第7話 ツーリング

去ってゆく者を見送るのは、哀しい。

もう会えないかもしれない。

そんな想いもあって。


陽子は、落涙していた。

拭いもせず。

透明な滴が、砂に

はらはらと...。


......お姉ちゃん....。


無理に起き上がり、壁伝いに

歩いて来た祥子は、陽子の

淋しげな、ふるえる後姿を見、


.....心配かけて、ごめんなさい。

わたしの為に。楽しい時間を。


祥子も落涙していた。



お姉ちゃんを、そっとしておいてあげよう。



祥子は、壁伝いに部屋に戻り、

布団に横たわる。


廊下には、透明な涙が

幾何模様のように..。.




僕を載せた電車は、だんだん

僕の住む街へと近づいて行く。


この時間が嫌で、子供のころは

いつも泣いていた。


夏休みになると、青森に

家族と離れて避暑に行く。

それが楽しみだった。


8月の終わりになると、帰る。

寝台特急が、上野に近付く。


到着.....。


旅先に向かう時と同じ列車なのに、

現実に戻るのが嫌だった。


幾らかは、母の従属物になるのが

嫌だったのもあるけれど。



町野少年は、しかし

恋愛、の。従属物になっていく。



それも、旅先に向かう列車が楽しいのと

ちょっと似ている。


恋のはじまりは、隷属が快かったりする。


そのうち、嫌になったりする。






僕の町の駅に降りた時、なんとなく、だけど

「夏休み、終わっちゃったな。」と。


小学生の頃の、楽しかった青森での避暑が

終わった日を思い出していた。


ほぼ、一ヶ月くらい行っていたので

そのショックは大きかったけど。


その時と、改札口から見ている光景は似ている。


あんまり変わっていないようにも見えた・・・・。





家に一旦戻り、荷物をかたづけてから

自転車で、アルバイトに行った。



既に、夕方近いけれど。少し早い。



通用口は、東側にあって

社員用駐輪場のそば。



大きな川が、水を湛えて

こんこんと流れている。




その、水を見ても

あの渚を思い出してしまったりする(笑)。




タイムカードを、かちゃり、と押すと

なんとなく、隙間が気になる苦学生だ(笑)。


守衛のおじさんも、にこやか。「やあ、こんにちは。」

まだ、4時だ。




ロッカー・ルームに行く前に、事務室の前を通ると

副店長が僕を見て「ああ、町野くん、お帰り。元気そうだね。」



この人は、いつも元気だ。

天然パーマ、短髪。どこかで貰ったエプロンをして、いろんな雑用を

厭わずにする人。


あの日、僕が早退を申し出た日。


30分くらいの早退だったけど、きゅうりの袋詰めを

僕に代わって、してくれるような。

そんな副店長。


「沢口くんも元気だった?」


と、その名前を聞くと、ちょっと想い出に心痛い気もしたが


「はい。少し日焼けしていて、元気でした。」



副店長は、にこにこと「そうか。進学、上手く行くといいね。」と。



と、すこしお話をしてから、ロッカー・ルームへ行って。

上着を着て。八百屋のバックルームへ。



「おお、帰ってきたか。もう一日くらい休むかと思ったけど。」と

アゴさん。



「そんなに休むとね、給料日が。」と、僕は笑った。



「そっか、ハハハ。でもまあ、夏休みだから少し多いだろ。昼間も出てたし。」



・・・・・そうだった(笑)。、とは言え、今から時間を巻き戻すわけにもいかない。









・・・・みんなが、やさしい。


僕は、すこしづつ日常に戻っていく。

でも、こういうひとたちとの日常は、楽しいものだった。


「ここに、陽子さんがいた日々は、良かったな。」


なぜ、いなくなってしまったのかなぁ。なんて思ったりもした。


あのままでも良かったような、そんな気もした。



新学期になると、なんとなく、いつもの。

忙しい日々に戻る。



夜8時にアルバイトから戻り、家に着いて。

ご飯をたべて、お風呂に入って。

寝るのが11時くらい。遊ぶ暇も無い。


朝6時に起きて、ご飯を食べて。

7時半頃に登校。


この当時は8時始まりが普通だった。

会社もそうで、だから朝はみんな早かった。

土曜日も半日は学校。


会社は土曜もやっているのが普通。



映画が、だから「サタディ・ナイト・フィーバー」になるので

土曜日が休みになるのは、80年代半ばからだ。



その映画は、ほとんどビージーズ、のコーラスだけ、みたいな。

そんな印象があった。


兄も、ディスコに良く行っていたのが、そんな頃。





学校に行くと、稔くんの姿が見えない。


その他、数名の姿も無かった。



後ろの席のケニアに「稔くん、休み?」と聞くと


小さな声で「停学だって。」



「なにしたの?」と聞くと。




「・・・よく知らないけど、なんか、女の子と遊んでて。

それで補導されたらしいよ。ディスコで。」




「ディスコか。」



僕は、祥子ちゃん、陽子さんの事を思い出すと・・・・・

稔くん、女の子に優しいからな。


その子が

ディスコで遊びたいと言えば、そこが18歳未満入場禁止の所でも

守るために行くだろう。



そんな風にも思った。




「いきなり停学ってのはなぁ。」と、僕が言うと



ケニアは「前にもあったらしいね。稔くん。何か。」






「ふーん、そうなんだ。で、戻ってこれるの?」



ケニアは「分からないけど、そのうち戻るんじゃない?」と。



運。それもあるだろうな。



陽子さんや祥子ちゃんが、ディスコに行きたいと言わないタイプだった。

それだけだった。


僕の場合。






ノリちゃんが、バイク雑誌を持ってきて「SR400、出るみたいね。」と。



写真を見ると・・・・。



XS1のようなデザインのタンクカラーで、ほとんどXT500そのままのフレームに

ブロックパターンのタイヤ、ダウンマフラー、メッキのダウンフェンダーと

ツーリングバイクっぽいスタイル。



「これがシングルか。」と、僕は思った。




モーターショーに出品するらしいけれど、東京まで行っている

時間もお金もないので(笑)。


発売されてから、見に行こうと思った。



どうせ、お金が無いので

直ぐには買えないのだし。



新車で30万円くらい、ナンバーを付けるのに6万円くらいかかる。


それだけのお金は無かった。



でも、気になった。






vノリちゃんは10月に免許が取れるので

とりあえず原付免許を取って、FT1に乗るそうだ。


「ツーリング行こう?」と、ノリちゃんは

旅が好き。



「うん。」と、僕は言った。



ノリちゃんなら、のんびりツーリングも良さそうだ。







クラスを見回すと、空席がいくつか。


「まだ、休みかな」と、僕が言うと


ノリちゃんは「稔くんの他にもいるみたいだね。タバコで謹慎だとか・・・いろいろ。」




ノリちゃんは酒が好きだけど、家で飲んでるからバレはしない(笑)。


お父さんの付き合いで飲んでるうちに・・・・と言うパターン。




そう、日常に戻っていくと

あの3日間の出来事は、夢、だったのかな、なんて思ったりもした。






スーパーのアルバイトにはそれからも行ったけど

不思議と、アパレルの前を通ると陽子さんを思い出して

切なくなる、と言う事も無くなった。


いっぱい、話したから。


僕は、なんとなく自分の中にある恋しい気持ちに

酔っていたみたいだった。



でも、祥子ちゃんからかわいい手紙が来ると

可愛いな、と思うし

夏の想い出に耽る事は出来た。


ただ、母が詮索するので閉口した(笑)


