真夜中の天使たち
妻高 あきひと
1・ 開幕~
天使は夜きて黙って入る
土曜の夜10時を過ぎた。
貧乏作家のオレ様の城に、エンジェルつまり天使がやってくる時間だ。
オレ様の城、まあ簡単に言えば下町のアパートだけど、そろそろ来る時間だ。
彼女は首だけで手も足も胴も無い、あるのは首だけ、それに羽根がついているだけ。
だからノックは羽根でする。
羽根はペンも持てるし、ナイフとフォークも持てるし、本のページだってめくれるし、テーブルだってかかえるし、相手がチンピラのときは羽根でしばく。
羽根があれほど便利なものだとは思わなかった。
彼女が見えるのはオレだけだ。
右隣のクラブ勤めの姉ちゃんにも、左隣の探偵事務所のオジサンにも見えないし、会話も音も聞こえない。
ネットを見ながらビールを飲んでいると、やってきた。
ドアーをノックしている。
コンコン、コンコン、
「いるぅ~ わ・た・し・よ ア・ケ・テ」
「はい、開けるよ」
ドアーが少し開いた瞬間スッと風が吹いたかと思うと、もうキッチンのテーブルの上に浮かんで笑っている。
ドアーを開けなかったら壁を抜けて入ってくる。
ならわざわざノックすることもないだろうが、彼女が初めてオレのアパートにきたとき、文句を言って以来一応はノックをしてくれる。
彼女が初めてオレのアパートに来たのは、オレが寝転んでPCでエロ動画を見ていたときだった。
動画が最後辺りでオオォとなったとき、すぐそばで人の気配がした。
誰もいないはずなのに、人がいる、背筋が凍り身体が震えた。
このアパートにきて一年だが、部屋代が安いのはそのせいか、と思った。
恐ろしい、誰だ、なぜそこにいる、おそるおそる振り向くと、女の顔がすぐ後ろに浮かんでオレを見て笑っていた。
首の下に白い羽根がついているだけで胴体もなきゃ手足もない。
化け物、思った瞬間気が遠くなった。
目が覚めるとオレの真上にやっぱり顔が浮いている。
それを見て恐ろしくなりまた気を失った。
二度めに目が覚めると今度はオレの足元にいた。
すぐにオレの顔の前に飛んできてこう言った。
「今度は気絶しなかったわね、楽しい動画は終わってるわよ。邪魔したわね、いいところだったのにね、ハハハ」
何とか冷静になり、その”もの”を見た。
波うつような金髪で目は青く肌は白磁のように白い。
唇は大きく厚めで、赤い紅がものすごく印象的だった。
笑うと小さく真っ白な歯が見える。
大人の女なら飛びつきたくなるようにカワイイ。
首に羽根がついている天使は、絵画に登場する熾天使とそっくりだ。
だが、あれは空想の産物であり、こっちは現実だ。
現実だと思う。
オレはまだこの状況が現実かどうかわからないまま尋ねた。
「誰だよ、オマエは」
「わたしは熾天使、神に仕える最高の天使で名はセラフィムというの。セラと呼んでちょうだい」
「そんな偉い天使がなぜオレの部屋にきた、何しにきた」
「たまたまそこの空を飛んでいたらカーテンの隙間からアンタが見えたもんだからね。土曜の夜なのに男一人でカワイソウにと思って覗いてみたらえらく本気でパソコン見てるから何見てんだろうと思って入ってきたのよ」
「どこから入った」
「アンタさ、わたしは最高の天使だよ。入れないところはないのよ。それよりパンツを上げなさいよ」
見るとパンツを下げたままだ。
オレのアレが丸見えになっていた。
横を見るとティッシュが置いてある。
顔が真っ赤になるのが自分でもわかった。
気絶していたときも見られていたのか、呆然となった。
あのときほど恥ずかしかったことはない。
パンツを上げ、ズボンをはき、ベルトを締めるまで彼女はニコニコしながらオレの頭の周りを飛び回っていた。
恥ずかしかった、顔が上げられなかった。
「他人の家にきたときはノックをするか、呼び出しのボタンを押すのが常識だろう、それを黙って入ってきて、何だよオマエは。
「見られたからって、そんなに怒らないでよ。次にくるときは必ずノックするわよ」「次って、また来るのかい、何しにくるんだよ」
