129恥目 汝、新品なりや?
御免くださいと声をかけて、庭から出てきたのはスコップを持った要くん。いつもの袴姿だけど、捲し上げて素足を見せている。女の子だったらはしたないけど、男の子なら別になんとも思わない。ううん、これだけじゃ見分け何かつかないよ。
こんにちは、と挨拶から入る要くんは、薫の事を見て目を少し大きく開きながら、汚れの場所も確認せずになんとなくで土を払った。
「こんにちは、もう火傷は平気?」
「風呂の時は痛むけど大丈夫だよ。心配してくれてありがとう。でも・・・・・・1人で来るなんて、吉次と喧嘩でもしたのか?」
やっぱり家出だと思われちゃうんだ、と苦笑い。
吉次くん本当にごめんね。家出じゃないから、安心して!
「全然してないよ。今日は薫だけでお泊まりに来たの」
「は? なんで」
「お友達のお家でお泊まり会。平成でもしたでしょ? 初代さんには許可取ってるよ」
「んな急に言われても・・・・・・家の中汚いし、それに今庭の手入れをしてるんだ」
迷惑だと直接は口に出さない優しさ。
薫なら素直に言っちゃうけどな。今日はダメ!って。察するに、今日は都合が悪いから帰ってほしい、ということなんだろうけど、薫にはいろいろ武器があるもん。まず、買って来たばかりのおみかんだけを差し出してみる。
「おみかん、皆んなで食べようと思って!」
「えぇ? みかん? うわ美味そう! 文人、志蓮! 薫がみかんくれたぞ!」
迷惑そうな困り眉をしていたのに、みかんを手に取れば眉間の皺は伸び、顔を緩ませて庭に向かって声を飛ばす。ほら単純。
他の2人もわらわらやって来ると、寒いから中に入れよと言って家に招き入れてくれる。部屋の中は汚いって言ってたのにね。男の子って単純だなぁ。
温まった居間の一番温かい位置に通してくれて、出来るだけ綺麗な座布団を引っ張り出して来る要くん。それから戸棚を勢いよく開けて、お茶菓子の入った漆色の大皿をちゃぶ台の真ん中に置いた。それから慌ただしく台所にかけて行ったと思えば、グツグツとお湯の煮える音が聞こえてくる。お茶の準備かな。
「要チャンまず手洗って来ぃ? お茶はボクがやるから」
「洗ってからやるからいいよ、志蓮が座ってなって。疲れてるだろ? 温まってなよ」
あれ、要くんちょっとお母さんみたい? 手際も良いようで悪いけど、言ってる事はお母さんぽいかも。
「お湯ひっくり返したら危ないやろ? バタバタしてる子には触らせません。火傷の跡増えたらどないすんの? 可愛いお手手が可哀想やろ」
「子供扱いすんな!」
あれれ、急に子供みたいに怒っちゃった。
富名腰さんの言い方もあるけど、小さな女の子扱いぽい。
「何そんな難しい顔してんだよ」
「要くんって時々女の子みたいな時あるなーって」
文人くんの問いかけにそう返すと、彼は「ハア?」と機嫌の悪い言い方をした。ドカっと胡座をかいて座れば、人差し指を薫に向けて怒った顔をする。
「何怒ってるの?」
なんだか厭になった。今回は、いや、今回も要くん以外に特に用事はない。
本人以外の誰かにどちらの性別を言われても、納得しないつもりなんだから。お話を聞く気はないと、おみかんをひとつ取って右の親指をヘタのない方に突っ込んで2つに裂いた。
薄皮まで爪で綺麗に剥いてあげたら、その煩そうな口にこれを入れて少しでも黙ってもらおうと、文人くんの口内にポンと放り込んであげた。
彼が果肉を頬張って飲み込むと落ち着いた様子で「でさ」と切り出す。
「今度は要を女扱いして、取り込もうってか?」
「人聞きの悪い言い方しないでよ。ただそう思っただけだもん。でも要くん、時々女の子見たいでしょ」
「どこが。いつだって思春期の男子中学生みたいに五月蝿えよ。見えたって顔だけだ」
「そう? 顔だけじゃないよ」
「なあ、何を考えてるんだ?」
文人くんはまた顔を険しくさせて、薫の顔を覗き込んだ。
「吉次とも喧嘩してねェんだろ? なんで急に泊まりになんか来んだよ。結婚した女が男だらけの他所に来るなんていいこっちゃねェって馬鹿でもわかるだろ? それにお前、正月の時とおんなじ顔してんだよ。顔が冷てえっていうかよ、何しに行きたんだ」
「嘘!? そんな怖い顔してる?」
顔をペタペタ掌で触る。柑橘の匂いだ顔につくと、いい香りも煩わしくなる。
真剣に事を考えると、顔が怖くって重たいと言われるのは昔から。病んだアピールをしているわけじゃないのに、めんどくさいねと囁かれて少しづつ周囲の信頼を失ってきた。
一回や二回なら可愛いいけど、これが何度もあればそうなるのも当たり前もこと。
薫が一番反省しなくちゃいけない事件の時と同じ顔をしているなら、言葉や表情には細かく注意して真実を聞かなきゃくちゃ。重くないように、気軽に打ち明けてくれるように。
息を止めて、一定の時間が経ったらおみかんの匂いを吸ってリラックスするようにしよう。
文人くんに表情は柔らかくなったか聞いてみる。彼は「怖くなくなった」と言ってくれたので、一安心。
それで何をしにきたんだと再度尋ねられたけど、もう何度言っても、文人くんはきっぱり男だと答えるだけだろう。
「薫だってたまにはお友達と遊びたいの。平成の人って男の人ばっかりだし、しょうがないじゃん。吉次くんだってわかってくれるもん」と、年頃らしい答え方をした。
文人くんはきっと疑いが取れなくて、納得していないようだったけど、吉次には連絡しろよと言ってそれ以上は聞いてこなかった。
なっちゅうさんが一番面倒くさいけど、文人くんは勘が良いな。
それからおみかんとお茶と、苺をみんなでつまんで食べた。庭を畑にする作業も手伝って、本当に遊びにきただけなんだと安心させるために「性別」のことには触れないまま、夕飯の時を迎える。
「なんでいるんだよ」
「いらっしゃいのひとつくらい言えないんですかぁ?」
「歓迎する理由も関係性もない」
「へえぇ! 薫は友達だと思ってあげてるのに!」
「恩着せがましい女だな。帰れよ」
帰ってきたなっちゅうさんと火花を散らす。
そりゃ薫が失礼かもしれないけどさ、お正月の事まだ許してくれてないんだよ? 要くんが許さない! って言うならわかるけど、どうしてこの人が一番怒るわけ? 頭硬いしチビだし、根に持ちやすいし感じ悪い!
