第9話 70
黒い、由布院駅は
夜闇に紛れてしまいそうだ、と輝彦は思う。
線路は、弧を描いて
山をかわしていくように。
そこに、プラットフォームがある。
特急「ゆふ」は、1番線ホームに到着。
輝彦と真智子は、先頭車両から降り
改札のない、ヨーロッパの駅のような由布院駅を出た。
いつか、あの無骨な自動改札にならない事を祈りつつ
さて、どこでディナーを取るかと思ったが
とりあえず宿に電話してみると、レストランで
用意出来るとの事なので、二人分のコースを頼んだ。
歩きながら、真智子と話す。
そういえば、東京駅であった姉の方が
幾分小柄な印象を受ける。
本物の真智子は、スポーツレディーの為か
がっしりとして力強く歩く感じで、なるほど彼氏が
「強い子だ」と言った意味が分かるような気がした。
その事を告げると、真智子は微笑んで
「ひどい人ですね、私を鉄人みたいに。」と
少し砕けた口調に、輝彦は親近感と
姉との類似点を感じた。
「彼とはどうして知り合ったのですか」と輝彦はそれとなく。
「あ、いえ、あの....」と、真智子は少し恥じらいながら
仕事で上司とやり合って、悔しくて泣いていたら
彼が「まあ、そんな事もあるさ」と言ってくれて。
その自然な感じが良かった、と
少女のように恥じらう真智子を、輝彦は好ましいと思い
...たぶん、この人たちは殺人なんて出来ない。
と、当初からの予感を確信に変えた。
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その輝彦の推理は、科学的にも正しく
殺人、などと言う排他的な攻撃は
愛に満たされている心には思いつかない行動である。
愛他と排他は相反であるからであり、それは
生物が長い間に進化してきた課程で得た性質であり
全ての生物に共通している。
科学捜査は嫌いな輝彦であっても、論理的に
正しい推理は、科学的にも正しいのである。
でも真智子は、池田湖に没した人が
姉だとはまだ知らないのではないか、と考え
輝彦はデリケートなその話題を避けた。
歩きながら、レストランの豪華なエントランスを通る。
クリスタルなドアは、スポットライトに煌めき
ラウンジはプラネタリウムのように輝いていた。
「とても素敵です」と、簡潔な言葉を述べた真智子は
やはり東京駅で会った人とは似て非なる人だと
輝彦は思う。
それぞれに素敵な人だと思い、姉の方を妻としながら
更に真智子を求めた清水の傲慢さに
ちら、と蔑視の思いを覚えた。
レストランは、更に奥まった静かな場所にある。
高級なホテルは皆そうだが、ここは会員制なので
特に配慮が感じられていた。
テーブル同士も衝立で仕切られており、適度な空間が
プライバシーを保っていた。
そういう所が高級、の所以である。
輝彦が入っていくと、ウェイターは静かに案内をし
窓際の深い、樹木に覆われた庭に面した席に着く。
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sen
真智子は、美人ではないが
素朴で、健康的な感じが
今風ではなく、そこが好ましいと輝彦は思った。
東京駅で会った姉の方が
どちらかと言えば美しさを際だたせる術を知っている、
そういう印象である。
テーブルは、創作料理の品が並ぶ。
無国籍調であり、例えば秋刀魚のカルパッチョであるとか
やや、不思議な味覚に感銘を受ける。
真智子も、料理を楽しんでいる様子で
それは良かった、と
輝彦は、自然にそう思う。
食後のデザートは、柿のアイスクリームであった。
あまり見かけない一品を、真智子は喜んでいた。
少女のままのような表情に、輝彦はどこか和んでいる。
最近の若い女性が無くしてしまった自然さ、が
魅力的だ、と思い
ふと、清水が執着した心を推し量った。
食後、大分へ戻ると言う真智子を
由布院駅まで送りつつ、輝彦は尋ねる。
「これから、どうなさいますか?」
真智子は、あまり深く考えず「大分で暮らして行こうと思います」とだけ答え
由布院駅の、オープンスタイルの改札の向こうへ。
いろいろ、ありがとうございますと
丁寧に挨拶をするあたりは、流石に元、会長令嬢である。
どういう経緯で、勝俣家の令嬢になったのか
気になったが、そういう話を聞くのは
可哀想に思えた。
何せ、家族はばらばら、父親は行方知れずで
戸籍は逸失。
頼れるのはフィアンセだけ。
地震さえなければ、今でも安泰な暮らしであっただろうに。
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輝彦も、2番線ホームまで見送りに行く事にした。
もとより、ひとの気配が少ない夜の由布院駅である。
町全体をテーマパークのように仕立てているので
夜の歓楽街のような場所は無く、健康的に演出された
