第4話 ジュリオ・シンクレア
「アレニャ・ヴァイナルダム。食卓での様子を見れば、北部王族の中でお前がどういう立ち位置にいるかが分かる。奴らの前では、本来の実力も出せないだろう。それにお前がチェスを辞めた理由も容易に想像がついた」
夜中に寝室を訪れたジュリオ王子の望みは分かりやすいものだった。
手加減無しで、私とチェスをうつこと。
だから私は机の上に自前のチェス盤を置いて、ジュリオ王子ともう一度向かい合った。
「お前の部屋なら、家族の視線を感じることもない。この部屋にいるのは、俺とお前だけだ。先ほど見せたような下手な誤魔化しもいらない。チェスを打とう」
カミーラお姉さま、ごめんなさい。
だけど神に誓えと言われたら何も言えないんです。
こう見えて私、神様を信じているんです。だって自分自身が転生しているんだから、こんなのって神様の悪戯としか思えない。
「……チェックメイト」
ジュリオ王子はやっぱり強い、趣味程度でチェスをやっている人は相手にならないだろう。遠征中に北部の人間とチェスを打ったらしいけど、腕試しにもならなかったに違いない。それでも、私が相手であれば、こうなる。
「……チェックメイトです、ジュリオ王子」
広間とは正反対に、私の勝ち越しが続く。
だって、神に手加減をしないと誓わされたから。
「ッ……もう一度だ」
あの時と違うのはルール。
一手の持ち時間はたった10秒、つまり超速攻のチェス。
夜通し、私とチェスがしたい、それがジュリオ王子の望み。明かりの少ない私の部屋でも、ジュリオ王子がいるだけで華やかに見える。
既にシンクレアの次期国王と噂される理由も分かる、いるだけで場が華やぐ人、この人の存在感ってのはそれぐらい凄い。
「チェックメイト」
「有り得ない、俺の動きに間違いはなかった! もう一度だ!」
夢中で駒を並べ直すジュリオ王子は、私の知る王子とは別人だった。
「わからん。なぜそこで、ルークが活きる」
私の目の前で頭をひねってああでもない、こうでもないと喋るジュリオ王子の姿は年相応の人間に思える。むしろ、年齢よりも幼いような。
「それにクイーンだ。中央に張る、お前のクイーンが目障りでしょうがない」
確かジュリオ王子って非常に気難しくて、余計なことはしゃべらない。だから今日の晩餐会でも、誰もがジュリオ王子に気を遣っていた。
感情に支配されることのない公明正大な王子様。見てくれが良くて魔法も十分な才能を持っていて公平で感情にとらわれることもない理想的な王子様だ。
「チェックメイト」
「……キングを逃がしても無駄か。5手先で、詰んだな」
チェス盤を見ながら、考え込む中央の王子様。
「確かに俺はお前に手加減をするなと言った……言ったが夢でも見ているのか。それとも俺が熱でもひいているのか……」
だけど、私の前にいる王子の姿は私が知っているイメージとは全然違っていた。
まるで自分が夢の中にいるようだった、
空は真っ暗で目の前にいる人があの有名人だとは到底信じられない。
「アレニャ・ヴァイナルダム。もう一戦」
だけど、私たちの間にある実力差は圧倒的。
前世で私がチェスと向き合った時間は、ジュリオ王子のそれとは比較するも馬鹿らしい。私とジュリオ王子では、文字通り年期が違う。
だからこうなる。
「チェックメイト」
「負けたままで追われるか。もう一戦だ」
私がチェックメイトをするたびに王子様の素がどんどん現れる。
「チェックメイト」
「くそったれ……分かっている、俺の負けだ! もう一戦!」
意外に口も悪くて、あの王子様がこんな風に笑うなんて誰が信じるだろう。
それにジュリオ王子のチェス戦略は分かりやすい。
攻勢の姿勢はただの見せかけ。
この人の本質は守備にある。攻勢は、防壁を構築するための時間稼ぎ。
ただ、ジュリオ王子はチェス盤における防壁構築の本質をよく理解している。
一端、防塵が完成してしまえば、私だって崩すためには時間を要する。
でも、だ。
守備布陣が完成する前に攻めれば、ジュリオ王子のキングは逃げ惑うしかない。
言ってしまえばジュリオ王子のチェスは負けないためのもの。
細かな敗北も許し難い、そんなジュリオ王子の性格が色濃く反映されている。
「……何を笑っている」
「ジュリオ王子が、こんなに饒舌な方だとは知りませんでした」
「お前のような日陰者も、俺の噂を聞いていたか」
ジュリオ王子は足を組み、俯いたまま薄く笑う。
