84恥目 薫の犯罪心理学



「かぁなぁめぇさぁん!」


 事件の翌日、警察の留置所で先生は泣き叫んでいた。

 何故こんな所にこの人がいるかというと、仏文科の教室のことで取り調べを受けているからである。


 ようやっと15分だけの面会を許されたので、先生の話を聞きに来ていた。

 そもそもどうして疑われてるんだって話だけど、現場にあったジョウロが先生の物であった事が原因のようだった。

 あの教室で人が死んだ訳でもないし、犯罪が起きた訳ではないが、インパクトのある出来事だったせいか調査されているらしい。


「一応確認なんですけど、犯人が先生が訳ないですよね」

「あんな事する訳ないじゃないですか! 朝、出勤してすぐに連行されたので何がなんだか……」


 身に覚えのない罪に頭を抱えている。強いストレスで髪の毛がするする抜けて来るという。そこに追い討ちをかけるようで申し訳ないけれど、先生の無実を晴らすために聞きたいことは沢山ある。


「じゃあ教室の状況とかも知らない、と」

「ハイ……昨日は檀さんとカステラを食べた後に残業して遅くまで学校に居ましたけど、特別何もなかったと思います」

「だ、檀さんと居たんですか?」


 考えないようにしていた「檀さん」の名前を耳にしてしまえば、自ずとまた父さんを思い浮かべる。


 今は先生が一大事だから余計な事は聞いちゃいけないと思いながらも、僕の口は考えと真逆の言葉を吐いてしまう。


「檀さんと何を話したのか、教えてください」


 先生は少し間を置いて、話すか悩んだ後「要さんの事を知っているか聞いたんです」と答えた。

 校内で檀さんが、僕やしゅーさんの事を探っていたらしく、質問に答えた学生は金を貰い、探っている事実を口止めされていたという。先生は彼が僕らについて探っている理由はまではわからないらしいけど、あまりにも妙な事があり過ぎて整理がつかないらしい。


 中也さんや学生達に対する檀さんは「淡々としていて他人を軽侮するような人」であり、先生と会話した時とはまるで別人のような振る舞いであるそうだ。

 先生と話す檀さんは「オドオドしていて口下手」。話を聞く限り、本当に真逆だ。

 カステラを食べている彼は、ハムスターのように頬っぺを膨らまして一生懸命頬張る姿が可愛らしかったと先生は言う。


「それで、僕の事知ってるって言ってましたか?」

「ええ。要!って、嬉しそうに言ってましたよ」


 僕の名前を知ってくれている。檀さんは父さんではないのに、忘れられてなかったと胸の使えがとれた気がする。


「あの、もしかして父さんが居るって事はないですよ、ね」


 そしてまた期待してしまう――父さんとの再会を。僕ってば、なんて懲りないやつだろう。

 期待した僕を見ては先生は少し考えた顔で、弱々しい声で話し始めた。


「……僕達のように落ちてきた人かもしれない、ということでしょうか? ……どうでしょうね。ですが、檀一雄を名乗っている以上それはないと思います。修治さんから、要さんの話を聞いて興味を持ち、それからファンになったとかじゃないでしょうか。ほら、要さんはファンが多いですし」


 檀一雄は確か、史実でもしゅーさんの仲の良い人だった筈だ。父さんの名前は「生出尽斗」。一文字もあっていない。

 檀さんが父さんであるはずなんかない。だけど僕らと同じ人だったら、また会えるかもしれないなんて、在りもしない事を考えていた。ただの妄想でしかないのに、その妄想に縋る。僕は諦めが悪いのだ。


「そうですよね……僕、話してみたいんです。檀さん、父さんに似てるから」

「お気持ちはわかりますが、やめた方がいいと思いますよ。僕が知る彼と中也さん達が知る彼はあまりにも違いすぎる。あまり考えたくありませんけど、もしこの事件に檀さんが関わっていたら要さんも危険ですよ」


 先生は深刻な顔付きで、念のため警戒するようにと警告してくれた。

 とにかく今は教室の事件が解決するまでは大人しくしておこうという話になった。先生はきちんと話せばすぐに解放されるだろうと思っているようで、大学職員の皆さんが無実を晴らしてくれると信じていた。