リゾートで、そこは好みの分かれる所かと思う。
ただ、歓楽街は主に男の欲である。
都市、社会は男性的な破壊と征服の象徴であると言われるが
ここ、由布院はその対極である女性的な回帰の場、
ふるさとの原風景を演出している。
都市生活に疲れたひとの癒しの場。
輝彦も、真智子もその都市からの来訪者で
真智子などはその、都市、男性的な破壊と征服に
翻弄された人生を今、送っている事になる。
いや、父の勝俣にしても、結果的には征服も
破壊も出来ずに翻弄された訳である。
ホームに止まっている普通列車は大分ゆきの
赤いディーゼルカーである。
エンジンの音が、長閑に響く。
誰もいないホームに、駅の裏手の住宅に住む
大型のピレネーズの吠え声がこだまする。
真智子は、輝彦に向き直り
「本当にありがとうございました。私は、これからは
新しい人生を送れるような気がします。池田湖に沈んだ
姉の事は気がかりですけれど、もう、生き返る訳でもありませんし。」と、気丈にそう述べた。
「ご存じだったのですか」と、輝彦は静かに。
はい、と、真智子は答え「姉は真知子と名付けられて、生まれてすぐ母と引き離されて親類の子、とされたそうです。その頃の母は、勝俣家とは関係のない人でしたから。」
それを知ったのはいつですか、などと尋問するのは
止めた輝彦は、話の接ぎ穂を待った。
「私が生まれた時に、真智子と名付けた母は
いつか、姉を引き取りたいと思っていたようですけれど
社会通念、と言うのでしょうか。許されなかったようです。」
それを無念に思っていたのだろう、不憫な事だと
輝彦は思慮した。
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人が人として生きる事を妨げてまでの
国策とは一体なんだろう。
多くの場合、それは国策に名を借りた
誰かの利己的行動であると輝彦は見ている。
国策で無くても、なんでもそうだ。
仕事でも、サークルでも、町内会でも。
この国の人は、大義名分があれば
誰かを支配したい、などと思うようになってしまった。
つまりそれは、生まれ育ちの間に
被虐感のある人が増えたと言う事である。
無意識にそれに反発して加虐を行う。
それは、悲しい悪の連鎖である。
輝彦には理解できない。なんでそんな事に
無駄なエネルギーを消費するのか、と思うだけだ。
しかし、歪められた心は歪んだ行動を取る。
哀れな事であるが。
列車の出発を、駅のアナウンスが告げる。
人間の声なので、どこか安堵する。
真智子は、車窓に消えた。
ありがとうございます、と告げて。
軽い汽笛が鳴り、列車は大分方面へ。
赤い尾灯を見送りながら、輝彦は思う。
真智子が生きていると言う事は、池田湖事件の
被害者を関東電力会長・社長殺害事件の犯人にし
被疑者死亡で不起訴処分、と言う
警察のシナリオは崩れる事になる。
そればかりか、遺体の身元確認不十分で
問題が生じる事にもなるし
捜査はやり直しになる訳だ。
もし、国の意向で隠蔽工作をしているなら
更に工作を行う事になる筈だ。
しかし、今の所真智子の件を知っているのは
名古屋刑事と輝彦、それと
真智子の彼氏だけであるから
名古屋刑事が口外しなければ問題にはならないだろう。
後に、戸籍の復籍を請求すればいいのだと思う。
死人の戸籍に前科は書き込まないから
工作だとすれば巧妙だ、と輝彦は思った。
そうして、事件は直ぐに忘れ去られ
原発利権を企んだ者達は、また
別の利権を貪ろうとしている。
現に、今では
かつて、その腐敗政治を行った保守党が
再び政権の座に付こうとしている、と言う。
それが民意なら仕方ないが
数多くの人が政治を見限っているので
利権に拘わる人達が投票をしているだけ、と
言う事だ。
それは、民意ではない。
過去もそうだったので、何も変わっていないのだろう。
そういう環境で、真智子や勝俣、清水も
何となく生きてきた。
その意味では、皆被害者なのであり
巨悪が君臨する下に虐げられている。
それは、虐めであり
子供が模倣する構造そのものである。
構内踏切を渡りながら、輝彦は考えていた。
あのふたり、真智子と彼氏は
これからどんな人生を送るのだろう。
ふと、思いだし
名古屋刑事に電話すると、彼は
そのまま東京に向かって、清水事件、勝俣事件を
少し調べてくる、と言った。
何の利益にもならない事、である。
むしろ、上司にとって有り難くない部下であると
思われるだけ損である。
しかし、調べても報告する義務は無い。
何せ休暇なのだ(笑)。
「真智子さん、現れましたよ。お姉さんも読みは同じ
真知子さん、と言うのだそうです」と輝彦。
「ああ、ああ。そうだってね。深見さんのとこに行くだろうと思ってたよ」とは名古屋刑事。
なぜですか?と輝彦が尋ねると....