「シンクレアの王子は冗談の一つも言えない頭でっかちな人間。政治へは無口で黙っているが、戦場では誰よりも功績を残す。民衆は勝手に俺のことを理想の王子だとあげつらう。しかし、噂など噂に過ぎない。俺の存在を妬む他の兄弟から流されたものだが、都合が良かったから利用しただけだ」
再びジュリオ王子は駒を並べ始める。
「チェスと同じ。戦略だな」
「そんなこと、私に言ってもいいんですか……」
「お前も俺と同じだ。アレニャ・ヴァイナルダム。チェスを辞めた理由も、お前が望まれる自分で在るための戦略、違うのか」
「……」
時計の針がカチカチと音を立てていた。
私のクイーンがもう何度目かもわからないチェックを決める。
「……くそ!」
窓の外はいつしか白み始めている。
ジュリオ王子がどう思ってるか知らないけれど、この楽しい時間がいつまでも続いて欲しい。
だけど、それは叶わぬ夢。
お昼を迎えるよりも早くジュリオ王子は城を出る。
「チェックメイトです、ジュリオ王子。あの……そろそろメイドが私の部屋に来ます。私の部屋にジュリオ王子がいることを見つかったら問題に――」
「お前は何者だ、アレニャ・ヴァイナルダム」
ドキリとした。
値踏みするように、ジュリオ王子が私を見ていた。
いるだけで場が華やぐ人、だけどそれだけじゃなかった。
北部王族でありながら隠れ続けた私が持たない胆力を、ジュリオ王子は持っている。
だってすっと目を細められると、身体が射抜かれたみたいに縮こまる。
「……何者かとは。聞かれている意味が分かりません」
「自分を愚かに見せようとするのはやめろ。俺を愚かな北部王族と同列に扱うな。少なくともチェスで圧倒されたこの状況では馬鹿にされているようにしか思えない」
「……申し訳ありません」
夢中になってチェスを打つ子供みたいなジュリオ王子じゃない。
初めてジュリオ王子と出会った時、私を見ても何も思わない、あの私が知る無表情なジュリオ王子。
「チェス文化が進んでいるシンクレアですら、お前程の打ち手はいない。どこでこれだけの力を付けた。特にクイーンが圧倒的だ。俺はお前が使う戦略を知らない、聞いたことも考えたことも無かった」
「……それは……私にはジュリオ王子と違って時間だけはありますから……」
言えるわけない。
前世で、人生をかけてチェスに挑んでいたなんて。
「お前の立場が弱いことは知っている」
しかし、ジュリオ王子は口を堅く閉ざす私を見て、すぐに諦めたようだ。
「戦争とはかくも人の心を狂わすものだな。あの生真面目なハーランド国王が、戦時中とはいえ平民の妻を北部へ連れて帰るなど。娘が王家の中でどういう扱いを受けるか分からぬ男ではないだろうに――チェックメイト」
「ジュリオ王子、駒の形を見てください。もう王子は詰んでいます」
「…………油断も隙もない。もう一戦」
私のお父様、ハーランド・ヴァイナルダムは嘗ての戦争に参加し、大戦の中で子供をもうけた。北部に帰りを待つ家族がいながら、旅の途中で出会った平民の女を愛してしまったんだ。
それは今の私が考えても、家族に対する酷い裏切りだと思う。
父親への怒りは、そのまま立場の弱い私に返ってきた。どこの出自かも分からない平民との娘が急に現れて王族を名乗り出しているんだ。
誰だって良い気はしないだろう。
「チェスを子供の遊戯と言うものもいるが俺はそうは思わない。チェスは戦場の動きを極めて簡略に模した戦略遊戯だ。お前が戦場に出れば指揮官として功績を挙げることも可能だろう。だから俺は、朽ちるだけの才能を見るのは心が痛むのだ」
「私が戦場なんて……」
「ハーランド国王の血を引いているなら、お前にも魔法が受け継がれているだろう。これだけ頭が回るお前が戦場に立つ未来を一度でも考えなかったとは言わせないぞ。確かに戦場は男のものだ、しかし、歴史を見れば――」
考えたことがない、と言ったらウソになる。
私はお父様が亡くなった未来を見据えて、地下書庫で魔法を鍛え続けている。
いつか家を追い出されても生きていけるように、力を付けている。
お父様が死んだら、他国に逃亡しようとも思っている。
目的地は決めていない、ただ、お母さまの故郷を一度見てみたい。
「北部国家にやってきて、次にお前と打てる日がいつになるか。お前が王族でなければ、シンクレアに俺のチェス相手として連れて帰りたい程だ」
笑えないです、それ。
特にカミーラお姉さまに何て言われるかわからない。
