クイーンズゲーム
グルグル魔など
第0話 クイーンの栄光
今、私は世界を相手にしていた。
目の前にはチェス盤が一つ。
きっと、私の会社員としての年収よりも、遥かに高い逸品が堂々と鎮座。
「アガータリフは終盤の読み合いが何よりも強いチャンピオンです。挑戦者のルークが取られたことにより、形成は一気にチャンピオンに傾きました」
周りには大勢の人間が私たちの方を見ている。スーツやタキシードを着て紳士然とした沢山の大人たち(大半が上流階級の白人ばっかり)。
目を細めて、私とチェス盤の向こうに座る老練な紳士の戦いを見ていた。
彼らの視線は、全てチェス盤の上で動く駒。
ボーンやルーク、そして中央のクイーン、チェスの駒たちに注がれている。
「挑戦者にとっては、苦しい展開といえるでしょう。挑戦者は果敢な攻めが持ち味ですが、彼女の手はここにきて、完全に止まりました」
的外れな実況だって。
私はただ自分の人生を振り返っているだけなのに。
まず、胸を張って言えるのは、私はチェスに人生を捧げてしまったってこと。
家庭環境が特殊だったから、何度生まれ変わっても私はチェス漬けの生活を送るに違いない。
チェスを愛した両親のもとに生まれて、幼い頃から英才教育を受けてきた。
チェスを打ち続けるお父さんとお母さんの姿。
毎日あの姿を見せられたら、私がチェスに興味を持つことも自然といえよう。
「挑戦者は予想に反して、優勝候補と呼ばれる実力者を次々に退けていました。一戦目のバンカー・ヂア。二戦目の、ヒアリー・クリトン。四戦目のカラー・リバイブ」
世界のチェスは男性が優勢。頭の構造が男性と女性では違うって言われているから、両親は男の子を待ち望んでいたらしいけど……実力で黙らせた。
思い返せば、私のモチベーションは両親への反骨心もあったに違いない。
日本人として、世界に誇れるチェスの指し手になるために。
小学校に行っても、社会人になっても、私の頭の中はチェス一色。
だけど、それぐらい徹底しないと世界には勝てないって言葉が両親の口癖だった。
「唯一の女性として目覚ましい活躍を繰り返す挑戦者に対して、国内でも彼女を応援する声は小さくありません。会場の外には、異国の挑戦者を一目見ようと大勢の観客が詰め寄せています」
もう両親はこの世にいない、それでも私は人生をチェスに注いだ。
両親がいなくなったから、途中で道を諦めるなんて選択は私には無かった。
少なくとも、空の上にいるんだろう両親には胸を張って言えることが一つ。
今、この場所に座っている。
チェスの聖地――。
「挑戦者の駒がようやく動きました。動いた駒は……クイーン。これまで盤上で睨みを利かせていた挑戦者の代名詞、クイーンです。今、外では歓声が上がったようです。無理もないでしょう。クイーンは彼女の代名詞」
世界戦に挑めるのは今年が最後。
歴史上、最強と言われる世界チャンピオンは今年をもって、引退を表明したから。
チェス盤を挟んで、向こうに座る老骨の紳士。
今日をもって、アガータリフが持つ全ての栄光を、私が奪い取る。
「クイーンズゲームの始まりです。一戦目から本日に至る全て、中央のクイーンが動き出してゲームは動き出します。彼女に敗れた実力者たちは、誰一人として彼女のクイーンを取ることが出来ませんでした」
目の前はぼやけてる。
体調は相変わらず、最悪。
残された時間は少ないって、自分が一番わかってる。
「挑戦者によるチェック!」
チェス盤上の仲間たち、駒がはっきりと見える。
理解出来なくても、駒が自分を動かせって伝えてくる。
たまにこういう日がある。
こういう時は、深読みよりも自分の直感を信じないといけない。
「……」
虚勢だって、時には大事だ。
勿論、この老練な世界チャンピオンには通用しないだろう。
「世界チャンピオンの手が止まりました。世界チャンピオン――アガータリフ、考えて込んでいます、熟考です――アガータリフ、キングを逃がしました」
身体が熱い。
ひどい風邪をひいているみたいに。
駒を動かすだけで体力がこっそりと削られていく。
「……」
私たちの間に言葉は無い。
けれど駒の動きが会話だ、なんてね。
「……」
既に私はキングの守りを捨てている。
私のクイーンズゲームに、守りは不要。
キングより、クイーンの攻勢に価値を置く。
クイーンの進撃が一度でも止まれば、私は負ける。
だからキング。
いつもみたいに、我慢して?
