電力会社殺人事件

深町珠

第1話 17

東京駅、21時。

輝彦は、旅行雑誌の取材で

これから九州に向かう。


いつものようなお気楽さで、愛車ソアラで向かおうかと

思ったが、生憎。

軽井沢のセンセに貸したところ、出先で貰い事故。


それに、九州までクルマでは遠すぎる。

たまには鉄道の旅もいいかと

寝台特急サンライズ瀬戸で出発する事にしたが

出発は22時。


その前に、リニューアルの東京駅を見物してから

ノースコートの日本食堂で洋食でも、と

早めに東京駅に。


生憎、日本食堂は人気で混んでいたが

隅のほうに、一人で掛けている

地味だが、上品な女性に

輝彦は気を惹かれ、つい「あの、よろしいでしょうか」(笑)



俯いていた女性は、はた、と顔を上げて。

30歳くらいだろうか、優しげな感じ、だが

少し緊張の面持ちの表情が、輝彦に

どこか、印象を埋め付ける。



はい、と

静かに頷く女性の勧めで


輝彦は、相席をする事になり


フランス料理のフルコース、と行きたかったが

予約なしではダメ(笑)で

ビーフシチュウにする事にした。


内心、安堵していた。


シチュウですら1800円もするので

貧乏フリーライターとしては、内心ドキドキものだった。

だが、女性の手前、フルコースを注文して

見栄を張りたい、でも、店の都合で果たせず


上手い具合に見栄も張れた(笑)。



持ち前の軽妙さで、輝彦はこの女性と打ち解ける。


名は、勝俣真智子さんと言い

先日までOLだったが、今は悠々だとか言う。


輝彦が、これからサンライズ瀬戸で九州へ、と言うと

偶然ですね、わたしも。と言う真智子に

輝彦は、ちょっとときめきを覚えた。


でも、ふとした仕草に憂いを感じ

違和感を禁じ得ない、輝彦であった。



寝台特急サンライズ瀬戸は、オール個室寝台で

Aクラスルームは、ひと車両に6室。


もちろん、輝彦はそれを確保していたし

真智子は、上品な面持ちに相応しい家庭なのか

同じクラスルームを予約していた。


偶然とはいえ、とても不思議な出会いの二人である。







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東京駅、21時47分。

寝台特急サンライズ瀬戸は、9番線ホームに品川方面から

回送される。



輝彦は、真智子の案内で地下、ノースコートの

日本食堂から、銀の鈴へ。


9番線直通エレベーターで、コンコースを越え

一気に2階ホームへ。


「便利ですね、知らなかった」と

輝彦が微笑むと


真智子は「はい、父に教わりました。あまり

人目に付かずに便利だと」



お父様に、と輝彦は言い掛けて

やや、不審に思いつつ

昔読んだ推理小説の中に、東京駅で

寝台特急に乗り込む所、の一節を思い出した。


でも、それって反対だなと

思い返し、黙ってしまった輝彦の様子を気に掛けた

真智子に、「すみません、」と繕う。


エレベーターが開き、高架のホームには

もう、サンライズ瀬戸が入線していた。


クリーム色のボディは滑らかで微妙な曲面を描き

高級感と気品を感じさせた。


輝彦と真智子の、Aクラスルームは

4号車、シャワーつきのひとり用個室だ。


喫煙席の輝彦と、禁煙席の真智子とは

部屋が離れていたので、輝彦の部屋の前で別れて

それぞれの個室へ。


Aクラスルームは、廊下から階段を昇った二階だ。

1階は、B寝台ツインルーム。主に、シルバーエイジの

フルムーン旅行に好まれている。



列車は定刻、22時に出発。


短いチャイムと共に、車掌のアナウンス。


もとより出発前に、車掌が切符の検札に訪れていた。



その声と同じ、アナウンスの声。



横浜到着を持ちまして、特別な場合を除き、翌朝岡山到着前まで、案内を控えさせていただきます。



岡山には、翌朝6時27分の到着。


そこから新幹線で、鹿児島には10時。

日本は短くなったな、と

輝彦は暢気に、豪華な個室寝台の旅を楽しんでいた。

酒に弱いのに、飲めないワインなどを

勧められて断れず、飲んでしまったせいか

シャワーを浴びると、気持ちよく眠ってしまう。


翌朝、岡山で降りるつもりが

気づいたら、列車は瀬戸大橋を渡っていた。



しまった、と思ったが

まあ、特に予定のあるわけでもない

気楽なフリーライターである。


高松駅まで乗り越し、改札内の「連絡船うどん」で

本場の讃岐うどんを食し、思いの他辛口で

東京人好みである事に驚き、グルメルポもできそうだと

輝彦は感慨。


すぐに、岡山ゆき「マリンライナー14号」、8時32分発で

折り返す。


岡山で新幹線に乗り継げば、13時40分には

鹿児島、15時22分に指宿に到着する。


それほど取材に影響は出ないだろう。


快速マリンライナーのパノラマ・グリーンシートで

旅を楽しむ輝彦の視界に入ってきた「西日本新聞ニュース」。


-関東電力会長 勝俣孝久氏 死亡 自殺か-


気にもとめずに眺めていた。


....勝俣?


昨夜出会った、真智子と同じ名字だ。


偶然かな、と

居眠りに入った輝彦。


今度は終点なので、寝過ごす心配もない。



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岡山で、マリンライナー14号から九州新幹線に乗り換える。