 面会終了を知らせられると僕は留置所を出て外に待たせていた文豪2人に声を掛けた。

 2人はマントに包まり、寒風に体を冷やさないようにしているのに、彼らを狙って落ちてくる落ち葉に苛立って暴れている。体を動かしたからか、額から汗が垂れていた。


 呆れて苦笑いをし、すぐに気持ちを切り替えた。イチョウの木から落ちた銀杏の匂いがきついので、歩きながら先生との話の内容を伝える。


「とりあえず今は大人しくしてようってさ」

「気が気でない! 死にたくないぞ! 俺は!」

「普段は死にたがってるくせに……」


 血塗られた教室にトラウマを覚えたしゅーさんは、昨日から死にたくないと吐露している。

 普段は薬だなんだって死ぬ方法を考えているくせに、他殺は嫌だと駄々をこねる。


「し、に、た、く、な、い、の!」

「ならもっと真面目に生きろよ! そのマントだって、隠れて借金した金で買ったんだろ! 恨みの一つや二つ買ってたっておかしくないんだよ!」


 中也さんの容赦ない説教にしゅーさんは萎縮し、「ふぁい」と不機嫌に返事した。


「わ、わかんないよ。しゅーさんの事がめちゃくちゃ好きな人の仕業かも知れないじゃんか。ほら、狂気に満ちてた人は僕らの周りにもいるでしょ」

「そんな人いる?」

「居ますよ。僕が経験済みです」


 そうさ。狂気染みた出来事を起こす理由を、同じ狂気に満ちた人ならば気持ちをわかるかもしれない。

 それがわかれば、事件に関わっているのが本当に檀さんなのか、他の人なのか、何が目的なのか、少しは理解出来る可能性がある。

 ならば話を聞きに行こう。善は急げだ。僕を襲ったあの人に。きっと彼女なら、その意味がわかるはず。


――。


「新しい服を下ろした日に来るなんて、要くん、やっぱり薫のこと好きなんじゃない?」


 日中の飴屋には吉次の他に、薫がいる事がある。

 人懐っこい笑顔と愛嬌、それと自他共に認める美貌があれば当然男性客も増える。大したようもないのに薫目的で買い物に来る男性は少なくない。


 今日はいつもの桃色の着物ではなく、流行りの黒い丸襟で白黒で細かい水玉模様のワンピースにストラップ付きのパンプスを履いて、店の椅子に長い足を組み腰をかけている。スタイルがいいから映えるなぁ。


「もう薫は人妻なの。どれだけ要くんが薫を好きだって言っても、人妻なの。あれかなぁ、人妻の色気が出ちゃってて、我慢出来なくなっちゃったとか? ヤダァ、要くんのエッチ!」


 勝手に妄想して上半身に付いた、たわわな実をこれ見よがしに揺らす。


「要、コイツ殺していいかな」

「ダメですよ。薫に用事があるんですから」


 頬を赤く染め勝手に妄想を進めていく薫に、中也さんは苛立ちを隠せずにいた。


「なっちゅうさんって本当酷いよね! 薫はもう人妻だから変な事をしないもん!」

「変な呼び方すんなっつたろ!」


 なっちゅうさん。薫は中也さんにあだ名を付け、親しみを込めてそう呼んでいた。が、中也さんは元旦の事を許しておらず、とにかく薫を嫌っている。


 彼にはしゅーさん以外にも不仲の人が居るの忘れていたと、割とゆるい流れでここに来たことを悔やむ。

 皆仲良くっていうのは難しいが、どこに行っても大小問わず喧嘩ばかりになるのはどうにかできないかなぁ。

中也さんと薫が口喧嘩をしていると、さらに火種になりかねない天然野郎が顔を見せた。


「もう、薫さん! カーディガンを着てくださいってば!」

「大丈夫だよぉ、寒くなったら愛しのダーリンの体温であったまるから、ね?」

「そ、そういうことじゃなくて!」


 店の奥からカーディガンを持って来た吉次と薫がイチャコラし始めると、場の空気はガラリと変わる。

 肌寒いこの季節、確かに体を冷やすのは良くないし、体に悪い。たかがカーディガン一枚で見せ付けるようにベタベタされたら、こっちが寒くなるっていうか。


「そのワンピース、薄手なんですからね!」

「まだお昼だよぉ? 薄手のワンピースだから透けちゃうかもって心配したの? もう、昨日あぁんなにお夜伽してあげたのに、欲しがりさんなんだから。お店閉めてラブラブするぅ?」