それはそうで、今まで女の子から手紙、なんて

一切無かったからだった。


兄はモテたのだけど、手紙が来る事はまず無かった。

学校のクラスメートだったから、なんだろうけど。






稔くんの事は気になった。

バイトが休みの日に、自転車で稔くんの家(おばあちゃんと住んでいる)に行ったけど


留守だったりした。



一週間くらいが経ち、出席を取る時に

先生が、稔くんの転校、を告げた。


転校。



高校なので、別の高校に編入、と言う事なのだろうけれど・・・。




僕は、気になったので

ピュンピュン丸先生の所に聞きに行くと・・・・。


「定時制の工業高校に転校した。」

との事。


停学が解けなかった訳、でもないらしい。


元々「働きたい。」と言っていた稔くんは


無理に進学させようとした父に反発して、自棄になっていたらしい。



それが、今回の事で。

稔くんの希望が叶った、と言う事らしい・・・・。



「いろいろあるんだなぁ。」とも思う。



でも、バイクに乗ると全てを忘れられた。

GR50は、改造を重ねて。


シリンダーヘッドを外し、テーブルに硝子板を置き

そこに#400くらいの耐水サンドペーパーを貼る。


オイルを滴らし、慎重に当たり面を削ると

圧縮が上がる。


シリンダも外し、空気の通るポート、を拡大したり

タイミングを早めたり。それも、手作業で削った。


キャブレターは、京浜工業の20φにした。

エア・ファンネルをつけた。


マフラーも、レーシングチャンバーをつけた。


あまりにも音が煩い。


エンジンのパワーが、8000rpmくらいから出る言う

お化けバイクになってしまって。


125ccの4サイクルより早かった。


100km/hまでスピードメータを振り切り、タコメータも

12000rpmを超えて、回ろうとした。




とても危ないので、マフラーは純正の

サイレンサーをストレートにしたものにした。


そうすると、音は低くなって良かったし

低速トルクがあるので、乗りやすくなった。


それで、ギア比を下げて


ノーマルで12-41なのを


一時は13-33まで下げた。



ちょっとやりすぎかな、と


12-39にしたけれど

登り坂でもぐんぐん登る。



5速のまま、箱根くらいなら平気で登れた。


エンジンは面白いと思った。



バイクに乗っている間、何も考えなくていいので

それが好きだった。


ヘッドフォーンで音楽を聴いている時みたいに。








陽子さんからも手紙が来るようになり、ますます母の詮索が...(笑)


家に手紙を置いて置くと、読まれそうだから

バイト先のロッカーに仕舞うようにして。

手紙は郵便局止めにして貰ったり。


時々、お話したい時は

電話ボックスから掛けたり。



バイトが休みの日、たまーに

軽音楽部に行くと、音楽好きの連中と話ができて。


楽しかった。


ジャズ、クロスオーバーが好きな人は

そうはいなかったけど

同じ1年の上杉くんは

「ラリー・カールトン、ギターへた」

なんて落書きする、面白いやつで

結構、ジョージ・ベンソンの話をしたり。


ギター借りて、彼がジョージ、僕が

フィル・アップチャーチのマネして

「ブリージン」を弾いたり。


アルバイトの初めての給料で、買ったLPが「ブリージン」だったっけ。


文化祭で演れば、と言われたけど

そんな曲だと、紙テープの代わりに

トイレットペーパーを投げられそうだった。


実際に、「サウンド・オブ・サイレンス」を演った柿崎くんは

トイレットペーパーをぶつけられていた(笑)。


いい歌だったけど。



柿崎は、大学在学中に

アメリカを放浪。

ホンダXL250sで、あちこち走って来たらしい。



上杉くんとは、ずっと付き合いが続き

音楽スタジオに一緒に行ったりした。


後に上杉くんは、スタジオミュージシャンになり

何曲かアイドルの作曲もした。



だから、楽器は上手かっただろうと思う。


絵が上手だったから、絵描きになるかとも思って

イラストコンテストのエントリーを、僕が勝手に送ったりして

上杉くんは、それでも真面目に書いていた。


「誰だ!俺の名前で送りやがって」

とかいいながら。


それでも入賞したから、大したもんだと思う。



3年の時、僕のSR400で

シンセを運ぼうとして。

SRが大事な僕は、拒否して

喧嘩になった事もあった。


その話は、またあとで。





上杉くんは絵が上手くて、ちょっとブラックなところがあった(笑)ので


タバコで謹慎になった連中をキャラクターにして、黒板に書いたりした。


みんなでタバコ吸ってるとこ。



本人が見ると、慌てて黒板を消しに来るんだけれども

そのうち、上杉くんだけでなく


誰かが真似して書くようになったり。




タバコ吸ってたひとりに、湯原くんが居た。


彼も軽音楽で、アルディメオラが好き、だとか

ちょっと面白い。


髪は長くしてて、細身。フォークソングのお兄さんみたいだけど

眉毛が出っ張ってるので「ハルク」と呼ばれていた。


おとなしい奴なんだけど、バイクはやっぱり好きで。

でも、在学中は買えなかった。




そのハルクくん、穏やかで滅多に怒らないので

みんなに、からかわれていたりした。




そのハルクが、あるとき。激怒した事があった。




文化祭の日、11HRは「ディスコ」をやろうとして

ステレオを持ってきて、音楽を掛ける。


ただそれだけ。楽だからそうしたのかな。



ハルクは、家からステレオを持ってきて。

テクにクスだったけど、今でもあるSL-1200と言う

レコードプレーヤ。


それでディスコのレコードを掛けていたりした。



ヴァン・マッコイの「ハッスル」とか。




スリー・ディグリーズの「天使のささやき」。


その曲を聴くと祥子ちゃんと過ごした夏の日を思い出して

懐かしくなった。






マトリクス配線で4chにしたりして。


ディスコには向かないけど、これは

オーディオ好きの誰かが結線したのだった。



それで、8本のスピーカーでマトリクス8ch、なんて言っていたけど

4chがふたつになるだけで(笑)

8chにはならない。


で、アンプが保護回路が利いて電源が落ちる(笑)


それはそうだ。から、僕がふつうの結線に戻したりした。




調子に乗っただれかが、ハルクのレコードで

スクラッチをやった。


針を下ろして、手でレコードを回して

雑音を出す、遊び。

それでリズムを取るんだけど、レコードはぼろぼろになる(笑)



その時はハルクも激怒し「止めろー!」と

そのDJマンに掴みかかって、殴った。



「ハルクが怒ったぞー!」と、誰かが叫んで

みんなで止めに入った。




なんのレコードだったかは覚えていないけど・・・・。


アルディメオラだったのかな。





文化祭もこの年は安心。と言うのは


1年に入学した正光くんが、とある親分の甥、なのだそうで・・・。


本人はとても真面目なのだが、その事で

他校の不良は北高に寄り付きもしなかった。



その親分は、実のところ

僕のアパートの近所に住んでいたりして。


物静かで、穏やかな。

とても、やくざ、には見えない人だった。



いつも、リンカーン・コンチネンタルに乗っていて。

新型が出る度に乗り換えていた。


面倒見のいい人で、その人が居るから

近所の治安が保たれていた。



お嬢さんは117クーペの最初の型に乗っていて。

手作りの頃だから180万円くらいはしたと思う。


70年くらいだったろうか。クラウンが80万くらいの時代である。



計器盤は、ローズ・ウッドで

ハンドルもウッド。


とてもかっこいいクルマだった。


いつか、あんな車に乗れたらな、なんて思った。


そのうちに117は量産されて、普通に買えるクルマになったけど。





まだ、70年頃は蒸気機関車が残っていて

駅に行くと、時々姿が見えたりして


僕は、青森の旅を思い出して。楽しくなった。


たまーに、本線を貨車を引いていったりして。


音が良かった。石炭が燃えると、香ばしくて

とてもいい感じだったっけ。












10月になって、ノリちゃんが原付免許を取ったので

「ツーリングに行こうよ」と、言う事になった。


気の合う友達なら、それは楽しい。


ノリちゃんは、誰かから貰ったのか

茶色く塗ったフルフェイスヘルメットの、縁ゴムを外したもの

(当時流行っていた)を被って。


僕は、F1レーサーのレガゾーニのレプリカ、の

そのまたレプリカの日本製を被っていた。


コミネ・フジ800。


これも結構高かったけど、バイトの給料で買った。


アルバイトがいいのは、自分でお金の使い道を決められる辺りにあったりして

いちいち、親や兄にねだらなくてもいい。


それだけでも自由になれた。



ノリちゃんは、バイクも貰いもの。


お父さんの経営する町工場のお兄ちゃんが

ほんとうに弟のようにノリちゃんを可愛がっていて

ヘルメットから、バイク、ウェアまで

貰えた。


ノリちゃんも「お兄ちゃん」と言っていたけど



・・・・ひょっとして、お父さんがどこかで生ませた子かしら(笑)

