第2話 神様にあう話
「やぁやぁ! 気分はどうだい? まあ最悪だろうけどもね! ──グッモーニン、坂本陽介少年」
深い深い、深海の底から浮上するような、そんな眠りから覚めて一番初めに聞いた声は、俺を揶揄うような色をふんだんに含んだものだった。
ゆっくりと目を開けると、眩い光が目を刺し、反射的に目を閉じる。あまり血の通わない脳が働くことを拒否したかのように動かなかった。
少しして、明るさに慣れてから目をもう一度開けてみる。そこに立っていたのは、太陽のように輝く金髪に、夏の海のように青い瞳の美少女だった。
「……は?」
「えー、開口一番に出る声がそれ? もっと何かないの? ココハドコー、ワタシハダレー! みたいなさぁ」
「いや、自分のことくらいは流石にわかりますけど……?」
パッとみると絶世の美少女とも言うべき見た目だが、言うことはかなり失礼……というか、こちらのことを見下しすぎではないだろうか、この人。
というか、俺はどうなったんだ? 流石にあれほど車に近かったら轢かれたと思うんだけど……。
「あっははは! まあ色々と聞きたいこともあるだろうし、こっちも君に言いたいこととか色々あるんだよね。とりあえず、落ち着いて話ができる場所まで移動したいんだけど……。少年、君立てる? 血とかまだ足りないと思うんだけど、フラついちゃうと危ないからね、ゆっくり起き上がりたまえよ」
俺の脳内の疑問が顔に出ていたのかもしれない、目の前の少女は快活に笑い、俺を気遣うように顔を覗き込む。
……想像以上に俺に対して親切だ。友好的と言ってもいい。しかしその態度にどこか薄寒いものを感じて俺は少し身を固くした。が、敵意をあらわにして相手の心証を悪くするのはまずい。せっかく状況を知っている可能性の高い相手がいて、さらに友好的に接してもらえているのに、それをわざわざ不意にするのはこの状況では愚かすぎる。
俺はひとまず少女の言う通り寝かされていたらしい寝台から起き上がり、真っ白な地面に足をつけた。
そうっと力を入れると、これまでの17年間の人生で何度もしてきたのと同じように、2本の足は俺の体重をしっかりと支え、地面にまっすぐ立つことが出来た。そのことにひとまず安堵し、俺は大きなため息をついた。
「うん、大丈夫そうだね。良かった良かった。じゃ、こっちついてきて」
美少女(?)が俺に手招きする。とりあえずはついていったほうが良さそうだ。彼女の後ろにつき部屋をでて廊下を進んでいく。
改めて見渡してみると、この場所はどこか西洋風な宮殿とか、城のような豪華な造りをしていることが分かる。なんとなしに天井を見上げると、先ほど俺が目覚めたばかりのときに眩しいと感じた原因である、豪華なシャンデリアが目に入った。
今踏んでいる絨毯もふかふかで、廊下に飾られている絵……の価値は俺にはわからないが、その縁を彩る額縁が恐ろしいほど精巧な作りをしていることが素人目でもわかるほど美しく、思わず見入ってしまう。
……なんか急に怖くなってきた。なんだここ。俺みたい庶民がいていいような空間ではない気がする。
というか、俺の最後の記憶は日本のいかにも普通の道路だ。こんなファンタジーに出てきそうな城、近所にあるとはとても思えないし、そんな記憶もない。どう足掻いても家からは遠いところまで来てしまったということは否定できず、気分が重くなった。……俺は、無事に家に帰れるのだろうか。
そんな俺の気も知らず、少女はどんどんと前へ進んでいく。改めて落ち着いて観察してみると、彼女自身もものすごく値の張りそうな純白のドレスを身に纏っている。
少女の背丈より幾ばくか長そうなそれは地面について引き摺られているが、これだけ手入れの行き届いた絨毯なら高級なそれを傷付けることはないのだろう。
先程まで寝ていたからだろうか、まだ少しだけぼんやりとする頭を働かせるため、事故のことや俺の今置かれた立場などより先に、そんなどうでもいいことを考えていると、あっという間に廊下の先の部屋に着いてしまった。
「さ、どうぞー」
「あ、すんません……」
って、馬鹿か俺は。こういう時はレディファーストみたいなのがあるんじゃなかったか!? いや、でも前を先行されてたし……。てかすんませんってなんだよすみませんだろ!
想像以上に配慮が足りてなすぎる。もしかして、まだ脳みそが十分に働いていないのだろうか? これからの俺の身の振り方をできる限り早く決めなければならないというのに、こんな調子では先が思いやられる……。
俺は気を引き締めるため、大きく深呼吸し、両頬をバチバチと叩いた。新鮮な空気が体に入り込んだことで、少しだけ体全体を包んでいた怠さが薄まったような気がする。
「さて、お茶淹れてくるからそこ座っててね! キミってば病み上がりみたいなものなんだから、無理は禁物だよ〜?」
結局部屋に先に入れてもらい、気まで使わせてしまった……。ひとまず勧められたとおりに席に座り、辺りを見渡す。
入ってきた部屋は先程まで寝ていた部屋や廊下とはガラリと雰囲気が変わり、都会にありそうなお洒落な店、といった感じの部屋だ。沢山の棚やよく店にあるガラスのケースがあり、そこかしこに様々な装飾が施された綺麗な箱たちが置かれている。
俺が今座っている椅子の前には木の温かみを感じる机と、その奥にもう一席同じ椅子が置かれている。机の上には紫色の石で飾られた綺麗な宝石箱のようなものがあった。
石はおそらく宝石だろう。もちろんイミテーションの可能性もあるけど、何でだろうか、禍々しいとは少し違うような、ただ不思議なオーラがあるせいで、その宝石をニセモノだとは思えなかった。
それから何より……その箱の装飾や箱の持つオーラが、俺にはとても懐かしかった。その箱に抱いた印象が、昔椿が俺と蒼に見せてくれたオルゴールに似ていたからだ。
椿のオルゴールは赤色で、今目の前にある箱よりも少し装飾を抑えた、上品な印象のものだった。箱の蓋を開けると聞いたことのない、しかし不思議と泣きたくなるほど懐かしくなる音楽が流れるのだ。彼女は父親にフリーマーケットで買ってもらったというそのオルゴールをとても大切にしていて、かなり古いものの割にはきれいな状態を保っていた。
あのオルゴールはどうしたんだっけ、と思考が行きついて、はたと止まった。そうだ、あのオルゴールは椿が火葬されるときに、一緒に燃やしてもらったのだ。事件のことや、葬儀での椿の両親の悲しみようを思い出して胸が詰まる。
そんなことを考えていると、奥の部屋から少女がなにやら盆を持って歩いてきた。……いけない、今は自分の身のことを第一に考えなくてはいけない。
──そうでなくては、きっと椿は怒るだろうから。俺は気持ちを切り替え、椅子に浅く座り直した。
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