地平ホームには、「瀬戸の花嫁」のチャイムが流れて

和やかなムードの中、電車は到着する。


輝彦は思う。

...あの、真智子さんって、花嫁修業中だったのだろうか。



ふつう、退職して悠々というと

それで旅行とか、よくあるパターンだ。


でも、それならひとり旅は少し淋しい。


どことなく、憂いのある表情と

その類推が、関係性を持ってしまいそうになる。


瀬戸の花嫁、なんて曲が

奇妙な推理をすすめてしまいそうだから

輝彦は、エスカレーターで新幹線ホームへ。

指定席券売機で、予約してあったきっぷを購入して。


九州新幹線「さくら」は、余裕のある二人掛けシートなので

人気がある。


インターネットで予約すると割引になると聞き

利用したが

なるほど、便利だと思った。


乗り遅れても、携帯電話からきっぷを変更すればいいのだ。



..人生も、そのぐらい簡単に変更できればいい。

と、輝彦は思う。

これまで、いろいろな人生を見てきたが

それぞれに事情があって、追い込まれたような

事件も多い。



そんな時、簡単に切り替えられれば

事件は起きないような、そんな気もする。


岡山発、10時12分。


これで、鹿児島に13時40分に着いてしまうのだから。


近年は、鉄道を好む人が多いので

旅行雑誌の原稿依頼にも、鉄道利用ガイドがあると

好まれる。


実際に使ってみると、賢い使い方を選択するのは

難しいためで


それで、輝彦の仕事も増える。

結構な事であるし、それで新たな出会いもあって

楽しい、と輝彦は思う。



もう、真智子は鹿児島に着いた頃だが

輝彦は乗り過ごしたので、同じルートを後で追っている

事になる。


枕崎・指宿。

薩摩半島の途中、長崎鼻という岬には

浦島太郎伝承の起こりとなった事柄があると

言われており


旅と歴史の読本としては、それも取材対象である。


居眠りをしながら、新幹線「さくら」8号車12番Aシートで

輝彦はそんな事を考えた。


木質のシートバック、アームレスト。

豪華な織物のクッションはいかにも高級で

自動車で言えば、英国製の古い高級車のようだった。


快適な車内で、シートを傾けて

ゆったりと新幹線の旅を楽しむ、輝彦であった。

隣のシートに真智子がいればなぁ、と夢に思いつつ。





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鹿児島に着いたのは、13時40分。

新幹線ホームは、行き止まりで

まるで地方私鉄のように簡素な作りであることは、

輝彦はノスタルジーに浸らせてくれた。

それだけでも、ここに旅して良かったと彼は思う。


そのまま、宮崎方面へと鉄道が延びていきそうな

形態に、未来を感じたりもするが。


かつて、西鹿児島と呼ばれていたこの駅は

東京からのターミナルであったが

今もそれは変わらない、賑わいを見せる駅である。


到着した列車が、すぐに折り返し新大阪行きとなる。

慌ただしいようだが、それがターミナルである。



エスカレーターで一階に下ると、見覚えのあるような

在来線の景色に変わり、少し安堵する。


格別急ぐことのない旅なので、一度改札を出る事にする。

乗ってきた切符に、乗車記念スタンプを押してもらって

持ち帰る、そんな乗客もいるので

輝彦も、そうする事にした。


桜の花をあしらっている楽しい印章の穏やかさに

微笑みを覚えるような、いい演出である。


その列車に乗っている証明にもなる。


探偵っぽく、不在証明の種と考えた輝彦は

やや自嘲気味に、次の列車の発車時刻を見る。

14時12分。


30分ほど間がある。

その次は15時14分なので、駅前を散策してみたりもした。


地域特産の品などのイベントが賑々しく行われ

無料配布されていたりして、輝彦も

自然とその輪に入ってしまっていたりする。


穏やかな地域の人たちの笑顔に囲まれ

美味を楽しみつつ、旅の午後は過ぎて行く。


指宿ゆきの普通列車は満員に近かったが

それでも座席にゆとりはあるあたりが

ローカル線の良い所。


ボックス席を地域の女子高校生たちと共有しながら

列車に揺られていると、浦島太郎伝説の事や

池田湖の恐竜伝承の話、なども

それとなく取材されてしまった。


70歳代くらいだろうか、品の良い

農婦らしい方が「指宿のたまて箱」と言う列車が

それで出来た事、とてもステキなの、と

にこにこされていたりした事に、ちょっと感銘を受ける彼でもあった。



その、素直さと穏やかさ、少女のような感性に。


老若を問わず、感銘を受ける輝彦である(笑)



「どのあたりに素敵さをお感じになりますか」と

輝彦は、その貴婦人にインタビュー。


ソフトな甘いマスクの輝彦は、どこでも、誰にでも

好まれるようで、婦人もやや気恥ずかしそうに


たまて箱の煙、が出るところ、と

本当は淋しいお話の、浦島太郎の伝承を

楽しく見せてくれるところ、などを素敵だと

婦人は述べ、輝彦は頷く。


確かにそうだと思う。夢のように楽しいひとときに

浸りすぎた浦島太郎が

現実に戻る時、代償として若さを奪われた。


人生もそうかもしれない。

享楽的に過ごしていると、いつか代償を払わされる。

それを怖れ、忌避して自殺したりする人もいる...



輝彦は、ふと

関東電力会長変死事件を類推したのは

探偵としての天分かもしれなかった。


長きに渡り、利権を欲しいままにしていた

日本の電力会社代表。

地震がきっかけで、全てを奪われた。


そう、彼も「浦島」ではなかったのだろうか。

だとすると、自殺の可能性も...などと考えに耽っていたのは

ほんの一瞬だったが。


婦人が、輝彦の様子を伺ったので

彼は、愛想笑いで繕った。

すみません、ちょっとぼんやりしていました、と。




列車は指宿に着く。

閑散とした海辺の駅で、周囲には低層な建物ばかり。

見晴らしの良い風景は、長閑で

東京住まいの輝彦は、南房総、千倉あたりを連想していた。


駅前には無料のあし湯があり、熱海駅のようだと彼が思うその通りに豊富に湯が流れていた。

東洋のハワイ、とポスターが貼られているように

なるほどおおらかな保養地だと

ルポルタージュの題名のような事を類推しながら


足湯に浸かってみると、思いの外熱く透明な湯に

少し驚いた彼である。


....そういえば、真智子さんはどこに旅したのだろう。


阿蘇だろうか、由布院だろうか。


ゆとりのある雰囲気からすると、そんな高級リゾートだろうかとも思う。


夜行列車で行くあたりだと、意外に長崎あたりかもしれない。



飛行機で行ってしまわない理由がよく分からなかったが。




「深見さん」



爽やかな声に顔を上げると、清楚な服装を纏った

真智子が微笑んでいた。


驚いた輝彦は、深い足湯に転落しそうになり

真智子は楽しそうに笑った。


そう、指宿に足湯は入浴できそうに広いので

滑ると落ちそうになり、時々子供が落ちたりする(笑)



その、真智子の笑顔に輝彦も和み、「びっくりしたなぁ、もう」と古いギャグを言ったが


真智子は知らない様子だった(笑)









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旅先での再会、偶然なそれは

嬉しい驚きであった。

東京で昨夜、出会った時は

どこか憂いを含み、緊張の面持ちであった彼女も

ここ指宿では、旅先のせいか

解放された表情。

そのほうがずっといいと輝彦は思った。でも

それを言葉にするには、ちょっと躊躇いを感じている

彼でもあった。


海岸沿いにあるリゾートホテルに泊まるという彼女は

駅前からタクシーで。


輝彦もそこに行きたかったが、取材の都合で

魚見岳沿いにある公共の宿を予約していたので

とりあえず、宿の送迎バスに乗って

別れ別れ(笑)。


彼を躊躇わせていたのは、そう、なんとなくの勘である。

それも、天性のものかもしれない。



海沿いのリゾート、しかし秋なので

人の雰囲気も少なく、保養地としては相応しいかと

ルポルタージュしようか、な。


そう若々しく輝彦は思う。



クルマの数も少ない海岸通を、バスは風を巻き

沿道のフェニックスは海風に靡く。


爽やかな風景は、些細な悩みなどは消し去ってしまうかのような

おおらかな魅力を以て、旅人を迎えてくれそうだった。



バスは、5分程で宿に到着。

鄙びたリゾートは、まさにハワイのようであり

フロントマンから皆、アロハで出迎え

白い建物は風に晒されて、いい風情。



ジョージ・ベンソンあたりが滞在していそうなムード(笑)だと

輝彦は思う、風の吹き抜けるロビーでチェック・イン。



そうそう、海辺で兄さんと砂風呂に入ったっけな、と

輝彦は過日を振り返る。


あの時はいわさきホテルだったろうか。


回想しつつ、ロビーの大型テレビを見ると....


-関東電力社長 清水正恒氏 死亡-


と、臨時ニュースの字幕が出、輝彦の心に波紋を投げた。



...偶然か?


昨夜は会長、今度は社長。


原発事故以降、批判の多かった彼ら。

特に清水は、退職金を7億も貰うと言う事で

激しい批判を受けていたので


警察は彼らの身の安全に配慮していた筈。

他殺の可能性は低い...と

輝彦は、探偵っぽく類推をした。






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でもすぐに、南国の風と波の音は

輝彦の心を解放する。


砂蒸し風呂に、いつかのように蒸されて

紺碧の天然温泉に浸れば、気分は天国だ。


素晴らしい立地と豪華な建物、それはやはり

日本が豊かだった頃の遺産だなと彼は回想し


そういえば、いわさきホテルも旧財閥系、ここは

公共の宿。


どちらも、国に関連するからこそ

出来たとも思える。



でも今、急速にそのような構造が壊れて行っている。

それは、利権構造のような不正なものから

得た利益を、一部の人たちが隠匿し

海外へと流出してしまう為に、日本国内に

資金が潤沢に得られないから、などと

不慣れな言葉で輝彦は、理由を考えた。


それで、電力利権が崩壊したから。

二人が抹殺されたのだろうか?でも、何で。



多数、隠蔽された不祥事はあるにせよ。

殺される程の事はない、と思う。


過去に、関東電力絡みで人が死んだりしただろうか。



温泉に浸かりながら、輝彦は考える。

波打ち際の露天風呂なので、のぼせることもない。



風吹き抜けて。心地よい。



風?



...そうだ。



時効寸前の、事件。



かなり前、関東電力の女性幹部が変死した事件があり

冤罪で、外国人が釈放された。

捜査に不審な点が多かった。

それが。


あの、会長の直属の部下だった。


そして、何故か電力利権が崩壊を見せ始めた直後に


冤罪が確定されて、再捜査が決定された。



....まさか、隠蔽.....?



兄さんなら、事実を知っているだろうけれど

話してはくれないだろう。




例に依って、仕事より好きな探偵の虫(笑)。


輝彦は、類推を始めた。






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関東電力会長は、その女性幹部の直属の上司で

地震前までは強大な利権であった原発の推進者。

女性幹部は、不幸にも彼女の父親譲りの

反原発派で、学会に論文まで提出するような人。


そこで、何が有ったかは謎だが

この女性幹部は、当然出世の道は絶たれる。

理不尽だが、そういう会社も多い。

上司の好みでないと言うだけの理由で

正しく評価されない事もよくある。



輝彦も、フリーに落ち着くまでは

そういう経験をした事もあったので

実感を以て類推できる。


そして、女性幹部はある時変死するのだが

事件当時は、外国人が犯人とされた。


しかし、なぜか

電力利権が衰えた昨今、再審され、冤罪。

不自然だが、新しい証拠として

事件現場の遺留品から別人の遺伝子情報が発見されたため、と言われる。が。


今までどうして証拠にならなかったのだろう。



それと、今回の会長変死。


警戒されていた会長の身辺に、殺人犯人が近づいていく、とは考えにくい。



社長の件も同様だ。



自殺するとは考えにくいが、警戒態勢の中

殺害されるというのも....




