第1話 北部国家ヴァイナルダム
「アレニャ! アレニャはどこにいるの!」
お姉さまの声を聞くと、いつだって私はうんざりした気持ちになる…。
「アレニャはどこ!? 急いでいるの、誰か見ていないの!? 地下の書庫? あの子って、またどうして地下なんかにっ!」
階段を走り続ける音。
……はあ、今度はどんな嫌がらせを思いついたんだろう。
バタンと扉が開かれて、薄暗い書庫の中に一気に光が走った。
私はお姉さまが持つ燭台の炎に、目が眩んだ。
「アレニャ、あんたってば……ずっとこんな場所にいたの!? 今日が何の日か忘れたの? はあ、昔からどうしようもないところって一つも変わらないのね」
高級生地のドレスに身を包んだカミーラお姉さま。
北部女性特有の色白の肌に薄青の髪、スタイルの均整がとれたモデルみたいな人。だけど、ちゃんと出るとこは出てて、美容に余念がないお姉さま。
北部国家ヴァイナルダムに咲く一輪の花、なんて自称するお姉さまは目を吊り上げて、書庫の整理をしていた私を見つめる。
けれど私にだって言い分があるんだ。
「……カミーラお姉さま。アレニャはお姉さまから言われた通り書庫の整理を行っていましたけど……」
私がいるのはお城の地下にある書庫。
古めかしい書物が埃とともに並べられている。
書庫の大半を占める本棚には古めかしい歴史書が並んで、私はこの書庫を暇さえあれば整理するようにお姉さまから命令されていた。
お姉さまはこうやって時折、私が掃除をサボっていないか見に来るんだ。
誰がどう見たってイジメだ。
けれど、お姉さまはお家の中ではかなりの権力者。
「私、そんなこと言ったかしら? あんたの勘違いでしょ? 何、私のせいにするの?」
きょとんと惚けるカミーラお姉さま……この野郎。
「……私の聞き間違でした、申し訳ありません」
「そうよ、アレニャ。あんたは自発的に掃除していたんでしょ?」
「……」
だけど、今日は高慢ちきなお姉さまの様子がおかしい。
化粧がばっちりだし、服装だって気合が入っている。
まるで今からどこかの舞踏会に行くようだ。
「……はい、お姉さま」
私に書庫の整理を命じたのは、お姉さまなんだけど……。
勿論、私は口答えなんてしない。
王族に生まれてしまった可哀そうな女の子、それが私。
アレニャ・ヴァイナルダム。
父親は国王で、母親は平民。
何とも中途半端な立ち位置で生まれてしまった哀れな子は、王族の中では除け者扱い。いつの時代だって、下賤な血は嫌われるのだ。
唯一の後ろ盾であるハーランド国王、お父様が急逝でもしたら……。
平民の血が混ざってる私は正当な王族、特に私の存在を嫌っているカミーラお姉様に暗殺でもされるんじゃないかって、平民からは噂されているらしい。
……はあ。
お父様はどうして平民と結婚なんてしてしまったの。
私が生まれた時、お母さまが不安そうな顔をしていた理由、よく分かります。
「何ぼさっとしているのアレニャ、早く上に上がってきなさいって行ってるでしょ! この愚図! のろまね!」
「え、でも……」
「本当に鈍い子ね。今日がどれだけ大事な日か分かってないの? 貴方って記憶力も悪いの?」
「……大事な日、ですか?」
私が言うのもアレだけどお姉さまは、こうやってプンスカしてなければ相当な美人だ。王族の嗜みである魔法だって相当に使えるし、北部の社交界では華々しく活躍している。
北部では誰もが憧れるセンスの良いカミーラ姉さま。
だけどちょっとだけ性格が悪い。いや、ちょっとじゃないか……。
「中央の王子が四国巡りに来るのよ、ヴァイナルダムは最後なことが腹立たしいけど!」
「中央っていえば……」
「シンクレアのジュリオ王子に決まってるでしょ! 競い合いになるわ! 北部の雪解け時期を狙ってわざわざ来るんだから! 魔物討伐って聞いてるけど、嫁捜しの理由もあるわね……あの人、浮いた話を聞かないから」
何やら興奮していると思ったらあの人が来るからか。
我が家は、北部国家ヴァイナルダム。
非常に由緒正しい家柄、というか王族だけど上には上がいる、それが世の常だ。
「だけど、ジュリオ王子の到着は明日だって……」
「にっぶい子ね! こんな子と同じ血が少しっでも混じってるなんて、ぞっとしちゃうわ! いい、アレニャ。よく聞きなさい。ジュリオ王子が、もういらっしゃったのよ! いつまで、ほうきを持ってるの! 凍って、バラバラ!」
「わっ!」
書庫の整理に使うから、私に与えられていた小さな箒が氷漬けに。
慌てて手を離すと、カチカチに固まった氷の塊、元々は箒だったものが床の上で弾けて散った。
恐ろしいことに、この世界には魔法というものが存在する。
私が生まれた北部国家ヴァイナルダムが司る魔法は氷、そしてさっきお姉さまが唱えたバラバラという言葉。あれがお姉さまの力。
「ほら、ぼさっとしないでアレニャ、行くわよ! お父様から、家族全員集まるようにってお達しがあったの! でも、身の程を弁えなさい? 本来なら、王城に住まうことを許しているのも情けなのだから?」
ムカムカしてるのは、私を薄暗い書庫に押し込めて置きたかったからだろう。
お姉さまより先に結婚してもいけないしお姉さまより先に目立ってもいけない。
それが私。
