91恥目 孤独の天然パーマ

「拓実、寝なくて平気か?」

「まあそんなこと言ってられませんよね」

「そうだけど……体が資本なんだから無理すんなよ?」


 要さんが家主のこの家に男が6人。

 留置所から解放されて家で、ゆっくり自作の推しカップリング小説を熟読しようと思っていたら、まさかの大事件。

 これをネタに出来るなんて少しでも思ったら不謹慎。それで要さんが攫われたと言うなら休んでもいられない。

 その一部始終を見ていた檀さん。さっき修治さんに泣きついた檀さんは、きっと僕に見せる姿だ。

 

 なら今は? 泣き止んで、まるで人が変わったように涼しげな顔で正座、背筋はピンと伸びて目付きが鋭い。

 一方、向かいに座る中也さんは胡座をかいて腕を組み鋭い目付き。


 一触即発。どちらかが言葉を発したらゴングがなりそうな、そんな感じ。吉次はこの空気に耐えられなさそうで、冷や汗を垂らして目が泳ぎまくっている。正直、僕も此処から立ち去りたいです。


 しばらく睨み合いが続くと、中也さんが口を開く。


「なんでお前が要を追っかけてんだよ」

「私こそ、どうして中原中也が此処にいるか聞きたいんですが」


 質問に質問で返す檀さんは、喧嘩は買うと言わんばかりな冷たい声で彼を睨む。埒が開かない。

 乱闘でも起きそうだと覚悟すると、修治さんが突然ちゃぶ台を勢いよく叩き、怒鳴りつける。


「んなこと言ってる場合か! あまくせはどこ行ったんだよ! どこのどいつが攫った! それが先だろ!……おい、文人。ここ数日で何か変な手紙とかはなかったのか、怪しいものは全部持ってこい!」


 当人と檀さん以外の全員がギョッとした。目と耳を疑う。いつも要さんを適当に遇らう修治さんが1番心配し、憔悴しているんですから。


 糸魚川くんは彼の言う通りに、ここ数日届いた郵便物を持って来た。特に怪しい物はないと言う。

 あるとすれば借金に関する物ばかり。本当この人達ときたら……。


「まさか、俺の借金が原因か? 誰だ、そういう人攫いとか頼みそうな奴……ああ考えても出てこない! 一人一人あたってくる!」


 いても経ってもいられないと、上着も着ずに出て行こうとする。糸魚川くんも「いや、俺のかもしれない」と後に続く。

 要さんの家出ぐらいなら動じない修治さんでも、人攫いに合ったとなればこんなに必死になる。さっきまで人を馬鹿にしていた人とは思えません。


「私だ……」


 そんな修治さんを見て、檀さんが切迫詰まった様子で、声を震わせながら言った。


「私のせいだって、言ってるんだよ」


 あんなに泣いて、助けてほしいと言った人が自分が原因だと言い張る。状況が整理出来ていないのに、さらに情報が張り込んで来る。


「一度人攫いに要を拐ってくれと頼んだ! だが攫えない、商品にならないと言われたよ!男 だから売れないってね!」

「馬鹿野郎!」


 檀さんが話している途中、お構いなしに修治さんは柄にもなく殴りかかる。

 彼の頬に弱々しいパンチを喰らわせると、畳に倒れ込む檀さんの胸ぐらを掴み揺さぶる。


「お前、何、人の弟、勝手に売ってんだよぉ!」


 ぐしゃぐしゃになった泣き顔。檀さんは直視出来ずに、顔を背けている。


「あいつ、借金返そうとして、男娼になろうとした事があるんだよ。たまたま、たまったま、通りかかった、俺と、飯を食ったから、行かなかったのに――なのに、人攫いなんて、そういうことじゃないのか! 弟なんだよ! あいつは! 俺の!」


 要さんの事を想っていると痛いほどわかる。

 血の繋がりなんか無くたって、この人はきちんと要さんのお兄さんであって、家族なのだ。

 赤の他人の檀さんに怒るのは当たり前。身内がそうされたら、誰だって殴りたくもなる。


 しかし檀さんは食い気味に言葉を重ねた。


「私だって間違えたと思ってるよ! だからこれからは、要と生きようって決めたんだ! これからはちゃんと父親として!」

「……父親?」


 要さんは言っていた。檀さんはよく、要さんのお父さんに似ていると。

 姿、形、声、仕草、全てが生写しのようにその人に似ていると。


 修治さんは殴るのをやめた。檀さんが殴られた頬を抑えながら、堪忍したように溜息をつき、全部を話すと言った。


「私の本当の名前は生出尽斗。要の父親だよ」


 てん、てん、てん。数えて3秒くらいの間。


 今度は全員が一斉に驚いた。


「要の――」

「――お父さん!? えっ、あの、失礼ですけど、もう死んでますよね!?」


 僕の眠気もぶっ飛びます。


「ああ、平成では死んでるよ」

「な、なんでいるんですか!? そうなると、僕や糸魚川くんも死んでるって事になりますよね!?」


 おかしい、あの叔父さんが言っていたルールと違う。絶対に平成に帰りたいわけじゃない。しかし、僕と糸魚川くんは混乱していた。


 寿命の前借り、花言葉の意味、全てに意味がない気がする。


 すると、尽斗さんは「私達が特例なだけだよ」と意味深な事を言う。詳しい説明を求めるとあっさり話してくれた。

 