うーん、わからないな。

輝彦は唸る。



近親者?



ふと、思いつくのは


同じ苗字の真智子だった。



...しかし。



会長の死亡推定時刻、輝彦と一緒の

サンライズエクスプレスに乗っていた筈だ。


社長の件も同様。




それに安堵する輝彦、やっぱり

思い過ごしでよかったと胸をなで下ろす。



..明日、どこかで出会うといいなぁ。



事件に無関係だと推理し、暢気に構える彼だった。





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...でもなぁ(笑)


そこまで妄想(笑)して、輝彦は苦笑した。


だいたい、真智子と会長が近親者だと言う証拠はない


それに動機もないから、輝彦自身がそんな類推をする理由は

真智子に、心惹かれる自分の

被害的妄想、でしかない。



心理とは面白いもので、身近な人の

不幸を想像し、そうでない事で安堵したりする。


防御的な感覚と言うか、言い換えればそれは

愛あれば故の事、であろうか。



どうでもいい他人を心配する人は、いない。


その事に、恋、を追認せざるを得ない輝彦は

考えを打ち切り、眠る事にした。



明日は、開聞から長崎鼻、池田湖へと

取材の予定なのだ。



波打ち際に寄せては返す、渚の調べに誘われて

彼は、ゆっくりと眠った。






翌朝。

少し遅く起きた輝彦は;ゆっくりと朝食を取り

窓辺に来たカモメに、竹輪などを分けてあげたりして

のんびりと過ごした。


宿の前から、鹿児島交通の路線バスが

長崎鼻、開聞、池田湖方面へ直通すると聞き

便乗する事にした。


宿のサービスで、連泊コース客は

一日フリー乗車券がもらえる、との事で

早速それを頂いてきた。


本来千円の券で、こんなにサービスして貰っていいのか?と驚く彼だった。


これで、乙姫様が居れば

本当に竜宮城....


と、空想したが。


後で玉手箱が出てくると、おじいさんになってしまう(笑)



それを、今日は取材するのだし。



リゾート気分で取材を忘れそうな輝彦を乗せて

バスは、駅前へ。


鄙びた木造、時刻表は手書き。

なつかしい国鉄の駅のような鹿児島交通の

指宿営業所は、JR指宿駅前。


そこから、海岸線沿いを走り

バスは病院、市役所、図書館、警察署と

コミュニティバスのように市内を巡る。


いわさきホテル前も通過したが、朝10時前とあって

乗る人はおらず。



真智子の姿も見えなかった。


すこしがっかりの輝彦だったが、たまには

そんな旅もいい。



長閑な海沿いに、フェリー乗り場があったり

単線の指宿枕崎線が、細いレールを光らせている

トンネルがあったり。


一時間程走ると、長崎鼻。

浦島太郎伝説の場所、とされているが

人も少なく、アメリカ人らしき旅客が

数人降りた程度。


玉手箱を開けた海岸は、絵のような白砂青松の

淋しい入り江だった。


宴のあと、それに相応しい。



輝彦は、センチメンタル・ジャーニーのような感慨に

襲われた。


何故かは分からないが、それは予感、だったのかもしれない。



開聞岳は、三角の鬱蒼とした山で

麓の無人駅で、バスは転換し

池田湖方面へと向かう。


荒涼、と言うような

大規模な農地は、今は収穫の後で

大地の色をそのまま見せており


その中を、30分程走ると


坂道になり、森をくぐって


広大な、海のような湖の畔に辿りつく。



恐竜伝承のある、池田湖であるが


なにやら、静かな湖面が波打ち

辺りは騒がしい。


湖畔にパトロールカーの赤灯火。



停留所で降車し、輝彦は何気なく

現場を伺う。



湖面に、ブルーシート。



鑑識の警察官が、引き寄せている物体は

見覚えのある、クリーム色のワンピースを纏った

真智子らしき浮遊物であった....。



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流石に、輝彦は探偵だが

驚きの表情は隠せなかったと見え



「あんた、仏さんの知り合い?」



地元の刑事らしい、人の良さそうな短髪の

壮年の、よれよれスーツに呼び止められた。


輝彦は、いえ、とかぶりを振り

「東京駅から、旅の道連れになっただけです」



そういうと、刑事は「ちょっと、話聞かせてもらえます?」



湖畔のパーキングにある、古いトヨタ・クラウンの

覆面パトカーらしき車両に誘われた。



ありのままを輝彦は話す。



すると刑事は「そう。あの人ね....一昨日死んだ

関東電力会長の、んー、孫にあたるのかな。」


戸籍の上では、年の離れた娘、になるのだと言う。


輝彦は、なんとなく理解した。

江戸時代の大名のような、そういう家系なのだろう。


東京駅の地下エレベーターで「父に教わりました」と言った

あの父、と言うのは勝俣会長の事だったのか。


もう70歳を越えている筈だろう。



それなら、何故、父親が急死したのに

平然と旅していたのだろう。


晴れやかにも見える表情で。



刑事は、呟くように。「その、死亡推定時刻にね、あんたは,,,ああ、そうか。彼女と一緒に電車の中、だね。」


彼女の所持品から、サンライズエクスプレスの切符が

出てきたのだ、と言う。


「車掌の検印があるから、まあ事件には無関係かな」



「事件?」


輝彦は問い返す。



刑事は、言いにくそうに「うん。」と

他殺の可能性を示唆した。



「あの会社、社長も...」と輝彦が言うと、刑事は頷き


「連続殺人の可能性もあるんで、失踪していた

仏さんの行方を探していたんだ。警視庁は。

身内で所在不明なのは、真智子さんだけだったからね。

...ところで、あんた誰?」


と、そこまで話しておいて、あんた誰?も無いものだが

輝彦は「あ、わたくし、申し遅れましたが

フリーライターの深見です」


名刺を差し出す。人の良さそうな刑事は

名刺を見ながら「フリー?一応、身元確認させてもらうよ。」


と、携帯電話で輝彦の自宅へ。



「あー、もしもし。深見さんですか?お宅に輝彦さんって

おられますかな。はい、わしは警察。鹿児島県警。」


と、横柄に電話をする。折悪しく、たまたま在宅だったのは

輝彦の兄で、電話に出る。



「はい、深見。輝彦は、確かに家の者ですが何か?

どちら様ですかな?弟は、怪しいものではありませんからご心配なく。しっかり取り調べてください。」




そういわれて、鹿児島県警も不思議に(笑)


「取り調べ?そんな事は警察に任せといてね。しっかりとか、言われなくてもしますわい」と返すと


輝彦の兄は


「はい、お願いしますね、わたしも東京から見守っております故」



刑事は、その言葉をどう取ったか「あー、なんであんたが見守るの?」



兄は「私、東京の深見です」



鹿児島県警は、はてな?と首をかしげて電話を切った後



...東京の?....もしかして刑事局長!