なんて、思わないでもなかった。


そうではないようだけど。



予行演習、ではないけど

ふたりでよく、近くの山とか、湖とかに行ったりした。



「キャンプもいいよね。」なんて、ノリちゃんはアウトドアも好きだ。



僕は、まあ、アルバイトに追われて

遊びどころではなかったけど。


ノリちゃんも、また

バイクをバイトして買おう!。と言って

ちゃんこ鍋屋さんでアルバイトをしている、と言った。



アルバイト料はスーパーよりも良いし

夜10時まで働けるから、結構お金になる。



ちょっと、悩んだりもした。


想い出のあるスーパーのバイト、で

みんな、親切で優しかったから。






「こんどの日曜がいいね。」と、ノリちゃんは

2時間目の休み時間に。



ノリちゃんは長身で、テニス焼けをしているけど

あんまり女の子にはモテなかった。


僕も、そこらへんは一緒だけど。




「どこ行こうか、岬まで行って、一周するとか」と、ノリちゃん。


200kmくらいあるから、原付だと結構大変だと思う。



平均20km/hとしても、10時間。


ほとんど走りっぱなしだ。



「ちょっと無理だから、半分にしたら」と、僕が言うと


「そうだね、のんびり、はんぶんこにしようか」と。

ノリちゃん。



穏やかなひと。



丸顔でメガネ、銀縁の四角いの。

髪の毛はふんわり。


ひとりっ子だけど、工場のお兄ちゃんが居たから

淋しい子にはならなかった、らしい。



「日曜だとさ、ガソリンを持っていかないと・・・。」

この頃は、オイルショックのあとで

日曜は休日になっていた。




なので、クルマにガソリンを積んで燃えた、なんていう

話もあったりもした。


灯油のポリタンクに入れていて、なんかの拍子に燃えたらしい。




それで、お巡りさんが街頭でトランクを調べたりしていた。



「まあ、50ccなら2Lもあれば」と、僕は

2Lのポリタンクにガソリンを入れて、荷台に縛っておく事にした。





コロナ・ツーリングバッグ。


ガソリンタンクに、ゴムのバンドで台座を付けて、

ワンタッチ金具で、バッグを止める。


貴重品を入れておくためのもので、ツーリングで大荷物の時

全部持って歩くのも大変だから


まあ、貴重品だけは持っていって、と言う

長閑な時代だった。


それで、泥棒にあった事も無かった。




そんなふうに、準備をしてわくわく。



木曜・金曜・土曜。



楽しみにした日曜日は、雨だった(笑)。








ギルバート・オサリヴァンは好きだったけど

この頃、よく聞いていた。


alone again ,get naturally。って

歌詞はあんまりよく聞いていなかったけど

ひとりに戻った、と言う辺りが

この夏が、素敵だったせいか・・・。秋かなぁ。なんて思いながら。

sweetなソウルも好きで、スリー・ドッグ・ナイトの「old fashioned love song」とか


中学生の頃、FMラジオを録音したカセット・テープを

繰り返し聞いていた。


you are the sunshine of my life なんて、スティーヴィー・ワンダーの曲も

「目が見えない彼にとってのsunshine って、とても、なんというか・・・な

存在なんだろうな。」なんて思ったりもした。



ただ、だからといって

あの夏の日に戻る事も無理だし、会いに行くのもできなかったから


その思いが募っていたのかもしれなかった。



時折手紙を貰って、返事を書いて。

たまに電話したり。


それくらいだったけど、でも、切ない思いはしなくて済んだ。

いつまで続くか、なんて、どうでも良かった。



とりあえず、いまを凌げれば。


そのくらいの感じだった。




その頃、バイト先のスーパーの隣のゲームコーナーに

女の子が居て。


ちょっと赤毛、パーマのショートヘア、と言う

よくあるタイプだけれども。


八百屋でバイトしている僕に、親しげに話しかけてきたり。

それはそれで悪い気もしなかったけど・・・・。


「アタシ、ゲームのバイト辞めたいんだけど、代わりがいないの。

アンタ、代わってくれない?」



日曜だけのバイトでいい、との事。


その女の子は、平日も来ていたけど、暇なので

支配人が「日曜だけでいい」と言うので


日曜だけじゃ食えないから、辞めたいと。

でも、代わりがいないから。


そんな理由で、日曜のバイトを押し付けられてしまった。


日曜も、スーパーも忙しいのに。



あの、優しい副店長は栄転で、本社に行ってしまって。



このスーパーも、雰囲気が悪くなっていた。



新規開店の後、暫く経ったので

すこし、売り上げが落ちてきたのもあるらしい・・・・。


それで、あの怖そうな店長に訳を話すと


「いや、あのゲームコーナーはうちの店じゃないから。

掛け持ちだと困るし、うちも日曜は出て欲しいな。」と

もっともなご意見。



その、ゲームコーナーの支配人が、八百屋でバイトしている僕に

いろいろ言ってくるので「僕は、知らないです。あの子が何を言ったか

知りませんけど。」と。



ちょっとだけ、そのゲームコーナーのバイトを見てみたけど

なんとなく、雰囲気が好みでなくて。


僕の好みでない。



でも、その支配人が、スーパーの方にも

文句を言ってくるので・・・。

僕も居づらくなった。



女難、なんだろうか。



それで、スーパーのバイトは、辞めた。


どの道、バイクを買うなら

もう少しお金になるバイトを探さないとならなかったから・・・・。



さらば、想い出のスーパーマーケット。



素敵な事も一杯あった。




次のアルバイトは、ノリちゃんの行っているちゃんこ鍋にしようと思ったけど

「今、人が足りてるらしいよ。」とのノリちゃんの言葉に

あえなくダウン(笑)


それで、新聞配達だけれども

今度はバイクで出来るので、結構儲けにはなる。



偶々、県立北高の上級生がいてくれて気楽だった。



好きなバイクに仕事で乗れるのは、それはそれで楽しかったりする。




朝早いのは相変わらずだけど、バイクだと

朝刊の配達だけでも4万円くらいになったから

(高卒事務職の初任給が7万円くらい)


これなら、バイクも買えそうだった。

月謝が1500円。

お小遣いを引いても、2万円くらい余る。

一万は、家に入れられて

父母に、随分有り難がられた。







だいぶ、涼しくなると

体育の授業も、ジャージになったりする。

短パン、その上にジャージをはくのだけれども



この頃、ジャージのズボンを

後ろから近づいて、それっ!と

降ろす、ヘンな遊びが流行った。


もちろん、短パンをふつうは

はいているから問題はない。


のだが。




ある日の1時間目。


男子と女子は、体育も別だが

グラウンドが同じだったので、玄関に女子、にぎやかに。


その後ろ。


大石くんは、地元の農家の息子で、のーんびり。


大柄。

丸顔。黒縁メガネ。横わけの髪。


でも、少林寺拳法をやっている。


その事を知らない、お調子者の清が


「それっ!」と。


ズボンを下ろした。


が。



手元が狂い、大石君の下半身は丸裸(笑)。



パンツも緩かったらしい。



そこにいた女子。

悲鳴も上げずに固まる。


凝視。(笑)。



そんなもんだと思う。




大石くん、怒った怒った(笑)