私のキングなら、今、攻撃の手を緩めるわけにはいかないって分かるでしょ?
「挑戦者は得意な形に持っていきました。そして世界チャンピオン、再び深い熟考。これまで淀みの無い、アガータリフの動きが初めて止まりました。 長い聴講――世界チャンピオンの頭には何が浮かんでいるのでしょうか」
アガークリフは守りに強く、私のミスを狙っている。
人生経験の豊富さがチェス盤にも表れているみたいだ。
チェスしか知らない私とは真逆のスタイル。
「……」
「……」
私は気迫だけで、この場に座っている。
今、医者の自分の状態を見せれば、勝負は強制的にストップ。
顔色の悪さを隠すために、化粧もばっちり。
「……」
「……」
チェスは男性優位とされる盤上のお遊びだ。
この会場の大勢だって男性だし、全員が私の敗北を願ってるんだろう。
「……」
「……」
この勝負が終わったら、旅行に行こう。
勿論、会社は辞める。
うん、それは確定だよね。
馬車馬みたいに働かせやがって。有休を取るためだって、いやがらせを受けたし。
「…………いつか、来ると思っていました」
え?
実況の拡声器じゃない生の声。
顔をあげたらそこにいるのは当然、チャンピオン一人。
「おそらくは男性で、同国の人間。だけど、私の予想は外れました」
目の前の老紳士が、にっこりと笑う。
表情なんて捨てたと思っていたよ、世界チャンピオン。
「悔しいが、勝ち筋が見えない」
初めて見る。
雑誌の中でもテレビの中でも、動画サイトの中でも、男に支配された男の姿。
「おめでとう。初めての女性」
世界チャンピオンが、キングを倒す。
それはチェスのルールで、降参を示している。
「
万雷の拍手が聞こえ、私はゆっくりと目を閉じた。
この瞬間が、私にとって何よりも尊い。
「――救護を呼べ! 倒れたぞ!」
症状は多分、過労だと思う。
だって、働きまくってるからね。
それ以外には考えられない。
仕事をしながら、暇さえあればチェスの研究に明け暮れた。本当はチェスだけの生活を過ごしたかったけど、今は天国にいるんだろう母親の遺言に私って呪われてる。
「医者を通せ! マスコミは部屋から下がらせろ!」
最後の最後にあの人は、チェス以外にも興味を持って、普通の生活をしてなんて。
今更、呪いみたいな言葉を伝えられたから。
だから就職活動を頑張って、一般企業に就職。
平日は社会人として働き、他は全てチェスに注いだ。過労だって分かってるけど、それでも世界を取るまでは休む気になんかなれなかった。
「――」
最後まで両親の操り人形だったとしても、私に全く後悔はない。
清々しい気分で一杯だよ。
言葉通り、私は命を懸けて戦ったんだからね。
やりきったんだ――。
……。
…………。
………………。
ぼやけた視界の中に映る目一杯映る笑う2人の男女が移る。
「ユーリ! 今は何も考えるな! 私たちの子だ! 今日だけは全てを忘れればいい!」
……え、だれ?
男泣きした白人さん、どちらかといえば暑苦しそうで私の苦手なタイプ。海外ドラマの中で出てきそうなイケメンが、ドアップに見えた。
う、うわ。
今度は違う人のドアップ。
次は女性だ。こちらも白人。
おしとやかな美人。
幸が薄そうで、男性が守ってあげたくなるようなタイプ。私とは正反対。
「……だけど、ハーランド様」
「何も心配することはない! 君が平民だろうと関係ない! この美しい子供は私たちの娘だ! 戦争が終われば、君をヴァイナルダムへ連れて帰る! ユーリ、君は私の妃になるんだ!」
え?
何この状況?
う、うわ! よくわかんないんですけど!
暑苦しい青年が、もう一度私を抱き上げる。
抱き上げる……? どういうこと? 私、そんなにぬいぐるみみたいに持ち上げられる程、軽くないんだけど……?
あれ……声が出ない。
声の出し方を忘れてしまったみたいに、私の口からは泣き声ばっかり。
「君の名前はアレニャ。アレニャ・ヴァイナルダムだ!」
そして、イケメンな青年が私に向かって言う。
……端正な顔立ちが、涙でくしゃくしゃに歪んでいる。だけど、悲しそうには見えなかった。むしろ、この男性も、女性も喜びで溢れている。
「アレニャ! 君は……北部国家ヴァイナルダムの正当なる王、このハーランド・ヴァイナルダムの娘だ――」
……む、娘? 私が……?
――――――
クイーンズゲーム、0話
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