「あんた、女難の相だもの」と、名古屋刑事は笑った。
輝彦も、なんとなくおかしくなって笑った。
ふたりの笑い声は、それぞれの夜空へ。
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女難と言われれば、いつもそうかもしれない。
女などと言う者は、元々逞しく出来ているのに
男はそれを守護したいなどと大それた幻想を抱くから
女難になるのだと輝彦は思う。
真知子も、真智子も。その母も。
それぞれに活路を見いだしている。
対する男どもは本当に情けない(笑)
勝俣にせよ、清水にせよ
女に依存するかのように執着して、結果として
無様に捨てられている。
濡れ落ち葉、などと比喩されるように
社会から見捨てられたような男と言うのは
本当に哀れな物である。
それは、自己顕示などと言うものに拘るからであり
個々に楽しみ、生きる喜びを見出せば
何も、誰かと比較せずとも良い人生を歩めるのである。
例えば、名古屋刑事は
捜査をする事が楽しみで、真実を求めて生きている。
出世や、富、名誉などまるで気にしていないが
生き様として羨ましい程潔い。
男はかくあるべしだと輝彦も思うのである。
それが男の仕事であり、金銭の為に
真実を歪めるようなものは仕事ではない。
原発利権もそうだ、嘘と誤魔化しで塗り固められている。
それは金の為であるし、その利権を振り回していた
保守党政権。
責任も取らずに、再び国政を司ろうとするなど
厚顔無恥も甚だしいと思うのが自然だろうと思う。
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翌日、輝彦は
取材旅行の名残を惜しむように
普通列車に乗った。
近隣の駅を、乗ったり降りたりして。
そういう旅にも、周遊きっぷは便利だ。
顔見知りになった駅員とか、お店の人とか。
旧交を暖めた。
中には、高齢になったり、体調を崩されたりで
仕事を引退されたり、休まれたりと言う
話もいくつか。
何故か、癌に罹患される方も多い。
近年増えているこの病気と
放射能の関連性は高いと考えられているが
だが、どこの原発からの放射能で癌になったかを
調べるのが困難な為に
国は素知らぬ顔をして、原発を作り続け
夜間にこっそりと、放射能を含んだガスを
放出したりしているし
目に見えないし、臭いもないので
影響は体感できない。
そうして、癌に罹患すると
癌の特効薬を、商社が輸入したりするが
高価で、とても儲かる商売だ。
商社には、何を隠そうあの勝俣家の長兄が率いる会社がある。
その会社は、原発の燃料も輸入しているのだから
恐れ入る。
それも、貿易には国家が関与するので
国策とする為に、悪い官僚と、政権、これまでの
腐敗保守党政権がそれを担ってきた訳である。
日本は、いつからそんな国になってしまったのだろう。
輝彦の兄や、名古屋刑事のように
正邪の区別をしっかりするのが、大人、では無かったのかと
輝彦は憤る。
罪もない人が、癌を患う。
それが国策のせいだとしたら、それは国家的な犯罪だろうとさえ思う。
列車に揺られて、長閑な景色を楽しみながら
そんな事を思うのは、少し勿体ないような気もした。
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合理化で、ローカル線の駅員は
ほとんど委託駅員と言って
元々、鉄道員であった人が
退職して、地域の人として
駅の仕事をしてくれている、半ばボランティアのような
そういう立場だが、そういう人達は
とても親切に旅人を迎えてくれる。
仕事は、金を得る為の手段ではなく
鉄道と駅、仕事への
ひいては人への思いやりがないと
出来ない仕事である。
優しい思いやりに、心暖かくなり
自分も思いやる事を考える、そういう生き方をしたいと思う。
善の連鎖である。
昔の日本はそういう国だったと輝彦は思う。
原発利権も、電力利権も。
土木利権も、すべて
悪い官僚と保守党政権が作ってきたのである。
以前は、鉄道や電話、通信などもあったが
