130恥目 要の体


 その自慢の脚でどこまで走る気なんやろ。

 もうとっくに息は上がって座り込んでもいい頃。それでも鎖をちぎった犬のように止まらない。ボクは呼びかけることもせず、苦しそうな背中を追いかけるのみ。

 走っていなきゃ耐えられないことがある。


 あんなくだらないゲームに付き合わされてしもたら、嫌な思いもする。男女の行為の話題は要チャンにとって地雷でしかない。少しずつ過去を思い出している彼女は、何がきっかけで地獄のような日々を思い出すかわからない。


 ボクは彼女のお兄サンと手紙のやりとりをしている。彼女の様子を報告し、決して平成のようなトラウマができないよう、この昭和で守ってあげることが目的。


 少しずつやけど、要チャンも思い出しているかもしれない過去を、学サンが手紙で教えてくれとる。今回のゲームから守ってあげれんかったのは失態やった。けれど下手に動いて他人に怪しまれるんも嫌やし、連れ出す術が浮かばなかった。


 でも、何に傷ついたかはわかる。あの手紙を読んだからや。

 彼女の後を追いながら、数日前に届いた手紙の内容を一語一句漏らさず思い出してみる。


 ――富名腰志蓮様。


 春を訪れを感じるこの頃。いかがお過ごしでしょうか。オレは大将と角田で平凡な日常を送っています。

 小まめな報告に安堵しつつ、話しておいた方がいいと思うことがあるので手紙を送りました。


 要の体のことです。あの子は体に沢山の傷があります。祗候館でつけられたものもあるかもしれないが、そのほとんどは義理の父親や兄弟から受けたものだと思ってください。


 まず、ざっくり家族について書きます。


 父は再婚で母と一緒になりました。年の離れた夫婦です。父親は文学学科の大学教授で母は高校教師です。近所ではエリート家庭なんて、噂されたこともありました。


 そして、要にはオレを含めて4人の兄貴がいます。連れ子であった長男はとっくに家を出て、要のこともよく知らないでしょう。長男は要に見える傷をつけることはありませんでしたが、居ない者として存在を無視し続けていました。


 問題は次男と三男です。

 次男は学生の頃イジメを受けるようになって不登校になり、そのまま卒業してからは働かずに家に籠るようになりました。原因は因果応報で、自分が他人に行っていたイジメが返ってきたのが原因です。どうにもできない日常のイライラを要にぶつけて過ごしていました。


 三男は最初、要をとても可愛がってました。でも様子はおかしかった。要の体を舐めるようにして触ったり、寝ている彼女の服をそっと剥いで音のない携帯カメラで、秘部を収めたりしていたのです。もちろん気づいた要は抵抗しました。それがいけなかった。


 三男は小学生や中学生の女児が好きな小児性愛者です。嫌々貰われて、家に置いてもらっている身の要に逆ギレして、我慢を爆発させる如く性暴力を振るうようになりました。

 嫌がる要にはしたない格好をさせて写真を撮ったり、行為を強要したり、面白がって秘部に何かを入れてみたり、ホチキスで胸の突起を挟んだり、他にも惨い行為をしては興奮し、楽しんでいました。


 何度か目撃して止めたこともありますが、エスカレートするばかりでいつからか次男も加わるようになりました。  


 次男に至っては、自らが同級生にされたことをやってみたりしていました。

 殴る蹴るの暴行、行為の強制、根性焼き、ベルトでの鞭打ち、汚水に濡れた食べ物を口に入れる、階段から落とす――どれも見ていられない光景でした。


 でも、父や母は止めませんでした。

 父からすれば要は、自分の妻を犯した憎い男の写しに見えたようで、本人に復讐できない代わりに暴行や行為に加担するようになりました。

 母は興味すら持たず、長男同様に無視するだけ。母については長くなるのでまた手紙を書きます。


 要は我慢強い子です。「本当のお父さんは自分達と仲良く暮らせないと知ったら、きっと悲しむであろう」と耳の痛い事を言われれば、例え犯罪行為を犯す異父兄弟であろうとも歯を食い縛って耐えていました。