電話を切った後なので、もう遅い(笑)



輝彦に、最敬礼する鹿児島県警であった(笑)






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輝彦が警察関係者(笑?)と分かって

刑事は、本音を漏らし始めた。


「正直、こんな所に来て死ななくてもと思うのです。

東京の事件ならそっちで結末をつけてくれないと。」



輝彦は、実直なその刑事に、推理を話した。



「関東電力女性幹部殺害事件と、関連があるんじゃないかと思うんです。」



刑事は、朴訥としているようで

そういう話題になると、機敏に反応した。


「わしも、あれは何となく胡散臭いと思ったんだ。

今、関東電力が金蔓に成らなくなったから、再審なんてな。」




輝彦は、納得した。

現場の刑事は、やっぱり正義感の持ち主なんだ。

でも、そうすると、誰が、何の為に?今

会長を殺す必要があるんだろう。


真相隠蔽の為、だろうか。


「会長・社長の遺体から遺伝子情報が得られれば

はっきりするでしょうけれど。」と、輝彦は続ける。


「どちらかが過去の事件に関わりがあって、それを隠蔽していた。関東電力には警察からも天下りが

多数でているし。」



刑事は、その輝彦の言葉に頷く。


「それで、冤罪や隠蔽があってはいかんですなぁ。それと

今度の仏さんと、どういう関係が?」




そう問われて、輝彦は

「そこまではわからないですけど、もし

過去の事件に、会長が関わっていた事を真智子さんが知っていたとすると許さないでしょうね。

殺しはしないとは思いますけど。

でも、父が死んだと言うのに晴れやかに旅行している

と言うのは、やっぱり...父親との間に情がないような。」




刑事は、そうですなあと頷き「旅行なら、わざわざ汽車で

鹿児島まで来んでも、飛行機で一時間ですからなぁ。」




輝彦は、認めがたい帰結になる事を

心の中で拒んでいた。



それは、アリバイ工作の為に

真智子はサンライズエクスプレスをつかったのではないか、と言う推理だった。



21時47分、出発の13分前にサンライズエクスプレスは

東京駅9番ホームに着く。


出発前に検札される事を予め知っていて

検札が済んだ切符を持って、出発前に列車を降り

人目に付かないようにエレベーターで地下に降りても

車掌も気づきはしない。


犯行に及んで、翌日

飛行機で枕崎空港に来れば、アリバイにはなる。


でも。



その場合でも、清水社長を殺すのは不可能だし


動機が分からない。


父親を、過去の事件くらいで殺すなら

とっくに殺しているはずだ。



それに、仕事を辞めている事も気になる。



何か、大きな理由があるはずだ.....。



考え込んでいる輝彦に、刑事は


「あ、もう結構。刑事局長の弟さんを疑う訳にも行きませんし」



ああ、いえいえ、と

輝彦は、古ぼけたトヨタ・クラウンのドアを開けて


外に出た。


刑事と電話番号を交換し、バス停に向かった。

11時6分の指宿駅行きが、そろそろ来る。



視界の隅では、現場検証が

まだ続いていた。







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「あ、兄さんですか、輝彦です」


バスを指宿駅前で降り、輝彦は家に電話し

経緯を伝える。


当然のように叱責されるが、今回は不可抗力だ。


たまたま、巻き込まれただけなのだから。



兄に、尋ねたかったのは

過去の事件とのつながり。


会長の遺伝子情報が、過去の

部下殺害現場に存在したか、と言う事。



兄は、お前の推理通りだ、と言った。


「その情報は、最近分かった事ではないんじゃないですか、兄さん。」




兄は黙っている、刑事局長と言う立場上言えない、と言う事だ。



事実隠蔽は、おそらく当時からあったのだろう。


司法に圧力を掛ける程の、存在。



それは、法治国家にあってはならない事だ。



それは別にして、なぜ、その女性幹部は

殺される理由があったのだろう?



その捜査は困難だが、時系列を遡り

真実に到達するしかない。


被疑者死亡というのは、明らかに

何者かによる隠蔽工作だろう。


「それで、会長と社長の死因はなんだったのですか?」と

輝彦が尋ねる。それには兄も応える。


「毒物中毒死だ」と。


急性のもので、恐らくは服毒自殺か

あるいは飲食物への混入によるもの、だそうで


毒物はそれぞれ異なる物質だ、との鑑識結果であった。


二人とも、自宅で死んでおり

家族も気づかなかった、との事。




密室殺人か......。輝彦は唸る。



会長の場合は、真智子犯人仮説も成立する。

ただ、動機に乏しいにせよ。


社長は、犯人は別。




うーん....つながらないな。


電話を切り、裏通りのスーパーマーケット「タイヨー」で

昼食を買う。


鹿児島信用金庫のATMで現金を下ろした。



駅前まで徒歩で戻り、足湯の前にたどりつく。


つい、昨日。

そこに真智子がいた。



今は、もう。


どこにもいない。



その事に、寂しさを追認する輝彦であったが


足湯で温まっているうちに、癒される思いであった。



真智子が犯人、と決まった訳ではない。

他殺の可能性もあるのだ。



そうだ。鑑識の結果を聞いてみよう。


鹿児島県警の、あの刑事に

輝彦は電話を掛けた。





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真智子の死因は、溺死ではなく

毒物中毒死、であった。

致命的ではないが、胃癌の初期状態であり

恐らくは体内被爆の影響ではないか、との

検屍結果。



....癌。



若い人だと、進行も早い。

それに気づいて、会社を辞めて

贖罪の思いから、父を殺めたのだろうか。



輝彦は思う。


でも、それにしては旅を楽しんでいる様子だった。

殺人犯人の顔には思えない。



...だとすると、毒殺されて

湖へ投げ込まれたのだろうか。



いずれも、推理に過ぎない。



ただ、会長、社長も

毒物で殺されている。


犯人は、毒物に詳しい者で

彼らに、厳戒態勢でも容易に近づく事のできる人物だ。



社員か、家族か。




考え込んでいる輝彦の前に、魚見岳方面ゆきの

バスが来た。


12時36分。



鹿児島交通の路線バスに乗り、とりあえず休暇村に

戻る事にした。



取材は済んだが、まだ帰る気になれない。




ホテルに戻り、ロビーで冷たいコーヒーを飲んでいると

携帯電話の呼び出しメロディが鳴った。

ハイケンスのセレナーデ。


夜行列車のチャイムに使われている、メロディだが

以前、北海道に取材した時に聞いて以来のお気に入りだ。



電話の相手は、鹿児島県警のさっきの刑事。

名を、名古屋、と言った。


「あー、深見さん、わたし。あのねぇ、仏さんの親御さんが、あんたに会いたいっていうんだけど、どうする?」




何故?と思ったが


とりあえず、会っておくのも悪くないと思い

ホテルの場所を教えた。


名古屋刑事は

「ああ、そこね。飛行機で来たから。夕方には

そっちに行くだろうね、じゃあ。」




輝彦は、スピード感に驚く。

今朝、事件になったと言うのに

午後にはもう、鹿児島に着く。


そのくらい、速く移動が出来るのに

自分と真智子は、なぜ、偶然か必然か

夜行列車、サンライズエクスプレスで旅をしたのだろう。



自分は取材、真智子の意図は?


やはり、アリバイ工作だろうか。


それなら、なぜ死ななくてはならなかったのか。



分からない事だらけだ。




清水を殺した真犯人が、会長も、真智子も?



動機は?



