第20話 記憶と覚悟の話
「うっわ~~~~!外だ!草原だ!ひっろ~~~~~~い!!!」
先ほどまで閉め切られていた窓を無遠慮に開け、モネがそう叫ぶ。途端、空気の流れが滞っていた室内に強風という大きな変化がもたらされ、モネが開けた窓と対で取り付けられた窓をガタガタと震わせた。どうやらモネは今はご機嫌らしい。彼女の楽しそうな様子に、俺も自然と笑みが零れた。
──良かった、とりあえず今は、元気そうだ。心の底からかはわからないけど……。
「……っるせぇ……。こっちは寝てんだよ、静かにしろ……」
……まあ、サイカさんはそんなモネの様子があまり気に入らないようだ。無理もない。つい先ほどまで壁にもたれ掛かり穏やかに寝息を立てていたのだから。
彼は出会う前から続いていた長い睡眠が開けたばかりだからか、はたまた本人の持つ体質からか、今のような空き時間には眠っていることが多いようだった。なんでも唐突に抗えないほどの眠気に襲われるらしく、眠る前と寝起きはすこぶる機嫌が悪い。初対面での俺への態度もこれが原因だろう、とアルトと王女様は考えているようだった。
この一か月間で俺やモネ、サイカさんの3人は、マーガレット様や国王陛下からそれぞれ自身についてや、元いた世界についてなどのたくさんの質問を受けた。主な目的は俺たちの元いた世界での常識とこちらの常識をすり合わせることであり、俺とモネについてはつつがなく進行した……のだが。
「えー、折角ひさしぶりに国から出れたのに!ちょっとくらい外の空気を楽しませてくれたっていいじゃん!サイカ君のケチ!」
「耳元でギャンギャン叫ぶな、もっとうるさくなるだろ……」
サイカさんの文句に不満そうにモネが口を尖らせる。が、すぐに言われた通りに全開にしていた窓を閉じた。ガタガタと騒音を鳴らしていた反対側の窓もなりを潜め、馬車の中に再びの静寂が訪れる。
──いつになく素直だな。
口の中だけで呟いた言葉は聞こえてはいないだろうが、向かいに座るアルトが俺の独り言に答えるように目を伏せた。彼の美しい顔には憐憫のような、はたまた同情のような、憂いの表情が乗っている。
そもそも、モネとサイカさんの口喧嘩は頻度が多いだけではなく、長引くことがしょっちゅうだ。2人とも我が強いこともあり、売り言葉に買い言葉で喧嘩はどんどんとエスカレートしていくのが常だった。今のだって、普段ならばここからさらにモネが煽り返し、サイカさんがそれに乗っかる形で口論が続いていただろう。
──そう、普段からば。
現在口論が続いていないのはモネが素直に折れたからであり、いつもよりもサイカさんに対して慎重に接している理由に、俺は心当たりがあった。
先程触れたように、サイカさんの不機嫌の理由は彼が原因不明の睡魔に襲われることなのだが、それ以外にももうひとつ、サイカさんの身体には避けられない問題があるようだった。
そしてその問題は、現在俺たち4人が乗っている馬車に、マーガレット様の姿がない理由にもつながってくる。
──それが、『元いた世界での記憶がない』ことであり、目下の俺たちの最大の課題だ。
当たり前だが、俺たちはこの世界に来てまだ日が浅い。そのためモネと俺にとって元の世界での記憶というのは人生での記憶の大半を占めていて、俺たちが「勇者」を目指す理由になっているわけだが、これがサイカさんには存在しないのだ。元の世界の知識についてはある程度残っているとはいえ、これは精神的支柱がない状態で立っているのと同義であり、安全はある程度保証されているとはいえ「勇者」選定は生命の危機に陥ることもある。本来ならばもっと狼狽したり、酷い場合で発狂していてもおかしくはない、とのことだった。
また厄介なもので、この症状はいわゆる「記憶喪失」とはいえないらしい。原理はわからないが、もしも記憶喪失であったのなら俺の「治癒」で治せるらしいのだが、その手の専門家に診てもらったところ、なんらかの干渉を受けて記憶がなくなっている可能性が高い……らしい。
アルト曰く、記憶というのは人間が人間として生きるのにかなり重要なものであり、それの大半が失われている現在のサイカさんはかなり不安定な状態であり、それゆえに機嫌があまり良くないのだということのようだった。
また厄介なのが、こうなってしまっている理由が「外部からの干渉」によるものであるということだ。
その外部というのがこの国に対してよく思わない諸外国からのものだった場合、サイカさんが敵に回る可能性がある、ということになる。
そうなった場合、俺たちの中で真っ先に危険な状況になりかねないのが王女であるマーガレット様と、国王陛下ということになる。次点で俺、モネ、アルトだ。
だからこそ、念のため、ということでマーガレット様は俺たちとは別の馬車に乗っている。
実は、サイカさんの置かれている状態──の中でも記憶喪失が外部からの干渉によるものだとの診断がでたことについて知らされたのは、国を出発するほんの少し前だった。
それからのことは誰でも容易に想像がつくだろう。知らせを聞いて血相を変えた使用人の人たちの顔は今でも忘れられない。当たり前だろう。自分の国の王女が敵国のスパイかもしれない人間のそばにいて何も警戒しない方が危機感がなさ過ぎる、ということだ。