「もう! か、体が冷えるって言ってるじゃないですか!」


 何を見せられてんだか。僕ら3人揃いも揃って生気のない表情。つまり「ぶっ殺してえ」という顔をしている。


 吉次がようやく僕らに気づくと、慌てて薫から離れて余所余所しく挨拶してくる。


「あ……こんにちは……えっと……見てました?」

「はい」


 僕ら3人は口を揃えて愛想のない返事をした。

 冷めた目で結婚して1年以上経つ夫婦を見つめても、薫はお構いなしに抱きついたり、頬擦りしたりと、欲求のまま動いているようだ。

 こいつすげぇな。店を開けていて通行人にだって見られ鉄かもしれないのに。心臓には毛がボウボウに生えてんのか? こんなことでは相談出来ない。はあ、イライラする。


「なんか邪魔っぽいし帰るわ。すいませんでした」

「えっ! 何か用事あったんじゃないんですか?」

「いや。あったけどいい。帰るぞ」


 中也さんを筆頭に飴屋に背を向けて帰ろうとする。吉次は薫に「人前ですから!」と優しく手を解くと、僕らの服を摘んで店屋に引き戻そうと引っ張ってきた。何を今更とも思ったが、吉次が必死だったので折れてあげた。

 

 仕方がなく、すんとした顔で飴屋に上がり、今までの出来事を僕が2人に話す。


 まず、この夫婦は先生が留置所にいる事も知らなかったようだ。先生が敢えて連絡せずにいたのだろう。吉次が血相を変えて出て行こうとするが、事情をちゃんと話すと下唇を噛みしめて俯いた。

 薫はその姿を見て胸を痛めたのだろう。やっと真剣な顔で僕らの目を見て、自分に用事があるのだと理解してくれた。


「薫に何が出来るの」


 彼女が凛々しい態度をするので、こちらも身が引き締まる。


「薫に聞きたいことは、今説明した狂気的な行動にどんな意味があるかって事。どんな気持ちで行動してるか聞きたいんだ」

「えっ、薫わかんないよ?」

「えっ?」


 凛々しい顔付きは何処へ。質問してすぐに薫は頬に指を当てて悩むポーズを取った。


「血で名前を書くのと、爪を剥ぐのと、ジョウロに血を溜めることの意味でしょ? 薫、やったこたないからわかんないよ?」

「好きな人殺したくて仕方がない病のお前が?」

「失格さんは薫のことなんだと思ってるの?」

「失格さんて呼ぶのやめてくれない?」

「だって人間失格の人でしょ? 失格さんじゃん?」


 死にたがり対殺したがりの口争い。都合がいいようで都合が悪い。


 「失格さん」とはしゅーさんの事。薫にしゅーさんをきちんち紹介した時に「人間失格の人だ!」と言ってから、失格さんと呼ばれるようになってしまった。


 当然、今のしゅーさんは未来に人間失格を書くことは知らない。なのでただの悪口だと捉えて凹み、憤りも感じているのだ。そりゃそうだよなぁ。人としてダメだと言われているみたいでいい気分じゃない。


「えー、ほんとにわかんないなあ」

 

 薫は困った表情で苦と元に指を当てて考えている。

 彼女は、好きな人を殺したい気持ちはあるが、今回のような狂気的な行動の意味は気持ち悪いだけだ、と言ってその様を嫌った。

 僕の血を掬って唇に塗ったのは、黒歴史だからほじくり返すなと怒り、意味は特にないと言う。


「でも薫が1番その人に近い考えを持ってると思ったから、頼ってくれてるんだよね……よし!」


 薫は立ち上がって爺さんの部屋に行くと、分厚いレンズの眼鏡をかけ、ドヤ顔で鼻息を吹かした。


「薫がその意味不明事件の心理的何かを考えてあげましょう! うっ、待って、これ気持ち悪い……酔った……おえっ」


 何故眼鏡を持って来たのか知らないが、あまりの度の強さに視界が歪んだようだ。

 吉次が背中をさすってやり、横になって少し目を瞑る。

僕ら3人はきっと「コイツは何をやってんだろう」と同じ事を思っていたかもしれない。


 その隙にお手洗いに行って戻ってくると、そのまま気分が悪いと言って寝そべっている。なんなんだコイツ、とこちらの3人が苛立ち始めれば、その空気を察したみたいに薫が目をパッチリ開き起き上がる。


