魔法少女が珊瑚になるまでの手記(6)

 浦島家に辿り着くと、明らかに何者かが争ったあとが廊下や天井に散見された。


 奥の間でどすんと音がして、家全体が少し揺れる。


 私は急いで廊下を進んで、屋敷の最奥部へと進んでいった。

 凄まじい衝撃音が聞こえた瞬間、目の前で壁が破壊された。埃が晴れると、そこには血まみれの未来が倒れていた。


「未来!」

「久しぶりだな、麻美。どうだよ具合は」

「いまそんなこと言ってる場合じゃ……」


 私は二の句が継げなかった。

 未来の顔の半分が、珊瑚で覆われていた。よく見れば、身体の半分ほどが珊瑚に侵されている。これほど進行していたとは、きっと相当な時間魔法を酷使したに違いない。


「さっさと、ここから離れたほうがいい」

「なにがあったのっ」


 未来が言う前に、それは目の前に現れた。未来が飛び出してきた部屋の奥に、巨大な化物がいたのだ。不思議なものをじっくりと見るように、そいつは遠目から私たちを眺めていた。


 山椒魚とは比べ物にならないほどの巨体だが、それ以上に気味が悪いのは、頭部が魚類そのままなのにも関わらず、体は筋骨隆々な人間そのものであったことだ。


 ぎょろぎょろと飛び出した左右の目を回し、私と目が合う。


 どす、どすとゆっくり近づいてきた。


「来ちまったじゃねえかよ」

「あれは……アビスなの……」

「話はあとだ。あらかた予想がついているだろうが、詳しい話が聞きたきゃ逃げろ。ぼうっとしてると、珊瑚になる前にスクラップされてあの世行だぞ」


 私は未来を背負って、屋敷から飛び出し、神社へと向かった。

 未来に回復魔法をかけるが、効き目はあまりなさそうだった。


「未来、あなた、浦島家を襲ったアビスなんて最初からいないことに気づいていたのね」

「最初はもしやって思っただけだった……あたしはあんたや香織ほど純粋じゃないからね」


 未来はニヒルに笑った。


 やはり未来は誰よりも早く気づいていたようだ。きっと確信を持ったのは、山椒魚から欠片が出てこなかったときだろう。


 私たちは元々こちら側にあった欠片が盗まれ、さらにアビスたちが第三の欠片を手に入れたことで、山椒魚のような強力なアビスが出てきたのだと思い込んでいた。


 だから襲撃を受けた屋敷の惨状を見て、自作自演だとは露ほどにも考えなかった。


 しかし真菜子の言った通り、そもそもアビスが結界を破る可能性は低い。ましてや欠片なしでは知能が低いアビスにそんな芸当ができるわけがなかったのだ。


 そもそも結界を破ったアビスがいないとなると、前提が変わって、浦島家の人間、あるいは魔法少女が、結界を破壊あるいは解除したことになる。


 ここで真菜子が疑いをかけたのが未来だったが、結果は白だ。

 残った者は限られている。


「あたしは香織が死んだ日から、ずっとおかしいと思ってた。それであんたを遠ざけたあと、あたしは何度かあの屋敷に探りを入れたんだ。するとどうだい、出るわ出るわ、いかにも怪しいことをやってますって証拠が」

「じゃあ、やっぱり……襲撃者は最初からいなくて、自作自演だったんだね」

「ああ。そのとおり。あたしは見たよ。あんたの母が二つの欠片を握っているのがね」


 やはり母だったのだ。玉手箱の欠片を盗まれたように見せかけ、自らの手中に納めるための壮大な茶番劇。

 未来は忌々しげに言った。


「あたしはあんたの母親をつけた。あいつがなにをやろうとしているのか暴いてやりたくてね。寒気がしたよ。欠片を始めてみたときはその禍々しさに釘付けになったけどね、それ以上のものを見たのさ」


 私は生唾を飲み込んだ。


「アビスを作ってたんだよ」

「じゃあ、山椒魚は……」

「雑魚のアビスを欠片でまがいもんにしたやつさ」


 母の顔が浮かぶ。私たちを騙し、使えない役立たずだと散々罵り、その裏で私たちを苦しめる敵を作っていたのだ。挙句の果てに、そのアビスは香織を殺した。


 気が触れてしまいそうなほど、腸が煮えくり返っていた。


 明確な殺意を人に抱いたのは初めてだった。まさか実の母親に抱くことになろうとは。


 すると、どこから嗅ぎつけてきたのか、あの魚面の怪物が境内に飛び込んできた。


 私は応戦しようと試みたが、未来が腕を掴んできて、決死の形相で言った。


「話はまだ終わってないよ。あんたにはやってもらなくちゃいけないことがあるんだ。心配ない。あいつは目が悪いらしくてね、この暗闇じゃそう簡単には見つからない」


 私は未来を伴って境内を囲う木々の茂みに身を潜めた。


「あたしが今日ここにやって来たのは、あんたの母親をぶち殺すためだった。香織の仇だ。まあ、あの化物に邪魔されてそれどころじゃなくなったんだけどさ。あんたの母親がなにをしようとしてるか知ってる?」