「ちょっと、喧嘩してるんですか? 帰って来て早々やめてくださいよ。寒かったし、疲れたでしょう。あ、カバン預かりますね」
「ありがとう」
間に割って入るように要くんが慣れた手つきでインバネスコートと呼ばれる、シャーロックホームズとかが着ていそうなそれとカバンを受け取って彼の後をついていく。
さっきまでの顔とは明らかに違う。急に目が潤んでとろんとしてる。飼い主が帰って来て嬉しい犬みたい。他の2人は別になんとも思ってないみたいだし、これがこの家の普通の光景なの? 男の子が男の子を出迎えるのが? 吉次くんも同じことをしているけど、顔がちがうんだよねぇ。それこそ、もっと具体的に例えるなら――。
「なんか・・・・・・」
「何だよ。着替えるんだからあっちいけ」
「そうだよ、女の子が見てたら着替えにくいじゃないか」
寝室として扱っている部屋をこっそり覗いて見た。ワイシャツのボタンに手をかけるなっちゅうさんの横で、鼻の下伸ばしてほっぺたをピンク色に染める要くん。もうそれは――。
「要くん、奥さんみたい」
「んなっ!?」
薫のたった一言に、電光石火の如く部屋を出て襖をビシャリと閉める要くん。
顔に汗を大量にかき、ゼエゼエ肩で息をする。この一瞬で体調に変化ありすぎだよ。
「そ、そんなわけないだろ? 僕は男なんだから、奥さんとか言うなよ。びっくりしちゃうなあ、もう」
「ならどうして嬉しそうなの? 女の子みたいだったよ?」
「別に嬉しそうになんかしてないさ! 中也さんは尊敬してるんだ。同性に憧れる時だってあるだろ? 吉次だって、先生を出迎える時はこんな感じだったし、なんら変わらないんだって! そうだ、しゅーさんにだってそうするさ、なんたって2人とも文豪なんだから。そう、だから全然嬉しそうなんかじゃないよ!」
苦しい言い訳にしか見えないよ。袴に滲む手汗が嘘を隠しきれてないじゃん。
目線だって合わないし、嘘つくの下手くそ。でも、ここで問い詰めるのは可哀想に思う。嘘をつくのが要くんより上手な薫はにっこり笑顔を作って合わせてあげる。
「そっかあ、要くんの対象ってあの太宰治だもんねぇ! 納得ぅ!」
「だろ? そ、そろそろしゅーさんが帰ってくる頃だし、同じように出迎えるから見ててよ」
要くん、必死だなあ。ううん、もう“要ちゃん“かな。女の子だとバレないよう取り繕うのに一生懸命だ。証明しようとするから尚怪しい。
女子の勘を信じるなら、"彼女"はなっちゅうさんの事が好きなんだと読んでみる。他の人とは違う特別感がそう思わせるの。
夕食の準備に忙しくする文人くんを手伝いに台所へ消えた要くんは、わかりやすく動揺して大きな音をガシャガシャ立てて始めた。お皿のぶつかる音が耳につん裂く。かと思いきや、次は怒られている声が聞こえてくる。
「わたわたしながら包丁持つなって言ってるだろ!」と、クズでお馴染みの文人くんに怒られショゲて戻って来た。ボロボロの糸の解れた座布団にちょこんと座り、すん・・・・・・と唇を少し尖らせて、何もない畳の目の一点を見つめている。
「怒られた・・・・・・」
「要チャンが悪いからねぇ」
「わかってるよ」
「反省しとる?」
「してるもん」
「ほな、反省出来るお利口さんにはキャラメルでもあげまひょうかねぇ」
富名腰さんは要くんを宥めるために、声を顰めながら懐から小さな巾着を取り出した。
そこから白い紙に包まれた小さな粒を2つ取り出して、1つは要くんに、もう1つは薫にくれる。
「薫さんにもあげようねぇ」なんて、ついで感がすごいけど。彼は人差し指を立てて、内緒やよと言う。
キャラメルくらいで騒いだりなんかしないよ。薫はそう思っても、要くんは子供みたいに目に光を満たして紙を剥がし始める。ポイと口に頬張ったら、ブワァっと花が咲いたようにニコニコ笑顔になっちゃって。
キャラメルってハイペースで食べるものじゃ無いと思うけど、ごくりと飲み込んだら、右手を出して無邪気におかわりを要求する。まるで小さい子みたいね。
「薫のあげる?」と、キャラメルを差し出した。
「志蓮がくれるから大丈夫だよ。頂戴!」
「はいはい、急かさんでもあげますよぉ」
富名腰さんは嬉しそうに巾着の結び目を解く。もうすぐご飯なのに、そんなに食べたらお腹いっぱいになっちゃわないかな? そんな心配をすれば、台所から薫の心の中を読んだように叱りつける声が飛んでくる。
「おい! 飯前にあんま食わせんなよ!」
「あらぁ、ボクも怒られてもうたわぁ。要チャン、折角反省したんにねぇ。食べたってえぇのに、文人クンは意地悪やわぁ」
「孫に甘いババアか!」
今度は1人で怒られた訳じゃないから、しゅんともしない。要くんはご飯を我慢してるイメージがあるから、食べられる時に食べた方がいいと思うけど、嗜好品はまた別の話だよね。
"女の子"には甘い物は油断大敵。おデブの素だし、食べ過ぎるとニキビも増えちゃう。"要ちゃん"だとわかったら、ちゃんと教えてあげなくちゃ。
彼はまたこっそりキャラメルを貰った。