平民の母親を持つ、王族の汚点アレニャ・ヴァイナルダム。
「い、痛いよ」
「早く準備をなさい。あんただって一応、王家なんだから! 誰も認めてないけど!」
お姉さまに腕を掴まれて、書庫を出る。そのまま階段を上って歩いた。
自分で言うのもなんだけど、私は外見には相当恵まれたと思う。
だけど容姿が役に立つのは貴族や平民のみ。
この世界に生を受けた王族に大事なのは外見ではなく、どれだけ尊い血を持っているかと言う事。その点で言うと私は非常に中途半端、むしろ呪われていると言って良いかもしれない。
なぜなら父親が国王だけど母親は平民。
「裕福で、お喋りが上手で、気が利いて……そんな私が北部の貴族と婚姻なんてぞっとするわ。何もない北部から逃げられるこの機会を逃すわけにはいかないんだから! 邪魔するんじゃないわよ、アレニャ」
お姉さまは今日は特に荒れている。
その理由を口に出したらとんでもないことになる。
お姉さまは適齢期だけどまだ結婚していないからなあ。
それに中央国家シンクレアのジュリオ王子と言えば、特大の優良物件。
「も、勿論です、ジュリオ王子は、お姉様にふさわしいと思います」
「当たり前でしょ!」
嘗ての戦争と呼ばれる大戦で大活躍した中央国家シンクレア。
ジュリオ王子は、先代国王の魔法をそのまま受け継いでいるって噂だ。
姉のカミーラお姉さまの目の色があんなに変わるわけだ。
地上へと繋がる階段を上って、廊下に出る。
底冷えする地下とは違って、暖かな空気に身が包まれる。
廊下では大勢の使用人が慌ただしく働いていた。
この様子じゃ、本当にジュリオ王子の予定は前倒しになったみたいだ。
「すぐに着替えて、広間に集合よ。王室の人間が掃除をしていたなんて知られたら、ヴァイナルダムの品位までさがるわ!」
こ、この人……。
書庫の整理を命令したのは貴方だろうに……。
「はい、お姉さま。急いで準備します」
だけどいちいち、反論しても仕方がない。
私は王族だけど、立場は王族の中で最の下の底辺だ。カミーラお姉さまに言わせれば、こうやって家族扱いしていることを感謝しろって話らしい。
「何よ……アレニャ 。何か言いたげな顔をしてるわね」
「そんなことありません、カミーラお姉さま。お姉さまはいつも正しいですから」
家族に噛み付けば、私は一巻の終わりだ。
息を吹けば、消し飛んでしまう立場の弱さ。
それが平民と国王の間に生まれてしまった私の立ち位置。
「いい? アレニャ、先に言っておくけど、主役は私。あんたは隅の方に隠れていなさいよね。北部王室の一人だなんて、思われたくないから」
「はい……お姉さま」
私の拠り所だった母親は既に病でこの世を去っていること。
噂好きな人たちは、私の母親は平民でありながら第二妃となったため、恨みを買って呪い殺されたなんて言っている。だけど、私は物心ついた時から母親の傍で、そういう連中から立場の弱い母親を守るために目を光らせていた。
「ちょっと待ちなさいアレニャ。もう一つ、言うことがあったわ」
「……」
母親の死に目にすらお父様は来てくれなかったけど、母親はお父様のことを恨んではいけないといつも言っていた。疑うことを知らない母親の最後の言葉は、私は父親から愛されているって言葉だった。
……。
今の私の状況を見て、愛されているなんて思う人はいないでしょ。
「出来るだけジュリオ王子の視界に入らないで。あの人があんたみたいな出来損ないを見るだけでも不快だから」
「……はい」
私が生まれたのは北部国家ヴァイナルダムと呼ばれる大きな国。
文明の程度はそれほど高くなくて、民の大半が自給自足で暮らしている。
便利とは程遠い生活だけど、嫌いじゃない。むしろ前世よりも好きかもしれない。
お城を一歩出れば、純白な雪に彩られた町が目に入る。
それに空を見上げたら、前世では見上げることも忘れていた青い空がどこまでも続いている。
北部国家ヴァイナルダム、
だけど、私の大好きな季節はもう終わってしまった。
これから雪溶けの季節が始まる。
――はあ、カミーラお姉さまには困っちゃうわ。
お姉さまは素晴らしい男性との結婚こそが最上の価値と考えている。
別に悪いこととは思わないけどそのために私に当たってくるのは本当にやめて欲しかった。だけど今日はこれでもご機嫌が良い方なのだ。
「身を開けろ! 中央より、ジュリオ王子がやってこられた――」
お兄様の声が聞こえた。
噂のジュリオ王子、どんな人かと思ったらお姉さまが慌てて私を突き飛ばす。
「いたっ」
「黙りなさい……!」
使用人達と同じように、私は壁際に立った。
着替えは間に合わなかった――今のはお姉さまの配慮ってことにしておこう。
廊下の向こう側からやってくる人影、壁際に立つ使用人が次々と頭を下げている。
先頭を歩くのは我が兄、ベラミーお兄様。
熊みたいな身体の長男で鼻息が荒い。あぁ、後ろに続いている次男ルイス兄さまと比較すると、哀れなこと。
そして、本当に一瞬だけ、その人と目が合った。
「ふん……」
ジュリオ王子の視界に、たぶん、私は使用人と認識されたようだった。
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