少林寺拳法の手わざ、足技で

清に襲い掛かる。


僕は、そばにいたので


そこにあったくずかご、あみあみの、よく公園にある

あれを持って。


大石君と清の間に入れて「大石くん、武道を使うな。」



大石くんは正気に戻る・・・・。


清、呆気。


「いやーすまんすまん」と、短髪、オールバック、

ちょっと茶髪(笑)の頭を掻いて


謝った。




大石くんは、さっさとグラウンドに駆けて行って。


女子も、ぱらぱらと逃げて行った。


「悪いもんみたなぁ」と言う顔で。




ちっちゃかったのかな(笑)。








新聞配達のバイトだと、下校がゆっくりでいいので

よく、上杉くんの家に寄った。


上杉くんの家は、ちょうど下校コースにあるので



「ボブ・ジェームスっていいアレンジだよね。」と

僕は we are all aloneの、インスト・ヴァージョンの話をしたり。



「あ、でもアレって、ミュージシャンがすごいもの。ほとんどアドリブなんじゃないかな。」と

後年、作曲家になる上杉くんは、16にして聞きどころが違った。




「そうだよねー。リチャード・ティーのピアノもかっこいいし。ブレッカーズのブラス。


マイク・マイニエリのヴァイブ。」と僕が言うと



「そうだよね。あんなプレイがしてみたい。」と、上杉くん。


僕も、夢のまた夢、みたいな気持だけど



プレイヤーになれたら、いいな。


そんなふうにも、少しだけ思った。





考えてみると、学園祭に祥子ちゃんを呼んであげても良かったけど

片道、電車だけで2時間だと

泊まりになってしまうから、無理だった。


祥子ちゃん自身も、夏のあの日より

落ち着いた女の子になっていったような、そんな気がする。

可愛いのは、変わらないけど。



少しづつ、陽子さんの事を思い出す時間が

減っていったような気もするけど・・・・。


陽子さん自身も、受験で忙しいのだろうか

手紙は、ちょっと滞り気味だった。



それはそれで、仕方ないことなのかもしれないな、と

僕は思った。


なぜかわからない。秋になったから?



毎日が忙しかったから?

そうかもしれない。





それは、陽子さんも同じなんだろう。







11月頃、カワサキのZ400-Bに乗っている

稔くんを見かけた。


Z2に、デザインが似ていて。

KHではなくこれにする、と

稔くんは言っていた。


小さなガソリンスタンドで働いていて、夜は学校。

バイク通学も、まあ、許されるのは定時制だから。


Z400Bは、緑色で。

Z2の2型に良く似ている。

Z2ミラーを付けて、集合マフラーを付けていた。



「ああ、買えたんだな、良かった。」と

僕は思った。



新聞配達のバイトを一年すれば、20万くらいになるだろうから

それで、何か買うか。


それとも、兄貴に頼んでローンを兄の名義で通してもらい

SR400を買うかな、なんて思ったりもした。

まだ、SRは発売前だった。





髪の長いハルクくんが、ある日。

緩いウェーブを掛けて来た。


もちろん、パーマは禁止だが

目ざとい生徒は、最初から掛けた来て

天然です、と言っていた。



でも、ハルクは真面目で

人がいい奴だから。



3時間目の英語の授業の時、松沢先生が、ハルクに手招き。



ハルクも、きまり悪そうに髪を抑えて行くものだから。


尚更、先生に注目された(笑)。


案の定、教科書で叩かれ

「落としてこい」


その髪を見ていて、僕は

初夏、ホットカーラーで

ウェーブを付けてアルバイトに行った時

陽子さんが「ステキ、かわいいわ」と

にこにこしてくれて。


とても嬉しかった事を思い出した。


なんだか、別世界の出来事みたいに思えた。


ほんの、半年くらい前の事なのに。



もう、戻れないのは当たり前だけど...


思い出すと、淋しかった。

今の陽子さんに会いたいんじゃなくて、あの頃のふたりに

戻りたかった。




ハルクは、反省文と謹慎だった。


なんで、あんな

捕まるに決まってる事するんだろう

と思ったけど


僕も、バイクを改造しているから。

似たようなものだ(笑)。


新聞配達のバイトは、カブが多いんだけど、僕は自動2輪免許があるから70が担当になって。

加速が良く、スピードが出るので

配達も素早く終わる。


ロータリー式のミッションは、結構怖くて

トップまで変速して、間違えてもう1度踏むと

ニュートラル。

焦ってもう一回踏むと。


ロー。(笑)


急にエンジンブレーキ。


つんのめり(笑)。



転ぶ人も居た。



飛ばしてるとありそう。



いつもGRで出かけ、飛ばして帰るんだけど


ある日。


バックミラーに赤色回転灯。

ヘッドライト。



パトカー、かと思って

路地に入ると....。



救急車だった(笑)



良く考えたら、朝6時に

パトカーは出ていなかったのでした。



学校でも、違反、事故は

処分の対象なので


捕まったら終わりだったから。


学校で噂が流れた。


免許を持ってる人は、許可される。

僕は、疑って掛かった。


そんな筈はないだろうと僕は思ってて。



ある日のホームルームで

「免許を持ってる人は手を挙げて」


僕も、ノリちゃんも

手を挙げない。



ハルクは、素直に手を挙げて.....。



学校に免許を預ける事になった。


ただ、謹慎にはならなかったのは

幸いだった。


謹慎3回で停学である。



ただ、免許証を取り上げられても

再交付すればいいし(笑)

不携帯で乗っても、減点は無いから

あんまり意味は無かった。



12月。

暖かいこの町にもクリスマスが訪れる頃。



もちろん新聞配達は休みじゃないし、

急に休みにも出来ない。


配達経路を知らないと、出来ないから。


そういう辺りは辛かった。


いつも眠かった。

早く寝たくても、家族がTV見て笑ってる家で練る訳だ(笑)。


陽子さんはどうしてるかな、なんて

考える事も無かった。


受験で大変なんだろうけど、

手紙も少し、滞り気味。


祥子ちゃんは、僕が返信すると

すぐ返事をくれていた。


電話する時間が無かった。


早起きする為、だった。





スーパーカブ50にも、時々乗った。

音が静かなので、住宅地などで

特に敏感な人が住んでるあたりは、これだった。

都会だと自転車で回るのだけど

それは、マンションなんかの場合で

道がないところを、歩行者用の通路なんかを通って

配達する為、だったりする。


田舎だと、そこまでの事はなかったから

専らバイクだった。


カブの面白いところは、ギアのパターン。

ニュートラルから、後ろでロー。

前でセカンド・トップ。


ふつうは、セカンドに入れて発進する人が多かった。


で、面白いのは・・・。

ペダルを踏んでいるとクラッチが切れるので


アクセルターンができたり、ウィリーが出来たり。


失敗すると転ぶ(笑)。


僕も、狭いところでアクセルターンをやって

失敗、どこかの物置にぶつかった事もあった(笑)。



でもまあ、すぐにヤマハメイト70になったんだけど。


カブの70もあって、これは力があって速かったので

ベテランが良く乗っていた。


スズキ・バーディーは、スムーズなエンジンで

人気があった。


当時、プロゴルファーで美人のローラ・ボーを

CMに使って、結構人気だった。


♪鳥ーになりたいなぁ、oh birdie ,birdie♪


と言う、ゴルフのスコアのバーディ(規定より一打少なく終わる事。少ない方がいい)。


に掛けたネーミングだった。



スズキは、スムーズなエンジンで

これは他のバイクもそうだった。


2サイクルだけど、ロータリーバルブ吸入で

正確なタイミングで吸気が出来るからだと思う。



後々、スズキもリードバルブを始めるのだけれども。





CMで言うと、ヤマハのCMソングも面白い物で


♪乗ってるのってる乗ってるのってる♪ ヤマーハメイト



と言う、「飛んで飛んで飛んで飛んで」♪の

円広志(より前だ)みたいなコミカルな歌で


これの替え歌が結構流行っていて


♪乗ってるのってる乗ってるのってる♪  うちーの父ちゃん



母ちゃんに乗れば安上がり (笑)


と言う、面白い歌だった。



煩悩、絶ち難し。(笑)





