで殿下のお手を煩わせるのは申し訳ありませんもの。それに、プロチウム殿下に変わった娘に思われるのは、ちょっと、嫌なんです。……我儘でしょうか?」
クレヌに聞いてみても、「あー」と視線を宙に彷徨わせるばかりで返事がない。終いに、そっぽを向いてしまった。
「クレヌ様?」
「いや、なんでもありません……。まあ、殿下に気を遣わせないというのは、お優しいとは思いますが……」
「プロチウム殿下には早く思う方を探し出していただきたいのです。フリーネイリスとマグネ様を見てお互いお好きな方といらっしゃるのが一番だとそう思いますもの。お相手の方も待っていてくれると良いですわね」
今頃向こうの庭園で祝福を浴びている二人を思い返し、エリーゼは「羨ましい」とポツリと口にした。
すると隣でクレヌがポツリと呟いた。
「そう、問題はそこなんだよな……」
「クレヌ様?」
「いえ、こちらの話しです。そういえば、マグネ殿はプロポーズがトラウマレベルでやり直しになったと言っていましたけど?」
「フリーネイリスはいい雰囲気になると逃げだそうとするみたいなんです。私もこの前この目で初めて見ました。マグネ様に頭突きしたんです、びっくりですよ」
「ふふ」と思い出し笑いをし、エリーゼはクレヌにきちんと向き直った。
「さ、私たちも戻りましょう。クレヌ様」
「そうですね。では、お手をどうぞ、エリーゼ様」
クレヌのエスコート先で待っていたのは、クレヌに興味があるご令嬢達。愛想よく振舞うクレヌに感心しきりだったエリーゼだが、幸いリチェルーレの姿は見えず、和やかな場に胸をなでおろした。
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