第5話 フィルの方針

 リネアととともにサエイレムにやってきたフィルは、西門を破壊するなど一悶着あったものの、エリンに連れられて総督府に案内された。

 サエイレム市街の北端一帯に広大な敷地を占めている総督府は、かつては領主の館である。二階建ての本館を中心に配置された複数の建物を、列柱が立ち並ぶ回廊で繋いだ帝国の建築様式で造られている。

 フィルの部屋となる総督の執務室や私室は、広い前庭に面した本館二階の一角。フィルは着替える間もなく執務室に通され、大急ぎで総督執務室に駆けつけたエルフォリア家の重臣たちに事情を説明することになった。

 フィルたち一行が襲撃を受けた知らせはまだサエイレムに届いておらず、フィルの口から襲撃のことを聞いたエリンが、慌てて重臣たちを呼び集めたのだ。

 

「フィル様…、本当にフィル様ですよね?」

 九尾の狐と出会い、同化した話の証拠として、狐の耳と尻尾を生やして見せたフィルの姿に、総督執務室に集合したエルフォリア家の4人の重臣たちは、驚きの色を隠せなかった。

「わたしは間違いなく、フィル・ユリス・エルフォリアです!だから、みんなに正直に話してるのに……」

 困惑して顔を見合わせる重臣たちに、フィルは不満げに唇を尖らせる。そして、耳と尻尾を消すと腕組みして椅子の背にもたれた。

 九尾のことは狐の神獣ということにして話したが、やはりすんなりとは信じてもらえないようだ。フィルとて簡単に信じられない気持ちはわからないではないが、他にどうやって説明すればいいのか。

 重臣たちにしても、フィルを信じたい気持ちはある。テーブルの上座に座る少女の姿形は、どう見てもフィル以外の誰でもない。口調や仕草も、自分たちのよく知っているフィルそのものだ。

 それにしても、人間と神獣が同化し、しかも姿を人にも獣にも変えられるなど、にわかに信じられる話ではなかった。魔王国の領内に跋扈する魔獣ならよく知っているが、フィルの言うような神獣など、伝説や神話でしか語られないものなのだから。


「…そんなに信じられないなら、わたししか知らないようなこと話そうか?」

 フィルは、じろりと4人を見回す。この方法は使いたくなかったが、止むを得まい。ごくりと誰かの喉が鳴った。


 まず白羽の矢が立ったのは、第一軍団長バルケス・マキシマス。軍主力を率いる父の子飼いの将だ。

「バルケス、5年くらい前だったかな。家で父様とお酒飲んでて、父様が先帝陛下から賜った宝剣の上にゲロ…」

 バルケスの顔色が見る見る悪くなり、ガタリと立ち上がる。

「待って下さい!フィル様、確かにフィル様です!信じましたから、どうかそこまでで!」

 ダラダラと脂汗を流して、バルケスは叫んだ。エルフォリアの私邸での話だ。知っているのはその場にいたバルケスとフィル、それに今は亡きアルヴィン以外にはいないはず。

「ありがとう。信じてくれて嬉しいです」

 力なく椅子に座るバルケスに、にこっと微笑み、フィルは次の獲物を物色し始めた。心なしか、獣の目になっている気がしなくもない。

 そして、目が合った。

 エルフェリア家の文官筆頭で、総督補佐官に就いてくれることになっている、グラム・メルヴィン。謹厳実直を絵に描いたような風貌で、家臣団の頼れるまとめ役だ。しかし、優秀な官僚である彼は、ここで自らが取るべき最善の行動をすでに決断していた。

「グラム…」

「フィル様、私は疑ってなどおりません。間違いなくフィル様です」

 グラムはフィルが話し始める前に、ダメージを回避すべく戦略的撤退を行った。

 そもそも、グラムですら知らなかったバルケスの秘密を知っている時点で、目の前のフィルは間違いなく本人だ。生け贄となったバルケスには悪いが、これ以上はバラされ損でしかない。

 ここにいる重臣たちは、アルヴィン・バレリアス・エルフォリアの子飼いである。主君と家臣というより半ば家族のような付き合いをしてきた。幼い頃からその中にいたフィルは、彼らの色々なところを間近に見て育っている。フィルの頭の中にどんな地雷が埋まっているか、わかったものではない。


「私もフィル様ご本人に間違いないと思います。エリンもそうよね?」

 やや引きつった笑顔で、フラメア・クレスティアが言った。彼女は第二軍団長エリンとは軍学校の同期で親友同士だが、武官ではなくサエイレムの財務官に就くことになっている。 

「わ、私は最初から疑ってなどいないぞ。フィル様は間違いなくフィル様だ」

 冷や汗を流しつつ、エリンもフラメアの言葉に同調した。


 とりあえず疑惑が晴れたところで、フィルは立ち上がり、頭を下げる。

「…バルケス、恥をかかせるようなことをして、ごめんなさい」

「いえ、自分もフィル様を疑ってしまいました。申し訳ない」

 素直に謝るフィルに、唯一人の貧乏くじとなったバルケスも苦笑いを浮かべる。

「すぐに信じられないのも仕方ないとは思います。でも、わたしは正真正銘、皆さんがよく知るフィルです。変な力を得てしまったけど、中身は変わっていません。これからも助けて下さい」

