90恥目 下駄を投げ捨てたシンデレラ
「な、か、は、ら!」
「ああ……」
なんだよ。
「中也さん?」
「ああ……」
だからなんだって。
「ぼっちゃーん」
「ああ……」
返事のテンションで察してほしい。
要と喧嘩した。要が出て行った後、寝ずに死ぬ気でいろんな所を探しまくった。
拓実さんの家、吉次の家、豆腐屋、飴屋、花街、帝大付近、河川敷、その他もろもろ。
行きそうな所を思いつくだけ当たってみた。しかし何処にも居ない、影すらなかった。
あの時、「大嫌い」と言われた事が頭の中をぐるぐる無限ループしている。俺が大人気なかったよ。嫉妬して、思ってる事を言いたいだけ言って、要の過去を無視したんだから。
初代さんが「もう帰ってこないかもって。まあ、大丈夫よ」と言うが、今回ばっかりは本気かもしれない。
津島と喧嘩した時は対象だから切っても切れない関係だとして、じゃあ俺は?
対象じゃない、ただの恋仲。一番不安定な関係じゃないか。振られるって言葉が、この世に存在する。
それ、今回はそれなんじゃないかと思っている。本気で。
だから力なんか出ない。朝を迎えて、小田原に行く初代さんと薫を駅まで送りに行くとか言われてもそれどころじゃ無い。
要が居ないことの方が重要だ。俺の事を嫌いになっていてもいいから、安否が知りたい。本当に何処に行ったんだろう。嫌いになってもいいは嘘だ。
「要のこった、駅に来るって。なんせ姉さんと薫に暫く会えないんだぜ? アイツが来ないなんて考えらんないだろぉ」
「そうよ中也さん! あんなに真っ直ぐな要ちゃんが来ないわけないって」
「中原、俺が死のうとすれば来るぞ。死ぬか」
「やめろ」
津島が薬の瓶を開けて錠剤を口に運ぼうとすると、2人が脇腹をグーでど突く。そのもしやに期待したが、玄関は静かなままで要は来ない。来るわけねえだろ! 馬鹿!
ちょっと期待した、俺の馬鹿!
文人と初代さんの言う通り、要は駅に来るかもしれない。あの要が来ない訳がない。言われてみればそうかもしれない。
でも、昨日の今日で来るだろうか。
大嫌いと言った男の前に姿を表すだろうか。
普段の彼女の性格を考えれば2人の言う通りで間違いない。そんなことはわかってんだよ。
当人になってみろ。今回は来ないかもしれないと思えば、もうそうだとしか思えなくなるもんだ。
しかし、やっぱり“あの“要が来ない方がありえない。絶対に来ると思うかと文人に尋ねると、激しくを縦に振る。そうか、そうだよな。来ないわけ、ないよな!
ちょっと希望が湧いてきた。行かない後悔より、行った後悔だ!
こうしちゃいられないと、昨日のままだった服を、要が1番似合うと言ってくれた背広に着替えた、靴を履く。
そして誰よりも早く玄関を出た。
「おい! 行くぞ!」
「いやお前待ってたんだよ。ちょっとあまくせが居ないくらいでピィピィ泣いちゃってさ、おかしくて仕方ないよ」
津島の馬鹿にしたような言い方。その挑発には乗るまい、ぐっと耐えた。しかし文人が代わりにと言わんばかりに、意地悪な顔で津島を突く。
「そういや、兄さん1人で便所行けねェんだな。毎晩要に付き合ってもらってたのは知らなかったわァ。俺もう付き合いたくねェから、起こすなよ」
「バカ! 白い男の霊が俺の後ろをついてくるんだからしょうがないだろ!事故物件の呪いに違いない! つ、ま、り! あの物件を選んだあまくせの責任だ、ついてきて当たり前だろ!」
「アンタ・・・・・・夜に1人で行けないの・・・・・・? 知らなかったわ」
文人の暴露に津島が泣く。嫁に引かれてさらに泣く。ざまあみろ。
駅までの道、すれ違う人が要かもしれないと、一人一人しっかり顔を見ながら歩いた。
*
「つっくぅうん!」
「司くん、久しぶり!」
「おー、久しぶりじゃの」
文人が人妻2人を安全に連れてくるなんて信用出来ない! と言って折り返し連絡を寄越した司が駅まで来ていた。
2人を迎えに来たのに手土産に重箱2つ抱えている。
「これ皆で食うてくれ。急いで作ったけぇ味はおちちょるかもしれんけど」
「つっくんのご飯美味しいよね! 薫楽しみにしてたの!」
「くっつくな! そんで誰がつっくんじゃ! 司じゃあゆうとるじゃろ!」
司の腕に抱きつく薫を振り払い、番犬のようにキャンキャン騒ぐ。
薫がまた変なあだ名を付けた。
