第二章 自分だけが輝くシステム

伝統的な大企業の会議室は 葬儀場と同じ匂いがする。

「おい、ここは本社だぞ、革靴くらい履いてこんか」

 専務の百々海(とどみ)は、にこやかに声をかけた。

「すみません、急なお呼び出しだったので」

 執印(しゅういん)ひろしはお世辞笑いをしながらも、謝る。

 この男、外面と内面が全く違う。おれはそれを十分体験してきた。

「ありがとう、監督と二人で話したいんだ」

 百々海(とどみ)は秘書に声を掛ける。

 重役会議室は二人だけになった。

「ヨット部はどうだ、投資したリターンは無いと困るぞ」

 百々海が本性を見せ始めた。

「先月のレーザーラジアルでは女子選手が優勝しました」

「そんなことを聞いているのじゃない。当社はオリンピックに向けて企業イメ

ージを新たにする。だからスポーツ部は実績と、ふさわしい露出をしてくれな

いと困る。別にヨットの勝ち負けだけに金を入れいてるわけじゃないんだ。」

「セーリングはなかなか注目を浴びづらいスポーツです。」

「それをしっかりやることがお前の仕事だ、物事にはきちんとした順番が有る。

それくらい雇ったときに分かっとけ。だめなら他のスポーツに予算を振り向け

る。仕組みとはそういうものだ、そうだろう?」

 専務の口癖だ。

「わかっていります」

 そう答えるしかなかった。おれはセーリングの監督としてはそれほど実績を残しているわけではない。

 しかし、この世界では選手として多少知られた存在と

自負している。だが、それだけでは日本でトップの精密機器メーカーのヨット

部に監督として呼ばれることはない。

 そのために、人に言えないような汚いこ

とも随分やってきた。大切な人たちを裏切って来た。

 だが、ここで管理者とし

て実績を残せば次のキャリアが見えてくる。特に大切なスポンサーを怒らせる

わけにはゆかない。そして、それが自分のためであり、結局日本のセーリング

業界のためになるのだ。

 一方、百々海(とどみ)はこの企業で広告部担当専務でもある。オリンピックをきっかけにし、スポーツを利用する。そして企業ブランドを一気にあげて手柄をたてよう、と考えているのだ。だから彼の部下はきちんと動いてもらわないと困る。だめなら入れ替えるだけだ。ポートフォリオ戦略といってもよい。

 そしてその末端は人間が働いているなんて少しも考えていない。そう、

百々海(とどみ)に興味があるのは自分だけだ。


「セーリング協会からオリンピック出場種目について相談があった」

 百々海が続ける。

「男子は前回通り、女子は470とレーザーラジアルを選びたいという」

 おれの頭にアンの顔が浮かんだ。

「メダルを取るためには順当な選択ですね」

「おれはレーザーラジアルはやめさせて、代わりにナクラを採用させるつもり

だ」

「協会の提案に異を唱えるのですか?それに弊社にしても複数のメダルのチャ

ンスですよ?」

「ナクラは男女混合だ。絵的にも映える種目だ」

「しかし?」

「協会にはたっぷりスポンサーフィーを払っている。会長は俺の後輩だ。逆ら

えんよ」

「それは...結果のために努力している選手が可愛そうです」

 百々海の黒光りした顔に赤みが差す。おれは自分が境界線を踏み越えてしまったことに気がついた。

「470のクルーは佐伯秀子だ。スキッパーは今日本でベストなやつを連れて

くる。それに合わせてチームを集中的に作り変えろ。いらないやつは首にしろ。分かったな。」

「……」

「文句があるやつはリスト入りだ。それがシステムだ」

「わかりました」

 それだけ言いはなつと百々海は興味を失った様にスマホを取り上げた。


「お前、まだいたのか」

 百々海(とどみ)がスマホでの会話を終えてこっちに振り返った。まだおれが会議室にいることに気がついたのだ。


 勇気を振り絞って発言した。おれだってセーリングで食ってきたんだ。

「一つだけお願いがあります。リスト入りした選手の扱いですが、私に任せて

もらえませんか?」

「だめだ。それはお前の仕事の範疇ではない・そんなことも分からんのか」

 百々海は不機嫌に断言した。

「わかりました。では人事担当に専務のご指示を連絡しておきます」

「よくできた。さすが俺が見込んだ男だ。期待しているぞ」

 おれの目の中まで覗き込むようにして捨て台詞を吐く。

 百々海は人に意見されることを極端に嫌う。その意見がどうであるかは

関係ない。自分が支配する人間に自分が同意することが許せないのだ。

 だからおれは、わざと懇意にしている人事担当者に権限が回るように発言したのだ。 そのかわり、自分の評価ポイントは下がっただろう。

「まあ、仕方がない」

 おれは自嘲気味につぶやきながらその消毒薬臭い会議室を後にした。


 その足でおれは人事部を訪れた。

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