74恥目 キーパーソン


 白瀬矗と椅子が閉まってあった別室に2人。

 やはりこの老人が糸魚川の対象。中原の読みは的確に当たった。


「いやぁ、驚いた。文人の知り合いか」

「知り合い、というか。元同居人です」

「……どのくらい」

「一年は」


 4万円も借金をしていればやつれるんだろうが、この老人が1人で返済していると思うと居た堪れない。

 20代前半の俺が、弟を名乗る要に肩代わりしてもらっていてなんだが、糸魚川は返済を手伝おうとは思わないのだろうか。


「文人は元気かい。迷惑はかけてないか」

「さあ。仕事をクビになって出て行ったきりですから。おかげでうちの弟が糸魚川の借金を背負うハメになりましてね」

「借金!? あいつはまた――」


 また? 確かに今そう言った。どういうことだ? 白瀬は苛ついた様子で、自らの膝を拳で叩いた。


「つかぬことを聞きますが、糸魚川の借金はこれが初めてではないと?」


 借金してる人間が、借金してる人間に借金の話をする。なぜだ、心臓がバクバクする。


「あ……今現在、私が返している借金の半分は文人の分だ。後援会の遊興費と行って、風俗通いさ。もちろん全てが文人とは言わない。だが、後援会の人間も黙っちゃいなかった。隊員の給料も払えずにいろいろ売ったが、それでも4万円なんかすぐに返せる訳がない。返済を求めた途端、名古屋を飛び出してったよ」


 耳を疑った。白瀬の借金のせいで苦しんでいると聞いていたハズが、話が違う。

 あいつは巨額の借金を踏み倒して東京まで逃亡、食い逃げを繰り返して生きてきたということか。


 質問は多くあったが、今は頷くだけにして、白瀬は話を続けた。


「文人が金を使い込むようになったのは、人間関係の縺れからだろう。千島に行った時に隊員と揉めてな。文人は自分が1番偉いと思っている節がある。人を馬鹿にする言い方や、笑い方。とにかく横暴なんだ。だからよく反感を買っていたよ」

「千島……千島列島か? 糸魚川は北極に行ったと言っていたが」


 中原の言っていた事を思い出す。さて、糸魚川のこれまでの発言は嘘か真か。


「我々は北極へは行っていない。多分、文人の見栄だろうな……その後の調査先である南極にも文人は連れて行かなかった。恐らく、東京に来てそう言えばそれだけで認めて貰えると思ったのだろう」


 それから、白瀬は糸魚川について何を聞かずとも話してくれた。

 千島開発のために占守島へ残るよう言われ、過酷な冬を過ごした事。


 その時、隊員の殆どが皮膚や歯肉から出血し歯が抜け落ちる壊血病になり、唯一健康体だった糸魚川が食料調達に行かず、愛犬を殺して食べた事。

 救助が来るまで糸魚川は何もせず、文句ばかり垂れ、隊員が死んだ事。


 糸魚川が原因で、白瀬も周囲との関係が悪くなった、と。


「あいつは自分さえよければ、それでいい」


 そう思われるのは当たり前だ。


 どう考えてもクズ。いや、人は誰でも自分が1番可愛い事は知っている。糸魚川の場合はあからさま過ぎる。そこに他人への侮辱や蔑む態度を取っては信頼など得られる訳がない。


 隊員ともうまく行かず、南極探検にも同行を許されなかった糸魚川はその期間に風俗に通い、借金を作ったという訳だ。 


 しかし、俺達との一年間の同居において、そこまで酷い素振りはなかった。借金は作ったが、今の話程の事はしていない。

 自分勝手な所はある。しかし、仕事もクビになるまではしっかり働いていたのだから。


 ハツコとはよく買い物に行っていたし、要や中原とは同じ部屋だから毎晩ゲラゲラ笑う声が聞こえて来ていたんだ。


 それを白瀬に伝えると、彼はまた驚いた顔をして、俯いた。


「文人が誰かと仲良くなんて……そんな姿は見たことがない……」


 2人の関係は白瀬の様子をみれば、なんとなくわかった。これからどうするか聞くまでもない。

 白瀬は自分の息子のようなものだからと言うが、明らかにもう関わるのは遠慮したいという態度だった。


 彼は確かかもわからない壁についた時計を見た。


「公演の時間だ。そろそろ行くよ」

「待ってくれ。最後に。糸魚川には、何か言いたい事があるか聞いておきたい」


 白瀬は時間だと言いながら、どの言葉にするか考えているようだ。


「特に、ない」

 

 そう言って、講演会のステージへと歩いていく。随分と人生をめちゃくちゃにされたみたいだ。


 とりあえず役目は果たした。さあ、次はどうするかな。


 ――講演会が始まり、白瀬が壇上に立つとたちまち拍手が沸く。小さな会場だが人はそれなりに入っていた。


 聴衆が興味を持つような話し方。何度も同じ事を話せばうまくもなるだろう。

 これも借金返済のため。その理由を知った後じゃあ、老体に鞭を打ち、壇上に立っているのを見るのが苦しくなる。

 