これまでにない、謎の多さと

輝彦は感じていた。





-----------------

sent from W-ZERO3312号室は、海沿いの部屋。

錦江湾に沿って、東から日が昇るところも

存分に楽しめる。


のんびりと昼寝をしていた輝彦は

夕方、フロントからの電話で目覚めた。


来客、真智子の母親であろう。



高級リゾート風の廊下を静かに歩き、エレベータでロビーへ。


その婦人は、地味な服装の

真智子とどことなく雰囲気が似た人であった。


丁重に挨拶をされると、却って輝彦も恐縮してしまう。


会長の葬儀など、いろいろ大変なのではないかと思う

今、鹿児島まで来るのも、苦労だろう。


労いの言葉を掛けるにも、ロビーはあまりに静かすぎて

輝彦は、海岸沿いのデッキに出てみませんか、と。



午後の陽射しも和らいだ16時。


渚から、心地よい波のリズムが繰り返される。



「真智子が、ご迷惑をお掛けいたしました」と

婦人は、丁寧に頭を下げた。


いえいえ、こちらこそと

輝彦は、ぎこちなく。



「あの子は、何か心残りのような様子は無かったですか」と婦人は尋ねる。



しかし、輝彦もそれほど会話らしい事は

していなかったので「普通の旅人、と言う感じでした。」と

答えるに留まった。



「不幸な子、でした。」と、婦人は、渚に視線を向け


「生い立ちも、最後も。」



複雑な家庭環境、婚姻すら政略の一部。

過酷だった、と婦人は涙ぐむ。


「女の子でしょう。それなのに、東大を出て。

エンジニアになったりして。」


勉強に没頭する事で、家庭の事を

忘れたかったのでしょう、と。婦人は呟くように。



自動車メーカーの研究所に入り、日夜研究に

浸りきっていた、と言う。




それにも理由が多少あり、実は

政略に、真智子を利用しようとする動きから

我が身を守ろうと言う意図もあったのだ、と言う。


研究所と言うのは、門外不出の物も多くあるので

研究者は、望めばそこから出なくても生活が出来るような

そういう環境が用意されているので

それを護身に利用したのだ、と言う。


「真智子が17歳の時に、清水さんに嫁ぐと言う話が

起こったのです」

婦人は、遠きを思い出すが如く。


輝彦は、少し驚く。

未だ、そんな世界が残っているのだろうか、と。



「その頃から、清水さんは社長昇進確実、と言われていて。当時、勝俣は社長でしたから」



政略は別にして、娘の経済的安定を望む父親としては

それほど悪い選択でもない。


でも。


「真智子の、それは望むところではなかったのです。」


と、婦人は告げる。




それはそうだろう。逆算すると、清水は当時50歳近い筈。

ハイティーンのお嬢さんが嫁ぐには、あまりにも

夢がなさ過ぎる。


ごく、特殊な例を除いては。




「どういう訳か、清水さんは上役の勝俣に

そんな事を強要に近く、望むような人でした。」



輝彦は不審に思う。

普通、社長が部下に強要するなら、ある話だが....。



「それで、真智子は研究所に、駆け込み寺のように

逃亡したのです。」


うーん....と、輝彦は、考え込む。



その時期、丁度。

関東電力女性幹部が変死した頃である。


清水は、何か弱みを握って....。と、考えた。



その事を、婦人に尋ねる気にはなれない、フェミニストの

輝彦である。



その事は、兄さんが知っているに違いないから

別の方向を探ろう、と輝彦は決意する。



婦人は、あ、ごめんなさい、と謝罪する。

初対面のあなたに、込み入った話をして。と。


輝彦は、ルポライターとしての天分か

人が、話をしやすい雰囲気を持っている。


それで、随分と取材の助けになった事もある。


「お嬢さんは、研究所をお辞めになったのですね」

と、輝彦が言うと、婦人は頷き



「はい、勤め先の、そちらで。

良い方と巡り会えて。結婚を望むようになったのです。

その頃でした。原発事故が起きたのは。」



どういう関連があるのか、輝彦には分からない。



婦人は続ける。

「それで、会長であった勝俣を守っていた物も、無くなりました。


そればかりか、今後についても怪しくなってきたのです。




なるほど。

輝彦は思う。


司法にも行政にも、立法にも影響をあたえる「力」。

その源が原子力にあった、とすると。


それが崩壊した、天災に基づく、人災。


それは、果たして策略だったのだろうか?



それが、今回の連続殺人事件に、どう関連するのだろう?



輝彦は、益々訳が分からなくなってきた。















-----------------

sent from W-ZERO3この人は、いったい何を言いにきたのだろうと

輝彦は一瞬思った。


でも、思い直す。


身内の死が続き、誰かに話したかったのだろう。


そう考えて、しばらく話を聞いてあげる事にした。


話は、尚も続く。



「清水さんは、また真智子を欲しいと言ってきたのです。」


前回は諦め、勝俣家の親類と婚姻したそうだ。

それも、どちらかと言うと真智子の身代わりのような形だったので

真智子は、随分と悩んだそうだ。


遠縁の者だったし、婚姻した本人が

さほど嫌でもなかった、と言う事で。



それで、真智子は恋人と結婚して

鹿児島に移住しようと考えていた、との事。



「それが、こんな事になってしまって....」

真智子の母は、言葉を詰まらせる。




何かがある。と、輝彦は思った。




「深見さんは名探偵だと伺っています。真智子の潔白を

証明して頂けたら、と....」





その言葉で、輝彦に会いに来た意図が分かったが

「それは、警察が捜査してくれていますから、大丈夫でしょう」と返した。すると、女性は




「いいえ、警察はあまり.....あの、事件の時も。」



と口走り、言葉を止めた。




あの事件?とは、何だろう。

関東電力女性幹部殺人事件の事だろうか。



他にも、何かあるのかもしれないが、多分

公権力を曲げるだけの力が、どこかにあったと

言う事だろう。



輝彦は、わかりました、と言った。



どうしていいか分からないが、

断る訳にも行かない、と思った。



正義感のようなもの、かもしれない。


兄にも、同じ血が流れている。





-----------------

sent from W-ZERO3しかし、兄は官僚だから

組織の長として、正義を曲げる事も

あるのだろう。だから、輝彦に

期待しているような所も多分にあるのだ。



輝彦は、その日の晩312号室で

波の音を聞きながら、そんな事を思いつつ

眠った。


翌日は、のんびりと起きて

駅まで、宿の送迎バスで送ってもらった。

いろいろな事があった取材だったが

少し、寄り道取材があるので、鹿児島から熊本を経由する

事になっている。


兄と連絡を取る。


真智子の恋人は、同じ研究所に

たまたま同席した客員研究員で

今は、別の研究所に居るという

フリーの人間だそうだ。


その事に、輝彦は好感を持った。

組織の中で、不満顔で居るより

余程良いと思う。



日本の組織は、古臭くて

閉塞状態にあると思う。


会社や、役所に限らない。学校や

自治会などもそうだ。


集団の中のひとり、ひとりの為の集団。


その構造を利用して私利私欲を満たそうとする者が

組織をダメにする。



有る意味では、関東電力の清水や勝俣も

そうだ、と言える。


組織に利用されて人生を翻弄された。

地味な家庭人で居れば、幸せで居られたものを

欲に囚われた結果、他の人間の欲に依って

利用され、消滅させられた。


欲。

本来は、生命として必要な食物を得る為の機能だが

それが、生命そのものを抹殺する。

奇妙な行動である。



だからこそ、正義が必要だ。




そんな事を輝彦は考えながら、指宿駅に降りたった。

何も変わらないように、足湯もそのまま駅前にある。


もう、この駅に降り立つ事もないだろうと思うと

ふと、旅愁を憶える。



駅には、あざやかな黄色のディーゼルカー「なのはな」が

楽しい旅へと誘っている。



...そう、何も考えなければ楽しい旅なのだ。


輝彦は、思い直して

旅を楽しもうと思った。



9時36分発、鹿児島中央ゆき快速「なのはな」。

のどかで愛らしい名称である。


何故にこんな長閑な場所を殺伐とした事件に巻き込んだのか、と

少し悲しくなった。


鹿児島県警の名古屋刑事のぼやきのように

東京で片づけてほしい、と思った。


改札に、周遊きっぷを差し出すと

ステンレスの、懐かしいような改札口で

若い駅員が、ありがとうございますと

暖かい笑顔で見送った。

鹿児島中央行きは1番線にご乗車ください、と。



コンクリートが風雨に晒された趣のあるホームを歩き

枕崎よりの3号車、海沿いのボックス席に座った。





-----------------

sent from W-ZERO指宿枕崎線は単線なので、途中駅で列車とすれ違う。


その列車には、特急「指宿のたまて箱」号もあった。

印象的なデザインの車両は、往路で

年輩のご婦人が、素敵な演出だと言った

その車両である。



駅で、乗降ドアが開くと

たまて箱のように煙が出るという

ほのぼのとした演出である。



浦島太郎伝説は、海難事故で漂流した漁師が

邪馬台国へ漂着して帰還したと言うような

伝承を元にしているなどとも考えられているそうだ。


邪馬台国は沖縄だ、と言う仮説に基づいており

実際、帰還した漁師は記憶を逸していて

一気に加齢が進んでいたような外観だったと言う。


本人確認も満足ではなかった時代である。

恐らくは、別人との誤認で

それが、玉手箱伝承のきっかけになったとも考えられている。


もし、そうだとすると

ずっと、本人は竜宮城で暮らし続けていたのかもしれない。



輝彦は空想した。

真智子、勝俣、清水。


彼らの何れかが別人だったら。



会長については遺伝子情報が鑑定されてはいる。


だが、その遺伝子情報は


過去の事件、女性幹部殺害現場にあったものと

死亡した会長、とされている人物のものが


一致したと言うだけで


それが、会長本人であるという確認は取れていない。


替え玉殺人の可能性もある。


清水についても同様である。



過去に、戸籍と遺伝子情報の照合がなされている訳では

ないから


あくまでも、「誰かが」それが本人だと言っているだけ、だ。

それに、警察にも圧力が掛かっているとなると

鑑識もあてにはならないし

資料そのものも、今の科学技術であれば

遺伝子捜査で、いくらでも偽装ができる。

iPS細胞の研究例などは好例である。


それがノーベル賞を受賞したのは、遺伝子情報を

変える事が出来、本人の如何なる部位の細胞も

作れるからである。





途方もない空想だが、そうすれば

被疑者死亡のまま、事件は解決するし


本物の彼らは、別人として

世間の批判を逃れ、ニースでもモナコでも

好きなところで悠々自適の生活が送れることだろう。



輝彦は、そんな空想をした。




列車は、特急なみのスピードで

鹿児島中央駅に到着した。


快速なのはな、目前には桜島が聳え

噴煙がたなびく鹿児島中央駅に定刻、10時26分着。




のんびりと荷物を持って降りる乗客のほとんどは観光客である。それは

この列車が途中駅にほとんど停車しない設定のため、である。



観光客輸送の為の列車、それだけ指宿枕崎線に

観光資源があると言う事のようだ。



すぐに新幹線に乗っても良かったが、少し放浪したかったので


改札を一旦出て、鹿児島市電にでも乗ろうかと

思っていた時、携帯電話が着信した。


「あー、わたし。鹿児島県警の。」名古屋警部である。


名古屋市警が日本に無くて良かったなと輝彦は思いつつ(笑)