新聞配達員に、暴走族っぽいのも居て


結構、いろいろつっぱっていたが


僕が、あの大親分の家の側に住んでいると分かると


急に、へーこらし始めて


「みっともないなぁ」と

僕は思ったりした。


つっぱるなら、相手が誰だってつっぱれよ。


そう思っていた。



でもまあ、そういう大親分のような「侠客」が

段々、いなくなっていったんだろうと思うけど


この頃は、それなりに

そういう連中はそれで、統制が取れていたようだった。



裏には裏の掟が、あったようだった。





それで、オートバイを買う資金が貯まった頃

その話をちら、としたら


中学の時のクラスメートで、ちょっとつっぱりだった奴が

僕のアパートに恐喝に来て

「金を貸せ」




と・・・言うところ。


場所は、なーんとあの大親分の家の真ん前である。



大親分が、偶々出てきて。「こんばんは」と、僕に

丁寧に挨拶をした。


ちら、と

その恐喝犯に視線を与えると



彼らは退散した(笑)。



侠客、は

そんな存在でもあった。






お金は、すこし貯まっては、出て行って。

そんな感じだった。


父が病気なので、お金が結構掛かったからでもあった。


僕だけオートバイ、なんて訳にも行かなかったが


兄が「高校生の間しか乗れないぞ、金貯めて買え。」と。


それは真実で、この頃は会社に入れば

残業で遅くなるのは当たり前だけど


みんなが頑張っているから、一緒に。

そういう雰囲気だったので、別に嫌だとも思わなかった。


それと同じで、家族だから

父が寝込んでいるなら、僕が持っていればお金を出す。

そういうのは当たり前だと思っていた。



そんな時代だった。




年があけ、1978年になる。


お正月も新聞配達はある。



中学のクラスメート達と、毎年お正月は

夜明かししていたのだけれども

今年は早々に、配達があるからと引き上げたりした。




そろそろ、昼間のバイトの方がいいかな・・・。なんて思ったりもした。


雨が降ると、配達は大変だった。


新聞紙だから、濡れると困る。



一応、一部ずつビニールに包んではあるものの・・・。


どっさり降ると、濡れてしまう。



体の方は、まあ、ゴム引きの布で出来た合羽

ラーメン屋さんが着ているので「ラーメン合羽」と呼ばれていたが

それと、長靴で大丈夫だった。

頭はフルフェイスのヘルメットで、なんとか。

首が濡れるくらい。



これは、ツーリングの時にもそうで

カッコイイレインウェアより、このゴム引きの布がいい。

長持ちする(まだ使っています)。



ビニールの合羽は、結構破れるから

それがなければ軽くていいけど。



足は、ツーリングの時は困るけど

後々、折りたたみのブーツカバーで

長靴そのもの、のものが出て。

それを使ったりした。






新年になっても、あまり変わりのない僕である。


音楽は、いつもそんな僕の楽しみだった。

レコードを買えるようになっても、ステレオが無かったので(笑)

中学の時の友達で、オーディオが好きな和彦のところに行き

テープに録音して貰い、それを聞いていた。


ついでに和彦もレコードが聴けると言う、学生の頃には

よくあるレコードの貸し借りで。


この和彦は、小学校から一緒の学校だったが

高校は別だった。



彼のステレオは、ビクターのQL7と、サテンのM18E、

テク二クス75Aと言った、中位のものだけれども

お父さんもオーディオ好きで、買ってもらったらしい。


僕もオーディオは好きで、いろんなオーディオ店に行き

聴かせて貰ったりした。


彼のステレオを買うときも、一緒に行って

聞きながら選んだり。


ステレオ選びは、面白い。



和彦のステレオも、結構僕の意見が入ったもので

サテンのカートリッヂは、その独創的で厳密な設計が好きで

僕が薦めた。


アール・クルーのギターを聴くと

指先で、ガット弦を弾いている音が、本当にするのだった。




聞いていると、そこにいるような気がして

音楽の中に浸れた。


音楽はいいものだ。



学校でも、オーディオと音楽の事を

よく、聞きに来るクラスメートが居て


「どんなステレオがいいかな」なんて言う子もいた。



違うクラスだったけど、謙二くんもそのひとりで


「オートバイを乗らない代わりにステレオを買ってもらう」と言う

なんとも羨ましいお話だった。



割と、ポップスが好きだと言うので

優しい音がする、山水のAU-D607と

ビクターのJL-B37、その辺りを薦めたと思う。


カセットデッキも、東芝のPC-X60ADと言うもので

これは、ノイズ低減の仕組みがついていて

綺麗な音に聞こえる、と言う面白いもので。

音は柔らかかった。


これで、倉田まり子とか、そういうのを聞いて

楽しいよ、なんて言っていたけど


リー・リトナー、なんかも聞いていると言う話だった。



・・・結局、謙二くんはバイクを諦めきれずに

バイクに乗ってしまうのだけど。



そのお話は、また後で。



謙二くんも、優しい性格だから

彼女が直ぐ出来て。


でも甘えん坊だから、謙二くんは鬱陶しいと

よくケンカをしていた。


同じ学校でカップルだと、それはそれでやりにくいだろうな、とも思う。


いつも、くっついていられるのもちょっと・・・と、思う(笑)



