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「あなたにとって姉様はどんな存在だったんでしょうね」姫様は私に体を預けながらお尋ねになりました。


 退院してからというもの、姫様はすぐに寝転ばれる癖がついてしまわれたようでございます。私が空になったペーパーランチボックスやカフェボトルを片付けていたところ、食後の休憩とばかりにピクニックシートに横になられてしまいました。胃液が逆流しますからお止めくださいとお諌めすると、姫様は少し不満そうにしながらも座り直し、私に肩を貸すようお申し付けになったのです。


「もしかして、恋人だったりしたのかしら」


 どこからそのような発想がお出になるのでしょう。あるいは、どこかでそのような噂を耳にされたのでしょうか。そうだとしたら由々しきことにございます。


「なんとなく、ね。ただの友達とか幼馴染みじゃなかったのかもしれないって思ったの」姫様は仰いました。「だってあなた、姉様が生きてるときは使用人でもなんでもなかったんでしょう?」


 心臓をぎゅっと鷲掴みにされた心地でございました。


 使用人でもなんでもなかった。


 その事実を何度悔やんだことでございましょうか。


 私の家は祖父の代からお屋敷の使用人として信を預けられてきました。しかし、両親は私にその役目を負わせようとはしなかったのです。


 ――好きにしなさい。


 両親はよくそう口にしていました。両親は私の意思を尊重し、自由な進路を歩めるよう取り計らってくれたのです。それは旦那様や奥様の承諾を得たものであり、私はあの方とも同い年の子供同士として対等な関係を築いていたのでした。


 学生時代、私には夢がございました。東京の大学に進学し、建築を専門的に学ぶという夢でございます。日夜、勉強に明け暮れ、家庭教師もつけていました。あの方とは生まれたときから一緒でございましたが、それも高校を卒業するまでのことかもしれないと考えていたのでございます。


 ――むかしから思ってたの。あなたがわたし専属の使用人だったらいいのにって。そしたら、わたしの誘いを断れないでしょう? 一緒ならもっとうまくいった悪戯もたくさんあったと思うの。もう悪戯なんて年じゃないけど、あなたなら何かと気を使わなくて済むわ。


 あの方はそのようなお戯れを仰ることがありました。そういうとき、私は決まって夢が破れたら考えてもいいと答えたものです。


 そのような考えがあったことは事実ですが、若く野心に満ちた私は何よりもまず自身の夢を叶えることを考えていました。


 ですから、あの方の奇行には心配しつつも、少なからず苛立ちも覚えていました。


 三年生になって、いよいよ受験勉強が本格化しはじめた時期です。勉強に集中したい時期に、同じ学校に通っているというだけでお目付け役を仰せ付けられ、あの方の言動に気を配らなくてはならないことへの苛立ちです。


 あの方の自由奔放な気質は愛すべきものではありましたが、それもときと場合によっては、苛立ちの種にもなりうるのでした。


 私がなかなかかまって差し上げられないので、気を引こうとしているのではないか。そのようなことも考えました。あるいは自分の勉強を邪魔して東京に出られないようにしているのではないか。私が夢破れて自分の従者となることを望まれているのではないか。


 身勝手にして、自意識過剰にもほどがある想像を、当時はよくしたものです。そうすれば、あの方に気を配らないですむからです。すべてがあの方の演技ならば、相手をする理由はなくなるからです。何も心配しなくてすむからです。そう考える方が、私には都合がよかったのでした。


 旦那様と奥様にご報告差し上げて数日後、私はなっていました。あの方から電話がかかってきたのです。


 ――彼らが来るアニー イドゥート! 彼らが来るのアニー イドゥート


 あのときのことを、私はいまでも夢に見ます。


 電話を受け、すかさずあの方の元に駆けつけお屋敷までお送りすることもあれば、「彼ら」と戦うことになることもございます。


 そして、現実と同じやりとりを繰り返すことも。


 ――落ち着いて。日本語で話して。


 と、私は申しました。


 ――いまどこ? お屋敷までなるべく人気のある道を使って帰って。もちろん、何も口にはつけずに。「彼ら」も街中で手荒なことはできないはずだから。


 ――来てほしいの。


 ――模試が終わったらすぐお屋敷に帰るから。


 ――それじゃ遅いかもしれない。


 ――ごめん。試験がはじまる。悪いけど、しばらく出られないから、本当に困ってるなら父さんや他の人に電話して。


 ――わたしはあなたがいいの。お願い。


 ――帰ったら、埋め合わせはする。何にだって付き合うから。


 ――でも、彼らが、彼らが来るアニー イドゥート


 心配がなかったわけではありませんでした。一刻も早く、医者なりなんなりに診てもらうべきだとも思いました。しかし、いますぐに取り返しのつかない何かが起こるとは思わなかったのでございます。


 ――ごめんイズヴィニーチェでも、きっと大丈夫だからノー ヤー ウヴィーレン シトー フショ ヴェ パリァドゥク


 私はその言葉を最後に、電話を切り、マナーモードにしたのでございます。そして、私が模試を受けている最中、あの方は芝川に転落し溺死されたのでした。


 あの方が川に落ちたのを直接目撃した方はございませんでした。しかし、その音を聞いた歩行者は何人かいらしたようで、すぐに川にあの方を発見し救急に通報したとのことでございます。その際、不審な人物は目撃されていないとのことでございました。不幸な事故死。それがあの方の死に下された、最終的な結論だったのでございます。


 ――君のせいじゃない。


 あの方の遺体が帰ってきた後、旦那様はそう仰いました。


 ――わかるかね。君はあの子に何の責任もないんだ。


 その通りでございました。あの方の死は半ば不幸な事故であり、必ず起こるとわかっていたものでもありませんでした。私があの方の護衛を仰せつかっていたのであれば責任を問われるべきことですが、私とあの方はただの同居人にして幼馴染みであり、私には私の人生がございました。その事実が何よりも私を打ちのめしたのでございます。


 私はあの方の死に責任を負う資格すらないのか、と。


 心のどこかで、私は思っていたのでしょう。自分はあの方にとって特別な存在なのだと。そうであればこそ、お屋敷の使用人とは別の道を歩もうとしたのでございます。そのような立場がなくとも、あの方との絆は揺るがないと思っていたのでございます。


 しかし、それは幼稚で無責任な思い上がりにすぎなかったのでございます。


 私は自分の生まれに、父や祖父が築き上げた地位に甘え、あの方の隣に立つ特権を自分が無条件に有しているかのように思い込みました。自分の人生を優先しながら、あの方の隣も同時に占められるものと思い上がりました。


 実際には、私には自分の人生しかなかったのでございます。


 あの方を失って、ようやくそのことに気づかされたのでした。

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