電話を取ると、彼は輝彦の軽快な言葉に

「随分明るいねぇ、深見さん。こっちは困っててね。」



名古屋刑事は、輝彦が刑事局長の弟だと知っても

殊更態度を変えたりしない。


そういう所、好感である。



どう困ってるのですか、と尋ねると

「真智子さんのね、アリバイが怪しいと内の上司が言い出してね。」



彼女を犯人にしてしまえば、会長殺人はとりあえず片づく。


そんな捜査方針であろう。


刑事は、意外な言葉を述べた。

「そうすればね、過去の事件も問題なく片づくってさ。」



要するに、金銭問題である。


女性幹部殺害事件が冤罪であれば、国は非難される。




しかし、真犯人が死亡、実娘に殺されたとなると

怒りの矛先も緩むだろう。



更に。

原発事故賠償金が、国家賠償訴訟となった場合

みなし公務員としての関東電力社長、会長に


国は重過失、または故意による事故として

国家賠償法に基づく請求権を公使する。


そこで、本人死亡、実の娘も死亡となれば

相続権の残り半分を放棄させれば

国家財産となる。


当然、賠償額から見て

親族は相続を放棄するであろう。


そうすれば、負債も相続せずとも済むからである。


社長・会長の財産は、元々国のもの。電力利権の賜物なのだから

国が回収するのは当然。


そういう事で処理したいと言う事らしいと

当局の見解を内密に、と

鹿児島県警の名古屋刑事は示した。



輝彦は、怒りを覚えたが

冷静な彼は、そうですかと返し


「私は、真犯人を見つけるつもりです。」と言うと


そうだよな、そう思うよ、誰だって。


そう、諦めるように名古屋刑事は返答し、電話を切った。





それのどこに正義があるのだ。


輝彦は、真実を暴きたいと思った。



-----------------

sent from W-ZERO3

彼としては珍しく、感情の動きを自認した。

いつも冷静な筈であるのに。


気持ちを落ち着かせようと、駅のコンシェルジュで

市電の路線図を貰って、眺めた。


なんでもいいから、関係ない情報を脳に入れて

気分転換をしたかったのだ。


路線図によると、隣の鹿児島駅まで

市電は日豊本線と併走している。




改札を周遊きっぷで抜けて、日豊本線で行ってみる事にした。


九州島内は、5日間特急列車フリー乗車可能なので

取材にはとても便利である。


風が吹き抜ける日豊本線ホームには人影もなく


木のベンチで、輝彦は考える。




よく考えると、鹿児島県警の刑事の言う「上の見解」は

矛盾がある。



もし、国が関東電力社長・会長の財産を没収したかったら

偽装殺人をしなくても、賠償請求だけでいいはずだ。


本人が生きていても、である。


ただ、その場合彼らには債務が起こるので

全額払わなければならなくなる。




ただ、反訴訟を起こされるし、煩雑だ。



国家賠償法適用の妥当性を問われる。




しかし、これまで電力利権でもたれ合って来た仲間である。



いがみ合うとも考えにくい。





それならば、と



輝彦は、先程の空想に回帰した。



死んだ事にしてしまい、遺族が財産放棄すれば

債務は無くなる。



女性幹部殺害事件にしても、被疑者死亡で不起訴だろう。



それで、海外で暮らせば。




帰ってこなかった浦島太郎、のように。






輝彦は、兄に電話を掛けた。



「兄さん、輝彦です。ちょっと、調べて欲しいことがあります...」


輝彦は、兄に尋ねた。


関東電力会長・社長の遺伝子情報が

出生時よりの本人情報と一致するか、と


ここ数日、あるいは原発事故以降に

海外への永住を行った、彼らと同じ年回りの

風貌が似た人物の特定、である。




空想が、現実であるかもしれない。



何の根拠もないが、科学的な証拠も

偽装されていたら意味がなくなる。



後は、勘が頼りだ。






-----------------

sent from W-ZERO3指宿枕崎線は単線なので、途中駅で列車とすれ違う。


その列車には、特急「指宿のたまて箱」号もあった。

印象的なデザインの車両は、往路で

年輩のご婦人が、素敵な演出だと言った

その車両である。



駅で、乗降ドアが開くと

たまて箱のように煙が出るという

ほのぼのとした演出である。



浦島太郎伝説は、海難事故で漂流した漁師が

邪馬台国へ漂着して帰還したと言うような

伝承を元にしているなどとも考えられているそうだ。


邪馬台国は沖縄だ、と言う仮説に基づいており

実際、帰還した漁師は記憶を逸していて

一気に加齢が進んでいたような外観だったと言う。


本人確認も満足ではなかった時代である。

恐らくは、別人との誤認で

それが、玉手箱伝承のきっかけになったとも考えられている。


もし、そうだとすると

ずっと、本人は竜宮城で暮らし続けていたのかもしれない。



輝彦は空想した。

真智子、勝俣、清水。


彼らの何れかが別人だったら。



会長については遺伝子情報が鑑定されてはいる。


だが、その遺伝子情報は


過去の事件、女性幹部殺害現場にあったものと

死亡した会長、とされている人物のものが


一致したと言うだけで


それが、会長本人であるという確認は取れていない。


替え玉殺人の可能性もある。


清水についても同様である。



過去に、戸籍と遺伝子情報の照合がなされている訳では

ないから


あくまでも、「誰かが」それが本人だと言っているだけ、だ。

それに、警察にも圧力が掛かっているとなると

鑑識もあてにはならないし

資料そのものも、今の科学技術であれば

遺伝子捜査で、いくらでも偽装ができる。

iPS細胞の研究例などは好例である。


それがノーベル賞を受賞したのは、遺伝子情報を

変える事が出来、本人の如何なる部位の細胞も

作れるからである。





途方もない空想だが、そうすれば

被疑者死亡のまま、事件は解決するし


本物の彼らは、別人として

世間の批判を逃れ、ニースでもモナコでも

好きなところで悠々自適の生活が送れることだろう。



輝彦は、そんな空想をした。




列車は、特急なみのスピードで

鹿児島中央駅に到着した。


快速なのはな、目前には桜島が聳え

噴煙がたなびく鹿児島中央駅に定刻、10時26分着。




のんびりと荷物を持って降りる乗客のほとんどは観光客である。それは

この列車が途中駅にほとんど停車しない設定のため、である。



観光客輸送の為の列車、それだけ指宿枕崎線に

観光資源があると言う事のようだ。



すぐに新幹線に乗っても良かったが、少し放浪したかったので


改札を一旦出て、鹿児島市電にでも乗ろうかと

思っていた時、携帯電話が着信した。


「あー、わたし。鹿児島県警の。」名古屋警部である。


名古屋市警が日本に無くて良かったなと輝彦は思いつつ(笑)


