64恥目 嫌いなお前のためじゃない

 翌日の夕方、青森駅に着いた。

 雪だなんだと列車に遅れが出て、とっくに日は傾き、北の空は紺色に変わり始めていた。


 列車を降りると、体のあちこちが硬くなって痛いし、詰まったような不快感を払おうと蹴伸びをすれば、バキバキと体が不気味な音を立てる。


 それから、腹が減ったので適当に夕食を駅で済ませた。

 外に出ると東京とは比べることが出来ない、引っ掻くような雪国の寒さ。

 平成でも見たことがない高く積もった雪の壁、舞い散る粉雪の白さに目が眩んだ。

 そこからまた乗り物を乗り継いだが、しゅーさんが途中で歩きたいと行ったので、そうした。


 金木町の実家が近づくにつれて顔が強張るしゅーさんに、わざと雪玉を作って投げてやる。

 けれど、反応がないからつまらない。文治さんに怒られるのを、アレやこれやと考えているのだろう。


 まだ怒られてないのに、怒られた後のような後ろ姿だ。哀愁漂う背中が可哀想だと思った。自業自得だから、しょうがないけど。


 もう暗くなった歩道の途中に、電灯に照らされるナンテンの赤い実を見つけたので、実を2つと葉を2枚もぎって、冬ならではのアレを作った。


「しゅーさん見て! 雪うさぎ」


 雪うさぎを差し出して見せる。掌に収まるくらいの小ささで、透き通った白が可愛らしい。

 少しは和んでくれるかなぁ、なんて小さな子供みたいに、わざとらしくはしゃいでみせた。


「うまいね。かわいいよ」

「でしょう? 雪うさぎ職人にでもなろうかな。稼げます?」

「いくら?」

「10円とか」

「たっか」


 僕と中也さんが話していると、しゅーさんは雪うさぎを右手で掴んだ。


「優しくしないとウサギは死んじゃうから、そっとね!」


 本物のうさぎを触らせるかのように注意したのに、彼はうさぎを側溝の積もる雪の中へ無言で投げ捨てる。シャッという、雪に刺さる音が短く聞こえた。


「あっ」

「死んだ」


 なんて酷いこと、なんて無慈悲。

 雪ウサギは氷のように固くなった雪の上で、バラバラになってしまった。そして雪うさぎを殺した犯人は、苛立ちながら再び歩き出す。


「なにすんだよ! バーカ!」


 僕はいそいそと歩くフリをして鈍間に歩く兄貴に後ろから勢いよく飛びかかる。

 ガクッと冷え込む外の冷気に、水分を含んだ雪が身を守る様に氷へと姿を変え始めていた。


 しゅーさんが転び、その体にくっついていた僕も転び、僕を転ばせまいと腕を掴んでくれた中也さんも転ぶ。


「ふざけんな! この! あまくせ!」


 尻餅を付いたしゅーさんが、うつ伏せに転んだ僕の尻をベチンと叩く。叩かれた場所は、体が冷えていたから全身にその痛みが行き渡る。


「痛ってえな!」


 仕返しに立ち上がる兄の尻を叩き返した。


「お前が、先に、やってきたんだ、ろ!」


 そうしたら、頭の天辺に拳骨される。これはもう兄弟喧嘩だ。当人同士じゃ終わりなんかありゃしない。


「喧嘩するな!」


 中也さんに怒られるとやっと僕らは黙る。怒られたのが恥ずかしいのと、ショックなのと。すぐに嫌われたかな、なんて心配する。


「また転んだら危ないから」


 しゅーさんが居るのに、凍った道が危険だと右手を握られた。嫌われてないことに安心した後、雪国の氷道に感謝した。


