68恥目 お前ら全員、ディスリスペクト
「要さん! 青森はどうでしたか?」
「超寒かったよ。雪だらけだったし。はい、これお土産のバナナ最中」
「ありがとうございます! バナナ高いのに……」
久々の飴屋のバイト。この時代では高価な「バナナ」を使った最中を手土産に出勤した。
「先生と薫さんに取っておくので、要さんも1つどうぞ!」
「いいのか? お土産だよ?」
「2人で食べた方が美味しいじゃないですか」
お土産に買ってきたはずのバナナ最中を受け取った。口に入れると、バナナの甘い香りが鼻を抜ける。美味い。
吉次は優しい奴だ。薫を嫁にもらってから明らかに顔つきが変わった。学校も辞めて働き始めたし、以前よりもっと優しくなったようだ。
「誰かを守れる強さ」を欲していた彼は、今その願いを叶えて家庭を築き、守ろうとしている。本当、頼もしくなったよなぁ。
僕が居ない間の惚気話を散々聞かされた後、青森へ行く経緯を聞かせて欲しいと言うので、最初から最後まで話してやった。
津軽三味線の話はいつか、もっと上達した時に驚かせてやろうと黙っておくことにする。
「じゃあ、修治さんとはバラバラにならなくて済みそうですね。よかった」
「おかげさまでね。中也さんのおかげだよ。文治さんと何を話したのか知らないけどさ。いつも助けてもらってばっかり」
「いいじゃないですか! 要さんがいろんな人を助けてる分、中也さんが助けてくれてると思えばいいんですよ。要さんのこと大好きだって言ってましたし! 要さんも、そうでしょう!?」
吉次のとびっきりの笑顔。バナナ最中の破片を口につけて僕らの秘密をそりゃあ大きい声で話す。
「えっと、大好きだけど……」
「ほら! 同じですね!」
本人が居なくても、好意を表す言葉を口に出すのは照れ臭い。
「吉次、声がデカイ」
「ああ、ほら、噂をすれば! ね! 大好き、ですもんね!」
丁度いいタイミングで、店前に仕事終わりの中也さんが僕を迎えに来ていた。それを知らずに本人の目の前で、大好きだなんて堂々と言ってしまって。
他の人に聞かれたら大変だし、何より本人に聞かれていたのが恥ずかしい。好きな女と結婚した吉次は愛は美しい! と豪語するのだから、悪いことだとは思っていないようだ。
「もういいから、ったく、恥ずかしい!」
僕は恋愛に不慣れな事もあって、照れ臭くて仕方ない。店屋の奥に行って爺さんに挨拶すると、吉次に後は任せたと店屋を出た。
あんな風に言われた後だから、2人で並んで帰るのも恥ずかしい。
夕暮れの薄暗くなった路地に、僕ら以外の誰かはいないかと、前後を確認する。本当は久々に2人で帰るのが嬉しくてちょっと背広の袖を摘んだりしてみる。
「今日は甘えたさんなの?」
「新婚の惚気話を聞かされたら、羨ましくて」
「じゃあ吉次達に負けないくらいの惚気話作ってやんないとだ」
惚気話が出来たって、僕は誰かに話そうと思わない。中也さんもそれをわかっている。
あまり堂々と出来ないから楽しいこともあるかもしれない。
こうやって誰もいない路地で手を繋いでみたり、帰りのバスで寝たフリをして中也さんの左肩に寄りかかってくっついたり。好きだと言い合わなくても、それを受け入れてくれるだけで幸せだ。
「顔、普通に戻ってますか?」
幸せに緩んだ顔を引き締めるように両頬を叩く。いつもの僕に戻っているか、女だとバレないか。家の近くで気を引き締める。
「うん、戻ってない。にやけてるよ」
「やっぱりかぁ」
「三味線でも弾いたらなおるさ。弾いてる時の要は、周りの声も聞こえないくらい真剣な顔するからね」
「力が入るんですよね。こう、私の音を聞け! って言いたくなるって言うか」
「いつだって聞いてるよ。どんな音もね」
「どんな音も」と言ってクスっと笑う中也さんに、嫌な心当たりがある。
糸魚川の言っていた事が本当なら……考えるのやめよう。
家が見えると玄関の灯だけが付いているようだった。その他の部屋は電気が付いておらず、玄関先から白くて細い煙が見える。タバコの煙だろうか。
「あぁなんだ。糸魚川か」
「なんだァ? 2人で、イチャコライチャコラ。乳繰り合ってきたか」
「なんつう言い方するんだよ。あれ、しゅーさんと初代さんは?」