そのためもちろんのことながら、ほとんど全ての使用人がマーガレット様とサイカさんが一緒に行動することを引き止めたのだが、その全てをマーガレット様本人が跳ね除けた。
そもそもの話だが、このし旅程期間中は俺たちのそばには常にアルトと何人かの使用人さんが着くことになっている。そんな中でマーガレット様に対して刃を向けようものなら確実にアルトをはじめ、彼らが止めるだろう。
何より、異世界人としてそれぞれ強力な能力を持っている俺たちではあるが、いかんせん戦闘経験も練度も何もかもが足りていない。
幼くして現在知られているほとんど全ての魔法・魔術を扱い、剣の扱いが卓越しているマーガレット様が、俺たちごときにそう簡単にやられる筈がないのだ。
実際、この1ヶ月の間に何度か俺たちで束になってマーガレット様と組み手をしたのだが、結果はどれも惨敗。3人ともボロボロの状態で地面とお友達になるという結果に終わった。
結局、最終的な判断は国王に委ねられ、彼が首を縦に振ることで事態はひとまずの収集を収めることになったわけだ。
とはいえ、ただでさえ問題行動が多く、城内の人たちや国民にあまり良い印象を持たれていない俺たち異世界人組は、この伝令が入ってからより肩身が狭い思いをすることになってしまった。
おそらく、城を出発してからのモネが気が重そうなのは、唐突に判明したサイカさんの身の上と、俺たちを見送る際の国民の人々の冷たい視線故だろう。
また、今回の一件によってマーガレット様と馬車が分かれてしまったことも大きいと思う。
──なんとなく、だが、モネはマーガレット様に対して依存気味なのではないかという節が、行動のあちこちから見えるのだ。
考えてみれば、モネはまだ元の世界でいうところの中学生ほどの年齢な訳で、親元を離れるにはやや早すぎる。こんなことにならなければ、今頃は両親のもとで普通に学校に通い、友人たちとお喋りに興じるどこにでもいる少女だったはずなのだ。
──そう、だったはず、なのだ。
現実は非情なもので、気まぐれな神によって何もかもを奪われた状態で見知らぬ世界へ放り込まれ、あまつさえ取り外し不可能な謎のマスクまで着けられる始末だ。……最後はなんでそんなことになっているのか、正直理解が未だに及ばないんだけど……。
とはいえ、こんな状況なのだ。彼女が何かに縋りたくなる気持ちも痛いほどわかる。おそらく、モネがマーガレット様にべったりなのは、同年代で同性だからなのだろう。
本来であれば、モネに対しては何かしらのメンタルケアを行うべきなのだろうとはわかっている。大人であり、現在の俺たちの保護者であるアルトや国王陛下……、年下に迷惑をかけるのは情けないけど、マーガレット様だって、細々した部分で、俺たちが出来る限り精神を削らないよう努めてくれているのはひしひしと伝わってくる。が、3人とも忙しい身だし、勇者選抜に参加するにあたって俺たちがしなければならないことも山積みなのだ。ここで悠長にメンタルケアに時間をかけていられない、という彼らの考えも、なんとなくこの1ヶ月、肌で感じていたことだった。
モネが必要以上にはしゃいで見せるのは周囲に心配をさせないためか、はたまたそうでもしないと気持ちを保てないのかもしれない。
そんな彼女からマーガレット様を引き剥がすことは、少なくとも俺には残酷に思えるのだ。
俺がモネのような立場ならきっと同じことになっていただろう、とも思う。
……正直、俺だって不安がないか、と訊かれると困ってしまう。今までずっと一緒に生活をしていた家族と離れ離れなのは生まれて初めてのことだし、帝国にいるという蒼のことだって、実際に会うまでは心配で仕方がない。これから魔物や他の参加者たちと戦わなければならないというのも怖くてたまらないし、その過程で命を失うかもしれないのも……想像するだけで、膝が震えて立ち上がる気力が失せるほどだ。
それでも俺が今こうしてなんとかやっていけているのは、友人であるアルトの存在や、マーガレット様や国王陛下の気遣い、それから……椿の死の、真相がわかるかもしれない、という希望だ。
なにせ、椿が亡くなって、蒼が居なくなってからずっと呆然としながら生きてきたのだから。
あの日々を思うと──、あの絶望を思うと、遥かに現状の方がマシだと思えるから、こうして気を保っていられるのだ。
それを考えると、自分の力で、自分の行動で状況を変えられる可能性のある現在は、俺にとってそう悪くないもののように思える。……少なくとも、現状が最悪であろうサイカさんとモネよりは。
だからこそ、俺が2人よりもしっかりしなくてはならない。この1ヶ月、2人には1番頼りなかった俺を物理的に支えて続けてもらったのだから、今こそ恩返しできるように。
俺はそう考えて、ひとり胸中で覚悟を決めるのだった。
──こうして、馬車は静かに帝国の道を辿っていく。重い空気と、ひとりの確かな覚悟を乗せて。
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