「司」の漢字は「つかさ」とも読めるから、つっくんなのだと説明したが、さっぱりだ。
拓実さんは無事誤解が解けて釈放、拘置所から真っ直ぐ此処に来てくれた。
吉次も安心したようで、緊張が和らぎ、すっかりホッとした顔をしている。
司が一人一人に挨拶を済ますと、やはり気付く。
「ん? 要はおらんのか? 仕事か?」
「そういえば居ませんね。本当なら、要さんも拘置所に来てくれたと思ったんですが……吉次、何か聞いてましたか?」
「いえ、何も。拘置所前で落ち合おうと言われたキリですね」
「要くんが来ないなんて珍しいねぇ」
何も知らない、司、拓実さん、吉次、薫は遠くを見たりしながら要を探す。要が来ない訳がないと思い込んでいるからだ。
「どっかの誰かさんがぁ、あまくせとぉ、喧嘩してぇ、行方不明なんですぅう」
それを待ってましたとばかりに、顎をしゃくらせ、言葉の所々を伸ばしてバカにする。おまけに高笑いまでするが、事実なためにぐうの音も出ない。
「え、なんで喧嘩しちゃったの? なんでなんで?」
「まあまあまあまあ、聞いてやんなよ。どっちも大人気ねェの。そんくらいくだんねェこと。あいつは時期に来るよ」
詰め寄る薫に文人がすかさずフォローを入れてくれて助かった。まさか嫉妬してそれが引き金になったなんて口が裂けても言えない。
理由を話したのは文人だけ。
コイツの事は好きではないが、こういう時、本当にいい奴だと思う。変わったよ、お前。もう自己中クソ野郎の糸魚川文人は居ない。
しかし、待てど暮らせど要は来なかった。
待ち合わせを過ぎても、古稀庵に行く三人を乗せる電車が来ても来ない。
司達が名残惜しそうに去って行くのに、肩より上に腕を上げて手を振る事も出来ない。
「来ない」
「来ま、せんね……」
「来ない」
これは、本当に、本気で嫌われたのでは?
そう考えてもおかしくないだろう。もう無理。臓器が全部痛い。医者にもう時期死にますと言われたら楽になる自信がある。
何か他のことを考えてみたり、首を振ってみたり、手の甲を抓ったり、耳を引いたりしても、心が痛い。
「中也さん大丈夫ですか!? 荒ぶらないでください!」
「もう死のう、今すぐ死のう」
「おうおう! 中原、薬あるけどいるか? 一瓶全部一気に行けば死ねるぞ」
「もらっちまおうかな」
津島が差し出す何だかわからない怪しげな薬の瓶に手を伸ばす。そのくらい気持ちが追い詰められていた。
「落ち着いて! 要さんは心の広い人ですから!」
「そうですよ! 吉次の言う通りですっ、死なれたら困りますから!」
宇賀神親子に手を掴まれ止められるが、今までで1番死にたい。手を離して欲しい。
駅前でせめぎ合いをしていると、然程遠くない距離から自分の名前を呼ぶ声がした。
「……?」
もう一度耳を澄ますと、次に聴こえるのは別の名前。
「要!」
もしかしてとすぐそちらを見ると、檀が地面にへたりと座り込んで、走り去って行くカーテン付の黒い自動車を手を伸ばして、引き戻そうと叫んでいた。
*
駅までの道、足の痛みを堪えながら要を追いかけていた。やっと要の姿を捉えると、もう少し頑張ろうと歯を食い縛って走るスピードを上げる。
この趣味の悪い、木彫りのイカのブローチを届けるために走っているはず。しかし、要の彼氏の顔を拝んで置かなければ気が済まなくなってきた。グーで殴ろう。鼻とかを狙って鼻血を出させてやろう。カッコ悪いとこを見せれば、要だって幻滅するはずだぁ。
ケッケッケッ。もっと作戦を考えておこう。今のは作戦Aと命名しよう。
完全に僕は父親の心を取り戻している。
要をきちんと導いてあげなければと、気持ちが引き締まるんだ。
「か、なめぇ」
しかし、足に自信はあるが体力がないのでなかなか要に追いつかない。走るスピードを変えない我が子の成長に驚いてしまう。
やっと駅が見えると、要が誰かに手を振っている。その先を見るが誰に手を振っているのはわからなかった。
すると、要の近くに黒い自動車がノロノロと近づいてくる。それから後部座席のドアが空いて、車は止まらずゆっくり、ゆっくりと動きながら1人の男が要の手を掴んだ。
「何……!?」
要の怯えた声が聞こえる。それからは本当に早かった。男が1人手を引いて、またその奥から男が出てきて、車な乗りながら要を引き釣り込もうとしている。
「要!」
連れて行かれる!
