067 外神の爪痕

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 三人は、一緒に室内に入った。


 信じがたいことが起きた。

 空いた客室がひとつしかないと言われたのである。


 部屋がないと言われたことはこれまで何度かあったが、ひとつしかないは初めての展開だった。


 ともかく隅に荷物を置いて話し合いの体勢をとる。

 ちなみにここはふたり用の部屋であり、寝台も当然ふたつしかない。もし三人で泊まることになったらロビーの長椅子を貸してくれると受付嬢のお姉さんは言っていた。


「……とりあえずおまえらはここに泊まれ。俺は別の宿を探してくる」


 ミルンはそう言った。まあ当然の発言だ。

 だが、それで済みそうにもないからこそ、今こんな状態なのである。


 果たしてララキかミルンかはわからないが、恐らくふたりのどちらかは、つくづく不運を引き当てる才能に恵まれているらしい。

 ここシレベニは三日後に祭りを控えていたのだ。

 しかもフォレンケに関係する宗教的意義の強い祭礼などですらなく、完全にここの住民が楽しむことを主な目的とした、地元の商業団体が主催している催事らしい。


 そのために近隣の住民や観光旅行中の術師がぞくぞくとシレベニに集まっている。

 つまり、この宿がとれたことが奇跡に近く、今から他の宿を探すのは難しいですよとお姉さんに言われてしまっていた。


「なんなんだこの状況……あれか? 神の試練なのか?」

「いや、さすがにそんなわけないでしょ……とりあえず、ミルンが探したいなら止めないけど、見つからなかったら戻ってきていいからね」

「いや、でも、さすがに」

「野宿のときとかふつうに三人で雑魚寝してたし、あたしは平気だよ。……スニエリタはまあ、あれだ、あたしが守るから……」


 いや、襲わないとは思うけども。

 とりあえずいつかスニエリタを家に帰すときは、今日のことは秘密にしておいたほうがいいだろうな、とは思う。たぶんお嬢さま的に男と同じ部屋で寝るのはまずかろう、そこで何もなくとも。


 念のためスニエリタにも大丈夫だよねと確認すると、さすがにかなり困惑していたが、一応頷いてくれた。


 かといってミルンもはいそうですかとは言えないようで、一応探してくる、と言って出て行った。

 でもたぶん彼の中にも多少諦めの気持ちがあったのだろう、荷物を置いたまま忘れている。

 財布とかは別で持っているだろうが、着替えとかその他必要なものはぜんぶこっちだ。何にしろ戻ってくる流れだな、これ。


 とりあえずララキたちはここに泊まるのが確定しているので、気になるお風呂のようすを確認した。


 部屋の奥に中途半端な壁で仕切られた小部屋があり、そこが浴室だ。

 扉がない、というかほんとうに仕切ってあるだけで、使うときは衝立を立てるようになっている。


 浴槽は南部と同じく盥式だった。

 まあそうだよね、と納得するララキとは対照的に、スニエリタはこれにも困惑していた。どうやら使ったことがないらしい。

 盥の大きさはそこそこあるし、今日は一緒に入ろうかと言いながら、とりあえず水を落とす。


「こうやって先に少し溜めておくんだよ。お湯だと時間かかるけど、水ならすぐ出るし、弱めの炎の紋唱で温められるから」

「まあ……勉強になります」

「でもよかったね、ちゃんとお風呂のある宿だし、しかも部屋風呂って希望も通ったし」

「はい、あの、ありがとうございます。わたしからだと、言いづらかったので」


 じつはこのお風呂の問題は、今日になって言い出したのではなく、すでにララキとスニエリタの間で話し合われていたことだった。


 ハールザの町に泊まった夜のことだ。


 その日の宿はお風呂が共用の大浴場のみだった。身体の紋章のことがあって人のいる時間帯を避けたララキだが、それはスニエリタも同じで、結局ふたりで深夜になってからの入浴にした。

 スニエリタもまた、身体からタヌマン・クリャの支配が抜けたあと、まるでそれを忘れるなと言うかのように、奇妙な模様が背中一面に浮き上がっていたのだ。


 スニエリタはそれを知らずに最初のアランの街の宿で同じような共用風呂に入り、周りの奇異なものを見る視線によって気がついたらしい。泣きながら部屋に戻ってきたのでララキは事情を知った。


 そのことはミルンには言ってない。伝える必要があるかどうかわからないのに、他の女の子の身体のことを話すのはどうかと思ったのだ。

 もし教えたほうがいいと思っても、なんにしろスニエリタ本人と相談しなければ、ララキの一存で勝手に話すわけにはいかない。


 しかしなぜ外神は彼女に痕跡を残していったのだろう。さんざん利用して、もう用なんてないだろうに、どうしてそっとしておいてくれなかったのだろう。

 それにその模様というも、今まで見たことのあるどの紋章にも似ていない、まったく謎めいたものだった。

 わざわざ残したのだから何か意味があるのだろうが、いったい何が目的なのだろう。


「スニエリタ、その……背中のことだけどさ。神さまには相談したほうがいいと思うんだ。とりあえずそういう配慮ができそうな女神さまをひとり知ってるから、フォレンケになんとか仲介してもらえないか聞いてみていい?」

「……そうですね、きっと自然には、消えないですよね……。ぜひ、お願いします」

「わかった。よし、お寺じゃないけど、首都だしかなり古い街みたいだから、たぶんここでもいけると思う」


 ララキは眼を閉じて、フォレンケに語りかけた。

 できるだけ頭の中で、初めてフォレンケに会ったときの荒地の光景を浮かべながら、慎重に言葉を選ぶ。フォレンケも一応は男の神なので直接本題を言うのは憚られる気がしたのだ。


 ──フォレンケ、聞こえる?