そういう女の子はちょっと、僕も苦手だった。




陽子さんからの手紙は滞ったままだけど

そんなワケで、僕はあんまり気にしていなかった。


美大の受験となると、絵が上手いだけでは合格できなくて

学校の勉強も、そこそこ良くないと・・・だ。


そういう辺りはちょっと大変だから、専門学校も受けるとは言っていた。


ふつうに受験しても、美大は難しいが

そこそこの成績でも入れる所は、お金が余計に掛かるのは

まあ、そういうもの。


この頃は子供の数が多かったので、大学に入るのも結構難しかった。




祥子ちゃんの手紙では「一生懸命に勉強しています」との事で


祥子ちゃんも中学に入るから、がんばります、と

可愛く綴られていたりした。



どちらにしても、陽子さんは東京あたりに行くので

家から出る事になるだろう・・・。


それほどの感慨も無かった。


今も、そんなに変わらない。



毎日忙しく、物思いに耽る暇は無かった。

それは、陽子さんも同じだろうと思う。







「のりたまツーリングクラブ、行こうよ。」


と、のびのびになっていたツーリング。


それに行く事になった。



日帰りで、箱根に上って、御殿場まわりで帰ってこようと言う

結構、50ccにしてはハードだけれども


僕のはスペシャルマシンだし、ノリちゃんは

60ccのJT1で行く事にしたから


そんなに困る事もないだろうと思った。


オイルは満タン。ガソリンは

僕のGRは7Lも入るので、十分。

25km/lは走るので、帰ってこれるが

一応、予備ガソリンを2L、持って行った。



寒い時期だから、布のつなぎ(当時、ダウンタウンブギウギバンドの影響で

流行っていた)。を着ていったが

僕は、タイヤ屋さんのバイトで貰った、横浜タイヤのつなぎを着て。


その下にジャージ、ウインドブレーカ。

結構寒かったと思うが、16歳である。

若かった。



朝6時。

新聞配達を終えてから、すぐノリちゃんの家に行って。



一路、箱根を目指す。


ゆっくりゆっくり。国道を30km/hで走ると危ないので

旧国道を走る。


ふたり、50ccで走ると

エンジンの回転数が同じくらいなので、共鳴して面白い音がした。



ギターのハーモ二クスみたいな。



2サイクルなのだけど、ゆっくり走るとあんまり煙は出ない。


大抵、ノリちゃんが先で、僕が後。

これは、ずっとそうだった。


僕が先に立つ事は、そんなに無かった。



箱根を登りだすと、結構エンジンの音が大きくなる。

僕のはエア・ファンネルだから尚更。


旧道をゆっくり行こうと思ったが、空いているので

新道を行った。

こうすると、回転が高いまま走れるので

5速か4速で、50km/hくらいで登れる。


その代わり、カーブでも回転を落とせないので

結構スリルだった。


結構、走りっぱなしが好きなノリちゃんと僕で

結構、いいペースで登りきってしまった。


もちろん、僕のは改造バイクだから、だし

ノリちゃんは60ccだから。


10ccの違いは大きいみたいだった。



JT1は、古いタイプのエンジンで

ロータリー・バルブ。

キャブレターが横についていて面白いと思った。


それで、スズキみたいなスムーズで

よく回るエンジンになったんだろうと思う。


休み休み、水筒に入れたお茶とかを飲んで

景色を楽しんで。



休むよ、とかは

全部手振りで伝える。


景色の良いところ、とか。

左にウィンカーを出して。



砂利敷きの駐車場には、人はいない。



「雪なくて良かったね」


と、ノリちゃん。


まあ、ちょっとの雪くらいなら

ミニバイクは軽いので、足を付きながら走れてしまう。



70kgくらいだったと思う。



でも、この年は暖冬で

雪も無かった。


雪があったら引き返せばいいし。




芦ノ湖の見える展望台に付くと、10時くらいだったろうか。



お天気は良く。


山並みには白い雪があちこち。



下りが危ないので、ゆっくりゆっくり。

エンジンブレーキも、あんまり利かないので

静かに下りる。




彫刻の森、とか

全然縁がないので(笑)素通りして。


御殿場を目指し、北上。


日陰には、雪が残っているところがあって

滑りそうで怖かったけど

ノリちゃんは、良く見ていて


上手く避けて走っている。



たまに、水溜りに嵌ると

水しぶきが上がるので、結構楽しかった。



乙女峠も、この頃はトンネルが有料だったし

旧道が面白そうなので、遠回りをして旧道を通って。



50ccで丁度いいくらいの、狭い道。


向こうからクルマも来ない。



森の中を走ると、気持良かった。


峠で、お昼のおにぎりを食べた。



景色がいいと、とても美味しく感じる。



富士山が近くに見える。




御殿場に下りてからは、ひたすら旧道を走り、帰還。



夕方5時には着いたから、トラブルが無いと

結構走れるもので



ガソリンも持った。


ノリちゃんのJTは、意外と燃料を使わないみたいだ。




ツーリング。


何も考えずに走るだけ。

それがいいのかな、なんて思う。







この頃になると、大体の子が免許が取れて

真面目な子は、学校に預けたりしていたけど

ふつうは、そのまま乗っていた。

違反や事故が無ければ、大目に見て貰えていた訳で・・・・。

ここらへんは県立だから、「公務員」の感じで。


免許を預かれと上が言ったから、仕方ないからやったけど。

先生方の雰囲気はそういう感じだった。


預かったって、免許証不携帯か、再交付するから

何の意味もない訳(笑)。



不携帯って減点がないのだ。




当時は、原付バイクはヘルメットが努力義務だったので

僕らは50ccでツーリングに行くと、湖のそばで

ヘルメットを取って、風を楽しんだりした。


とても清々しかった。


ツワモノは、400ccの免許で750に乗っていたりした。

これも、当時は減点2の「条件違反」だった。

眼鏡を掛け忘れたのと同じくらいの違反。


北高生ではないけれど、古いホンダCB750をいい音させて走らせていた。



「いいなぁ」と、僕は思った。



兄の世代がちょうど、CB750が大ヒットした頃で

兄の友人たちが、挙ってCBや、Z2に乗っていた。



兄の親友に、大ちゃん、と言う人が居て

中学を出ると直ぐ、ガソリンスタンドで働きながら

定時制高校に通い。それでCB750を手に入れた。




大ちゃんはとても気さくな人で「おお、タマ、乗れ」と

僕をCB750の後ろに乗せて走ったりした。


オートバイっていいなぁと思った。




4本あるマフラーの下2本の芯を切って。

そうすると、低音の利いたいい音がして。



「いいなぁ、かっこいいなぁ。」と、僕は思って居たりしたけど


いざ、自分が買うとなるとシングルシリンダーが好きになるのも

面白い。



いつか、750は乗ってみようと思ったから、と言うのもあるかもしれない。



免許を取って。

それも、高校在学中に取ろうと思った。






バイクも建前上禁止だけど・・・。


ある時、14HRの須藤が

英語の美人教師、純代ちゃんを乗せて帰ったと言う噂が流れた。



純代ちゃんは、小柄だけどスリムで、ちょっと赤い髪の毛はストレートで

丸っこいカットで。


よく笑う可愛い先生だった。


高校教師にしては珍しいけど、田舎だからのんびりしてたんだろうと思う。





生徒より遅くまで先生は残っているから、須藤は

家に帰ってから、ホーク2で純代ちゃんを待ち伏せた、との事。


純代ちゃんはスカートだったので、シートに横座りして

お淑やかに走っていった、との事。


その後、ホテルへ行ったとか、いろいろ噂があったが

まあ、そんな事はいくらなんでもある訳がない(笑)


願望だろう。




その事で、須藤は停学になった。



それはそうだろうと思ったが、純代ちゃんが

学校に告げ口したのか?なんて噂も流れて


(そんな事する訳がないが。乗っていった時点で

教師のする事ではないし、それがバレてしまう)。



実際は、学校の側で待ち伏せしたから

誰かが見ていた、との事だったけど


暇な連中は、つまんない事を考えるもんだと

僕は思っていたりした。






「食うのに精一杯だよ。」と。




ノリちゃんのバイト先で、そろそろ空きが出そうだった。

高校3年生が、卒業するから。


「・・・とすると、三月かな。」



そんな風に僕は、吉報を待った。


洋一は他校で、自動車科に居たが

私立高校なので、バイクで事故を起こし

退学になった。

知り合うきっかけはCB無線で、当時流行っていた。

ソニーICB700を、兄が買ってくれて

それで、洋一と知り合う。


さっぱりした、いい奴だが

どういう訳か、教師と合わない。


彼も、バイクに乗らない約束で

ステレオを買って貰ったんだけど。


ダイヤトーン251、トリオ7700,と言うハードな音が好きで。

でも、カーペンターズが好きだったり。


良く、中学生の頃

一緒に遊んだ。


それが、高校になって。

生活が荒れて。


ヤマハのDT125Mを買って、走って居た。

が。

事故に巻き込まれ。バイクも大破。


路地から出てきた車に当たって。


その頃、ハードロックのKissを聴くようになっていた。



彼自身は、変わったようには見えなかったけど。


そのうちにGS400Eを買い、暴走族みたいになってしまう。


彼はディスコも好きで、僕も時々つき合わされた(笑)。


補導されないかと冷や汗もんだったが。


稔くんのようにはならずに済んだ。


彼は、やがて普通の家庭人になった。


いいお父さんしている(笑)。



3月頃に、ノリちゃんと同じバイト先ちゃんこ鍋屋さんのバイトに欠員が出そうだから、僕は新聞配達のバイトを辞めると言った。



そうしないと、引き継ぎ出来ないから

誰も配達出来なくなってしまう。


意外と早く人が見つかり、僕は

早起きから解放された。



なんて、楽なんだ。

普通の学生は。


そう思った。




暇が出来ると、下らない事を思いついたり

つまんない事で怒ったり。


そういえば、思うけど

須藤にしても、停学になると分かっているのに

なぜ、あんな事をするんだろう?