電話を取ると、彼は輝彦の軽快な言葉に

「随分明るいねぇ、深見さん。こっちは困っててね。」



名古屋刑事は、輝彦が刑事局長の弟だと知っても

殊更態度を変えたりしない。


そういう所、好感である。



どう困ってるのですか、と尋ねると

「真智子さんのね、アリバイが怪しいと内の上司が言い出してね。」



彼女を犯人にしてしまえば、会長殺人はとりあえず片づく。


そんな捜査方針であろう。


刑事は、意外な言葉を述べた。

「そうすればね、過去の事件も問題なく片づくってさ。」



要するに、金銭問題である。


女性幹部殺害事件が冤罪であれば、国は非難される。




しかし、真犯人が死亡、実娘に殺されたとなると

怒りの矛先も緩むだろう。



更に。

原発事故賠償金が、国家賠償訴訟となった場合

みなし公務員としての関東電力社長、会長に


国は重過失、または故意による事故として

国家賠償法に基づく請求権を公使する。


そこで、本人死亡、実の娘も死亡となれば

相続権の残り半分を放棄させれば

国家財産となる。


当然、賠償額から見て

親族は相続を放棄するであろう。


そうすれば、負債も相続せずとも済むからである。


社長・会長の財産は、元々国のもの。電力利権の賜物なのだから

国が回収するのは当然。


そういう事で処理したいと言う事らしいと

当局の見解を内密に、と

鹿児島県警の名古屋刑事は示した。



輝彦は、怒りを覚えたが

冷静な彼は、そうですかと返し


「私は、真犯人を見つけるつもりです。」と言うと


そうだよな、そう思うよ、誰だって。


そう、諦めるように名古屋刑事は返答し、電話を切った。





それのどこに正義があるのだ。


輝彦は、真実を暴きたいと思った。



-----------------

sent from W-ZERO3電車は、黒のデザインで

風のようにやってきた。


平日の午前らしく、がら空きで

秋10月、冷房が効いている事が有り難い

南の国である。


後ろの車両の、山側の座席に輝彦は掛ける。

シートは、座面が固定され

背もたれがスイングして進行方向に向けて変えられる

自在なアレンジ可能な、面白い構造のものだ。



ふたり掛けならロマンスシートにも、4人ならボックスにもなるので

乗客はそれぞれに楽しんでいるようだ。




ふと、輝彦は真智子の母の言葉を思い出していた。


「真智子の潔白を証明して下さい。」との言葉。


夫の事ではなく、である。

そういうものかもしれないが、真智子の死は

思いがけない事で、それ以外は予定の事実だったのではないか、などと思ってしまう。



それで、夫の葬儀を放置して

鹿児島にやってきた。



と、考える事も不自然ではない。



全ては仮説、東京の調査で

明らかになる筈だ。




過去の、女性幹部殺人事件への

彼らの関与度合いによっても、推理は変わってくる。


もし、本当に会長が、当時の部下の殺害現場に

遺留品を残しているとすれば

実行犯の可能性もある。



清水は、それを知り

取引の代償として、真智子を要求したなどとも考えられる。



今回、再度要求してきた理由は不明だが

それは、この事件との関与如何で

推論が異なるはず....。


列車は、発車時刻を得て

静かに、力強く走り出した。


電車の走行感も、久しぶりの感じがするのは

指宿枕崎線は、ディーゼルカーだったからである。



鹿児島駅まで、僅か数分。

山間を抜け、海辺に至る

観光地のような路線だが、都会だ。






-----------------

sent from W-ZERO3鹿児島駅は、貨物駅のように

人影もなく。


西鹿児島駅が、終点になっているので

今では、そちらが鹿児島中央駅と改名し

鹿児島駅は、簡素な

貨物駅の様相である。

港にほど近いが、現在では海運から陸運への移送、

自動車輸送が主であるために


鉄道の駅は静かで、そこが却って旅人としては

好ましいと輝彦は思う。



時代と共に、主役も変わる。


原発利権もそうかもしれない。

地震が起きなければ、未だそれは主役であって


事件も起こらずに済んだのかもしれない。



女性幹部殺人事件は、反対に


恐らくは、原発利権を守る為に起こされたのであろう。

反原発活動を、原発利権の直中にある場所で

行った為の悲劇であるのかも、しれない。


それにしても殺害までする必然は無かった筈である。


電力会社の沽券に関わる、その程度の事ならば

解雇すればいいのだ。




推理はしても、事件の犯人に近づく訳でもなく

却って、不明瞭な、大掛かりな組織犯罪の様相である。




兄さんは、どう考えているのだろう。

おそらく、真相の全容は知らされていないに相違ない。





駅前には、路面電車の終点がある。

車止めが錆び付いていた。



人が、3人死んだ。


いや、過去を含めると多数だ。


原発事故の犠牲者も含めると。



そこまでしての利権とは、いったいなんの為の

物だろう。


少なくとも、多くの国民の為ではなさそうだ。





兄からの連絡は、すぐには来そうにない。


情報量としても膨大であるからである。




駅前を少し歩き、波止場を見回したが


昭和の雰囲気が色濃く残る街並みを見ながら

どこか焦燥感を覚える輝彦である。



-----------------

sent from W-ZERO311時46分の鹿児島中央ゆきは、混んでいたが

若い人たちは皆明るく、楽しげに席を

お年寄りや旅人に譲っている。


ひとりの若者と会話をした。彼は、

医療と福祉を学び、それを仕事にしたいと

柔らかな表情。


お年寄りに、自然に席を譲っている。



誰もが、優しい。





輝彦はそう思う。同時に、この人たちに負債を背負わせて

富を得ようとする人がいるなら、それは悪だろうと思う。



利権と言われるものは大抵そうである。

どんなものでも、創始者は世の中の為に尽力するのに

後に続く者が、それを私利私欲の為に悪用する。



制度を窃用させてはいけない、と思う。

自分に何ができるだろうと自問するが、とりあえず

今は、真相を暴く事だと決意した。



鹿児島中央駅に戻った所で、兄から着信があったので

返信する。


やはり、清水・勝俣の遺伝子情報は

出生時のものと照合は、出来ていないそうだ。

年代的に無理かもしれない、との事。




つまり、替え玉殺人の可能性も否めない。



原発事故後に海外に移住したものは非常に多く、

電力関係者だけでも相当数に上る、との事。


その中に、本物の彼らが居るか否かは分からないし

それがもし、国の意図ならば

実行犯とも言えない。



それだけでも責任を問えそうなものだと輝彦は思った。







-----------------

sent from W-ZERO3鹿児島中央発、博多行き

新幹線さくら号は、1300の発車。


予約していたのは1336分だったが、戻ってきてしまったので


予約を変更、自動券売機で指定席券を買った。

全部、携帯電話から出来るので便利である。


少し休もうか、と

駅ビルにあるカフェー、シアトルでアイスコーヒーを楽しんだ。



新しい駅は、清潔で心地良い。


眼下にはバスロータリーがあるが

大都市とは異なり、観光バスが時間待ちに駐車している。



思えば、九州新幹線が全線開業したのは

あの、3月11日だった。


不運なスタートだったが、今ではそれを思い出す者も少ない。


そう、輝彦ですらこの事件に関わるまでは

気に留める事も少なかった。



人の記憶とはそんなものだ。

嫌な事ばかり覚えていると、心を病んでしまう。

と言うより、心を病んでいるから

嫌なことばかり思い出すのだ。



人間は、忘れるように出来ている。


だが、もし。



彼らが存命で、別人として

罪の意識もなく暮らしていくとしても


この事件を忘れ去る事が出来るのだろうか?



否。



実の娘が死して、忘れる親は居ないであろう。



もし、生きているなら。



輝彦は、名古屋刑事に連絡を取った。


真智子の件が立件されたかどうか、を確かめたかった。



返答は、検討中、との事だったが


反対に、東京の捜査の内容を尋ねられてしまった。


どうやら、捜査情報の詳細は知らされていないらしい。



例えば隠蔽する場合には、その方が便利だろう。

輝彦は、ありのままを伝えた。


特に何かが変わるとも思えなかった。



一連の事件で、真智子の件だけは異質で

必然性のない死である。


輝彦の印象では、犯行前後の表情であったとは

思えず。


誰かが、何かの意図で真智子を殺したとしか

思えなかった。



他の二人と同様な毒物を用いた犯行である。



動機があるとすれば、父親の死に関連があるのだろう。


時間的に見て、清水の事件に関与してから

鹿児島に来るのは不可能だ。




鹿児島県警が、真智子を自殺として処理すれば

表向きはそれで事件は終わりである。



そうしたい意図を、警視庁から示されたとするなら


やはり組織犯罪だ。


女性幹部殺人事件の時と、同じである。





考えに耽る輝彦は、カフェを出

ビルの二階にある駅の改札から直接、新幹線ホームに。


頭端式ホームには九州新幹線「さくら」が

柔らかなフォルムで出発を待っていた。

白いボディ、赤い屋根。


工芸品のような雰囲気である。


車内に入ると、本物の木を使ったインテリアや

藺草、織物などの凝った作りに

しばし、癒される。


火曜日の午後、列車は空いており

ゆったりと旅ができそうだ。




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sent from W-ZERO3新幹線さくら号は、中国語と韓国語、英語のアナウンスが