 尽斗さんはある禁忌を犯したが、多重人格に免じてラストチャンスとして昭和で生かされていると。それは要さんを生かすことが目的らしい。

 禁忌の内容については黙秘すると言って答えてくれませんでした。そこが1番知りたいんですけどね。


「でも、要さんの事売ろうとしたんですよね? 酷いですよ! 要さん、1人で必死に生きてきたんですよ! お人好しで、まっすぐで、誰かを守れる強い人――昭和に来たばっかりの頃からずっと見てました! どんな理不尽にも耐えられる強い人、だから要さんのお父さんもそういう人だと思ってました!」

「吉次、やめなさいって」


 要さんを兄、いや姉のように慕う吉次はショックを受けていた。真っ直ぐな彼女の親はきっと偉大なのだと想像していたのだろう。


「君は、要に憧れてるんだね」

「そりゃそうです! 僕はずっと要さんみたいになりたいって思ってましたもん」

「……要の父親が私みたいなのでがっかりした、か。そうか……」


 尽斗さんは吉次の顔を見ながらも、どこか遠くを見つめ、寂しそうな顔をしていた。

 この人にどんな辛い過去があって自殺してしまったのか、多重人格の事も全て本人から話が聞きたい。


 しかしグッと堪える。

 人には思い出したくない過去がある。

僕もそうだった。あの時の事を思い出すと過呼吸になる事がある。

 あの時より、よっぽど辛い事も此処に来てあった筈なのに、今はある程度受け入れる事が出来た。


「お前の話を聞いたら納得出来るのか」


 修治さんが真顔で聞く。


「さあ、太宰さん達次第でしょう。私達が死んだ理由、多重人格の事、要の事、聞きたいことが山ほどありそうですからね。まあ、自殺の理由は簡単に言えば精神崩壊でしょう」


 それから尽斗さんはまた語り始める。


 要さんが生まれる前の話から、生まれてからの話。

 19歳から要さんをたった1人で育てて来た事、好きな人に何度も裏切られた話、

 なぜ要さんに太宰治について教え続けたか――。


 19歳の少年がたった1人で全てを背負うって、どんな気持ちなのか想像も出来ない。

 1人の嘘で万人が敵になり、だれも助けてくれない現実。一度悪者の烙印を押されたら、それは一生消えない。

 要さんが希望になるのも、絶望になるのもわかる気がした。


 自分を守るために出来た「もう一人の自分」。

 この人が多重人格者でよかった。でなければきっと、要さんと無理心中しようとしていたかもしれない。


 頑張って、頑張って、最後にまた裏切られて、もうダメだと思った時、絶望しながらも、要さんの未来だけは奪わなかった。

 再会した時、今度は自分のために昭和を生きようと思ったと言っても仕方がない。そのせいで僕が疑われたのは解せないけれど、許せる。


「あ、あの、さっきはがっかりしたとか言ってごめんなさい……そんなに苦労しているなんて、思わなくて」


 吉次は小さくなってドキマギしながら頭を下げた。尽斗さんは首を振り、吉次の謝罪を間違えではないと言う。


「要を置いて死んだ父親、がっかりされるには十分な理由。私は酷い父親だよ。尽斗は最期まで死ぬなんてない、と言っていた。死を選んだのは私。最低なのは私だ」


 この人が自分を蔑む度に、この人を救いたくなる。孤独の中で踠き、足掻いて、助けを求め続けた。それなのに、また孤独の中で生きなくてはならない。誰よりも不器用な人なんだ。


 要さんに似て、違う意味でまっすぐというか。必死な人なんですね。


「要をこんな目に合わせたのも私だ。要は必ず取り返す。――そうだ、これを置いていく」


 尽斗さんは着物からイカのブローチを出して見せた。要さんがいつも着物の胸あたりにつけていた気がする。

 趣味が悪いなあと思いながらも、彼女はとても気に入っているようだったので口は出しませんでした。うーん、やっぱりダサイですね。

 しかし、さっきの話を聞いて、イカを好き理由が檀さん繋がりだとわかると納得出来る。


「趣味の悪いブローチだ。でも、これを見ると要は本当に私達を想っていてくれたとわかるよ……取り乱して申し訳なかった。私が撒いた種で悪いが、自分の身は自分で守って欲しい。それと太宰さん」