とか。


謙二くんにしても。洋一にしても。


高いステレオを買ってもらえる、恵まれた環境にあるのに

それに満足せずに。


なにか、思いついて。

思いついた事を実行したくて、ばたばたする。




訳が判らなかった。


しあわせなのに、わざわざ不幸になろうとする。



もともと不幸な僕(笑)には、思いもつかなかった。




洋一とは、一緒にタイヤ屋さんのバイトをした事があった。

高1になって、少しの間。


日曜日だけ、タイヤ交換の仕事。


結構、面白かったし、お金にもなった。


でも、洋一はなんだか、すぐに辞めてしまって

僕は、スーパーのバイトで日曜出勤が出来るようになってから

そっちにしたのだけど。


半分は、陽子さんに会いたかったから。それもあった。




その頃、15歳だった僕は、16歳になった僕から見ると

とても幼いなあ、と思ったりもした。



だから、陽子さんが可愛いと言ったのかな、と思ったりもした。




その、陽子さんからの手紙は滞ったまま

2月、3月。



僕も格段気に止めはしなかったから

15歳の頃よりは、すこし・・・・冷めたのかな、なんて思ったりもした。




3月になり、入試休みがあったりしたので


今度は、「のりたまツーリングくらぶ+友達」で行こうか、なんて

11HRの窓際、僕の席に来たノリちゃんが。



「どこがいいかなぁ」と、僕。


「・・そうだねぇ。相模湖とか、伊豆半島とか。」と、ノリちゃん。



「日帰り?」と、僕が言うと


「そうだよ」と、ノリちゃん。


剣道部の小野と、ノリちゃんの中学のクラスメート、12HRのオケと。

四人になった。


オケはMR50を持っていた。ヤマハのトレールのミニだけれども

ミニトレGT50とは違って、TY、RDと同じフレーム・エンジンだった。

僕のGRは、GTと同じフレームで、エンジンがRDのものに近かった。


小野は、どこかからハスラー50を借りたと言っているが

本当は自分のものなのだろうと思う。



結構小心な所があり、バイクを持っている事を

隠したかったのだろうと思う。



「富士五湖にしようよ」と、ノリちゃん。



「えー。距離あるよ。」と、僕が言うと



「こないだの箱根よりは楽だよ、平地だし、ほとんど。」と、ノリちゃん。


距離はあると言っても、坂が緩いし

街から離れている、信号が少ない、なんて理由で

速度が乗るから、と言う事らしい。



「・・・なるほど。じゃ、行くか!朝何時?。」と、僕。



暇なので、行きたい(笑)。




ノリちゃんは「6時でいいんじゃない?俺ん家の前で」と。


だいたい、いつもそうだけど。

ノリちゃん家は、バイパス道路のそばだから

ツーリングに出るのにも便利だ。





僕は暇になったので、よく

ノリちゃんの家にGRで行った。


音が煩いから、すぐわかると

ノリちゃんのお母さんに言われた。



排気音は低い、普通の50ccには聞こえない。

エア・ファンネルだから、空気がよく通るので

トルクが出る。爆発力がある。

圧縮を高くしてあるから、尚更。


空気が沢山入るから、ガソリンを増やす。


同じ50ccでも、力が出る。



代わりに、燃費が悪い(笑)、熱が出る。


25km/lくらいだったから、125cc並みだ。

パワーもそのくらいだった。





ノリちゃんは、音楽も好きで

トリオのアンプ、パイオニアのスピーカーと

ビクターのプレーヤー。


割と、はっきりした音が好きらしい。


それで、「ヤマト」の音楽とか、洋楽のポップスを聴いていたりした。



太田裕美さんのレコードを掛けたりすると


なーんとなく、陽子さんを思い出した。


そういえば、声もなんとなく似ている。



「木綿のハンカチーフ」の歌詞を思うと


「僕らの逆だなぁ」なんて思った(笑)



陽子さんは、いずれ東京あたりに行くのだろうから。


・・・いつか、こんなふうになるのかなぁ。


なんて、思わないでもなかったけど

でも、切ないとか、苦しいとか

そういうふうには思わなかった。




「木綿のハンカチーフ」のヒロインみたいに

思うのかな、なんて。


これも男女逆だけど(笑)


そういえば、陽子さんも

僕を「女の子みたい」と言ってたっけ。




なーんて、もの思い。



レコード聴きながら、友達とおしゃべり。

そういうのも楽しい。



ふつうの学生って、楽だなぁ。と思う。


おっと、ノリちゃんはバイトもしてるんだった。



ホーク2を買おうと、ちゃんこ鍋のバイトをしてるんだった。




お母さんが「自分のお金で買いなさい。」と。

いいお母さんである。


その為、400cc免許を取るお金も

バイトで稼いでいて。

そろそろ取るかな、と言っていた。






ツーリングの日の朝は、薄曇だったけど

一応、僕は合羽は持って行く事にした。

日帰りツーリングだから、荷物は少ないし

GRには荷台がついているので、結構荷物が載る。



ノリちゃんの家に行くと、もう、みんな来ていた。


オノは、毛布みたいなもこもこの上着だけど・・・。風が通るので

寒いと思う。まあ、剣士だから根性があるのだろう。


のんびりしていて、ちょっとおとぼけ。


銀縁の眼鏡で、にっこり。



オケは、ノリちゃんのテニス仲間で

スポーツ刈り、日焼け、小柄。


白いMR50だけど、荷物はほとんど無い。


旅慣れてるね、と言う感じ。


白い歯でにっこり。



幼馴染の恋人がいるけど、オケよりも背が高い。


そういうのもいいなぁ、と思う。




「よし、じゃ、行こうか。」



エンジンを静かに掛けて・・・と言っても

僕のは煩いので。

始動にちょっとコツが要る。


チョークがちょっと濃すぎるので、閉じていると

エンジンが止まってしまう。


なので、時折チョークを閉じ、回ったらアクセルをあおり

回転を徐々に上げていく・・・・。と言う

レース用エンジンに似た感じの掛け方をしないとならないから・・・。



でも、温まっていたから

普通に掛かった。


アイドリングは1500rpm。



「よし、じゃ、行こう。」と

ノリちゃん先頭、僕が2番手。

後ろはオケとオノ。

時々入れ替わっているらしい。


走りなれている僕らが前を行ったのだけど・・・・。


気づくと、オケかオノがこなかったりする。


信号に引っかかると。


一本道の間は問題ないけど、迷うと困るから

僕が最後尾に付く事にした。


ノリちゃんJT。


ぶーん、と言うエンジン音で良く回る。



ひたすら国道を走り、御殿場を目指す。


退屈なので、時々GRのエンジンを全開にして

飛ばしたりした。



低速だと、「もあー」と言う吸気音と

マフラーの「どこどこどこ、ごー」と言う音しかしないが


6000rpm辺りで力が出て


「かーん、ばりばりばり」と。


すごい力が出る。



レーシングマフラーじゃないので、10000rpmくらいしか回らないが

代わりに低速があって、走りやすかった。




で・・・・。



オノとオケは、疲れるのか


すぐに休みたがる。


オフロードバイクだから、と言うのもあるだろうけど。



なので、ちょこちょこ休憩を入れた。


「早いなぁGR」と、オケが言うので


「へへ。」と、僕は笑った。


その代わり、故障も多くなるのだけど。


夏など、プラグが溶けて

ピストンに穴が開いた事もあった。


気温の関係で、ガソリンで冷えなかった時。


それで、ピストンを変えたりしたけれど

そんなのは簡単だった。


で、怖いからプラグがよく冷える、9番のものにした。


B9HV。


溶けにくいVプラグ、白金電極のものにしたけれど

900円。ちょっと高かった。


でも、ピストンを代えるよりは楽だ。



御殿場市街を通らず、山沿いの道を進んで

籠坂峠に入る。


結構、坂がきつい。

ゆっくり走っているとオーバーヒートしそうなので


僕は「先に行く」と、手振りで合図して

一気にみんなを追い越し、スピードを乗せて

カーブをこなしていった。


50ccだから、カーブは広い。

別に怖いこともない。


40km/hくらいのペースで登れば、オーバーヒートはしない。


4速くらいで登れるので、エンジンの回転も低くて済む。




ゆっくり、2速あたりで登ると

風が来ないからオーバーヒートしてしまう。



自然な風当たりで冷えているから、かな。


ノリちゃんのは60ccなので、そのあたりは余裕だ。


峠のてっぺんを越えて、少し下ったところに

砂利の駐車場があって。

僕はそこで待っていた。



しばらーく、来ない(笑)。



湖が見える。山中湖かな。


まだ8時にもならないけど、おなかが空いてくる(笑)