「あれこれあるのよ、神様の用事もあれば、自分の用事もあるし、頼まれたこともあるしね、セラも忙しいのよ、だからさ、ちょっと休むところがほしいなって思ってね」
「今までどこにいたのよ」
「浅草の近くの老婦人のマンションにいたの。もうお年でね、ずいぶん長く話し相手になってきたんだけど、そろそろお迎えがきそうなのよ。先週閻魔の使いがきてドアーに赤い札を貼ってたからさ、ああもう近いな、おばあちゃんには聞こえないけど”サヨウナラ オバアチャン”と言って別れてきた。わたしは神の使いだから閻魔の使いがきたら何もしてはいけないのよ、そう決まっているの」
「で、オレんところに?」
「たまたまだけどね、オバアチャンのマンションは豪華だったけど、ここはさ、まあ安アパートでしょ。作家といったってあまり売れないようだし、バイトでなんとか生きてんでしょ。わたしも考えたんだけどさ、アンタのパンツの中身も見ちゃったしさ、不潔なものを見せられてトラウマになりそうだけど、これも何かの縁かな、と思ってね、いいでしょ」
(トラウマになるならオレだよ)
「毎日くるの?」
「ううん、週一」
「きて何するの?」
「何もしないわよ。邪魔しないからさ、ね、パンツの仲でしょ」
「パンツ、パンツ言うなよ」
「へへへ、でもさ話し相手でも相談相手でもなってあげるから」
「オレのアパートにこないときは他にいってんだろ、そこへ行けばいいじゃないか」
「他はないのよ、ここへこないときは空のず~とず~と上にいるの。オバアチャンのマンションにも週一だったのよ。天使に優しくしてたらさ、いいこともあるわよ」
あれ以来、玄関から入ってくれている。
そして、土曜の夜になるとやってくる。
特段いいこともないけど、悪いこともない。
大きさも頭だけで、大抵は浮いているからジャマにもならない。
どんな話でも付き合ってくれるのは、さすがだと思っている。
でも恥ずかしい場面を見られた事実は消えない。
あまけに顔がカワイイので余計に恥ずかしくてすでにトラウマになっている。
彼女に会うたびにどこか引いてしまうのは、やはりトラウマだと思う。
そして今晩もやってきた。
ただ天使でカワイイ顔なのに、なぜかしばらくすると陰があるような顔になる。
今日も顔にどこか陰が出てきた。
「セラは天使なのに、しばらくすると沈んでいるというか、陰が出てくるんだよな、どうしてなの。天使なのに悩み事でもあるのかい」
「アンタね、天使はね重労働なのよ。神様は冷たくて人間はわがままで欲張り、あれこれ頼まれて一所懸命つくしても当たり前のような顔をして”ありがとう”のひと言も無い。それにこういう仕事は神様の意外な欠点や人間の裏の顔を見ることが多いの。天使をやってるとね、性格がいびつになっちゃうのよ」
「そんなもんかい」
「現実はね、そんなもんよ。ところでビールすすめてくれないの」
「おっと忘れてた、ビールはいいけど、もらいもののウイスキーがあるが飲むかい」
「ああ、いいね、いただくわ」
「水割りか?」
「ロック!」
(ロックかよ)
「飲んでつぶれても襲わないでよ。ヘンなことしたら神罰が当るわよ」
「首しかねえのに、どこを襲えってんだよ」
黙り込んでしまった。
どうやら最後の軽いひと言がきいたらしい。
「悪いこと言ったかな、ゴメンな」
「いいのよ、気にしないで、ホントのことだから。わたしは寛容なのよ」
(そうかな、まあいいや)
そこで改めて気がついた。
「あのさオレ、アンタを女だと思っているけど、よくよく考えてみたら、そうとも見えないよね。アンタは女なの、それとも」
「わたしはどっちでもないの、ただその場の状況で女にもなれば男にもなれるのよ」
「今はやりのトランスジェンダーとは違うのか」
「ちょっと、あれは自分の体と心が違うってことでしょ。でもセラの場合はどちらもあり、どちらにもなれるのよ。性転換でなくて性の変化なのよ。もっとも首だけだから心が替わるだけどね、あそれと顔も少し替わるわよ、ほら」
オオッとおどろいた。
顔が一瞬で確かに男の子っぽい顔になった。
「いいよ、女のほうがいい」