 有志らは盛り上がっていた。その中のに紛れた俺は浮かない顔をしているだろう。


 借金を背負わせる事、それがどれだけ苦しい事か。人の人生をめちゃくちゃにしているのだと。


 心から、要に申し訳ないことをしていると悔やんだ。




「いますか?」

「何が?」

「何がって、糸魚川ですよ! 何しに来てるかわかってます?」


 講演会に潜り込んだ僕達は、入場料をしっかり払い、あまり目立たないように糸魚川を探していた。


「わかってるよ。ねえ、要。俺達今、何のフリしてるんだっけ」

「……それ聞くの何回目ですか」

「何の、フリ、してるんだっけ」

「もう、真面目に探してください!」


 小声のやりとりだけど、話しているだけで目立ってしまう。なぜ夫婦のフリをしているか?

 それはノリとテンション。いやそれだけじゃないけど。


 中也さんは僕が女装して1人で歩くのが嫌だというから、そうしているだけ。別にちょっと嬉しいとか思ってないもん。


 それより、しゅーさんはうまく話したんだろうか。それが一番心配だ。胸がザワザワする。


 ほとんどが後ろ姿の聴衆の中から糸魚川を探すのは安易じゃない。 会ったら他人のフリをして、せめてご飯だけでも食べさせてあげたい。

 きっとお金なんかないはずだから。僕の事を嫌いでもそれくらいはさせて欲しい。

 どんなクズでも、同じ平成の人間というだけで心配なんだから。


 講演は順調に進んでいるようだ。ずっと目だけを動かしていたからか、目がしばしばする。

 一旦、白瀬さんの話に耳を傾けて有意義な時間を過ごす事にしよう。こんな機会はめったにないし、南極のことも知りたい。


 講演に熱中していると後ろから騒がしい声が聞こえてきた。


「大人しくしろ!」

「うるっせェ! こっちはジジィに用事なんかねぇんだよ! 離せ!」


 暴言と騒音に会場がざわつき始める。悪態をつく声は聴き慣れたものだ。


「糸魚川の奴だ」

「……えっ、どうして先生まで」


 有志と見られる男性2人に体を押さえつけられる糸魚川と、その後ろに先生が付いている。


「おい! 拓実! 俺を売ったんだろ! なあ!」

「売ったなんて人聞きの悪い。あなたを名古屋に返すんですよ」

「だからそれを売ったって言ってんだよ!」


 何が、何が起きているのか。

 僕は思わず立ち上がりそうになったが、中也さんが手を握って首を振った。


「様子を見よう」


 中也さんは糸魚川に近い席にいた僕を抱き寄せて、何かあったらすぐにでも対応出来る様に椅子に浅く腰をかけた。


 先生が壇上の白瀬さんの元へ歩いていくのが見える。何をする気なのだろう。

 糸魚川はきつく縄で縛られていた。痛がっている姿を見ていられず、床に目を逸らした。


「ふざけんなよ! なんでだよ!」


 糸魚川の苦しそうな叫び声と聴いていられない。とても気分が悪い、体がガタガタと震える。

 人が殴られるを見るのは恐ろしい。今そうしなくたって、きっとそうするんだ。


「公演中に申し訳ないのは承知で、白瀬さんにご面倒を返却しに来ました」

「ご面倒……?」

「はい。糸魚川文人。あなたの部下、もしくはご家族、またはそれに値するご関係なのでは?」


 いつもの先生とは違う。怒っている。

 白瀬さんに詰め寄って責めているのだ。見た事のない、キツい目つきだと、遠目でもわかる。


 そしてここにいる誰しもに聴こえるように、大きな声ではっきりと。如何に「糸魚川文人」という男が悪人であるかを聞かせてみせた。


「この男は私の友人に借金を背負わせたあげく、私にまで金を無心して来ました。友人が肩代わりした借金をきっちり返して頂きたいのと、糸魚川くんを名古屋に連れ帰ってください。本当に迷惑です」


 白瀬さんにキッパリ、ハッキリ言う。さあ、糸魚川の対象はどう出るのだろう。


「それは――出来ない」

「何故、ですか?」


 先生の問いかけに、会場にいた有志とファンは怒り狂った。まるで暴動が起きる前の溜まり切った不満を爆発させる様に似ている。


“まさか、他の場所でも金を借りていたのか“

“どこまでクズなんだ!“

“死んで、シマエバヨカッタノニ!”


 ヒステリックに叫び、蔑み、罵られる。

 怒りに満ち溢れた声が聞こえてくる。言葉だけでも十分凶器なのに、体を縛られ、抵抗できない糸魚川にあらゆる物が投げられる。


「糸魚川!」


 助けなきゃ! もう見ていられない! 