「わからない……もうあの人を理解したくもない」

「それはあたしだって同じさ。そうじゃなくて、あいつが欠片を使ってなにをしようとしてるかってことよ」

「アビスを使って、私たちを殺すため、じゃないのかしら」

「しっかりしなよ麻美。頭を使いな。わざわざ大掛かりな嘘を仕掛けて、それがあたしらを殺すためだけの企みなわけがないだろ」


 私は自分の手元を見る。アビスとの戦いで傷つき、進行した珊瑚の身体。


「珊瑚病にするため?」

「ああ。ただそれだけじゃない。思い出してみろ。二つの欠片の効力を。考えたことはなかったか? 欠片を上手く使えばなにができるのか」


 浦島家に保管されていたものは、老化を加速させる効力。

 私たちが回収したものは、身体能力を向上させる効力。

 ただ、欠片の効力は、私たちが想像するよりもずっと柔軟だ。

 母の動きは、まるで欠片を独占しようとしているように見える。

 珊瑚病、アビス、欠片、乙姫に迎合した旧世代の魔法少女たちの企みは……。


「珊瑚病の治療……」

「おそらくな」


 未来は大仕事を終えたような口ぶりだった。どうやら私は無意識のうちに、浦島家の常識に囚われていたらしい。外からこの異様な家族を見ていた未来のほうが先に勘づくのはある意味当たり前だ。


 おかしいと思えばおかしかったのだ。なぜ祖母も母も珊瑚病の症状がでていないのか。そういうものなのだとばかり考えていたが、もし珊瑚病の治療を永久に続けられるのであれば、欠片を独占しようとしたことにも納得がいく。


「あたしらを消そうとするのも、その一環だろ。お前の家のご先祖は、乙姫に勝てないと諦めた。だから欠片の争奪をすることで均衡を保ってきた。けど、そりゃこんなくそみたいな病気に罹ることが運命づけられてるんじゃ、納得いかないやつも出て来るわな」

「私たちが乙姫を倒そうとアビス退治に躍起になっていたから……」

「だろうよ。けど、建前上魔法少女の仕事を放棄するわけにもいかない。そこであんたやあたしにお鉢が回ってきた。けどあいつが思う以上にあたしらは働いちまったんだろうな」

「だから私たちを珊瑚病にして、バランスを保とうとした……そういうこと……?」


 信じられなかった。これが親の、いや人のすることなのだろうか。私利私欲のために、私たちは使われていたのだ。


 そしてその血は私にも流れている。


 未来がっちと舌打ちした。

 どうやらとうとう、魚面に見つかってしまったようだ。


「麻美。手出せ」

「え? いま?」


 私が言われた通りにすると、未来はぺちんとハイタッチをした。意図をはかりかねていると未来はすっと立ち上がった。


「選手交代」

「なに言ってるのっ、そんな傷じゃ無理だよ。私がカバーするからフォローを」

「馬鹿かよ。お前、本気であいつに勝てると思ってんのか?」

「勝つよ! なに諦めたようなこと言ってるの!」

「あたしはあんたのそういうところ好きだけどさ、それは認められない」

「どうし――」

 て、と言い終わる前に、未来は私を抱き寄せていた。


「あんたはまだ、あたしの友達か?」

「もちろんだよ。だから一緒に戦おうって」

「ならあたしの一生の頼み聞いてくれるか?」

「一生の頼み?」

「あんたにしか頼めない」

「なに? まさか逃げろなんて言わないよね?」

「逃げろ」


 私は一瞬気圧されてしまった。未来の真剣な瞳に射抜かれて、目を背けなければ反論一つできなかった。


「嫌だよ!」

「なあ、麻美。たぶん、あたしもあんたも、そう長くはないだろ?」


 未来は語り掛けるように、穏やかな声で尋ねた。


「……そう、だろうね」


 もう私たちの身体はボロボロだった。珊瑚病が侵攻し、まともに歩くことすらままならない。


「けどよ、ここで負けるのも癪じゃねえか。あいつに勝ち逃げされてよ。だったら、次の世代にバトンを繋ごうって思うんだよ」

「なにをする気よ」

「お前の妹の真菜子。あいつはおそらく魔法少女になるだろう。あいつにメッセージを残せ。お前の母親の企みと、腰抜け先祖たちの間違いを知らせるんだ。けどここにでふたりで戦えば生き残る可能性は低い。幸いなことに、お前はまだ母親に姿を見られてない。あたしが前もってひとりで乗り込んでおいたおかげで、あっちはあたしひとりが行動を起こしていると思ってるだろう」


 未来はちらりと私を一瞥した。


「いまここでふたりとも死ぬかもしれないほうと、後輩どもが勝つチャンスを確実につくるほう、どっちを選ぶ?」

「……その言いかたはずるいよ」

「色々あったけどさ、あたしはあんたも香織も大好きなんだぜ」

「……ずるいって」

「悪い……けど、時間がないみたいだ」

「小娘、どこに消えたんだい!」


 向こうから母の声がする。魚面がこちらに刻一刻と迫る。


「未来」

「うん?」

「香織と未来といるときが一番楽しかったよ」

「ありがとな」


 これが私と未来の交わした最後の言葉だった。私は別れの言葉を言わずに、彼女に背中を向けて境内を抜け出した。


 そして私は手記を書きだした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る