煙の主は糸魚川。玄関前の石畳の階段に座り、タバコを吸って一服していたようだ。
しゅーさんと初代さんは知人の家へ出かけたというから、今はこの男1人だろう。
どうせならコイツも出かけてくれていたらよかったのに。なんて酷いことを思ってしまう。
彼の足元を見ると、大量にタバコを吸っていたようで、吸殻が沢山散らばっている。中には火のついたものもあって、慌てて下駄で踏みつぶした。
「おい! 火くらいちゃんと消せよな!」
「……」
はい、出た。無視。本当に嫌なヤツ。万が一家事になったらとか、一切考えてない。聞いてんのか、と背中を軽く叩くが無視。
「ほっとけよ。こういうヤツなんだから」
中也さんも呆れていた。糸魚川はこういうヤツだ。最近は大人しいと思ったが、根本は変わらない。
何かあれば悪態をついてくる。または、都合が悪いと黙る。
しかし、今日は普段と少し違うようだ。
「あァ、気をつけるよ」
吸っていたタバコを石畳に押し、火を消す。やけに素直だ。気持ちが悪い。滅多に無いことが起きたと、思わず中也さんと顔を見合わせた。
「飯まだだろ。作ってあんぞ」
「お、おう」
しかも普段は作らない晩飯まで用意して。いつからこんなイイ子になったんだ。毒でも盛られたか、誰かにこっぴどく叱られたか。とにかく大人しい糸魚川が珍しい。
狐が狸が化けてるのかと、彼の後ろ姿に尻尾を探す。
家に入ると、鍋に入った温かい鮭雑炊がちゃぶ台に用意された。
いつも食事の準備を手伝って欲しいと頼んでも、唾を飛ばしてきたり「やなこった」と胡座を掻く糸魚川が、僕らにご飯を作って、不満も何も言わずに食事の用意をしている。
「お前なんか今日おかしくない?」
「失恋でもしたのか?」
「するわけねェだろ、バーカ」と聞こえてきそうなのに、やっぱりなあんにも言わない。なんだ、このデジャヴ。
ああ、そうだ。これは大学の卒業見込みがないと病んでいたしゅーさんと同じような反応だ。
「お前もかよ。お前もなんかやらかしたのか?」
「うひィ、やっぱバレたかァ」
やっぱりだ。コイツ、なんかやった。
「仕事をクビになりましたァ!」
右手をピシッと真っ直ぐ挙げ、バレたならもういいわ! と開きなおり、酒の入った一升瓶を水のようにグビグビ飲む。
「なんでだよ!」
「店長の息子のことディスったらクビになった」
「なんでディスるんだよ!」
「ディスる?」と首を傾げる中也さんへ、「人の事を侮辱する事ですよ」と早口で説明。
僕はこの家の貯金額、必要な生活費、借金の返済額、雑費もろもろ、頭の中で算盤をはじいた。
糸魚川が働かないだけで、この家は酷く困窮する。1日2食、いや、1食の日もあるかもしれない。
なのにコイツは、訳の分からない理由で仕事をクビになってきやがった。
「謝ってこい!」
胸ぐらを掴んで体を揺さぶる。
「そりゃ無理だ。俺はあの息子が嫌いなンだよ。仕事は遅ぇし、ハッキリしねぇし、あげくにチビでブッサイクな顔してるくせに、家が金持ちってだけで綺麗な姉ちゃんと結婚出来ンだぜ? 割りにあわねぇよ」
勤め先である小料理屋の御子息に、結婚の話があるのが気に食わないらしい。とにかく女性に飢えている文人は、自分より劣っていると感じる人にそういう話があると不機嫌になる。
「せ、性格がいいかもしれないじゃないか!」
「あー、ないない。俺の方がいいに決まってるね。なんで俺じゃないんだって感じだわ。どいつこいつも、見る目ねぇんだよな」
お前のどこが性格いいんだよ。どう考えたってクビにした店が正しいだろ。こんなクズを店に置いたら、信用はガタ落ちどころか破綻する。僕らには死活問題だが、店側からしたら最善の判断だ。
「ったく、俺だったらもっと上手くできるね!――それを分からない奴が多いから、俺は自殺する羽目になったしよォ。本当、世の中バカばっかりだな」
自分が悪いのに世間のせいにする方がよっぽどバカだ。人を見下して、何が正しいというんだ。
「そんなに言うならお前の何が正しいか言ってみろ!」
「あァ?」
反省しないと決めた、丸メガネの先の黒い瞳。せっかくだ、気にしていた糸魚川の自殺や理由も聞いてやろうじゃないか!
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