それをまた口に入れると、富名腰さんは歯が抜けないように要くんの口をずっと見ている。過保護だなぁ。なんだか2人だけの世界を作られた気がする。
だから居心地が悪くなって逃げるように台所に足を入れた。
台所では包丁を器用に使って、キノコや人参を飾り切りにする文人くんが左足を軸にして立っている。器用な手付きに負けちゃいられないと闘争心が湧く。薫も女の子なんだから、このくらいやれないといけないかしら。
「薫なんか手伝おっか? 要くん、怒られて来づらいみたいだし」
「クソガキだからなァ。なら皿運んでくれよ。泊まりに来たのに悪ィな」
「いいのいいの。薫これでも奥さんなんだから、男の子よりやり慣れてるよ?」
「料理も家事も性別関係ねェだろ」
「あるよ。女の子なんだからお料理くらい出来ないとダメだって言うもん。あれ、でもご飯の品数少なくない。薫何か作ろうか? ・・・・・・あっ」
つい思った事を零しちゃう。吉次くんに似ちゃったのかな。ご飯の品数が少ないのはお金がないからなのに、ついいつもの食事と比べちゃって。薫も怒られる! と直ぐに謝罪すると、文人くんは手を叩きながらガハガハ笑い出した。
「今金ねェから、って思ったから謝ったんだろ? んまそりゃあ事実だけど、違うな。今日の晩飯はすげェんだよ」
「出前でも取るの?」
「出前なんかよりいいモンだよ。薫も来たし、要の事もあるし、まあ、いずれわかるさ」
「うん?」
彼の言っている意味は少しもわからなかった。
意地悪な表情をするのは、薫も泊まりに来た本当の理由を教えていないから。
言われた通り、お皿を並べて残りの人達の帰りを待つばかり。
なっちゅうさんの機嫌も変わらず悪いし、要くんの性別もどっちでも良くなって来ちゃった。性別は生出要って事でいいかも。
せっかく薫がお泊まりに来たのに皆して本と睨めっこするばっかり。わざとらしくため息をついても、だあれも反応してくれない。
何か面白いことないかなぁ。と頬杖をつきながら垂れた横髪で遊んでいると、玄関の向こう側から声が聞こえて来た。
「おーい」
「帰って来た! しゅーさんだ! おかえり!」
読んでいた本を放り投げて、また犬みたいに玄関にお出迎えしにいく要くん。だんだん柴犬に見えて来たよ。その元気なワンコのリード、じゃなくて、襟元を掴むのは、ご主人様であるなっちゅうさん。
「待て! この声、津島や檀じゃないぞ」
「文人クンの取り立てやないの? 今度はキミが怒られる番やね」
「しれっと怖ェこと言うなよ」
また「おーい」と聞こえる。苛立ちを含んだ呼び掛けは、確かに取り立て屋さんでも不思議じゃ無い。にしては、穏やかな取り立て。
みんなそれだと決めつけるから、誰も玄関に向かおうとしない。初代さんから、要くんは知らない誰かが来たら絶対に外に出さないでとキツく言われて来たもんだから、薫は彼の手を両手で力強く握った。
また攫われたりしたら、いけないもんね。
息をじっと潜めて居留守を使う。
そうすれば、呼び掛けに足して戸を叩く音が家中に響き回った。
「やっぱ出るよ」
「しっ」
要くんは困り眉で声を顰めて玄関前の誰かの心配をする。根負けしたと云う口に、掌で蓋をして余計なことは言わないようにしてあげた。
それとぴったり同じくらい。勢いよく玄関の戸がガラガラと開き、乾いた呼吸が薫達の肝を冷やす。
「急に呼びだしておいて誰も出迎えんし、食材まで揃えろって、全く何考えとんじゃ!」
「司!?」
きっちり下駄を揃えて「お邪魔します」と腰を折って上がり込む。真面目なつっくんが、大量の食材やお土産を持ってお家にやって来た。
皆に無視されたから鬼瓦のお面をつけたように怒ってる。
出迎えを止めたなっちゅうさんは「久々過ぎて声を忘れてた」と、お茶目にウィンクをしつつ舌を出して謝った。
所謂テヘペロ。昭和の人なのか疑わしい。平成の漫画で見るようなお茶目さんなんだもの。
でも、つっくんは親友であるなっちゅうさんを怒らない。怒りの矛先は、寝転がりながら、鼻に小指を入れて口呼吸をする文人くんに向けられた。
「そもそも文人! お前が呼んだんじゃろうが! それから人が話ちょる時に鼻をほじるな!」
「悪ィ、悪ィ。鼻の通りが悪くてよ。ほら見ろ、デカイぞ」
「取ったもん見せるな!」
鼻の中から収穫した汚物を見せびらしてくる。本人は嬉しそうに笑ってるけど。それを人に見せるなんて最低。一回死ねばいいのに。
要くんだけが彼の指についたそれを見て、でっかいと下品に手を叩いてゲラゲラ笑った。女の子ならこんな事で笑ったりしないから、絶対に男の子だよ。薫ってば何を疑ってたんだろう。
つっくんの冷めた視線が刺さると、当事者の彼は眼鏡を中指でクイとかけ直して咳払いをひとつする。
「エロい小説読んでたらお前の事忘れてたわ。これやるから許してくれよ」
鬼の前で頭を垂れた。
文人くんはエッチな小説を献上して許しを得ようとしたのね。つっくんだって男の子だから許しちゃうでしょ。好いと思う。なんなら薫もその本を読みたい。だから勝手に手が伸びて本を横取りしようとしてる。いけない、これは鬼への献上品なのに!