 何度も何度も、望まれない要らない子だと言われ続けて涙を飲んでいたのです。


 体に残る無数のアザや傷跡は、要が生きようとした証です。どうか引かずに、体で判断せずに受け入れてあげてください。と言ったら重く感じるかもしれません。でもきっとそうしてください。


 大人になった要は体の事を気にして、恋愛も出来ないと思います。同居しているという意中の男性が心の広い人である事を願うばかりです。

 要は何も悪くありません。止められなかったオレにも責任があります。


 これ以上、何も思い出して欲しくないのです。

 だから性に関する事や、不倫の話は避けてあげてください。難しいかもしれません。だけど、貴方を信じます。


 要が涙を流したら、独りにしないで味方であげてください。お願いです。


 出来の悪い兄貴ですが、妹の幸せを願っています。また手紙を書きます。

(この手紙は見られると良くないので燃やしてください)


 では。


 四十九院学――。


 ――。

 

 きっと藤重くんの「望まない子」がショックやったんやろなぁ。

 皆、両親が愛し合って出来た子供やと思うのが普通やと思っとるから、無意識に差別をするような言葉を吐けるんかもしれない。


 もちろん、彼にそんな気は無くともね。


 暫くすると逃げたい脚は苦しい感覚を体感し始めて立ち止まった。

 体力が落ち、気分が落ち込んでいては、自分が思うように体を動かせない。だから要チャンは動かなくなった機械を叩くように太ももを拳で殴り続けた。


 中也サン達なら止めるんやろうけど、ボクは止めない。彼女が落ち着くまで、好きなようにさせてあげる。下手な同情は見下す事と変わらへんもん。

 大丈夫? と言ってあげるのが優しさだとは思わない。


「気ィ済んだ?」

「はぁ、はぁ・・・・・・何が・・・・・・」


 擦り傷を追ったような呼吸が寒さをものがっていた。寒風で冷えた汗がするり、速く顎を伝う。鬱陶しい。そう、目と声が言っている。本当は1人になりたかったのに、と。


 意思に反して、体は膝に手をつかないと立って居られない。さすがに体を壊してはいけないから、近くにあった手頃な縁石に腰を下ろすように体を支えた。

 彼女は観念してゆっくりと膝を折りはじめ、お尻が冷えないように手持ちのハンカチを間にそっと入れる。


 そうしてから3分くらい。隣に並んで、屋台の提灯をぼうっと見つめた。飲み屋街に近い通りだから、あちこちから塩味のある香りが鼻に入り込んで来る。

 要チャンが、はあ、と溜息をつけば胸の内のモヤモヤに色を付けた白い息がブワァっと空気中に消えていった。

そのタイミングで再び声を掛けてみる。おやすみ前に聴くようなクラシックを意識して、いつもよりゆっくりとした口調で。


「お腹空いて怒ったん? お財布も持たんで外に出ても何も食べれんよ」

「・・・・・・」


 黙ったまま、提灯のゆらゆらと赤く揺れる光を目玉が追いかけている。ああ、やっぱり傷ついとる。誰の声も聞きたくないんかもしれんなぁ。


 それでも彼女のお腹はギュウと食べ物を求めて鳴く。可笑しくて、鼻水が出ない程度に鼻から息を少し出して笑った。可愛えぇやっちゃ。


 念の為、財布の中身を確認してみる。大丈夫、金には余裕がある。皆には言っとらんけど、ボク結構お金持ってましてね。物欲もないから、溜まる一方。でも人にもあまり使いとうない。いつ付け込まれるからわからんもの。自己防衛や。

