第26話 進路

その頃になると、進路の話があったりしたけれど




僕はと言うと、まったくアテが無かった。




奨学金は、なしのつぶて。




さりとて、アルバイトしながら大学なんてもう・・・イヤだった。






少年ってそんなものだ。エネルギーは余っている筈なのに


前向きに使おうとしなくて。










でも、調査票には一応「電子工学院」と、書いておいた。




入学する時もそう書いたから、そのまま。




録音技師になるにしても、専門学校に行っておいたほうがいいかな、くらいに思って。






ピュンピュン丸先生は「お前の成績なら大学も行けそうだが」と。








僕は「お金の面でちょっと無理だと思います」




先生は「奨学金もあるから、受けてみてもいいんじゃないか?」






僕は「そうですね・・・お金が出るなら。でも、絶対じゃないでしょう?」






先生は「それはそうだが」






先生に、親の借金の事とか、言うのもイヤだった。






もうちょっと親しみのある人だったら、全部話して任せられたかもしれなくて。


それで僕の人生は変わったかもしれなかった。




でも、それは運だった。






中学の先生は、みんなそんな感じだったから。






北高でも、あの音楽の持田先生みたいな担任だったら


全部話しただろうと思う。






僕に、腹違いの妹がいて


その養育費を父は払い続けていて。




挙句の果てに、病気になって


自分は働けなくなった事。






会社を興しては、潰して。






最後にやった事業も、また共同経営者に騙されて


詐欺罪で有罪になってしまった事。






それだから、国鉄職員にもなれそうもない、と言う事。








なにもかも、僕の責任じゃない!










本当に、もう、どうでも良かったんだけど。






そんなことを、持田先生なら聞いてくれたかもしれなかった。










まあ、どうでもいいけど。誰かに頼りたかった。


それだけだったのかもしれない。












11月になって、北高ではマラソン大会があって。




僕は休みたかった(笑)たしか、一年の時は休んだと思う。






でもまあ、なぜか今年は走ろうか、なんて思った。






山あいの高速道の工事用道路を、行ったりきたりして10km。






大した距離だとは思わなかったけど。










体育だと、ノリちゃんは張り切る。


なんといってもテニス部だし。健康優良児で


幼稚園の時から一度も休んだ事がない(笑)。




それは凄い記録だ。






僕なんか、高2だけで25日休んだのだから(笑)。






休むのはなんとなく、あの、普段と違う感じが好きだった。






平日のTVとか、ラジオ。






静かな町。






なーんとなく、幼い頃に過ごした碑文谷の町を思い出していたのかもしれない。


母に連れられて散歩した碑文谷公園。




兄に引っ張られて行った、道間屋と言う駄菓子屋さん。






孔雀が一杯居た公園。




亀がいつも甲羅干しをしていた池。






そういう、静かで穏やかな町・・・。

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