鬼は本を薫より先に取ってパラパラ捲り、すぐに文人くんの頭に叩きつけちゃった。
「不純じゃ!」
「何言ってんだよ。俺ァ健全なオトコノコなんだぜ? エロと男は切って離せないだろ。強がんなよ」
「一括りにしんさんな! 性欲が薄い男もおるんじゃ!」
顔を真っ赤にして煙出しちゃって。番犬の様に自分は性に溺れず真っ当に生きているって吠える。文字だけのエロスでムキになってるのバレバレだよ。写真や絵があるわけでもないのに、想像力豊かなムッツリさんなんだわ。
そういえば、つっくんって女性経験ゼロの新品さんなんだっけ。
「うわぁ・・・・・・」
要くんが本を拾い上げて同じく顔を赤くする。あれ、もしかして要くんも新品なの?
確かめたくなって、わざと要くんに体を寄せ、腕に薫の胸が当たる様に押しつけてみた。
むにゅり。衣類越しに感じる要くんの細い腕。自分で言うのも何だけど、薫、胸には結構自信がある。大きくてピンと張りがあるし、お椀をひっくり返したような形で。ふっくらしているから、触ると指が沈んでいくように心地が良い。これは吉次くんのお墨付きなんだから。
そんな美乳の感触に彼は大袈裟に体を反り、吃りながら焦り始めてしまった。
「ちょちょちょちょっと! ごめん! ごめん、触るつもりとか無くて、違うんだ、その、たまたま当たってしまっただけで、故意にとかじゃないんだよ! ごめん!」
「何が? そんなに吃ってどうしたの?」
悪戯顔を隠すのに口内の肉を強めに噛む。キャラメルを食べていればよかった。
「いや、ほら、今その、あの、当た、当たっちゃったから・・・・・・」
あらら! 顔真っ赤にしちゃって可愛い。熟れたトマトにそっくりな頬の色。つっくんよりもむっつりさんなのね。そんなに挙動不審になっちゃうくらい性に関する耐性がないなんて、よっぽどの箱入り息子だったんだ。
胸を見ないように顔を逸らしても、性に対する好奇心は年中実っている豊満な実に向く。
視線が無意識に首の向きを変えれば彼は薫の上半身に釘付けになった。
「なあに、要くん。薫の何に当ったの?」
「ム、胸に・・・・・・」
「え? 聞こえないよ」
胸元を指でそっと開けて、谷間の線が見えるか見えないぐらいのところで止めてみる。見ちゃいけないと思うから、尚の事背筋はぐんと伸びるの。
それは要くんだけじゃなくてつっくんも同じ。性欲はないと言っておきながら、興味津々じゃない。もう、2人共むっつりさんなんだから。
「薫の乳でっけえもんなァ。童貞は見たくて見たくて仕方ねえか!」と、文人くんが突っ込めば、2人はハッと我に返り互いの頬を殴った。
「違う! 要が見とるから、なんじゃろうなと思っただけじゃ!誰が薫の乳なんか――」
「文人の言う通り見たかったんだろ? 司も女の1人位作ればいいじゃないか。別に困るようなあれじゃないと思うけど」
なっちゅうさんの言う通り、つっくんは男前だし体つきも良くてパッと見はモテそうだ。上から下まで見ても糸の解れや気になるところはひとつもない、完璧。ただ見た目が良くてもいけないのは誰しもが知っていることで。
「バッカだなあ、中也。司は拗らせてんだよ。結婚する女じゃないとそう言うことはしない! きっといつか運命の人に出会える日まで純潔で居たい、なんて言ってんだぜ?
