93恥目 貧乏人、洋館にて

 駅に向かっていたら突然手を引っ張られ、助けを求めても、誰も助けられない速さで車の中へと引き摺り込まれた。


 狭い車内でバタバタと暴れてやる。

 咄嗟に運転手の頭を蹴っ飛ばしてやろうと足を上げるが、力に自信がある僕でも、必死に抵抗してた所で男性2人の腕力に勝てる訳がない。

 口に布を詰め込まれたと思えば、すぐに目隠しをされ、耳にコルクのような質感の何かを詰められる。


 それから手足を縛られて、もう何も出来ない。

 荒々しい下手くそな運転に右に左に体を揺らされて、唯一唸る事が必至の抵抗だった。

 何もしないよりはマシだから。得体の知れない恐怖に泣かないように、唸るだけ。


 昭和に来たばかりの時に先生が、人攫いが多いから男性のフリをしようと言ったのを思い出していた。今まで戸籍も格好も、口調も男性と変わりないように生きてきたのに、どうして今頃、女だってバレたんだ!


 特別女らしい事なんかしてない。一度女物の着物を着た事があるから? そんな理由で? 絶対違う。なんだ、なんなんだ!


 何処に連れて行かれるかも判らず、今自分がやれるだけの抵抗をし続ける。


 捕まってから、どのくらい経ったか。突然車は止まり、強引に引き摺り出され、手を縛る縄以外の物を全て取り外された。


 口から吐く息は久々で「ブハァ」と品のない息の吐いて、何度か咳き込んだ。


「ちゃんと立て」

「うっせえよ!」


 手に縛られた縄から長く伸びる持ち手を握る男に指図される。僕は唾液を口いっぱいに溜めて、顔面に吐き出してやった。男はカンカンに怒ったが、お構い無し。


 訳の分からない山奥に連れてこられ、目の前に聳え立つ、三階建の白色スクラッチタイル張りの洋館。

 出窓が何個もあり、全ての部屋にカーテンがかけられているようだ。一目では見切れない程大きな洋館。アーチ窓の続く廊下の先にはもう一つ建物がある。


 庶民には足を踏み入れる事が許されないような気品漂う只住まいに、ますます自分が連れさられて来た理由がわからない。


「おい! 帰らせろよ! 僕みたいな貧乏人、こんな所には不釣り合いだろ!」


 僕を引いた男が2人、運転手、それから助手席に乗っていたリーダー格と見られる男に訴えた。


「お前は売られたんだよ」


 年齢不詳の不気味な雰囲気。顔は全く印象的に残らない、今聞いたばかりの声もどんな声をしていたか忘れてしまう。

 全身の毛が立つような恐怖を感じる。しかし、気持ちで負けちゃダメだ。


「誰がこんな貧乏人を売ったんだよ!」

「知らない方がいいんじゃないか。俺もあんまし言いたくないんでね。おっと、ここからは舌を噛み切ったり、ギャンギャン下品に騒ぐなよ? 値が落ちると困るんだよ」


 男が左手を上げると、目隠しに使っていた布を口に当てがわれ猿轡にされてしまう。また声が出せない。


 連れて行かれるがまま歩みを進めると、洋館の中は思い描いた通りの華やかさでいっぱいだ。花のような形をした吊り下げのシャンデリア。まるでクラシックホテルのようなお洒落な内装。


 連れさらているのに、あっちこっちにある高そうな物に目を奪われる。

 青森のしゅーさん家にある物よりも、高そうなものがわんさかある。海外から取り寄せたと見られる、見慣れない家具の数々は富の象徴だ。


 暫く赤い絨毯の上を歩かされると、今までで1番でかい扉の前に立たされた。原色のガラスがあしらわれた、ステンドグラス作りの扉。目がチカチカする。この扉に一体いくら金出してんだ?


「こっから先は何も喋るな、いいな」

「ふぁふふぉくふぁんふぇふぇひふは!」

「何言ってるか知らんが、喋るなよ」


 猿轡が邪魔で話せない。僕は、約束なんか出来るか! と言ったので、この部屋の中に入っても声を出さないと言う約束はしていない。

 無茶苦茶騒いでやる。見ず知らずの悪人に従えるほど、僕はか弱くないんでね!