それら利権は、白日の元に晒されて
不正ができなくなった為、存在できなくなった。
電力は、解体を進める左翼系政権を
極右系知事が領土クーデターを企て、転覆させた。
それによって世界各地で日本企業が被害を受けても
構わずにそれを起こしたのは、この知事の自治体が
関東電力の株主だったからである(笑)
利己、極まれり。
そして、この人は国政に進出し
勢いのある、革新系の関西のある知事率いる政党に
近づき、その魅力を失わせるように工作を施した。
老獪な男である(笑)
そこに正義はない。
そこまでして利権に執着しても、もう幾らも生きないだろうに、と思うのだが。
そうした奸計の元に起きたこの事件、犯人は
そのあたりにありそうである。
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sent from W-
午後、早い時間の保養地と言うのは、どこかしら
のどかで、心地よく
そこを、輝彦は気に入っていた。
金曜日の午後、そろそろ余裕のある人々は
温泉保養に、この地を訪れる時間帯である。
心のゆとりがある人は、本当に楽しめる時間を
持っている、そんな人達だし
そういう人々は、ひっそりとした温泉場などを
好むもので、
この由布院も、休日などは
そろそろ保養地と言うよりは、リゾート、等という
西洋のおじやのような(笑)名が似合うようになってしまって
保養には向かない、と思われているかのようだ。
そのリゾートも、リゾート法、などと言う
保守党政権時代に作られた、利権作成の法律で
土建屋と、悪い官僚に金銭を吸い上げられて
環境破壊が各地で行われた。
この由布院にも、開発の魔手が伸びる所だった。
だが、本当にこの地を保養の場にしたいと言う
地域の声が首長を動かした。
自治体にも、訳の分かる人も居る。
官僚にも、良い人も居ると言う例である。
だが、この地にも何故か自衛隊の基地があったりして
自衛隊関連の会社、例えば沖電気工業であるとか
そうした会社と自治体との汚職事件などは過去に存在した。
そういう、汚職体制を正すのは、保守党や民主では
無理である。
既存の労働団体や、財界が支援をしているからである。
背景を知っても尚、正義を貫きたいと思う心は大切だが
しかし、飯の種をどこから得るか?と問われれば
輝彦のようにフリーで食っていける人間は別として
大抵は、どこかの会社に属する事になり
そこは、大抵なにがしかの圧力団体の配下にある。
それが、巨悪である。
例えば、関東電力の女性幹部殺害事件についても
そうした圧力の源にあって、逆らおうとしても
無意味だし、無駄である。
それで起こってしまった事件であるとも言える。
無論、違法であるが
戦前よりこの国の人は全体主義が好きであり
個人の自由を標榜すると、潰して良いなどと
おかしな考えを持つ者が多い。
人は、元々動物であるから
行動し、狩猟をし、採集をして生きてきた。
それらの多くが、社会生活ではあまり行われなくなったので
余った行動力が、不満となる。
どこかにそれを捨てないと暴発してしまうので
島国である日本では、それを外に向けると言う癖がある
と言うだけの事である。
陸続きの国では、例えば宗教に
排他性の捌け口を求めたりしたから
ほとんど全ての戦争は宗教戦争である。
根拠の無い物は全て信仰であるから
言い得て妙であるが、そうなってしまう。
勿論、文化的先進国では
共存と共和を得る国もあるが
そこに至るまでに多くの戦いを行った結果である。
輝彦は、民主主義、自由主義であるが
それは一応、この国の標榜する憲法を根拠とする。
誰しもそうだと思っていたが
この事件に面し、そうでない変な人も多いと実感した。
それが、関東電力の清水、勝俣のような面々であるが
実は、彼らも自由に生きたかったのかもしれない、などと
今では思ったりもする。
海外に逃亡したりしている所を見ると。
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