風俗に行かねェのは金払ってまで卒業したくねェ、俺は選ばれる男だという過信。そんでいざ女に話しかけられたらガチガチに固まって何にも話せやしねェ。そのくせ理想は高いし夢見がち。こんな男に風俗嬢以外で卒業させてくれそうな女が出来るとはァ、思えないねェ」
と、文人くん。
「はあぁ!? お、おるわ! 相手の1人や2人くらい! 毎回すごいんじゃぞ! 言っとらんだけで、お、俺はすごいんじゃ! 毎回女をひいひい言わすから、遠慮しとるだけでのぉ、そりゃ他人様には言えないくらい技術がすごいんじゃあ!」
と、必死につっくん。
「おっと? 童貞の決まり文句か? 自分は凄い――何がだよ。経験もねェのにリアルエロを語ろうとするな! 童貞!」
つっくんの完敗。そうなんだよねぇ、経験がない人に限ってつらつら有りもしないことを語るんだよ。
どこかで拾ってきたような知識をおおっ広げて、さも自分のことのように話す。薫のお客さんにも似たような人がいて、突き詰めていくとプロとしかシていない、いわば「素人童貞」であることがしばしばある。
彼にもそうであることを突くと頭の中の山が噴火して、誰にも止められないような怒り方をする。
「俺だけじゃなくて要もじゃろ! いいや、言っとらんだけで他にも仲間がいるかもしれん! のう、要!」
「うええ、僕を巻き込むなよ!」
「お前も俺とおんなじだよなあ! なあ!」
「ええっと・・・・・・」
このつっくんのように周りにいる味方だと思われる人を巻き込み、自分だけがそうではないと正当化しようとする。経験がないことが恥ずかしいのではなく、経験があるふりをしているのが恥ずかしいってことが分かってない。
かくいう要くんもなんと返したら良いか判らず、この場から逃げるために膝を伸ばして「お風呂に入る」と言って肩に巻き付いた襷紐を解いた。
けど、この状況でつっくんが行かせてくれるわけがない。逃げようとする要くんの両肩を掴み、足止め。けれど新品2人は解り合おうとしていないみたい。
主につっくんが、どちらがいかに経験豊富かをくらべっこしようとして、男女の関係に関する単語を拾いあげるように吃りながらシたかどうか確認している。
ここまで来ると、逆に微笑ましくなって気持ちが穏やかになっていく。
まだ知識のないときは「キス」という単語だけで頬を赤らめたし、まだ経験のないハジメテの時は不安だったり期待だったりを胸に抱きながら身を任せたりもしたっけ。
薫はピュアだった遠い昔に想いを馳せつつ、中学生の下ネタ話を聞くような気でいた。
そうしたら、突然要くんが真顔になった。一点を見つめて、煩いつっくんの口を塞ぎ耳を澄ます。彼以外の皆は何のことかと視線だけで会話した。
その中で富名腰さんは笑みを浮かべ、要くんの傷だらけの手の甲を撫でながら顔を見上げていた。
「帰って来たねぇ」
「うん! しゅーさんだ!」
薫達には少しも聞こえない帰宅の音。対象者の音だから聞こえたの? 薫は――どうだったかな。
もう暫く会っていない定さんの顔を浮かべて、自分もそうだったか思い出してみる。
けれど頭に浮かぶのは「別に生きよう」と鬱陶しそうに言われた時の記憶だけ。薫は定さんの足音や呼吸の音も知らない。
要くんと失格さんみたいな見えない何かはなかった。無くて当たり前、なんだけどさ。
要くんの言う通り、失格さんが帰ってきた。足音がゾロゾロと聞こてくるんだから、1人じゃない。玄関から入り込む寒風に乗って、昼間に嗅いだキツいお酒の匂いが鼻を通って体中を駆け巡る。匂いの濃さに頭がクラクラして。鼻を摘まんでも匂いがするなんてどいうことなの。
失格さんを先頭にたっくんと吉次くんも一緒だ。2人は薫に気づいてないみたいで、歯を食いしばりながら大事そうに人を担いでいる。
大人3人がかりで運ばれてきたのは、昼間に事務室で会った檀さん。気持ち悪いと唸りながら、嗚咽を上げて居間にゴロリと体を転がされ、置かれちゃった。
要くんが心配そうに横に張り付いたけど、すぐに利き腕で鼻を覆った。
「くっさ! 酒樽に浸かってたのか!?」
「昨日の夜からずっと呑んでるんだ、そら匂うよ」
「でも修治さんは酔っとらんの。珍しい。何か後ろめたい事でもあるんか?」
「コイツの面倒見るので精一杯だったんだよ!」
失格さんの日頃の行いの悪さが、檀さんが酔い潰れている事よりも興味を誘う。彼は疲れたと、栄養ドリンクを求めるように酒を持って来いと促した。誰も持ってくる気配はない。
「学校でお酒飲まれちゃって困りました。要さん、今回ばっかりはオコですよ」
「本当ごめんなさい、もう・・・・・・えっと、檀さん。ちゃんとしてよ」
迷惑でしたとキッパリ言い切るたっくんにペコペコ何度も頭下げるんだから、やっぱり要くんのお父さんなの? なら、この人も平成の人? でも檀って言われてるし・・・・・・。
檀さんは短い感覚で嗚咽を漏らしながら、要くんの腰にまと割りついてお腹のあたりに頭を擦り付けうっとり。そして顔のパーツをゆるゆると溶かすのです。
「ひゃなめぇ、とうさんはねぇ、ひゃなめのことがいっちゃんめんこいとおもってるんだからねぇ。だぁめだよ、なかひゃらなんか好きになっちゃぁ。ちびだしぃ、経験なしの短小やろうに決まってるんだぁ」
「もう何言ってんの!」
「は? 短小は文人だろ?」
文人くんが短小――! 一理ある!
薫のどすけべ統計上、アソコが大きい人は身長が低い人が多かった。吉次くんは背が低い方で、ソコソコだし。反対に背が高い人は――何も言わないでおこう。
もちろん人の体なんて千差万別な訳だから、皆が皆そうじゃないことはわかってる。けど! 薫はわかるの! きっと文人くんは短小だって、わかるの!