朝は、納豆たまごつき。お味噌汁。


消化がいいんだろう。



おにぎりは一杯持ってきた。


おかかをしょうゆまぶしにして、ご飯に混ぜて。


それを握って、海苔を巻いたもの。


これが好きで、いつもツーリングに行くときは

これをもっていった。


芯には、梅干を入れてある。


こうすると腐らないとか・・。



US・ARMYの水筒を出して、お茶を飲んだ。



しばらく待ったら、ようやくノリちゃんと、

オケ、オノが来て。


「いやーきついな坂。」と、オノは笑っていた。


普通の50ccだと、そうだと思う。


カーブを曲がりきれずに、オノは飛び出しそうになったとか(笑)。



「体、傾けるんだよ。ハンドルは自由にさせて」と、僕は言った。


オノは慣れていなくて、ハンドルをしっかり持ってしまうから

バイクが曲がろうとしても、できない。



自転車と同じだけど。







帰りは、ひたすら帰るだけ・・・と言うと

つまらないかと思うけど

そうでもなくて、バイクを動かすと言う面白さがある。

僕なんかは、あちこち寄るよりは

走り続けた方が楽しいと思う。



でも・・・。



オノが、後ろから見ているとちょっとふらふらしたり。

信号で止まる時、ブレーキが遅れる。


僕は、危ないな、と思い


長いストレートで、ギアを3速に落とし、

みんなを追い越す。


6000rpmから、炸裂するような2サイクル・サウンド。


かーん、ぱりぱりぱり。


ノリちゃんに追いつき、「オノが寝てるよ」(笑)と

言うと、ノリちゃんも笑う。


街道沿いの、ちょっと広い駐車場に左・ウィンカー。



ノリちゃんが「オノ、眠い?」


オノは素直に「眠い。」



ノリちゃんは「じゃ、少し休もう。」



バイパスから、旧道に入ると

昔ながらのお店がいくつもあって。



和風の、座敷のある食堂を見つけ、ノリちゃんは先導。


「すこし、休ませてもらおうよ」



オノは「すまん。」


相当眠いらしい。


初めてのツーリングで、疲れたのだろう。



オフ・シーズンで静かなその食堂は、人もほとんどおらず


人の良さそうなおばちゃんが、三角巾にエプロンで「いらっしゃい」



ノリちゃんは「あのー、すみません、すこし休ませてください。」



おばちゃんは「あー、いいよ。そこの座敷で」と。


テーブルは土間だけど、上がりかまちに小さな畳の座敷・・と言う

よくある感じ。



そこに、オノは倒れこむように寝た。




僕は、あたりを見回すと・・・「手打ちそば」「ほうとう」


ノリちゃんをつつく。



ノリちゃんは「そうだね」と、にっこり。



「おばさーん、ほうとうできますか?」と。



おばちゃん、にっこり。


僕は、手打ちそばを頼んだ。



ほうとうは、かぼちゃとか、野菜とか、入っていて

いろいろ煮込んだ、面白い料理。


オノも、匂いに起きて来て「食う」。



食うと元気になる。(笑)。



オケも、にこにことほうとうを食べる「初めてだよ」



僕は、手打ちそばを頂いたけど、これも美味しい。

歯切れよく、腰があって。



ほうとうは、実は父のドライブでこの辺りに良く来たので

その時に食べたりしていて。





オノはすっかり元気になり。


おばちゃんに「ありがとうございました。」と、4人で挨拶。


おばちゃんは「いやいや、気をつけてね。またきてね。」





外に出ると、もう夜の雰囲気だけど

まだ5時くらい。


「日暮れ早いね」と僕が言うと

オケが「冬だからかな。」



とりあえず走ろう。



それから、ひたすら走る、走る。


籠坂峠も、山中湖から登るとそんなに辛くない・・・が。

下りが怖い。



登る時、きつかったから、そうだろうとは思ったけど。


エンジンブレーキで、唸らせながら。



ぱーん、ぱらぱらぱら・・・・ぱぱぱ。


と、僕のGRはレーシングバイクのよう。


他の三台はふつうに、わーん、と唸るだけ。



エンジンが壊れないか心配だったけど、峠を降りて

ひたすら国道、こんどはバイパスを走って帰ると

8時だった。


一時間休んだから、それがなければ7時に着いたかもしれないけど

でも、事故を起こすよりはいい。



記念写真をフラッシュで撮って、みんな、笑顔で別れた。



僕は、ふと思いついて

郵便局に寄ってみた。



局留めになっている手紙が来ていないか、と。


夜間窓口は薄暗かったけど。


掛かりのおじさんは「あ、ありましたね。」


祥子ちゃんのは、一昨日貰ったけど


それは、陽子さんのだった。




なんとなく気になり、郵便局のロビー、郵便貯金の引き出し機のある

辺りの椅子で、座って開けて見る。



受験の事が書いてあり、第一志望の美大は

落ちていた、との事。


でも、第二志望の専門学校には合格していたから

そこに行こうと思う。


そういう内容だった。



「そうか・・・落ちちゃったのか。」




2年だから、ちょうど僕が卒業するまでの間と同じだと

そんなことも書いてあった。




「・・・・良かったのかな。」

よく判らないけど・・・。




僕は、手紙をツーリング・バッグにしまって

バイクに跨った。



エンジンを掛けて、家へと帰る。


明日も、試験休みなので

学校へは行かなくてもいいし

アルバイトも、まだ始まらない。








東京で住む所は、幸い

今の会社の支店がそばにあるので

そこの近くに住めるそう。


僕の町に居た頃と、同じ形だそう。


「いい会社だなぁ」と、思う・・・。


福祉の思想で、会社を運営・・・か。



すごい経営者だと思った。





家に帰り、GRにカバーを掛けて仕舞う。

隣には、母のチャッピィがある。


母は、保険の外交員をしており

それで生計を立てていた。


兄も、会社員だが

給料を生計に回している。

全て、ではないが。

クルマが好きなので、セリカGTVに乗っていた。


「おまえが18になったら、やるよ」


と、言う兄だったが

クルマにはあまり興味が無かった。






翌日も休みだったが、近くにある図書館に行き

手紙の返事を書いた。


川のほとりにある図書館は、地域の銀行家の

寄付で出来た、と言う

面白い公立図書館だった。


「それも・・・福祉、かな。」


そういう時代だった。



なぜか、図書館の入り口に

いつも、べレット1800GTの綺麗な車が停めてあった。


エメラルド・グリーン・メタリック。


1600GT type Rではないのだけれど。



図書館の二階の学習室は、割と込んでいるが

きょうは平日なので、大丈夫。



窓際の席に座り、返事を書いた。



おめでとう、よかったね。

住むところも会社の寮なら、安心だね。

嘱託、なら今と変わらないから

アルバイトを探す手間も省けて。



恵まれていて、いいな。


絵の勉強、頑張ってね。


と、簡潔に書いた。


素直な気持だった。




長く付き合っていると、最初の頃よりは

感情が高ぶる、と言う事もなくなるけど

慣れ、だろうと思う。



だんだん、そうして。

夫婦みたいになっていくのかな、と思うと・・・・。



ちょっと淋しいような気もした(笑)。



可愛い女の子に恋愛して、上手くいったり、いかなかったり。

デートして、楽しかったり、振られたり。


そういう経験もまるでなく、夫婦になっちゃうのは・・・・ちょっと淋しい(笑)

そんな気もした。


「でもまあ、陽子さんも向こうで気が変わるかもしれないし。」

とも思った。


他の青年が、熱烈アタック!で

陽子さんの気持も変わる。



そういう事もあるな、と思うけど・・・・。


それはそれで自然なんじゃないかな、とも思う。



祥子ちゃんが、あのまま

いい子で育ってくれるといいなぁ、と

そちらの方が、どちらかと言うと気になった。


デリケートな子だから、ヘンな恋愛をして

おかしな人になってほしくなかった。



そんなふうにも思う。



シンプルな封筒を、図書館の通りにある

郵便局で出した。




なんとなく、ゆったりした休日だった。



「ツーリング、楽しかったなぁ。」なんて思いながら。








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