 フィルは、そう言って席に着いた。

 こほん、と咳払いをひとつして、グラムは少し憂鬱そうな表情でフィルに尋ねた

「フィル様、先ほどのお話ですが、フィル様たちを襲撃した者たちは、ただの盗賊の類ではないと?」

「えぇ。矢で見張りを仕留めてから接近するやり方、それに動きからも、きちんと訓練された者だと感じました」

「フィル様の護衛に付けた連中は、我が第一軍団の中でも腕の立つ者たちだった。相手がただの盗賊なら、相手がいくら多かろうと、フィル様を守ってその場から撤退するくらいのことはできたはずだ」

 悔しそうにバルケスが言う。

「バルケス、彼らのおかげでわたしは助かりました。せめて、丁重に弔ってあげてほしいです」

「わかりました。フィル様のお言葉、感謝します。奴らも報われると思います」


 そして、フィルは、パンッと手を叩いて、話題の変更を告げた。

「とりあえず襲撃犯のことは後回しにしましょう。まずは、これからサエイレムをどう治めていくかが優先です」

「よろしいのですか?!また襲われるようなことがあっては!」

 まあまあとエリンを宥め、フィルは4人を見回した。

「その時こそ、正体を暴くチャンスじゃない?今のわたしは神獣の力を持っています。城門を一瞬で破壊できるくらいの。賊に襲われたところで、もう怖くはないもの」

「それは、そうかもしれませんが…」

 エリンは、不満半分寂しさ半分という微妙な表情を浮かべている。フィルの護衛が必要なくなるのが少し寂しいようだ。

「しかし、フィル様、城門を破壊したのはやりすぎですぞ」

 グラムが呆れたように言った。しかし、フィルは考えなしに城門を破壊したわけではない。

「グラム、この街は人間と魔族が混在していると聞いてるけど、これまでの様子はどう?」

「第二軍団と元々のサエイレム衛兵隊で治安維持にあたっていますが、魔族たちの居住する地区については、まだほとんど手つかずです」

「衛兵隊は人間だけ?」

「はい、衛兵隊は人間のみです。サエイレムは元々、帝国の植民都市として建設された街です。その後、帝国から離れることになった時に、魔王国側から魔族たちが流入して、街の周辺に住み始め、やがて街でも混在することになったようです。魔族たちを力で抑え込むだけの軍備もなく、街を束ねていた人間の前領主も、魔族達を治めきれてはいなかったと聞いています」

「前領主はどうなりました?」

「3年ほど前に、サエイレムが魔王国側から大規模に侵攻を受けたことがありました。その際に捕らえられ、処刑された模様です。すぐに、アルヴィン様の指揮で街は奪還されましたが…」

 おそらく、リネアの両親が殺されたのも、その時だろう。一人は寂しいと言った時のリネアの顔を思い出し、フィルは表情を曇らせる。

「帝国領になってからの魔族たちの反応は?」

「それぞれ、というところですな。元々人間と上手く共存している者もいます、それらは比較的力の弱い種族や、魔王国から個人や家族単位でやってきた者が多いです。しかし、それなりに力のある種族は、表だった反発こそありませんが、進んで服従もしない、そういう態度ですな」

 ふむ、とフィルを顎に手を当てる。


「この街で力のある魔族というと?」

「主にはラミア族と狼人族、このふたつが勢力としては大きいです。力を持つ彼らになびく者達も多いです」

 グラムは、渋い表情で語る。魔族の統治をどうするか、グラムも頭を悩ませているらしい。

「わたしが城門を破壊したこと、彼らには伝わっているのかな?」

「おそらく。さきほど、私やフィル様の姿を見ていた者の中に魔族たちの姿もありました。彼らの間でも噂は広がると思います」

 エリンが答えた。

「わたしは、見た目で言えば、人間の中でも弱い部類に入る。そんな人間が偉そうに総督を名乗ったとしても説得力がない。父様が仰っていました『外から来た者は、対等以上の力を示さなければ相手にされない』と。…だから、まずは力を示す必要があると思ったの。横暴なことをするつもりはないけど、街の秩序は早く固めたいから」

 フィルの話にグラムは感心し、同時に安堵した。フィルの父、アルヴィンは帝国の将軍として幾度も遠征に参加し、他民族との交渉に当たることも多かった。「そこで話せばわかる」などという綺麗事が通用することなど極めて稀だ。フィルはそれをきちんと認識している。

「『カなき正義は無能』って言葉もありますからな。何をするにも力の裏付けは必要でしょう」

 バルケスも笑って同意する。新兵の頃からアルヴィンに付き従っていた彼にも、その教えは叩き込まれている。

「そう。わたしの力を見せつける機会を設けて、魔族の有力者にも協力させる。能力ある者は魔族であっても総督府の役職に登用してもいいと思ってる。その上で、色々な制度を整えていこうと思うの。グラム、どうですか?」

「良い方策だと存じます。力を誇る者には抑止になるでしょうし、ここは魔王国との最前線です。総督自身に、街を守るだけの力があると知れば市民も安心するでしょう」

 グラムも賛同する。


「では、できるだけ多くの市民にわたしの力を見せるため、何か良い方法はあるかな?」

「そう、ですな…闘技大会を開催するのはいかがでしょう。新総督の就任記念ということで大々的に開催し、優勝者には、望みを一つ、総督が聞き届ける、ということで」

「なるほど…そこで、わたしが優勝者に喧嘩を売ればいいわけですね?」

「その通りです。参加者はもちろん、見物に来た市民たちにもフィル様の力を見せつけることができます」

 フィルは、面白そうに笑った。

「では、近いうちに闘技大会を開催することにします。みんな、忙しいところ悪いけど、よろしくお願いします」

「承知いたしました」

 恭しく4人はフィルに頭を下げた。

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