「なんだとコラ。経験なしは司だろォ?」
「はぁあ!? またその話に戻るんか!?」
「皆さんやめてください! 短小も童貞も悪い事じゃありません! 僕は朝昼晩すごいですが、体力が無いと大変なんです! すごいんですから!」
「すごいすごいって連呼するって事は、童貞なんじゃぞ吉次! お前も本当は経験がないんじゃろ!」
「へ? そうなんですか?」
聞き捨てならない台詞に自ずと体は勢いよく詰め寄り、つっくんを責め立てる。
「何言ってるの! 吉次くんと薫は毎日2回は絶対するんだからね! 何にもしてないつっくんとは違うんだから!」
「薫さん!? どうして居るんですか!?」
「そんなの今いいの!」
どうして言い返さないのかしら。こんなに可愛い薫をお嫁にしておきながら、つっくんの言葉にキョトンとするなんて!
「そうだぞ司ィ、吉次を経験無しと疑うのは愚問だねェ」
うんうんと頷く文人くん。でもつっくんもプライドが富士山級に高いから、大人しくなる訳がないじゃない?
「って言うか、文人も素人童貞なんじゃないんか? お前から聞く話って風俗の事ばっかりじゃけえ、お前の方こそ彼女居たことないんじゃろ。俺に新品のイメージを擦り付けて、自分の事は聞かれんようにしとるんじゃろ!」
「じゃろじゃろウルセェわ! 俺を疑うんなら拓実だって怪しいけどなァ!」
「はい? 何の話ですか?」
肩を揉むたっくんにカクカクシカジカ、今までの経緯を話す。一通り聴き終えると、いつも通りの穏やかな表情。薫が要くんを女性だと疑っている事は伏せたけど、彼は頭が回るから何故此処に居るのかは察していると思う。
今、薫達が知りたいのは誰が「新品」であるか。
そんな事知らなくていいでしょう、と思われても仕方がない。けれど此処まで来れば明らかにしなければ気が済まないの。
たっくんも呆れるのかと思ったら、不敵な笑みを浮かべて「いい事を思いつきました」と手を鳴らす。
「直接聞いても、司くんのように隠したくなるのが普通です。なので、ゲームをしませんか? 誰が経験無いのかを探るゲームです」
「どんな?」
「言うなれば、人狼ですかね」
「ジンロー?」
昭和組と要くんが揃って首を傾げる。
平成じゃ一般的なパーティーゲームだけど、要くんは知らないみたい。
たっくんは簡単に言えば、とルールの説明をし始めた。
「人狼は人の形をして殺戮を繰り返す狼を探すゲームです。でも今回は狼では無く、童貞くんを探すゲームにしましょう。本当はいろんな役職と呼ばれる役割があるんですが、全てを知っているゲームマスター以外の役職は無しとします。自分以外の味方がいない、という程ですね」
誰が"どちら"の人間なのか――。
ゲームマスターは誰が新品が解っていなきゃ何も出来ない。なので話し合った結果、結婚していて、尚且つ経験がある事が確かな失格さんを役に当てることになった。
自分がどちらであるかを伝えるため、檀さんを除いた6人が順に失格さんに耳打ちで真実を伝えに行く。
薫と吉次くんも同じくゲームからは外れた。部屋の傍に座布団を敷いて正座をし、ただの観客として見守るつもり。
そして酒浸りの檀さんを中央に祀るようにして、円を作る。時計で言う天辺が失格さん、それからなっちゅうさん、要くん、富名腰さん、文人くん、つっくん、たっくんの順番。
「経験アリを装った新品の嘘を暴くゲームねぇ・・・・・・司はわかりきってるんだし、必要ないと思うけどな」
「そうだよ、別に人それぞれだし・・・・・・ていうかご飯は?」
乗り気でないなっちゅうさんと要くん。シラけること言うんだからつまらない。要くんはお腹を空かせているのか、少し苛立っている声を出した。
「落花生剥いたから、これで我慢してなぁ」
「俺のみかんもあげるよ」
「これが終わったらご飯にしまひょ。あんまりくだらんで、やりとうないけど」
ゲームが終わったら即ご飯にする事を約束して、乗り気でない3人をなんとかゲームに参加させる事が出来た。要くんは両隣の2人から食べ物を貰うと、不満そうな顔で黙って口に運び始める。
もっと楽しそうにしてくれてもいいのに。ノリが悪いんだから。
「まあでも、これでつっくんの仲間は居ないって証明できるから、気が済むでしょ? 面白そうだし、なんなら薫が卒業させてあげてもいいんだよ?」
「バカかお前は。嫁に行った自覚ないんか?」
「吉次くん、寝取りられる事に燃えるらしいから大丈夫だよぉ」
「マジかよ。意外だわ」
「他の人に抱かれたのに、結局は僕じゃないと満たされない薫さんに興奮します。だから薫さんが今までと同じお仕事を続けていても、平気なんです」
「なんつうか、歪んじまったなァ・・・・・・」
薫達の仲良しエピソードを浮かれ気味で話してあげる。皆んな相手が居ないから羨ましがっているのかな、全然返答してくれないの。
たっくんは「毎晩耳栓しないと眠れなくなりました」なんて言ってくれて、自他共に認める仲良しっぷりに照れ臭くなる。
失格さんの頭の整理が終わったようで、寝室からそっと出てきた。指定された席に胡座をかいて座り、ふうと細い息を吐く。
――いよいよ、始まるのね。
新品の数は何人か、それが吐かれたらゲーム開始。失格さんの信仰の元、みんなで話し合って、もしもこの人が「童貞」だと思った人から指名しその審議を問う。
年齢や性格から見るに恐らく要くんとつっくんだけが新品さんだろうけど、皆の過去の恋愛の話とか聞きたい。なんなら今後の仲良しの参考するつもりでいるんだから!
