126恥目 純文学を知るために
会社に着くや否や、僕らは皆社長室へと案内された。
菊池さんは久々に走ったと言って無理に微笑を漂わせた。案の定を息切れし、中年のおじさんらしい強くて大きめの咳をする。
あまり大きいので髪の毛に耳に掛けるのを装って片耳を塞ぐ。大きな咳の一つ一つが鼓膜に響くと、どうにも出来ないとわかっていても、煩くって顔が歪む。
志蓮がそれを見ていたらしく、背後から耳打ちして来た。
「歳を取ると筋肉と神経が衰えるから、助走をつけて咳するらしいよ。だからああなるんやて」
「へえ」
また一つ賢くなった気分だ。確かに真似をしようとしても出来ない。しゅーさんや中也さんも将来こうなるのかと思うと、今の姿のまま歳をとって欲しいと思った。
目的の部屋へ向かう途中、受付で僕を無視した奴らに、それ見たことか! とドヤ顔の一つでもしてやりたかった。社長がこちらの味方ともなれば、“ガキ“だろうと堂々としていられるから、帽子を取り、気に止めていない風を装う。
社内をズンズン進んでいく。そして菊池さんがある部屋のドアノブを捻ると、沢山の本やら紙やらが積み重っている。荒れているという様子でもなく、むしろ綺麗な印象を受けた。さすが社長。小説家でも部屋を綺麗にしている人はいる。帰ったらしゅーさんに言ってやろう。それから、父さんの部屋も掃除しに行こう。綺麗を保てば成功するかもしれない。
感心したのも束の間、社長は一目散に無数の本を漁り始め、あれでもないこれでもないと区別し始める。
そして「そこの2人」と手招きして中也さんと志蓮を呼ぶと、腰を屈めながら彼らの方を見もせずにアレやこれやと本を渡し続けた。
「急になんだ?」と中也さんは訊く。
「まあいいから」と社長は宥める様に云う。
「少年、羅生門は読んだんだっけ?」
「全部は読んだ事ありませんけど」
「ならこれも」
また、中也さんの腕にボスンと本が置かれる。
「蜘蛛の糸、河童、鼻!」
「か、河童?」
「なんだ、知らないのか。よしこれも」
今度は志蓮の方にドサッと置かれる。
「本当に芥川龍之介を読んだ事ないのか?」
「無いね。申し訳ないけど」
「津島があんなに好きだから、要も読んでいるもんだと思ってたよ」
確かにしゅーさんが芥川龍之介を好きな事は知っている。だけど、僕はしゅーさんが好きだから、専らしゅーさんの文章を読む。
好きな人の好きな人を知ると、さらに好きな人を知れるとは言うけれど。推しの推しを推さなければ賞が取れないと言うことか・・・・・・?
恐らく芥川先生の作品は、殆ど渡されたと思う。他にも彼の師匠であった「夏目漱石」の本まで渡された。おかげで社長の部屋が少しばかし広くなった気がした。本を持たされた2人は重たいと小声を漏らす。
「もう持てへんて」
「あとは、そうだ辞書も貸してあげよう」
「辞書ならうちにありますよ」
「その辞書が役に立たなかったから、此処に来たんだろうに」
「んまあ. ・・・・・・」
「一冊でいい! 辞書は一冊で!」
「ある分持っていけばいい」
「声届いてへんのかなぁ?」
その上に追加で3冊の辞書が置かれた。積み上げられた本を顎で支えても不安定だ。志蓮と中也さんの腕が悲鳴をあげている。
「沢山本貸して頂けるのは嬉しいんですけど、これを読んでどうしたらいいんですか?」
「芥川は純文学の天才だって言ったろう? それで兄さんは芥川の大ファン。そして君は読んでいない。全て解決するよ」
「答えになってないんですけど」
「芥川の本を読めば、純文学についてもわかる。そして選考基準もなくとなくわかる。そして、お兄さんと語り合える。そうは思わない?」
「はあ」
「まあ、とりあえず読んでみなさい」
こんなに大量の本を貸すと言われたら断れない。
芥川龍之介の本を読めば全て解決すると言われても、全然そんな気はしない。またドグラ・マグラの時の様に、話に入り込みすぎない様にしないと。
まだ本を読んでもいないのに、目がシバシバして目薬が欲しくなった。2人が抱える本の量に頭が痛くなる。おもってた答えと違うや。
「あ、そうだ。これこれ、これも」
「え、私?」
社長は両手をパチンと鳴らして、また一冊取り、今度は丁寧にそっと、父さんに手渡した。
「これは?」
「真珠夫人。読んでね」
茶目っ気を出してニッと笑う菊池さんが、今までで一番の笑顔を見せた。
僕と父さんは揃ってその本を見ると、表紙にはしっかり「菊池寛」と名前が刻んである。
「自作の宣伝ぶっ込んできたな」
さすが社長。抜かりないっす。
*
沢山の本を借りる事になった。