「そうでしょ、わたしも女のほうがスキ」
顔が一瞬で元に戻った。
クイックイッと羽根で器用にグラスを傾けながら飲んでいる。
「さすがに器用なもんだな、羽根は手の代わりにもなるのか、便利なもんだな」
ビールでもそうだが、セラは酒が進むと無口になる。
例によって顔が沈んできた。
あれこれ思い出してイジイジしては悩むらしい。
カワイイ顔が酒で沈んでいくんだから、見ているほうはたまらない。
抱きしめたくなるが、首だけだから抱きしめようがない。
ヘタに抱きしめたら窒息しそうだ。
「今晩はどこかへ行かなくてもいいのかい」
「今晩はもういいの、全部片づけたから」
セラはボトルから自分でウイスキ-をグラスについでいる。
羽根が手のようにしなやかに変化する。
見ていても飽きない。
「あ~ おいしい。ああそうだ、今晩ともだちが来るから、よろしくね。どうせ彼女もいないしヒマなんでしょ」
「そういう余計なひと言が癇に障るんだよな」
「あ~らごめんなさい」
「それでどんな友だちなの、天使の仲間かい」
「天使じゃなくて悪魔よ、サタンよ」
「サタン! なんでここに悪魔がくるんだよ。ヘンなこと考えてんじゃないだろうな」
「何も考えていないわよ。たまたま東京駅で会ってさ、落ち込んでいるからちょっと久しぶりに飲もうか、て誘ったら今日は金が無い、ていうからじゃ貧乏人のとこに行ってタダ酒飲もうか、てさそったのよ」
「貧乏人てオレのことかい、貧乏人にたかるのかい、アンタ天使だろう、そんなこと言っていいのかい。うちは飲み屋じゃないからな、勝手に決めるなよな」
「あ~らごめんなさい貧乏人さん!。彼そろそろ来るわよ・・・・ あら、来てたの!?」
「エッ」
後ろを見たら、びっくりした、いつの間にか後ろに立ち、オレを見下ろしている。
(こいつら、どうして人の部屋に勝手に入ってくるんだよ)
よく見ると白い仮面をつけている。
目は黒のマジックペンで描いたようだ。
ヘタのか目が曲がっている。
オレが見えているのかいないのか、わからない。
全身黒づくめだ。
ぞろっとした黒い布をまとっているのが普通のはずだが、なぜか燕尾服を着ている。
シャツも蝶ネクタイも靴も真っ黒で、手に黒い傘を持っている。
髪はオールバックでテカテカ光って櫛がきれいに入っているようだ。
「仮面はしたままなの?」
「うん、外したほうがいい?、素顔を見たい? 見る勇気ある?、なぜ仮面しているか知りたい?」
「いや、いいよ、今晩は遠慮しとく」
「そうかい、遠慮しなくていいんだぜ」
「いいよ」
少し沈黙が続いた。
「アンタさ、自己紹介しなさいよ」
「ああ、そうだった」
オレの横に座った。
セラはテーブルの上に浮いたままだ。
「あいさつが遅れてごめんな、こんばんわ、若旦那。オレは悪魔つまり人間が言うところのサタン、元は天使だったけどイタズラして神に地獄に堕とされ、悪魔にされたのよ。別名を堕天使とも言うけどな。名はルシファー、ルーシーて呼んでいいよ」
仮面を外そうとしている。
「外すの?」
「うん、飲むときゃ外すの」
「飲むって? このウイスキー?」
「そうだよ、他にないだろ」
(オレのだけどな)
「いいじゃねえの、アンタとオレの付き合いじゃないか」
(今会ったばかりだろう)
「オレはアンタが一年前にここに引っ越してきたときから知ってるよ」
(オレの思ってることがわかるのか)
「ああ、そうだよ。オレはサタンだよ、人の心はわかるのさ、ただいつもじゃない。酒を飲んでる人の心だけがわかるのさ。だから飲んでない素面(しらふ)の人の心はわからない。人は酒を飲むと本性が現れるからな、だからオレにわかる。」
(ふ~ん・・・・・・ これもわかってるのか)
オレを見て声を出して笑った。
仮面を外した。
また気絶かと思ったが、一瞬何が何やらわからなかった。
顔がない。
のっぺらぼう。
するとクイッと皮がめくれて口が現れた。
ポアンと唇もできたが、こいつのは紫色だ。
「さあて飲むか」
セラを見ながら口が笑っている。