「整いましたァ!」

「何をだよ」

「フッフッフ! 薫、気持ち悪いと言いながら犯人の気持ちを考えてたのです! えらーい!」


 大きく万歳。1人で楽しそうだ。薫の自由さや明るさに惹かれた吉次だけが、彼女を褒めていた。


「……あの、聞きますか?」

「ぶん殴りてぇ」


 中也さんが眉間にシワを寄せてイライラしている。


「中也さんそんな顔しないで! 一応聞いてあげましょうよ!」

「まあ、要がそう言うなら。おい、簡潔に話せよ」

「まだ怒ってる! ネチネチした男は嫌われるよ? もっと吉次くん見習ってみたら? 要くんもさぁ、早く女の子見つけないと、ずぅっとなっちゅうさんに付き纏われちゃうよ!」

「喧嘩売ってんなら買うぞ」

「よし、俺も加勢しよう」

「売るな! 買うな!」


 なんでこう、また皆すぐに喧嘩するんだか趣味ですか?

 とりあえずその場を宥めて、とにかく早く話せと催促した。薫はつまらなさそうな顔をする。そして頬をパチンと両手で軽く叩き、皆を見渡して話し始めた。


「血で文字を書くのって、愛が強いか、恨んでるかのどっちかじゃないかな? でも今回の件は薫的に愛が強い方だと思うの。だって好きじゃなきゃ、同じ人の名前なんて書けないと思うし、ましてや爪を剥がしてまでそんな事しないもん。だからワザと血でかいて、その人の気を惹きたいんじゃないかな。ほら、血ってだけで凄い印象に残るでしょ」

「ふむ」


 薫の言う事に納得が行く。

確かに、恨んでいる人間の名前を沢山書くのはあまり聞いた事がない。

 それを踏まえると、しゅーさんは芥川龍之介の名前を死ぬ程ノートや紙に書いていた。ならば薫の言う通り、しゅーさんの事が好き過ぎてしょうがない人の犯行と考えるのが普通か。


「でね、もう一個思ったの。名前を書かれた人も気持ち悪いって思うと思うんだけど、薫なら、書かれた人にもあんまり近寄りたくないなって。何かに巻き込まれたら嫌だし、近寄ったら自分が殺されるかもって考えちゃう。だからその人は、失格さんを孤立させたい――とも考えてるんじゃないかなって。どう? 薫の名推理! 冴えてるよね!」


 確かにこれも納得が行く。しゅーさんだからその気持ちはないものの、血で名前の書かれた人間に近寄るのは躊躇するかもしれない。


 さすが元ヤンデレ女。なかなか的を得ている。それが犯人と心理と一致しているかはさて置き、そうだと思えば犯人も探しやすくなるというもんだ。


「ありがとう。参考になったよ」

「どういたしまして! 少しは役に立てたかな!」

「うん、とっても」


 彼女に御礼を言うと、ひまわりのように笑っていた薫の表情が突然曇り出した。先生の事が急に心配になったのだろうと思い、安心しろと声をかけるが首を横に振る。


「ねぇ、本当に失格さんの事を狙ってるのかな……薫は失格さんの魅力がわからないけど、もし、もしね。失格さんが欲しいから、他の人はいらないって考えてる人だったとしたら」


 ヤンデレにも色々なタイプがいる。


 何をするにも一緒の独占型。

 相手の在り方で自分が決まる依存型。

 自分の世界を作り出す妄想型。

 好きな相手を思い通りにしようとする攻撃型。


 そして、好きな人以外の邪魔を嫌う排除型。


 もしもその犯人が排除型の人間だったら――。

薫はヤンデレのタイプを吐き出すと、手を震わせながら僕を見た。


「要くんが狙われてると思う」


 しゅーさんと常に一緒に居る僕が狙われていると、薫は言う。彼を欲しい人がいるのなら、僕は本当に邪魔で仕方がない事だろう。


 重い愛情は呪いに変わる事がある。呪いは嫌いな奴にかけるもの、ならば今回は僕にかけている可能性があるということだ。


「今回の事件はたっくんの言う通りあんまり関わらない方がいいよ。薫、要くんに酷いことしたけど、今はお友達だと思ってるから、だから、危ないことには」


 心配する薫の言葉を最後まで聞かずにぶった切った。それ以上言われては、僕の決意が鈍る。


「僕はしゅーさんを守らなきゃいけないから」


 しゅーさんが欲しいための狂気なら、僕は真っ向から受けて立とう。相手が僕の恩人を、思い出を、そして太宰治を教えてくれた父さんを穢すなら怯んではいけない。


 大人しくなんか、してられっかよ。 

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