61恥目 幸福の花、スズラン


 目を覚まし、天井に吊るされた照明が刺さるように眩しくて顔を顰めた。


「ねぇ、大丈夫?」


 僕を心配してくれる声にまた目を開けると、今度は薫さんの顔が僕を覗き込んでいる。

 体がピクンと反応したけれど、あちこち痛くて、表情だけで平気なそぶりをするのが精一杯だ。


「へ、平気ですよ! 打撲で済んでますから……薫さんは大丈夫ですか?」


 本当は大丈夫じゃないです。

 折れていないと言われても、折れている気がします。喧嘩なんかしたことなかったし、今回の事で夜の街への恐怖も植えつきました。


 でも、薫さんを心配させないように。明るく笑って、なんでもないと言ってみせる。


「うん。平気だよ」

「無事で良かったです。何処にも傷がついていなくて、本当によかった」

 

 彼女は着物が汚れた程度で、擦り傷もないみたいだ。けれど表情は暗い。


 花街の一角。木造建ての簡易な救護小屋。

 なんとか難を逃れた僕らは、隊長さんに連れられて手当てを受けていた。

 

 なんとも気まずいこの空気に、僕はなんと言っていいかわからない。せっかく薫さんに会えたのに、また余計なことを言ってしまいそうで、嫌われたく無い恐れからか、何も言えない。


 何か次があるような、気の利いたセリフを言わなくちゃ。次会えたら、ああ言おうとか考えていたのに、先程の事件ですっかり忘れてしまった。


 そうだ、この間お二人に注意された所をまず謝ろう。思ったことをすぐに言ってしまうことは、僕の長所であって短所。

 だから尻込みせずにごめんなさいを言うのは案外簡単だ。


「そうだ、薫さん。この前は急に婚姻届渡してごめんなさい。びっくり、しましたよね」

「えっ、う、うん。びっくり、した……」

「要さん達に言ったら怒られちゃいました。僕、女性を好きになるのは薫さんが初めてで、突っ走っちゃって……せ、せめてお友達からですよね! 本当にごめんなさい!」


 よ、よし! 言えた!

 お友達から始めてくださいで付き合い辛さを軽減、少しずつお互いを知って僕の魅力に気付いてもらう。

 でも、薫さんは承諾してくれるだろうか。やっぱりまだ要さんが好きなのかな。

 要さんは性別を問わずに人望のある人だから、誰が好きになってもおかしくない。僕だって憧れる人だ。


「えっと……」


  黒い皮のソファーにうつむいて座る薫さんをチラリと見ても、僕の言葉への反応はなかった。


 あたふた、あたふた。また失敗した? ああ、急にお腹が痛くなってきました。

 要さん、中也さん助けてください! 何か、何かアドバイスを!


「あっ、あっあの隊長さん! そういえば要さん達は、どうしたんですか?」


 もう無理です。隊長さんに話題を振りました。また意気地なしに戻ってしまいました。

 黙ってしまう方が余計気持ちが伝わって来そうで怖いんですもん。


「要と中也ならお前さんを殴ったヤクザをしばいてるよ。いやぁ、中也だけか。中也がしばいてたな。それを要が止めているのまでは見たぞ」

「すごい人数いましたけど」


 確かにあの時、何十人という男性がいた。要さんが先頭にいたけど、どういう人達なんだろうか。

 要さんは「ヤクザにはヤクザ」と言っていた気がする。これって隊長さんに聞いても大丈夫な事だろうか。


「要が引き連れたヤクザは俺のでね。こう見えてヤクザの長なんだよ」

「えっ隊長さんが!?」


 衝撃だ。こんなに穏やかそうなのに、ならず者を率いてるなんて信じられない。


「結婚する前に嫁さんをここで見つけてなぁ。たまたま嫌な客から助けてやったんだが、評判が回っちまった。嫁さん助けるのに必死でね――ま、俺がこれを始めたのは吉次と同じ理由だ。俺は邪魔だろうから事務所に戻る。何かあれば外に若衆がいるから、なんでも言いな」