中也さんと志蓮が持っていたの物に追加で、あれもこれもと半ばセールスの押し売りに負けたみたいに色々持たされる。
おかげで4人全員が本を抱えて白金台に帰る羽目になった。純文学が何か聞きにきただけの筈なのに。
さあ帰ろうとなった時、僕はもう一つ、本人から聞きたいことがあったので問いかけてみた。
「あの、最後に一個いいですか?」
「なんだろう」
「どうして、芥川賞を作ろうと思ったんですか? 自分の名前ならまだしも、友人の名前の賞って、不思議だなって」
もうすぐ夕方になりそうな太陽が、社長の眼鏡を反射させる。その光が顔にレーザーみたいに刺さると目を開けられなかった。首を斜めに傾けた姿は黒くなって見える。
「・・・・・・それは、次会う時に教えてあげよう」
「次、ですか?」
「そう。次。いやもう少し先かな。にしても、次は喧嘩しないように」
「それは、その、すいませんでした! あっ」
眩しくって顔が険しくなるから、確実に見える形で今日の事を謝罪しようと深くお辞儀をした。抱えていた本を勢い余って崩してしまうと、あらあらと、社長が拾い集めてくれる。
最後の一冊を拾おうとした時、まるで恋愛漫画みたいに菊池さんと手が重なって「あっ」と声が漏れた。
「可愛い声出すじゃないか」
「え?」
「実はどっちもいけるたちでさ」
「えっ!?」
あんまり怪しく笑うので、僕は思わず後ろに引いた。すかさず中也さんを見ると、目で隣に来いと訴えて来ている気がする。
どっちもいけるって、僕を男だと思っているから、所謂バイセクシャルってヤツか!別に偏見とかないけど、そのいやらしく見る目はちょっと苦手で眉毛を上下に上げ下げしながら不自然に口角をキュッとあげてみた。
「冗談、冗談! なんだかね、君みたいな少年を見ると面倒をみたくなるんだよ。また腹を空かせておいで。あとこれ」
「今度は何!」
冗談には聞こえなかったが、本当に否定するつもりはない。菊池さんはまた大きな気前のいい声で笑う。そうして、懐から皺くちゃの何かを出して、それを僕の学ランのポケットにねじ入れた。
「なんですか? 今の」
「さあ、なんだろう? しかし、また会おう、少年。僕は仕事に戻るとするかなぁ」
菊池さんは堂々と社内に戻ってしまって、4人がポツンと残される。最後まで僕の名前を覚えてくれなかったや。少年って、何だかなぁ。
さっきポケットに入れられたものは何か気になったが、手が塞がっているから確認が出来ない。仕方なく駅の方へ歩き始めた。本のおかげでとても重たいわけじゃないけど、結構歩きづらい。
暫く沈黙が続いた時、父さんがその静けさを打ち消した。
「そういえば富名腰。菊池寛を見て何か思わなかったのか?」
「いいえ、なんも。多分対象やないと思います。あの人の事知らんかったし、なんとも思いませんでした」
「そうか・・・・・・対象が作家とは限らない。焦らないで探していこう。微力だが、私も協力させてもらうよ。祗候館で要を守ってくれていた恩を返していないからね」
“お父さん“らしい方の“父さん“は、普段は冷淡な顔なのに今ばかりは志蓮に優しく微笑んだ。ちょっとジェラシー。父さんとは違う父さんを取られた気分。無意識に唇を尖らせている始末である。
「お義父さんに協力してもらえるなんて、これはもうボクが公認のアレちゃいます?」
「そいつはお義父さんじゃなくて、檀だよ。区別もつかないのか」
「公認のアレって何?」
「要は気にしなくていいの! もう1人で行動するの禁止!」
「それは本当にごめんなさいってば!」
中也さんがヤケにムキになっているのは何故だろう。僕はさっきの事ですっかり信用なくしたのかなあ。あと何回謝れば許してもらえるかなあ。嫌われたくないし、全て滞りなくうまくいって欲しいのになかなか難しい。
――うまくいって欲しいことといえば。志蓮と誰かを繋ぐ、カランコエ。
どうやらその相手は菊池さんじゃなかったようだ。なら誰だろう。この時代を生きる偉人はどのくらい居るんだろう。偉人に会っても、その人では違うとなれば先が見えなさ過ぎる。
文豪とは限らないと、もちろんわかっている。菊池さんに片っ端から作家紹介してもらったりしたら、早く会わせてあげられるかもしれないや。もちろん、他力だけでなく僕も協力しなきゃ。
僕も先生が教えてくれたみたいに、先輩遂行者として全力を尽くそう。父さんが協力するなら俄然やる気が出るもんです。
西の空が薄いオレンジ色に染まり始めたのを、ぼんやり見つめ歩いた。家に帰れば、しこたま怒られる事が確定しているのを思い出しながら。
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