 雪国万歳。怪しまれないで手を繋げるって最高だ。

 暗がりに気を緩め、デレデレとニヤけ顔で照れる僕を、片目だけ残した雪うさぎに見られている気がした。



「何でそうなるんだ!」


 文治さんの強い叱責。その目の前に、半ベソをかいているしゅーさん。


 もうすっかり夜になってから津島家に到着した。

 挨拶も早々に、文治さんは何かを察知したらしく、すぐに和室に通された。さっきまで喧嘩していたのに、咳のひとつも出来なさそうな緊張感が僕らを襲う。


 席順は1番奥から文治さん、中央にしゅーさん、そして襖付近に僕と中也さんが正座してその様子を見ていた。


 さっきの叱責といい、結構怒られている。内容はわからない。だって時々津軽弁で、僕は青森の人じゃないから、何を言ってるのか見当もつかない。


 だからと言ってはなんだけど、大地主の豪邸の中を目でキョロキョロ眺めていた。

 いかにも大きな金持ちの家。しかも2階まである。上にはどのくらいの部屋数があるんだろう。

 この和室に使われてる木だって、ただの木じゃなくて、とても高い木に違いない。

 この家がのちの重要文化財だったかなんだか、とにかく未来の日本の宝になると思うと、座布団でさえ安易に触ることは出来なかった。


 この畳も高いんだろうな。うちのござとは大違い。ここの畳はフワフワする。羨ましいねぇ。


 しかし、どうして僕がしゅーさんの借金を返済しているのか分からなくなる。

 この家にとって、しゅーさんの借金って小遣いみたいなもんじゃないの? いやいや、でもいい大人なんだし、東京に上京したなら自分で返すのが筋ってもんだよな。それが出来ない彼を助けるのが、僕の役目。


 危ねえ、すっかりただのお客様気分だったわ。


「ねえ、要さん!」

「えっ、ハイッ」


 別な事を考えていたのがバレたのか、文治さんが突然声をかけてくる。


「ごめんなさい。えっと、もう一度お願いします」


 文治さんは呆れた顔で「全く」と溜息をついた。ひい、おっかない。これ以上怒られたくないので、すいませんと、頭をさげた。


「どうして卒業見込みがないかと聞いているんです。要さんや中原さんがついていたんでしょう」

「そうなんですけど……まさか、校門前まで送り迎えしても行かないだなんて思わなかったので」

「なんだと?」


 やべ。これは言わない方が良かった。嘘でもついてやるんだった。しゅーさんがこちらを向いて、長兄に見つからないように「お前、言ってくれたな」と逆恨みしてきている。


 しかしそれも見透かしているのが文治さん。眉が釣り上がり、しゅーさんをギロリと睨む。


「修治!」

「はい……」


 名前を呼んだだけなのに、しゅーさんは小さくなった。それだけ圧のある呼び方だったってことだ。


「催促はしました。けれど行かなかったのは修治さんの判断でしょう。誰のせいでもない。彼の責任ですよ」

「ちょっと!」


 中也さんが正直に話し、こちらは手を貸しただけで、大学へ行かないのは自己責任とぐうの音も出ない正論を叩きつける。追い討ちかけましたね。


「正直、彼に卒業見込みがなくてもなんとも思いません。ただ、卒業出来ないことを苦悩として自殺を考え、要を泣かせるのなら話は別です。卒業が出来るまで、何度だって尻を叩きます。見込みがないとわかる度にここへお邪魔して、こうしますよ」


