67恥目 津軽じょんがら節

 文治さんはお触り程度でならと、津軽三味線の基本的な事だけ教えてくれた。

 津軽三味線は盲人芸だから、楽譜がない。つまり、即興で聴いたものを体で感じながら弾いていくのだと言う。今あるのは、重くて太い津軽三味線と撥だけ。


 とりあえず弦を押したり、弾いたり、掬ったりして音を頭の中へ叩き込む。

 どこをどうしたらどんな音が出るか。繰り返し試した。


 暇していたのが嘘のようにのめり込む。

 晩飯が出来たと呼ばれても、2回、3回と声をかけられなければ聞こえなかった。


 その晩の布団の上でも撥だけを手に持ち、津軽三味線の音を繰り返し頭の中で流して自分が弾いているのをイメージした。


 力強い、燃えるような音。抗い、前へ進む、地面を踏み締める音。

 すっかり津軽三味線の虜だ。しゅーさんや中也さん、東京にいる皆の事も頭から抜けている。


 次の日も、また次の日も吹雪は止まなかった。まるでこの土地が、僕を引き止めるように、津軽三味線を弾かせてくれる。


 そして思い出す、父さんとの記憶を。いつか青森へ、太宰治の故郷に行こう。

 その時はねぶた祭と弘前城を見て、それから生の津軽三味線を聞こう。


 ちゃんと曲がわかるように予習しよう。父さんが通販サイトで大量の津軽三味線のCDを買って、朝から晩まで家の中で流れていた。

 青森に想いを馳せて、シワクチャになるまで読み荒らした旅行雑誌。


 父さんが好きだったのは、最も有名と言っても過言ではないこの曲だった。記憶の中で流れる曲を楽譜代わりに、触ったばかりの津軽三味線をずっと、ずっと前から弾いていたように弦を弾く。


 曲調がスピードアップしていくと体の中で火が灯り、やがて炎になるように熱くなる。


「要ぇ、父さんも津軽三味線弾けたらかっこいいかな?」


 ごめん、父さん。僕が代わりに弾いちゃってるや。今の僕、めっちゃくちゃかっこいいだろう!


 目の前に居たらそう言ってやりたいよ。見えないけど、父さんが目の前で聞いているような気がした。幽霊でもなんでもいいから、そこで聞いていて。


 父さんが好きだった物を、まだちゃんと愛しているから。


 曲が終わったら最後はピシリと弦を押さえる。すごい汗だ。風呂に入りたくなるような滝の汗。


 ふう、と一息つく。心臓は運動をした後のようにバクバクと。喉が渇いたから水を飲もう。三味線を丁寧に畳の上へ置き、和室を出た。


 襖を開けると腕を組んだしゅーさんと中也さんが立っている。もしかしたら、読書の邪魔をしてしまったのかもしれない。


「えっと、うるさかった?」


 うるさかったに決まっているのに、わざと確かめる。


「いや、誰が弾いてるのかと思えば……正直、本当にお前だったのか疑ってる。いや、すごい」

「要に三味線の才能があったなんてね。本当、かっこいいよ。なんて曲?」


 なんだ、怒らせた訳じゃないのか。

 2人共ヤケに褒めてくれる。僕の暇はこの才能のためだったのだ!


 そしてまた、父さんとの思い出をまた思い出せた。父さんと来たかったこの場所で、父さんと聞きたかったこの曲が弾けて、僕は今とても満たされている。


 だから笑顔で答えるのだ。父さんが愛した曲の名を――。


「津軽、じょんがら節!」




 やっと晴れた日の朝、今日こそは東京に帰る準備をしていた。

 朝ごはんに出た、近海で取れた焼き魚がとっても美味しかったから気分が良い。


 新たな思い出を胸に、学生服にコート、マフラーを巻いて、リュックを背負った。舐めた格好をして来たと後悔したが、どうせ列車に乗って帰るんだからと割り切った。


「お世話になりました」

「こちらこそ。要さん、中也さん。修治を頼みますね」

「はい!」


 津島邸の母屋の前で文治さん達に別れの挨拶をしていた。他の家族の皆んなも寒い中、わざわざ出て来てくれている。いい家族だ。


 僕と中也さんがいい返事をすると、しゅーさんが突然、家の中に戻っていってしまった。


「何してんだ?」

「忘れ物かな。しゅーさん?」


 僕らは顔を合わせて、なんだろうとクエスチョンマークを頭上に浮かばせた。しかし、文治さんだけは、何をわかっているようだ。「待っててください」と僕に微笑みかける。


 しゅーさんが母屋から出てくると、大きな荷物を持っている。

 文治さんに「持ってく」と目を合わせずに言うと、その荷物を持ちづらそうにして僕の横に並んだ。


「ああ、なるほど。要、よかったね」

「何かいいことありました?」


 中也さんも何かわかったようだ。僕だけが何も知らないで、仲間ハズレの気分。


「津軽三味線だよ。ほら、よく形をみてごらん」


 その形を見ると、何かの箱に入って布につつまれた荷物の大きさは津軽三味線ぐらいの大きさだ。


「修治が持って行きたいみたいですよ。埃がかぶるよりマシですからね。たくさん弾いてください」

「いいんですか・・・・・・?」


 僕は感動のあまり泣きそうだ。こんな高価なもの、本当に持って行っていいんだろうか。でも本当に良いなら喜んで持って行きたい!


「俺が弾きたいだけだ。お前には貸さないよ」


 しゅーさんは意地悪を言ったが、それは嘘だ。絶対、僕のために文治さんに交渉してくれたに違いない。


「修治もお兄さんなんですね」

「別にあまくせのためじゃないって言ってるだ――」

「しゅーさん、ありがとう!」


 しゅーさんがツンツンして素直じゃないから、僕も口じゃ表しきれない、いっぱいのありがとうを抱擁で表した。

この人の隣に居ると、面倒が多いけど、必ず愛があるから。

 だから手放したくないって思うんだろうな。


「それでは、お元気で!」


 僕ら津軽の津島邸を離れ、東京へ帰る。この雪道も踏みしめるのは、わずかの時間だ。


 帰り道――壊れたはずの雪うさぎが、誰かの手で綺麗に直されていた。

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