 返事はない。でも、これまでの経験から言ってこの神は返事がやたらと遅いので、あまり気にせず続ける。


 ──お願いがあるの。ルーディーンとお話したいんだけど、どうにか会えないかな?

 ほんとはあたしたちがワクサレアまで行くべきなんだろうけど、ちょっとそれは難しいし、できればすぐ話したい。


 とりあえずそれだけ言って、じっと返事を待った。


 そもそもフォレンケにちゃんと聞こえたのか、詳しい事情も言わずにルーディーンを指定したことをどう思われるか、引き受けてくれるのか。

 そしてフォレンケがいいよと言ってくれても、ルーディーンのほうで応じてくれないかもしれない。


 念のため、もう一言付け加えてみる。


 ──タヌマン・クリャにも関係あるんだけど。


 これが効果覿面だったらしい。急に足元がふわっとなって、眼を開けた覚えがないのに視界が拓けた。

 荒地ではなく山の中のようだったが、目の前の岩の上にフォレンケが座っていたので、きっとハールザ山に連れて行かれたんだなと思った。


『どういうこと? 何かあったの?』


 心配そうな顔でフォレンケが言う。いや、相談したいのはあなたじゃないんだけど、とはさすがに言えないので、ララキもちょっと困りながら答える。


「スニエリタのことで、できたらルーディーンにだけ言いたいんだけど……」

『そういうわけにはいかないよ。外神に関することなら共有事項だ。それにルーディーンは盟主なんだよ、ボクがおいそれと呼び出せる相手じゃない』

「うーん、そこをなんとか! 女の子の問題なの、たとえ神さまでも男の人には言いづらいっていうか……」

『よくわからないけど女神がいいの? サイナだったらすぐ呼べるけど……いや、でも彼女にそういう配慮は無理だな、忌神だし』

「……」


 だめだこのヤマネコ、かわいいだけで頼りにならない。


 そりゃあタヌマン・クリャのこととなれば、最終的にはルーディーンだけの胸の内に留めておける問題ではなくなるかもしれないが、それでも譲るわけにはいかない。

 たぶんあの背中のことを話したら実際に見せなければいけなくなる。

 そしてララキの問題ではない以上、じゃあ他の神でもいいよと妥協するわけにもいかない。


 この際、多少時間がかかってもいい、ルーディーンの都合がいいときに呼んでもらうことはできないだろうか。

 ララキは一生懸命お願いしたが、フォレンケからは斜め上の回答が返ってきた。


「あ、そうだ、ヴニェク・スーならすぐ来てくれるよ! 一応きみたちとも面識あるよね?」

「えっ……ヴニェクって女神だっけ!? あと面識なんてないよ、会ったことも喋ったこともないし、攻撃されただけだし、そのときはスニエリタもいなかったし……」

「ああ、きみら目線ではそうか。まあいいや、ヴニェクに声をかけておくから、たぶん今夜には来ると思うよ」


 ちょっと人の話をちゃんと聞いてよ、と言いかけたがそのまま現実に引き戻された。


 例によってひっくり返っていたララキは寝台に寝かされていたが、いきなり眼を見開いて「なんでそうなるの!?」と叫んだため、スニエリタはめちゃくちゃびっくりしていた。


 ともかく起き上がって説明する。


 フォレンケには会えたこと、しかしルーディーンに取り次ぐのは無理だと言われたこと。

 そしてなぜか代わりにヴニェク・スーを呼ばれてしまったこと。


 もちろんスニエリタはルーディーンもヴニェク・スーも名前しか知らないため、この事態のおかしさをすぐには理解できなかった。


 ヒツジの女神ルーディーンは大人しくて理性的、前にもララキと言葉を交わしているし、なんならタヌマン・クリャの紋章と一緒に戦ったこともある。

 今のところララキにとってはいちばん信用がおけて頼りにもなる神だ。


 一方、ハヤブサの女神ヴニェク・スーとはそもそも対話すら成功していない。語りかけたら怒って地震を起こされ、そのあと何度か幻獣を差し向けられた挙句、ミルンがちょっとした大怪我をした。

 そういえばそれが操られていたころのスニエリタとの出逢いだ。


 そういうわけで、とにかくヴニェクにはいい印象がない。

 と伝えると、スニエリタもちょっと青ざめた。とくにミルンが怪我をしたくだりで。


 フォレンケももうちょっと考えてほしい。女神ならなんでもいいわけではない。

 ヴニェクみたいな凶暴そうな女神が来てくれるくらいなら、多少態度が悪くてもサイナのほうがまだマシだった気がする。というか今日すぐじゃなくていいからルーディーンを呼んでほしかった。


 というか、……ヴニェク・スーとまともに会話になるんだろうか? また攻撃されたりしないか?


 まったくもって不安しかない。


 しかし悩んでも女神の襲来はもはや止められそうにもない。

 どうにか気持ちを切り替えようと、盥のようすを見にいった。ちょうど、ほどよく腰まで浸かれそうな量が溜まっていたので、一旦止める。


「ミルンも当分帰ってきそうにないし、先にお風呂入っとこうか。戻ってきてからだと面倒だし」

「そうですね。えっと……服はどこに置けば……」

「待って、籠持ってくる」


 脱いだものを入れる用に洗濯籠を置き、ついでに衝立も設置する。


 このあたりは空気が埃っぽいから肌がざらざらする。早く洗い流したいなと思いつつ、紋唱で盥の水を直接温めていく。

 溜める量をやや少なめにしておいたのが重要で、どれだけ気をつけて制御してもちょっと熱すぎるくらいになってしまうので、さらに水を落として少し冷ますのだ。


 手を突っ込んで具合を確かめる。

 まだちょっと熱いが、どうせこのまま冷めていくので、これくらいでいいだろう。


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