 正座のまま手の平を畳に付け、頭を下げる。そう。僕らは今日はコレをしに来たのだから。


 ――土下座。今回この家に来たのは、謝罪をするためであり、お願いをしに来たのである。


 だが、土下座は額が畳につかなければいけない。中也さんは躊躇っているように見えた。

 あと少しの所で中也さんのプライドが邪魔をしているんだろう。大嫌いなしゅーさんのための土下座なんか、本当はしたくないはずだ。


 とても申し訳ない気持ちになる。本当は僕がちゃんと学校へ行かせなかったのが悪いのに。

 すかさず僕はしゅーさんの前へ出て、正座し同じく手を畳に付けて、勢いよく額を畳に付けた。


「僕がなんだってやります! 留年させてください!」と、僕が叫ぶ。

「お、お願いします」


 中也さんも額はつけないが、土下座に近い体制で言った。


 静かな時間が流れる。この豪邸に叫び声が響き渡っただろう。夜もいい時間なのに、迷惑に違いない。


 外はシンシンと降る雪が、街を深い静寂へと誘う。


 文治さんが口を開くと「修治と2人にしてくれないか」と、僕ら2人を外に出した。

 襖をそっとあけて、会釈だけして廊下に出る。廊下の板はひんやりと、氷を足に直接つけたように冷たい。


「ダメだったかな」

「さあ。言うことは言ったし、あとはお兄さん次第。客間に戻ろう」

「はい」


 僕らは最初に案内された2階の旅館として使われている洋間に戻った。洋間の隣にある和室に、3枚の布団が敷かれていた。家の人が敷いてくれたんだろう。

 それにゴロンと転がると、体のあちこちが痛いのを再確認する。


「中也さん、よく青森に来ましたよね。しゅーさんの事嫌いでしょ? 僕のためとはいえ、嫌いなヤツの実家に来るってすごいですよ」

「あいつも似たような事考えそうで嫌なんだよ」

「似たような事?」


 なんのことだろう。同族嫌悪的な事だろうか? 嫌い同士のことはわからない。

 中也さんは土下座のことを思い出したようで、「なんでアイツのために」と愚痴り始めた。

 やはりこうなると思っていたけど、相当嫌だったんだな。


 僕は愚痴を聞きながらしゅーさんが来るのを待っていたが、列車に乗り続けた疲れで、直ぐに眠ってしまった。



「なんだ、寝たのか」

「疲れたんだろ」


 さっきまで半ベソかいていたクセに、何もありませんでした。という顔でノコノコ帰ってくる。

 要の前では調子に乗るか、ウジウジとベソを掻くかのどちらかでみっともない。兄ならもっとシャンとしろと言ってやりたいが、生憎俺もそう言えるような長男ではではなかった。


「どうだったんだ」

「あ、ああ。留年させてくれるとさ……悪かったな」

「お前のためじゃないって言っただろ」


 本当、コイツを見ているとイライラする。

 コイツはいつも気にかけられている。何かする度に泣いてもらっている。劣等感なんだろうか。嫉妬か。負の感情だらけだ。


 要が俺を好きだと言ってくれても、どうもコイツが信用できない。要が「なんだってします」と言った時、胃がムカムカした。散々体を張ってきて、まだやるのかと。


 それに対して、コイツと来たら。

 許してもらえたのをいいことに、安心しきってヘラヘラして、寝ている要の足の裏をくすぐって楽しんでいるんだ。


 反省の色? それは何色ですか? この青鯖見たいな面を殴ったら出る色か? 何色か確かめさせて貰おうか?


 この足をくすぐる行為だって、兄弟の悪ふざけだと言われても、要に触れている事が気にくわない。

 無意識に津島の手を叩き、体から離して睨みつけた。


「変なヤツだな」とコイツは言う。

 寝ている間に、雪の中へ埋めてやろうか。口の中に雪を詰め入れて、誰も気づかないように深めに埋めてやろうか。

 そうしよう。事故を装うために酒を飲ませて酔っ払わせよう。


 こんなに惨めな気持ちになるのは御免だ。頼むから死んでくれ。

 イライラしていると襖の向こうから、文治さんの声がした。津島が急に息を潜めるので、はい、と返事をする。それから津島は素早く布団に入って狸寝入り。


 なんてヤツだ。


「夜分遅くすみません。今、大丈夫ですか?」

「要と津島は寝てますけど」

「いえ」


 用事があるとすれば要だろうと思った。しかし違うと、顔の前で手を仰ぎ、否定する。


「中原さんとお話がしたいんですよ」


 何故、自分に。とりあえず返事をして、言われるままに部屋を出た。


 俺、なんかしたっけか――!?

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