 平成でもそうやったけど、こちらに来てからは金だけでなく、時間や体力さえ使ってあげたい人が出来たんやから驚き。


 それが要チャン。生きたいのに、死ぬように仕向けられている彼女を助けてあげたい。

 過去を知らされているボクが生きていけるように導いてあげなきゃいけない。


 なんなら、ボクは要チャンが居なければ死んでもいいとさえ思っている。ボクはボクで、生きる事を辞めようとした人間。つい最近、死ぬきっかけを思い出してしまった。


 もしも、ボクの記憶と"事実"が確かなら、要チャンはボクの生きたい理由の人、になる。

 だからこそ、死なせない。地獄には落とさない。


 まずは体から。お腹を満たしてあげないと。

 お腹空くということは、体が生きたがっている証。


「寒いからお蕎麦食べよか? それとも大好きなハンバーグがええ?」

「大好きなのはイカだけど」


 食べたい物を訪ねただけなのに、ツンツンと毬栗のような返事。中也サンには絶対こんな言い方はせんのにねぇ。

要チャンは細く吹く風の寒さを我慢しながら、歯を小さくカタカタと揺らし、強がりだけでなんでもない顔をする。


「じゃあ、何が食べたい? ボクは優柔不断やから、決められんのよ」


 彼女はうーんと腕を組んで悩み始めた。

 すると、さっきまであんなにつんけんした顔だったのが、眉は角度を下げて、目は申し訳なさそうに伏し目になる。


「でも、皆も食べてないよ」


 ああ、そっか。感情的になりやすくても、根は優しい子だから、まだ夕飯を終えていない他の事を考えると外食は気が引けるらしい。


 それに足して、また、感情のまま飛び出して来てしまったと後悔し始めた。

 顔を洗うようにゴシゴシと摩り、どうにもならない難問に苦しむみたいな声を出す。


「皆はゲームに夢中やからええの! 要チャンはお腹空き過ぎてご機嫌ナナメやろ? 気になるなら、お土産買って帰えろか?」

「お土産かぁ、でもお金ないし、しかも悪いと思ってるのに肉が食いたい。あ、そう言えば父さんの事もほったらかしたまんまだ!」

「次から次へと忙しいねえ」

「帰ろうかなぁ、でも腹は減ってるし・・・・・・肉が食べたいし、でもタダじゃないんだよね?」

「せやねぇ、今度何かして貰おうかな。今はなんも思いつかんから」

「やっぱ、ちゃんと職探して働こ・・・・・・」


 傷付いたり、怒ったり、悲しんだり、後悔したり、心配したり。何も無くなるよりはマシ。

 皆、要チャンの悪い癖を理解してくれとるやろうから、突然出て行った事も差して気にしていないと思う。

要チャンだって過去を知られまいと必死なのだから、多少の癖も許してあげて欲しい。


 いつか何かを返す事を条件に、遅くまで営業している洋食屋へ向かう事にした。要チャンは肉が食べられる事に機嫌を良くして、スキップをしては下駄をカラカラ鳴らす。


 時より見えるアザは、いつのアザだろう。

 これ以上増やさせないように。これ以上、苦しまないように。


 夜空に浮かぶ半かけの月に静かに誓う。昔もこうやって月を見上げては、顔の見えない誰かを支えに生きていた。


「要チャン、今日は月が綺麗やね」


 その"誰か"に震える声を寒さのせいにして、ってみる。


「そりゃ、月はいつでも綺麗だよ」


 何を当たり前の事を――と笑うけど、その返しは都合の良い解釈をして仕舞えば、何ものにも変えられない喜びになる事を貴女は知らない。

 そもそも「月が綺麗」の下りをわかっていない顔や。


「――教えてくれたん、覚えてないか」


 平成にいた頃、原付バイクが運んで来てくれた紙のやりとりで教えてくれた筈の文句。


 顔の見えない誰かを支えに生きて来たボクは、顔の見えるその人の支えになって昭和を生きている。

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