失格さんが、ではと開始を匂わす合図をする。
「ここに居るうちの3人が経験のない新品だ」
「3人!?」
意外や意外、確定した2人以外に誰かもう1人居るっていうの?皆、驚いてる。今回はプロとの経験しかない人は新品扱いになるから、もしかして文人くん?
彼の顔を見る限り1番驚いて居るし、そうでは無さそう。
「修治さん、あくまでもゲームマスターですから、顔に出さないでくださいよ?」
「わかってるさ。生憎、笑える相手じゃないんでね」
「だからそういう事を言わないでくださいってば」
失格さんの顔は引き攣るばかり。彼が笑えない相手って誰だろう。性格が合わないから笑えない?意外だから笑えない? 今までの振る舞いがあるから笑えない?
皆疑わしくて、皆そう見えてきちゃう。吉次くんの手を握って誰だろうねとはしゃげば、失格さんの大きな咳払いで口を結んだ。
「さあ、始めようか。童貞人狼」
ごくり――生唾を飲み込む音が今にこだました。
*
1人目、中原。コイツは明らかに新品ではない。
要の手前もあるので、初体験はいつ頃かだけを聞いて、司以外の数人が阿吽の呼吸で「中原は新品ではない」と、
早々に言いつけた。満場一致だったこともあり、深追いはせずにさっさと次へ行く。
2人目は、要。女である事を隠しながら生きる、男。司と俺は知らない事になっているし、それに薫が女だと疑っていることもあるので、宇賀神の奴がわざとらしく色々聞き込んだ。
が、機嫌が悪いのか口を固く結んだままで誰が何を聞いても答えなかった。好きな男が経験があることにショックを受けているのか、腹が減って機嫌が悪いのか。どちらも当てはまるので深追いはしない。
沈黙を守り続ける要の代わりに、「童貞」であることを告げる。
残る新品は2人。さて次は富名腰、だったが妙なタイミングで手洗いに立ったため、1人飛ばして文人の番になった。
「俺の番か。俺ァ違ぇよ? 風俗なしにしたって経験くらいあるさ」
「なんだかんだで一番お前が怪しいよな。今は幾分かまともになったけどさ、初めて会った時のお前は人間とは思えないくらいのクズだったろ? 要に食事代返済しないで遊び回ったり、他人のこと蔑んだりしてた奴に恋人なんかできたのか?」
「平成では居たさ。中2の時に初カノが出来て、初体験は高一の夏だったなァ。お互い初めてでさあ・・・・・・」
文人は懐かしいから聞いてくれよと、前のめりになって勝手に語り始めた。
「夏期講習の帰りによ、スッゲー雨降ってきてさ。たまたま彼女ン家が近かったから、タオル借りに行ったんだ。そしたら、たまたま、たまたまよ? 親がいなくてよ、あっちから誘って来たんだ。相当勇気出してくれたんだろうと思ったからよ、俺も精一杯頑張ったなァ」
「な、何をどう頑張ったんじゃ」
目をキラキラさせて生唾を飲む司。本当にコイツはむっつりだな。
「まあ、いざそうなると怖いのよな。いくら知識があっても技術がないんだから、どうしたら彼女を傷つけずにことを致せるか、思っている通りに進められるか・・・・・・プレッシャーヤベエのよ。で、期待と不安半々でしますよーってなったらヨォ、服脱がせていくほどに胸は無くなっていくし、ムダ毛の処理の甘さが気になったり、思ってるように挿れられなかったりしてな。で、そん時の俺が思ったのはヤるよりも自分でシた方が気持ちいんだってことだ」
まあ、言ってることはわからなくない。経験のある奴ならわかるだろうが、好きな相手だからと言って必ずしもイイわけではない。リアリテイのあるエピソードに文人は新品ではないと意見が一致した。が、あいにく司だけは首を振り、きっとそうでないと否定した。
「よく聞く話じゃ! 信用ならん!」
畳をバシバシ叩く音が知り響く。お前が何を言っても文人からの申告は「経験済み」。
それが覆ることはないし、そうであって欲しいと言う願いなら叶うはずなどない。
「どんな経験談なら信用するんだよ」
「もっとこう、凄いのじゃ!」
さっき、すごいって言うのは童貞の証拠だって言ってなかったか。3歩歩くとスポンと記憶が抜ける鶏か。
「はい、司が童貞だと思う奴挙手ー」
「はーい」
中原の呼び掛けに、要以外の全員が挙手。吉次も楽しそうに手を上げる。
司、必死の抵抗も虚しく撃沈。「なんっでじゃっ!」と涙目で訴えるが、お前から経験済みの匂いを見つけるのは無理だ。ない物は探せないからな。
「お前が童貞なのは皆分かっているんだよ。お前恋人もできたことが無いのか?」と尋ねてみた。
「そうそう、モテそうですけどね」と、拓実も同調する。
問いに対し、司は表情を曇らせながら言葉を拾うようにして答えた。
「に、2回だけあるわ・・・・・・」
「おっ! どのくらい付き合ったんだ?」
「3日と1週間・・・・・・」
「短っ」
「それ付きあったうちに入りませんよ」
「だから躊躇ったんじゃろ。1人目は高校1年性で、初恋の女じゃった。おとなしくて眼鏡のよう似合うお嬢さんでな、優等生って感じがよかったんじゃ。でも情緒不安定すぎて、10分に1回は連絡せんと怒るような人での。会話していくうちに歯も磨かんし、風呂も2日にいっぺん入るような人で幻滅した」