 尽斗さんは立ち上がりながら、修治さんに声をかけた。


「要をありがとう。私が死んだ後の要は貴方が育てたと言っても過言ではないですから」

「勝手に育ったんだろ。あんな口うるさいやつ、俺は育ててないよ」

「そうですか。そうさせたのも、貴方だと思いますけどね」


 微笑ましそうに笑い、黒革の手袋をきっちり嵌め直す。要さんは自分一人で取り返す。そして必ず此処に連れてくると約束すると、力強く、彼は言った。


 僕達は何も言えずに見送る事しか出来ないのだろうか。悶々としながら居間にいるしか出来ない。


「お義父さん!」


 中也さんが突然、檀さんに近づいて「お義父さん」と呼ぶと、さっきまで涼しい顔をしながらも、どこか優しさを持った彼の目つきが無言で変わる。


「俺も探す、要の事助けに行く」

「……そういえば、お話がまだ終わってなかったなあ」


 真剣な中也さんに、妙な圧がある尽斗さん。

 中也さんは「檀さん」を信用していないと言っていたから、単なる不仲なのか、気が合わないが故の空気なのか。

 

 尽斗さんはもう一度玄関から居間に戻り、身長差のある中也さんを見下ろす。


「もう一度聞こうか、君の名前は?」

「中原中也、です」

「要になんて呼ばれてる?」

「中也さん」

「昨日要と喧嘩したのは、どこのだれ?」

「俺、ですけど。そっか、要はお義父さんの家に行ってたのか……よかった」


 一つ質問する事に引きつった笑顔になる檀さんが、最後の質問で奇声をあげる。

 ちょっと弱々しい、情けない、頼りない顔つきだ。


「お前かあぁ! うちの要を誑かしたすっとこどっこい! 僕はお前のお父さんじゃない! 何がよかった、だ! お前、この! ぶん殴ってやる! うああ!」

「えっと、今はどっちですか!? 僕って言ってたから……」


 両腕をぶんぶん振り回して中也さんを殴ろうとする、どちらかの人格を止める。


「多分、尽斗の方だろ。なっさけない方が本当の尽斗。ほら、支えてやんないと転ぶぞ」


 修治さんが足元を指差す。下には座布団があるだけだが、彼は平気でつまづいて、そのままちゃぶ台に顔から突っ込んだ。


「ほら言わんこっちゃない」


 やれやれと修治さんに呆れられる、檀さん――いや、尽斗さん。


「お義父さん、大丈夫ですか?」


 要さんのお父さんだと知った途端、さっきまでの目つきと態度は何処へやら。「尽斗さん」を起こして、心配する中也さんは紳士的に振る舞い、いい人を演出する。


 なるほど。要さんのお父さんですもんね。そりゃ好印象でなくちゃ行けない。


「何がお義父さんだ! 君の父親になった覚えはないっ!」


 尽斗さんはフンとそっぽを向いた。鼻息が荒い。

「これよく見るやつじゃん」と、糸魚川くんは楽しそうだ。もちろん、僕もすっごく楽しいです。


 推しカップルの父親が現れるなんて、激アツ展開じゃないですか? しかも若いままで、男側と年齢が近いって、なんでしょうね。公式が妄想を超えてくるってこう言うことですか。


「こ、このブローチを持ってるって事はお父さんが1番好きって事なんだぞぉ! 健気な要。きっとこのブローチを探し回って、見つけた時に、あっ、父さんだ! とか思ったんだろうな」


 イカのブローチを手にとり、自分こそが要の1番だと見せつけるように語る尽斗さん。娘の彼氏に最愛の娘を渡すまいと必死だ。


「それ要の誕生日に俺があげたやつです」

「んなっ――太宰さん! 火! 火を貸してくださいね! こんなものガスコンロで燃やしてやるぅ!」

「は!? 何言ってんだ!」

「それは不味くねェか! やめろよお父さん!」


 台所のガスコンロ前で揉める、尽斗さんと中也さん。それを面白がって加わる糸魚川くん。


「ぼ、僕は君達のお父さんじゃないの! 二度と呼ぶなぁ!」


 もこもこと毛を生やしたハムスターがプンスカ怒っているようにしか見えない。

 そんなわちゃわちゃしてる場合じゃないのに。要さんが大変な時に賑やかだなぁ、と思いながら思わず朴が緩んでしまいます。


 それは修治さんも同じなようで。


「うらさいのう」


 煩わしいといいつつも、頬杖をつきながら微笑んで台所を眺めていた。


 要さんのもう一人のお父さん――いやお兄さんも似たような事を言っていたと聞いた。要さんが妹で、彼氏として中也さんを連れて来たら別れさせる、と。


「要は絶対にあげません! 助け次第、僕と暮らしますぅう!」

「それは困る! あまくせに毎晩便所付き合ってもらってんだから」

「それは1人で行けっつうの!」


 1人で助けに行くとか言ってましたけど、これは皆で行った方が良さそうですね。

 要さんを救いたい人は揃っているのだから、もう1人で背負う必要なんかないんですよ。


 ――“尽斗さん“


 

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