録音で流され、賑やかな印象なのは


大陸に近い九州らしい。


かつては国策として、弾丸列車構想と言い

海底トンネルで韓国とつなぐ計画もあった。


今では、そんなものは無くて良かったと

思っている人が多いのではないか、と思う。


国策とはそんなものだ。そこに多くの矛盾が生じ

辻褄合わせを政治が行う。


公開できない事もあるのだ。




ふと、新幹線の車内に視線を移すと

シートを向かい合わせにして、中年の女性が

老夫婦とお弁当を食べていたりする。



嫁いだ娘と両親、いや

独身の女性のように見える。





輝彦は、真智子とその婚約者の事を思った。


彼については、捜査線の対象から何故か外されているのが

不思議だ。


警察も疑ってはいない。


鹿児島県警の名古屋刑事によれば、指宿には

来ていないと言うあたりが不審ではあるが。



所在が確認できていると言う事だろう。


それとも、真智子自殺説に固めたいので

外していると言う事だろうか。




秋と言うのに、陽射しの強い九州。

ブラインドを下ろそうとすると、それは

昔懐かしい鎧戸をイメージした木製のものだった。


凝った作りに感心する。



木の感触は、どこか落ち着きを誘う。





熊本までは一時間半、ゆっくりと過ごそう。



先程の親子も、落ち着いた様子だが


娘らしき人物は、切符を出して勘定を始めた。

割り勘なのか、親にねだっているのか。



親子と言うのは遠慮が無くていいものだと思う彼だが

自身は父が官僚であったためか、実感に乏しい。

ホームドラマの中にしか無いものなのではないかとも

思っていたりする。


そのような無意識からだろうか、傲慢なもの、不条理なもの。

そうしたものを是正する事に、どこか喜びを覚えるのは

父の自由を束縛してしまった、仕事、それも「国策」である。


この事件に関わる事は、無意識下のそうした

嫌悪感を払拭するような、心理的効果もあるのだろうと

輝彦自身も思っていた。


兄は、どう思っているのだろう。

父と同じ轍を踏み、似たような人生を歩んでいるが

逸脱した弟を、どこか羨ましげに見守っているような

そういう感じもある。



この事件を解決する事で、兄に迷惑が掛からなければ

いいのだが。



いつも母が言うように、兄の出世の妨げになりたくはない。


だが、持ち前の正義感は、隠せない。

それは、生まれついてのものであったのかもしれない。








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sent from W-ZERO3熊本駅からは、0番線ホームから

阿蘇方面行き列車が発着している。


今宵は南阿蘇に投宿の予定であるから

新幹線の高架ホームから、地平の0番線に乗り換える為

地下通路に降りる。


以前は跨線橋だったが、新幹線開通の為に

作り替えられた。


その際、文化財的な雰囲気の

煉瓦作り車庫も取り壊されてしまった事を

嘆く人も多かったが


変化はそういうものである。


去って行く事に寂しさを覚えるのは

自身の命に限りがある事を自認するからであろうか。


誰でもやがて老いて死する。


貴重な時間を、例えば自己顕示の為に浪費するのは

無駄だし浅ましい。


国策などと嘯いて私利私欲の為に奸計を用いるのも

実は、低俗だと輝彦は思う。



それは、全国民の統一した意志では無く

寧ろ極一部の者の為の行為だからである。



熊本発、肥後大津ゆき電車は

まだ新しい、赤い電車だった。


都会のような長いシートに、所在なげに座るのは

旅人としてはやや、雰囲気を欠く。

だが、それも地域の現実である。




熊本駅から高架線を走り、城を左手に

眼下に市電の線路を眺めつつ、スピードを上げて

坂道を登って行く。


加藤清正が拓いたと言われる広大な道と平行し

並木の中を電車は走る。



ふと、見上げれば

山の稜線に、風力発電のプロペラが

多数重なり合っていた。



思い返せば指宿にも地熱発電所があった。




国策などと言っていても、地域によっては

原発事故の起こる以前から、別の電力源を

開発している所もあるのだろう。



自由主義経済である。


ひとつの方式に拘る電源開発と言うのは、やはり

矛盾があるように彼は思った。



それ故、意見の異なる女性幹部を

殺害するような行為に及んでしまったのであろうか。

その、被害者の父親も

何故か死しており、意志を継いだ彼女は

女性幹部にまでなりながら、辱めを受けて

死している。


事件当時、犯人とされた外国人は

なぜか、電力利権が怪しくなった後

無罪とされた。


その、関東電力会長と娘が

謎の死を遂げ、更に社長までが死した。


怨恨説とも思えよう。


だが、それを装い


当人たちが免罪符を得ようとしているなら

それは、許される事ではない。



長閑な地方都市を旅しながら、彼はそう思う。






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sent from W-ZERO3肥後大津からは電車は走れないので

ディーゼルカーへの乗り換えをする。


エンジンの振動と音が、どこかなつかしい感じで

乗っていて楽しい列車である。


昔ながらの国鉄ふうの車両で

見た目は電車のようだが、煙は出るし

少し油の匂いもするあたりは

有機的で好ましい。


温もりを感じる、と言うと

文学的に過ぎるかもしれない。


けれど、人間も

そうした温もり、心の優しさを分かち合う事が

生きてゆく上で大切なのではないかと

輝彦は思った。


いろいろな事件を見ていると、それがあれば

平和だったのだろうと思う事が

随分ある。



既に、午後の陽射しから

夕刻に近づきつつある時刻ではあるが

九州は日暮れが遅いので

東の感覚からすると昼間のように感じられる。


白いディーゼルカーは、ドアをがらり、と空気圧で閉じ

ゆっくりと坂を登り始めた。


鋼鉄のボディーは重々しいが

それが却って重厚で、頼もしく感じられる。



左手に阿蘇山を望むあたりに来ると、そろそろ立野駅で


ここからは南阿蘇鉄道、かつての国鉄高森線の

転換路線、自治体出資の鉄道である。


元々、高森線は宮崎県の高千穂へと結ばれる筈だったが

トンネル工事で出水多量の為、断念したと言う経緯を持つ。


それは、原発以前の国策であった。


危険が無いあたりは原発より良いし

民間資本ではなかなか難しい鉄道敷設である。


しかし、採算の取れないような工事も進めてしまう傾向があるのは

公共事業につきもの、である。


その負債で、国鉄は民営化せざるを得なくなったが

現在、黒字を計上するまでに回復している。


つまり、多くの無駄がどこかに消えたと言う事だ。



それは電力利権と同じである。



列車が立野駅に着き、乗り換えは3分と言う

通勤電車並みのスムーズさで、レールバスは登山を始める。


ほとんど乗客は、熊本方面への通学客である。


ゆとりのある表情で、旅人に「どうぞ」と席を移譲する。


ボックス席に座り、山並みに鋸のような阿蘇の外輪山を

のんびりと眺めていながら、取材原稿の事などを考えていると


事件の事は忘れそうになる。


それが旅の良い所であろう。



終点、高森まで乗り通す通学客もあるが

熊本あたりまで通学するのは結構難儀であろうけれど

若さ故か、皆溌剌としているのは

環境の豊かさ所以だろうか。



高森から休暇村南阿蘇までは、町営のバスがあるのだが

16時36分。


高森温泉館、と言う隣接した場所へ行くバスが

16時12分に来たが、休暇村へは寄らないそうだ。

歩いて行けると運転手が言ったが、急ぐ事もないので

見送る。



駅前にある、蒸気機関車を眺めながら

兄に連絡を取った。




夕焼けが素晴らしい色合いの南阿蘇。


美に心を奪われつつ、捜査の進展を伺う。


名前は違うが、年格好が清水に似た人物は

原発事故の直後に数名、出国しており


勝俣に似た人物は、それより後、次の株主総会で

会長から退任する事が決まる前後に、やはり数名。



憶測だが、どれかが本物で、後は影武者である可能性も高い。


必要が無くなったから、霧散するように消した。

そう考える事もできる。



そして、関東電力が国有化されたし

利権を産む事がなくなったから.......。抹消した。



海外にまで捜査線を張るのは難しい。

事件になっていない以上、国際刑事警察も動かせない。



地道に、国内の事件を調査する他はなさそうだと

輝彦は思った。







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sent from W-ZERO317

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