歯が見えるし、唇が笑っているように見えるし、笑っているのだろうと思う。
他がないので、よくはわからないが、やはり笑っているようだ。
歯は真っ白で歯並びも見事なものだ。
悪魔、サタン、どんな悪人かと思ったが、やけに明るくて愛想がいい。
どう見たってサタンの雰囲気じゃない。
何かのセールスマンのように愛想がいい。
「雨でもないのになぜ黒い傘を持ってんの」
「何か持ってないと不安なんだよ。傘でも持っていると気もちが落ち着くし、バランスが取れるんだよな」
「グラスを借りるぜ」
”そこの”とオレが言いかけると
「ああ、場所は分かってるよ」
と食器入れの扉を開けてグラスを取り出した。
「オレの部屋なのによく知ってるね」
「悪魔に分からねえものはないのよ。」
「天使の次は悪魔か、まさか神様はこんだろう」
「何か言ったかい」
「いや、何も」
「ありゃ気まぐれだからな、来るかもしれねえし来ないかもしれねえ、ただ来たら怒らすなよ。怒らせると怖いぞ」
(聞こえている)
セラは顔が赤くなっている。
ルーシーはグラスのウイスキーをちびりちびり飲んでは、そのたびに唇をなめている。
「ルーシーはいつもそういう飲みかたなのかい」
「俺はセラと違ってそうは飲めないのよ。ただこうしてなめてるだけさ。これでも酔うからな、その酔いが気もちいいんだ。でもセラは飲んべえでな、飲み始めると底が無いからな。酒でよく失敗するのよ、こいつは。そうだよな」
セラの目がとろんとして、ピントが合わなくなっている。
テーブルの上でべったりとくつろいでいる。
「おやまあ、こりゃ飛べねえな今晩は」
「明日は日曜日だし、オレは構わないけど」
「じゃ三人で夜更かししょうや、な、これも何かのご縁だ」
(サタンのくせに和風か)
「何か言った、ね」
(・・・・)
「こいつ飲むと箍(たが)が外れるからな、そうなると面白いんだ。おいセラ、何か話せよ」
「ウ~イッ、話しねェ、どれから話すかな、どれにしようかな、悲しい話しがいい?それとも辛い話し?気の毒な話し?憐れな話し?悲惨な話し?それとも人生が今晩終わるようなひどい話しがいい?」
「なんだか暗いネタばかりだな」
「楽しくて美しくて夢も希望もいっぱい、なんて話しなんか無いわよ。天使は正義の味方でも子どもの味方でも弱いものの味方でもないわよ。本当に恐ろしいのはサタンでなくてエンジェルなのよ」
「逆説みたいだけど、言われてみればそうかもしれないな。黒だと思ってたら白で、白だと思っていたら黒だった、てのが人の世だものな」
「おお、若旦那、言うじゃないか、さすが売れない作家だな。気に入ったな、オレはアンタが気に入った。ここへしばらく厄介になろうかな」
「売れない作家だけよけいだろう。ここは独身者専用のアパートなんだから無理だよ。部屋もひと間とキッチン、それにトイレと風呂しかないんだから」
「天使は汚れないから風呂もいらないし、飲み食いしても大も小も出ないの、そもそも天使は飲み食いは必要ないのよ、ただ酔うからね、それが楽しくて飲んでるのよ。それにわたし首だけだからさ、浮いてりゃ場所はいらないし、ここでもいいわよ」
「セラも同居かい」
「あたいがキライなの?そんなことないわよね」
「キライじゃないけど、オレそもそも一人が好きなんだよ」
「若旦那、まあいいじゃねえか、人生は長いんだ。何年か共同生活するのもいい経験になるぞ。悪魔も汚れないから風呂もトイレもいらねえし、天井に貼り付いて寝れるしな。うん、いいわこれ、若旦那、今日から共同生活だ、二人と一個で仲良くやろうぜ」
「アンタ、一個てなによ、わたしは首だけでも一人だよ」
「ああ悪かった、三人で共同生活だ」
「勝手に決めないでくれるか、ここオレの部屋だから」
「家賃、オレが払ってやるよ」
「じゃ水道光熱費と新聞代はあたいが払うわ」
「あんたたち金を持ってるの?」
・続く
真夜中の天使たち 妻高 あきひと @kuromame2010
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