「は、はい! 色々ありがとうございます」


 顔は怖いけど、女性を大切にする優しい人。

 大事な人を守れる人。僕のなりたい姿だ。


 尊敬する。

 暴力が良いとは言わないけど、誰かを守るために振るう拳が強いと思うのだ。

 またいつか、本当に僕1人で薫さんを守る時が来たら、僕はこの手を拳にして悪を追い払うことは出来るんだろうか。


 見つめる掌は、さっきできたばかりの傷だけで、豆もないしなんの努力もない手に見える。

 まだまだ経験も知識もない。もっと強く成らなくちゃ。


「素敵だね。誰かのために生きるって」


 薫さんは隊長さんの出て行った戸を見つめながら、しんみりと呟いた。


「そうですね。僕は弱いから、身代わりぐらいにしかなれませんでしたけど……はは」

「そんなことないよ!」


 僕が自分の不甲斐なさを笑って誤魔化すと、薫さんは大きな声でそれを否定した。

 椅子を立ち、簡易ベッドに座る僕の隣に座る。

 

 ひゃあ、甘くていい香りがする――! この香りに男をくすぐられてクラクラしそうだ。ごくりと生唾を飲んだの、聞こえたかなあ。


「薫が絶対怪我しないようにって、守ってくれた。この間までは、しつこくて、一方的でウザいなって思ってたけど、さっきの、あの時の吉次くんは――」


 薫さんの横顔を直視出来ないけど、澄んだ黒い目がとても綺麗だ。薄い桃色の唇も、鼻がスッと高いのも、ほんのり赤い頬も、僕を一層クラクラさせる。


 体が熱い。薫さんと居ると、心臓が耳元にあるようだ。鼓動が2倍速になる。


「カッコよかったよ!」


 薫さんは僕を少し見つめて、それから突然小屋を出て行ってしまった。

 僕は何を言われた理解するのに時間がかかって、暫くそこを動けない。


「カッコ、ヨカッタ……?」


 言葉を理解すると、僕は起きていられなくて、そのまま後ろに倒れ込んでしまった。



 花街にヤクザ騒動があった日から数日後。

 吉次は花街のバイトを辞めて文京区に帰り、僕と中也さんも日常に戻っていた。


「あまくせ、誰か来たぞ」

「しゅーさん出てよ。僕は今からバイトなんだから」

「っつ」

「舌打ちすんな!」


 梅の蕾が少し膨らみ始め、春の足音がする白昼に白金台の自宅に誰かがやって来た。

 しゅーさんに嫌々来客対応させると、玄関から「あまくせ! 硯だ! あのクソ女が来た!」と廊下を騒がしく走って僕を盾にする。


 クソ兄貴。もう少し弟を大事にしろよな。

 僕は袴の紐を締めながら玄関に出ると、風呂敷を3つと小さな香典袋のような物を持った薫が立っている。


「要くん、急に来てごめんなさい。この間はありがとう。あと、これ。治療費とか……」

「あ、ああ。ありがとう」

「うん……」


 僕は治療費と言われた香典袋のような包みを受け取ると、その分厚さにドキっとする。


「おい、こんなに貰えないぞ!」

「あまくせ!いくらだ!」

「あっコラ!」


 金額を見て驚いたが、平成の金額で80万くらい。薫が自らの体を駆使して稼いだ金だろうに、治療費には多過ぎた。

 その金額に興味津々なクソ兄貴。恥ずかしいったらありゃしない。


「ううん、足りないくらいだよ。薫、ちゃんと謝りにも来てないし……本当にごめんなさい。それでね、あの、ズルいんだけど、要くんにしか言えないお願いがあるの……ごめんね……」

「うん? ……おい、どうした? 大丈夫か?」


 最初に会った頃とはだいぶ人が違う。大人しい、というか。悩んでいる顔をしているというか。

 言葉を詰まらせて、突然泣き出す薫はこの間のような狂気的な雰囲気ではない。


 ただの女の子だった。僕を騙そうとか、そういうやましい心はない。


 僕は薫の側に立ち、抱き寄せて腕をさすってやった。そして薫の涙が落ち着く頃に、しゅーさんに水を持って来るように頼んで、それを飲ませた。

 薫は何度かしゃっくりを押し込み、全てが落ついてからやっと、その願いとやらが聞ける。


「吉次くんの所に連れて行って欲しいの」


 薫は吉次くんの住所とか何も知らないから、と僕に藁にもすがるような思いで頼み込んで来ているのだろう。

 僕は飴屋のバイトがあるので別に構わないと承諾し、しゅーさんだけを白金台に置いて家を出た。


 いつもの道を自転車で。荷台に、頬に涙の跡をつけた薫を乗せて行く。


「要くん、スズランの花言葉知ってる?」

「いや、知らないな」

「純粋って言うんだって」


 平成から来た者に渡される花には、必ず意味がある。


 薫は昭和に来る前、恋人に裏切られたことが原因で喧嘩に発展。殺してやろうと刃物を握ったらしい。どうしても殺せなかった。けれど、もう2度と恋人に愛されないなら死んだほうがいいと、腹部に刃物を押し込んだ瞬間、飛ばされたようだ。