 大きな扉を男がノックする。

 すると扉は重たそうな音をギギギと上げて、ゆっくり部屋に敷かれた、今度は原色の赤い絨毯の姿が見せる。


 英国風の大部屋に、マントルピース、綺麗な女性の描いてある絵画、そして奥には大きな丸テーブル。その上にかけられたテーブルクロスは赤いシミがじんわり滲んでいる。

 椅子に座るのは、気取った燕尾服を纏い、風船のように膨らみ油ぎった中年男性だ。悪代官のような顔。額に深い横じわが掘り込まれている。


 その後ろに黒い法被を着た、男性が3人。太った男の後ろに腕を組んで立っていた。顔は、黒い布のようなもので覆われていて見えない。


「・・・・・・本当に見つかったのか」

「あてがありましてね」

「ふふ」


 ぶくぶく太った汚いオッサンが赤ワインのついたシャツをだらしなく出して、ドコドコ近付いてくる11月だっていうのに汗をかいて、太りすぎなんだよ。

 加齢臭がキツイ。はあ、くっせえ! この猿轡さえなけりゃあボロクソ言ってやれるのに。


「状態は悪いが条件は合うはずさ」

「ふんふん、確かに。肌は汚いが、一月も有れば売りに出せる。アザが厄介だなぁ」


 太った男はベタついた手で僕の顔を遠慮なく触る。それから猿轡を外し、唇を親指で触った。湿った指は梅雨の湿気のように気持ち悪い。


「顔は申し分ない、さて次は」

「脱がせるか?」


 人攫いの男が当たり前のように、脱衣が必要か問う。すでに、太った男は僕のワイシャツのボタンを肉肉しい指で外していた。


「何すんだよ!」


 堪らず男の腹を蹴飛ばすが、びくともしない。太りすぎて感覚がないのか、慣れているのか知らないが怒りもしない。


 そしてみるみるとボタンを外される。

勢いよくワイシャツを開かれると、僕の胸や腹が顕らになって、男の瞳に写っていた。


「うんうん、いい具合に割れた腹、胸筋は大した事ないが若い男の体。傷はなんとかなる」

「下はいいのか?」

「何、心配ないさ。私は男のモノは見たくないんでねぇ、女だったら舐めるように見てやったさ」

「ウヒヒ! 女だったら、旦那はシツコク犯して、窒息さして、殺しちゃうデショー」


 男らは楽しそうに笑っている。イントネーションのおかしい声の主は、あの男の中の誰かだろうか。女だったらこのデブに死ぬまで体を遊ばれる。


 僕は何か失った。確かに男として生きてきた。

 でも、でも、知らない男に胸を見られた。割れた腹筋をなぞられて、胸を少し触られた。


 気持ち悪い、穢らわしい、汚い、そんな感情より先に浮かんだ――中也さんの顔。

 あの人にだって触られた事も見られた事もないのに。


 知らないクソみたいな汚いデブに、男だと認識されていたとしても許せない。

 コイツが"最初"に私の体に触ったクソ野郎だなんて、絶対に許さない。殺す。


 怒りってすごいんだよ。後ろで縛られた縄も紙を引っ張って破るみたいに千切ることが出来ちゃうんだ。


 その両手を組んで前に持って来て、頭から振り下ろした。


「中也さんにだって見せてないのに!」


 デブの油でツヤがかった頭頂部に命中。ゴン! と鈍い音がした。意識を失うまで行かなかったが、朦朧とし倒れ込み、訳の分からない事を言っていた。


「旦那!」

「手ぇ出シター。どうする? やルゥ?」


 黒い法被を着た男の1人が叫ぶと、もう1人の宇宙人みたいな話し方をした男が好戦的な態度を取った。


「行かんでええ。あの子を殴ったら自分がどうなるかわかっとるやろ」

「オマエのそーゆートコ、キライ」


 最後の1人の関西弁の奴は、僕を完全に舐めている。宇宙人はつまらなさそうに言葉を返していた。


 今ならここにいる全員殴れる気がする。

 片方しか履いていなかった下駄を脱いで、着物の中にしまい、とりあえず1番下っ端っぽい男から殴りかかった。


 喧嘩慣れしててよかった。シンパの連中の時より数は少ない。顎の先端を殴れば大体一度は怯む。その隙に鼻を殴ればいい。1人は簡単だった、喧嘩慣れしていない中年で、気が小さい癖によく人攫いなんかやるもんだ。


 次の男に拳を突き出すと、リーダー格の男が突然僕に大声で1人の名前を号ぶ。


「檀一雄!」


 檀一雄。檀さんの事? 僕は2人目の男と力比べするような状態のまま「なんだよ!」と返した。


「お前を売った男の名前だよ! 檀一雄! お前の父親だろう!」

「んなわけねえだろ! 檀さんは父さんに似てるだけの、他人だよ! 出鱈目言ってんじゃねぇ!」


 檀さんが僕を売るわけがない。

 此奴は僕らがたまたま知り合い同士だと知っているのだろう。きっと嘘。信じるわけがない。ついさっきそれは本人に確認したばかりだ。


「要は女、自分の子だとか、言っていたがそれでも違うってか。親子揃って意味不明だな!」

「娘?」


 男の言葉に体が固まる。

檀さんは、確かに僕の事を知っている。だけど、どうして僕が本当は女だと知っているの?


「檀、檀さんは、本当に娘だって言ったのか?」

「ああ言ったよ。お前の戸籍だなんだって調べたら男だったと言ったら、大声で否定したよ」


 この男の言っている事が本当で、僕らのように花を持った人だったら。


 檀さんはもしかしたら――。


「父さん……?」


 頭の整理がつかないまま、みぞおちに拳が入ると、痛みを感じてすぐ気を失った。

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