 椅子から立ち上がり、友達の元に走ろうとするが、僕身を心配するこの人が行かせてはくれない。


「要、だめだ! 要が怪我したらどうするんだよ!」

「糸魚川が可哀想だ、あんな風にすることないだろ!」

「そうされてもおかしくない事をしたんだよ! 拓実さんと津島が居る! 大丈夫だから!」


 中也さんの言う通り、糸魚川の近くにはしゅーさんがいた。でも、動乱の中にしゅーさんが突っ込んでいける訳が無いんだ。

 しゅーさんが突っ込んだら、僕だって本気で黙ってられない。


 中也さんやしゅーさんにはどうでもいいかもしれないけど、糸魚川は同じ平成の人なんだよ。放って置ける訳ないのに。助けに行きたいのに、今までで1番怖くて、脚がすくんでる。


 すると1人の男が糸魚川を引きづって壇上に立ち、聴衆に語りかけ始めた。


「糸魚川文人! 千島探索時に仲間を見捨て、さらに白瀬大尉に多額の借金を負わせ、さらにさらに知人にも借金を背負わせる、どうしようも無いゴミ!こいつを許せますか!」


 大人数が立ち上がり「許せない!」と何度も声を上げた。この会場に居るほとんどの人間が糸魚川の敵なのだ。


 中には「殺せ」と言う者までいる。

 本当に殺されてしまいそうだった。先生すらも賛成しそうに見えた。まるで時代劇の公開処刑の様な光景だ。


 誰かが、人を殺せる何かを持っていたら――簪一つでもそうできるだろう。

 考えるだけで恐ろしい。どうしよう、どうしよう。


 男は続けて、借金の理由と過去に糸魚川が犯した罪について語り始めた。犯罪者と言われても仕方がない。

 それでも、そんなにひどい奴じゃなかったよ。僕らに見せる顔は違かったよ!

 どれだけ叫んでも、この騒ぎの中じゃ、どんな言葉もかき消されて無くなっていくだけ。なんの助けにもなやしなかった。


「だから此処で殺そう。そうすれば白瀬中尉もご友人も救われる!」


 何を勝手な事を! 僕は救われない! 僕の話を聞けよ!

 聴衆の賛同もマックスになると、何処からか短刀が持ち込まれた。


「ちょっと、何してるんですか……!? 僕は殺せなんて言っていません! 要さんにお金を返してくれたら、それでいいんですよ!」


 先生もさすがに焦り、止めてくれた。糸魚川はここで死んだら、平成の戸籍も無くなって、本当に存在しなかった人になってしまう。出会った人たち全ての記憶から、彼という人間がいなくなってしまうのだ。


 しかし、昭和に生まれた人にそんなことはわかるはずはない。わかったとしても、それがどうしたと相手にされないだろう。


「金を返さず、金を無心する。そんな奴に生きている価値はあるだろうか。コイツのせいで死んだ仲間もいる――浮かばれんよ、我々は」


 初めて見る、刀剣に属する短刀。糸魚川の首を、切り、殺めるつもりだ。

 白瀬さんは何も言わない。糸魚川が死んでもいいの?


 先生が口で必死に止めても、興奮し切った観衆に聞く耳は持たれない。


「ジジィ……!」


 糸魚川が白瀬さんを呼ぶ。しかし、振り向きも、見向きもしない。


「そうだよな――平成でもそうだったよ。俺は万人から嫌われて1人になって、崖から飛び降りた。なんでかなぁ、なんでなんだろうなぁ」


 縄で縛られ涙を流しながら、糸魚川は最期だと悟る様に話す。

 刀をふりかざす男は最期の情けとして動きを止めていた。


「俺、寂しかっただけなんだよ!」


 彼の寂しさを僕らは知らない。けど、命を奪われる前じゃ嘘なんかつきっこない。


 あの日、1人でタバコを吸っていた夜。

 理由がどうであれ、仕事をクビになって、自分に価値がないと寂しくなったんじゃないだろうか。


 本当は相談したかったかもしれない。前の日まで借金も真面目に返してたし、普通だった。


 それなのに、僕が責めたから――。


「自業自得だ」


 男が刃を高くあげる。その時だ。声を震わせる、情けないその人の声がする。


「柄じゃないが、今日はキーパソンって奴らしくてね」


 糸魚川の横に1人の影。聴き慣れた声、キーパソン、正装姿の――。


「しゅーさん!」


 僕は思わず声を出した。

 しゅーさんがこちらを見て、眉の角度を上げると、すぐに先生の方を向いた。


「宇賀神、お前ここで糸魚川を殺したかったのか?」

「そんな訳ないじゃないですか! 僕だってこうなるとは……お金と常識さえちゃんとしてくれてたら、それでいいと」

「そ、そうか、じゃあお前は俺の味方って事で」


 まるで正義の味方みたいな立ち姿。

 糸魚川の前に立ち、その刃は振るわせないと真っ直ぐ男を見ている。


「痛いのは勘弁な! 弟が見てるんでね!」


 かっこいい決め台詞。顔は引きつってるけど、糸魚川を守ろうとしている。

 “誰だお前は!“と口々にする観衆のその声に、彼は答える。


「絶対に名乗ってたまるか!」


 いつもとは違うけれど、確かな兄の姿がある!

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