 やはりこの子も自殺直前。これで僕以外の4人共自殺だ。


「薫、今ならこのお花を渡されたのわかる気がする。誰のことかわかるもん」

「ん? 誰のこと?」


 僕はとぼけた。恐らくは、と思ったが、彼女の口から聞きたかった。

 きっとあの馬鹿正直なおかっぱだろうな。


「吉次くんだよ。薫の事、いつも真っ直ぐ見てくれてる。目が綺麗なんだもん。助けてくれた時もね、痛そうにしてたけど、薫が傷つかないように必死で守ってくれた。すごいよね、こんな薫のために危険まで冒してさ……」


 自転車は文京区に入る。今日は吉次も出番の日だ。

 飴屋の近くにまで、薫は吉次がカッコよかったと僕にずっと自慢するように話してくれた。

 元旦に僕を好きだと言って、殺そうとしてきた子とは思えない。声も明るく、何かに開放されたようだった。


「ここが吉次くんのお家?」

「んや、僕と吉次のバイト先。飴屋とか言ってるけど、飴の売ってないコンビニみたいなもんだよ」


 店横の自転車どめに自転車を駐車し、薫の荷物を2つ持って飴屋に向かう。


「ちゃんと帰れる? もう少し待ってくれたら、僕が送って行ってあげれるけど」

「大丈夫だよ! ここまで一人で来れたもの」

「心配だなぁ。最近人攫いも多いし……お願い! 要さん来るまで待ってて!」


 またいいタイミングで小さな女児が一人で買い物に来ていた。人攫いによく狙われる年齢で、吉次はそれが心配で引き止めているようだ。


「よっ、お疲れ」

「要さん! ちょうどいい所に! 僕、この子をお家まで送りたいんですけど、いいですか? どうしても心配で」


 いつもの優しい困り顔。

 女児は僕ではなく、僕の後ろを見て指を指し「すごい綺麗な人がいる!」と目を輝かせた。


 吉次が女児の指す方に目をやると、薫がいる。


「かっ、薫さん!? どうしてここに居るんですか!?」


 ドギマギ、緊張、顔が真っ赤になっている。

 一方、薫も少し恥じらった薫で着物胸元から紙を一枚だし、少しずつ吉次に近づいた。


「これ」

「は、はいっ」


 それを吉次に渡すと、下を向いてもじもじ。

 見ているこっちが小っ恥ずかしくなる。僕は女児に手招きして、こちらに来させた。


「あとで塩煎餅やるから、静かにな」

「うん?」


 女児は意味がわからなさそうにしていたが、僕の真似をして口元に人差し指を立てて2人を見ていた。


「薫さん、これ」

「うん。まだ大丈夫、かなぁ……?」


 吉次が受け取った紙は、そう、例のアレだ。吉次の本気、婚姻届。


 薫はそれに「永沢薫」と自分の名前を書いて、吉次に手渡したのだ。

 実際に見えはしないが、吉次は幸せのあまり、花を体から出したように驚き、喜んだ。


「もちろんです! 一生、生まれ変わっても、何があっても、幸せにして見せますね!」


 吉次がそう言って薫を抱きしめると、「一緒に居てくれたら、それだけでいいよぉ」と、涙まじりだけど幸せそうに笑った。


 想いは強ければ伝わる。

 それが他の人と違った価値観だとしても、必ず何処かにわかち合える人はいるのだ。


 父さん、生まれた時代が違っても、愛は綺麗で狂わしいです。


「いい日だなぁ」


 爺さんが蛇腹カメラと呼ばれるカメラで二人をレンズに納め、呟いた。


「無駄遣いが役に立ったな」


 それは金額がバカ高いので無駄遣いだと豆腐屋夫婦にこっぴどく叱られたカメラだった。すると爺さんは仕返しするようにニヤついた。


「お前も早く中也と結婚しろ」


 そう言って、無駄に僕の顔を撮り、店に消えて行く。


「ばか!」


 全く、僕は男だって言ってんだろ!

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