要の身が危ないと全力で走った。しかし、走り出しても遅い。
「なんだよ! おい!」
必死にもがく要の口に無理矢理ガーゼのような白い布を突っ込んでいる。それでも要は苦しそうにしながら、足を空中でバタつかせたりして必死にもがく。
どれだけ抵抗しても、男2人の力に、要1人の力じゃ敵いっこない。
「中也さん、助けて!」
僕ではない、誰かの名前を叫んだ。
それから片方の下駄が道にゴロンと落ちるとドアは勢い閉められて、猛スピードで走り去って行く。
人間が走って追いつけたら、自動車などいらない。案の定つまづいて、こんな足じゃ走れもしない。あっという間。1分もなかっただろう。
「あ、あぁ――」
父親なのに、娘を助けられなかった。
無力で情けない。力が抜けて放心状態になった。
要が攫われた。心当たりはある。きっとあの男だ。迷ったら辞めろと言ってくれた、あの男に違いないのだ。
でも、何故、何故、要を攫っていく理由がある。売れないと言ったのに。なのに、攫った。
悪人の考える事はわからない。でも、要が攫われたのは「私」のせいだ。1度攫ってくれと依頼をしたから攫われた。
ああ、結局元凶は自分か。
俯いて、項垂れている事しか出来ない。幸せだと感じると、どうしてこう上手く行かなくなるんだ。悔しい、悔しい、悔しい。情けない。地面に顔を突っ伏して泣くしか出来ないんだから。
「檀、檀か?」
グズグズ泣いていると太宰さんの声がした。
ゆっくり顔を上げると、知ってる顔と知らない顔、男が5人、僕を囲んで立っている。
「かな、要が、連れてかれちゃったあ」
僕は太宰さんの足元にすがり、大声を上げて泣いた。
*
檀が言った。要が連れて行かれたと。誰に連れて行かれたか、そもそも何故檀がこんなに泣いているのか、わからないことは多い。
俺が買ってあげた下駄の片方が、道に転がっている。
拾い上げて裏を見ると、ご丁寧に「1932年12月」と日付けが彫ってある。
どれだけボロになっても、何度も修理して履き続けてくれていた。
「好きな人から貰ったものは、なんでも嬉しいもんですよ。だからこの下駄も一生使います。だから、この下駄が落ちてたら僕に何かあったと思ってくださいね。その辺で溺れてるかもしれませんから」
彼女がそう言っていた事をふと思い出す。
落ちていたのなら、要が本当に人攫いにあったのは確かだ。
証拠として、抵抗した時に出来たであろう新しい傷が、下駄の歯に付いている。
もしかしたら、さっき名前を呼ばれた気がしたのは気のせいではなかった。要が呼んだのかもしれない。
頭を整理するのに時間が欲しい。大嫌いだと言われたまま、仲直りも出来ずにこのまま会えずに終わるのは御免だ。
人を殺すことになってもいい。非人道的な事をすることになっても構わない。会えないままなんか絶対に嫌だ。
檀が泣いているのも気に食わないが、要を攫った奴はもっともっと気に食わない。要を連れ戻しても、痛い目を見てくれなきゃ気が収まらない。
絶対、殺す。
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