「俗に言うメンヘラ女子な。あ、薫みてぇな奴よ」
“めんへら“と言う言葉が聞き慣れず、目で訴えた。薫に対して使われる言葉なのはわかるが、意味は知らない。どうやら「重い女」「めんどくさい女」という意味合いで使われるらしい。
「薫はお風呂に毎日入るし歯も磨きますけど!?」
「まあまあ、でもお風呂に入らない薫さんも見てみたいですね。いつもと違った感じでいいんじゃないですか?」
「もう、吉次くんのエッチ!」
全くこの夫婦ときたら所構わずイチャコラしやがって。
さて、横目であまくせを見ると、苦虫を噛み潰したような顔で、富名腰が隣でせっせこ剥く落花生をガリガリ食っている。
さっさと終わらせて飯を食わせないと明日以降に響くぞ。しかも尽斗と飲み歩いて居たこともよく思っていなさそうだし、とにかくここは要の味方についてこのゲームを終わらせることに専念しようと決めた。
正直俺は誰がなんなのか知っているわけだし、今すぐ終わらせてもいいと思っている。
「で、2人目は?」
「デートやキスとか、色々は段階踏んでからしたい言うたら、意気地なし言われて振られた。ちなみにそいつは数ヶ月後に子供が出来て退学してしまったがの。別れて正解じゃわ」
「じゃあ、別にチャンスがなかったわけじゃないんですね」
「まあ、そうなるかのう。でも順番は大事じゃろ? 学生の時にそういうことをして下手に大事になっても困るし、結婚する気がない女との間に“間違って子供ができたら”、そらいかんし」
あ――と、俺以外の数人も体が凍りついただろう。作るはずの無かった命に否定的であるならば、必ず傷つくヤツがいると言うことを。予測通りに、ガリガリと豆をかじる音は止み、今まで沈黙を守り続けてきたソイツが開口するのだ。
「間違って出来た子供、って何?」
念のために、もう一度司に問いただした。いつもより重たい声色。
「はあ? だぁかぁらぁ! 片方どちからでも望まない子供が出来たら大変じゃって言っとんのじゃ! 可哀想じゃろ!」
それに反してはっきり大きな声で、憐れむ司の言葉。俺は下手をしてはいけないと何も言えず、少し尻を浮かせて立ち上がって止めるそぶりをみせるだけしか出来なかった。
要は怒りを持って立ち上がり、怒りの中に悲しみを混ぜながら、早口で精一杯の否定を擦りのであった。
「望まないって言うな! 宿った命に望むも望まないもない!」
「要、何処行くんだ!」
そう言って家を飛び出していく要。後を追おうとする中原の足を素早く掴んだ。代わりに富名腰が目にも止まらぬ速さで消えている。きっとあいつが追っかけたはずだ。
中原がいけば彼女が女であると薫や司にバレかもしれないし、尚更好きな男の知りたくない部分を知らされた後では、アイツの感情がもっとややこしくなる。
何も知らない、2人以外の数人は何も言えずに固まったままでいた。薫がポカンと開けた口を動かして、正座をし直す。
「急にどうしたの、要くん。すごい怒ってたけど」
「知らんわ。ずっと黙りこくって食ってたと思ったら、急にキレおって。これじゃあ残りの1人誰が新品か分からずじまいじゃ」
「お腹すいてイライラしてたんだよ。ねえ、失格さん! 後1人はだあれ?」
呑気な奴らめ。なんて俺が怒っても仕方がない。
本人のためにも黙秘するとだけ言たが、残るは宇賀神か富名腰のみ。当たり前に2人は宇賀神にどちらなのかと聞き詰めたが、宇賀神は「教えません」といつも通り穏やかに笑うだけだった。
――まだ、救えない。自分の無力さに焦りを感じ、くだらないゲームに乗るんじゃ無かったと後悔する。
尽斗が過去を教えてくれない要に頭を抱えるのが痛いほどよくわかる。騒がしい友人らに何も告げず、書斎に入ってペンを取った。
何を言って、書いて、綴ってやれば救われる? 創作は出来るのに、お前を助けてやれそうな言葉は見つからない。平成の要は独りで、俺の吐いたどんな言葉に救われた続けて居たんだ。
考えると胃がキリキリ痛む。胃薬を飲もうか迷ったが、やめた。アイツは薬で治らない痛みを抱えて居るんだから、少しくらい独りよがりでもいいから、寄り添いたい。
他の平成からきた奴らは救われていく気がするのに、要だけはどうもそう見えない。
日に日に地獄に落とされているような、そういう辛い顔をする。
さっきに顔だって、僕を要らないと言うな! と言いたそうな様だった。
なあ、要。お前、何があったんだい。と聞いて、素直に言ってくれたらいいのに。
花瓶に刺さる紫色の花がいつの間にか目の前にある。瞬間移動してきたようで不気味だが、それをじっと見つめてみた。ムラサキケマンという花の花言葉は、「喜び」「あなたの助けになる」、だったっけ。
一輪の花びらを人差し指でそっと撫でてみた。
「助けて欲しいのは、お前の方だろ」
不意に出た台詞に、数日間の要の異変を思い返して鼻を啜る。
どうやら、彼女には“人並みの仕合わせはむずかしいらしいよ“。
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