今の言葉を聞かれたら、暗殺されたって可笑しくない。
「アレニャ・ヴァイナルダム。俺は、お前が北部の王族に生まれたことが悔しい。厳格な北部王族で無ければ、お前の立場はもっとましであっただろう」
それも知っている。
特に中央国家、ジュリオ王子の父親なんて子沢山だ。
誰が母親とも分からない子供が大勢いる。だからこそ、次期国王として正統な後継者扱いされているジュリオ王子の優秀さが際立っているんだ。
「あの、ジュリオ王子。そろそろ本当に時間が……」
「去る前に、お前に1つ聞きたいことがある。地下書庫の件と言えば、分かるか」
ドキリ。
「………………書庫に、入ったんですか」
「遠征中、粒ぞろいの古書が書庫に揃っていると間いていたのでな。嘗ての戦争でお前の父親、ハーランド・ヴァイナルダムの逸話を記した本に興味があった。我が父の活躍を記した書物は話を盛り過ぎて、真実が見えない。ただ、お前の父親は実直で愚直な男だ。真実を改竄することはないと考えた」
地下書里……ま、まずい。
あそこは私の秘密の練習場。
私以外は減多に立ち寄ることがない私だけの空間。
「書庫で、このように凍っている本の山を見つけた」
ジュリオ王子が懐から取り出したのは凍ったままの古書。内容はお父様、ハーランド・ヴァイナルダムが大活躍をした嘗ての戦争について記した禁書。
というか、ずっと服の中に隠していたんですか……。
「こいつを凍らすだけの力は、今の北部王族にはない。全盛期のバーランド国王なら可能だろうがな。となると書庫の主と呼ばれているらしいお前だ。俺たちが遠征から帰ってくるまでも、ずっとあそこに籠っていたんだろう?」
「……」
まずい、まずい。
「身構えるな。確かに異買な状態の古書が多く目に入ったか、俺はあの場所で何も見なかった。そういうことにしてやる。今日中にお前の魔法で、解凍しておけ」
最悪だ、私のミスだ。
書重で凍らせた古書の場は部屋から出る前に元の状態まで復元していた。
カミーラお姉さまが急にやってくることもあるし、いつ中を見られてもいいように細心の注意を払っている。だけど今日だけは違った。予想よりもすっと早くジュリオ王子たちが帰ってきて、細部まで気が回らなかった。
「俺はただ、口惜しいだけだ。アレニャ・ヴァイナルダム、お前が北部王族として生まれていなければ、未来は違っていたのかもしれない。古い価値観に縛られた兄姉に怯えて過ごす毎日に満足しているのなら何も言わないが」
「……」
「満足はしていないようで、安心した」
私だって夢見る子供じゃない。
他国の王子様に不満を吐き出したって、何も解決しない。
「王族としての価値は才能が血の尊さに勝ると考えている。才能は魔法や性格、知性を意味するが、その点については何が保証する。アレニャ・ヴァイナルタム、お前は合格だ。実際に魔法を見たことはないが、遠征で確認した北部王族よりも上だと確信している」
「……」
チェスに人生を張げた前世と比べても。
今の生活に満足しているとは到底、言えない。
だけど全ては生きるためだ。馬鹿な行いをすれば、痛いしっぺ返しに合う。
この世界の人間は、そういうことを平気でやる。
北部王族の汚点である私が目立てば、自分で自分の首を絞めることになる。
「俺が何と言おうが、お前は生き方を変えられない。しかし、きっかけぐらいは与えてやりたい。何、感謝はいらない。チェスの礼だ」
ジュリオ王子が再び凍った古書を服の中に収めて、ゆっくりと立ち上がる。
チェス盤からキングの駒を取り、敗北の記念だと言って王子は駒を胸ポケットに収めていく。私はジュリオ王子の背中を見つめて、立ち止まった。
「そういえばお前の姉についてだが……あれは凄まじい。魔物相手よりも辛い」
「……カミーラお姉さまは、たまに暴走しちゃう時がありますけど家族には基本、優しくて……慎ましくて素晴らしい女性……です……」
私はここでもお姉さま上げを止めなかった。
ジュリオ王子には悪いけど、お姉さまがジュリオ王子と結婚して、遠い国シンクレアに嫁いでくれたら私の立場も少しはましになるだろうから。
「……妹に使用人の格好をさせて、苛めていると聞いたが?」
そう言い残して、ジュリオ王子は扉を出て行った。
お姉さま、最悪の展開です。あなたの行い、ばれてます。
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