第一章 撃ち落とされた彗星
目を覚ました時、見慣れない白い天井だけが目に入る。
「あれ」
何が何だか分からない。そうだ、バウ沈(進行中のヨットが船首から転覆すること)したのだ。額の感覚が鈍い。カサブタが何十にも積み上がったみたいだ。
おまけに片目が見えない。手を挙げると包帯がぐるぐる巻かれている。
記憶をたどってゆく。そうだ、ジュンが海面に落ちてゆく。
「気がついたか」
男性の声がする。
「ジュンは?」
「意識が戻らない」
コーチがつぶやく。
「どういう事?」
「船の下敷きになっていた」
「レスキューは?」
「レース中の海域でも、お前たちはハズレにいた。レスキューは遅れたようだ」
「何分?」
「おそらく二十分、まずお前が血まみれで海面に浮いていた」
「ジュンを発見したのはそれから十分後だ」
「人工呼吸は?酸素は、ICUにはいつ?」
「最善は尽くしたさ、でも彼女の心臓は止まったままだった、緊急救命でかろ
うじて動くようにはなったのだが、意識はないままだ」
「彼女に会える?」
「今はだめだ、ドクターに聞いてみる」
そういうとコーチは病室から出ていった。あたしはひとり残された。
「ジュン、大丈夫だよね、すぐに気がつくよね」
あれほど眩しかった夏の日も、ただ何かにすっぽり覆われたようだ。自分の手さえ見えないような暗闇に変わっている。
「大丈夫だよね」
あたしはもう一度、つぶやいた。
それから三日たった。
やっと自分で歩けるようになった。
トイレの鏡に映る自分に驚いた。
「ひでぇ」
包帯から血が滲んでいる。片目は視力が落ちたままだ。それだけで世界は三流の映画みたいに傾いて見える。
どうも世の中はいろいろなものが二つに一つで動くようにできているようだ。やじろべえも片方の重さが変わるとすぐに転がり落ちてしまう。だから片目のあたしはまともに歩けもしない。
やっとジュンが入院しているICUに行くことを許された。その当日はあたしの他に親族や近親者が一緒だった。
「これが患者さんの脳の写真になります。黒くなっているところは死んだ細胞
のエリアです」
病室に入る前に個室に入った。医者が親族へCTスキャンの画像を説明する。
あたしはその人たちの一番後ろで医者の話を聞いていた。
「ご覧のようにかなりの領域に及んでいます。」
医者が続ける。
「どういうことなのですか?」
親族だろう。そのうちの一人が質問した。
「ものを考えたり、話したりするところが機能をしてないのです」
「でも彼女、生きていますよね」
「はい、人間の生命活動を担当しているところは別の部位です。そこは生きて
います」
「と、いうと?」
「意識をつかさどるところは酸素不足に弱いのです。彼女が運ばれてきたとき、心臓は止まっていました。そのため、弱いところに酸素が送られていなかったのです」
「いつ治るのですか?」
あたしは耐えきれずに大きな声をだした。
みんな一斉に後ろを向く。目の中の非難めいた光があたしの心臓を貫く。
「厳しいと言わねばなりません」
「でも、でも意識のない人が突然目覚めたりするって、よく言うじゃないです
か」
あたしはすがるような気持ちで、低く声を上げた。
「お気持ちはわかりますが、私の言えることは、事実だけになります」
医者が答える。
「ごめんなさい、はい、わかっています」
あたしは腰をおろした。人々の目が医者の方に向き直る。
「そこで現在の治療状態ですが??」
専門的な話が続いた。
「では、患者さんに会いにゆきます」
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